Supporting Liu Xiaobo Means Supporting Truth and Justice
北京在住のチベット人作家、ウーセルのBlogに、6月26日に掲載された署名呼びかけ。これに呼応して、世界中のチベット支援団体が動き始めている。
今年3月10日、若いチベット人数人が英国ロンドンの中国領事館で抗議を行った。小雨の中、彼らは地面に横たわり、1枚ずつ MISSING のプラカードを掲げた。6人の失踪者は北京の政治圧力の被害者で、4人のチベット人は既に判決を受け、投獄されている。残る2人の漢人、劉暁波と胡佳は人権に関して、チベット問題について多く発言した人たちだ。
抗議に参加したチベット人、テンジン・ジグダルはこう言う。「6件の裁判はチベット人と漢人とが表現の自由を奪うものの前では同様に傷つけられることを表している。中国政府がチベット人、漢人に関わらず願いを聞き入れられるのであれば、どうして彼らが国民を拘束することができるだろうか」。 「零八憲章」の署名者のひとりとして、このほど私は自分のBlog上で、中国政府が劉暁波先生を無罪釈放するよう、公開署名を求めることにした。私が言いたいのはひとつだけ、「義務を分担するなら、それに応じた自由な権利があるはず」ということだ。国内外の署名で劉暁波を支援しよう! 劉暁波博士の無罪を呼びかけよう! 劉暁波博士が、2009年6月23日、「国家政権転覆煽動罪」の容疑で逮捕された と聞きます。 劉暁波博士は現代の中国の重要な思想家であり、作家です。彼は真相を追求し、 正義を求めて、ネットなどに文書を掲載し、社会的な不正行為に対するオープン な批評を通して、市民の良識と社会的責任とを体現していました。彼は理知的 で、建設的な態度を取っていました。 同時に彼は強い圧力にも負けませんでした。ご存知の通り、劉暁波博士は厳しい 監視下の中で生活し、彼の一挙一動はすべて注視されています。人々は劉暁波が 書いたたくさんの文章に接しますが、それは実際には多くのことは比喩を用いら れているからなのです。そのため彼は自分の意図を完全に表現しても、法律の枠 組みに捉えられることはありませんでした。もし法律の範囲であったなら、彼の 創作は中断していたでしょう。 現在の劉暁波の境遇は、私たちそれぞれの生活に多くの示唆を与えています。劉 暁波博士の発言が罪になるのなら、彼は自由に自分の意見を公表できないでしょ う。それは私たちにも言論の自由がないということを意味します。彼が批判を発 表したために投獄されたということは、私たちの喉に鍵がかけられているのと同 じことなのです。 歴史を振り返れば、60年前、いわゆる政治協商の空気の中で、意見の異なる社 会勢力が対話を通して共通点を見いだし、相違点を保留することで、新たな局面 と将来を切り開いたものです。いまの中国を見渡すと、問題は山積し、社会は非 常に鋭く対立し、私たちは政治協商の時代を思い出さないとならないかもしれま せん。政治協商と社会協商の方法によって、対話と意思疎通をはかり、社会の衝 突を解決し、社会圧力を解放し、よりよい社会を創ることができるのではないで しょうか。 私たちは劉暁波博士を直ちに釈放することを呼びかけるとともに、憲法が保証し た言論の自由を遵守し、「国家人権計画」の公約を守り、法律を重んじた法治国 家であることを確認するとともに、新たな政治協商と社会和解の時代の原点とし たいと思います。 このアピールを私たちは、全国人民代表大会と中国人民政治協商会議に提出しま す。 2009年6月24日
アピール文には、徐友漁(北京、学者)をはじめ、当初署名した52人の学者、弁護士、作家、カメラマン、編集者などの名前が並んでいるが割愛した。ウーセルと夫の王力維も26日に署名したという。
署名用紙はこちら:https://spreadsheets.google.com/viewform?formkey=cnNDeTJCZmhtb085TWczQTF3b0pacVE6MA
逮捕の詳細については、Times Onlineにも劉暁波の写真入りで掲載されているが、ウーセル自身がコメントとして書き込んでいる続報によれば、26日午後、2人の弁護士が北京市公安局で劉暁波に約40分間面会した。弁護士法では警官は立ち会えないことになっているが、公安側は旧法である刑事訴訟法を盾に警官1人を立ち会わせたという。
劉暁波は2001年から2008年のあいだに発表された彼の文章20数点と「零八憲章」との関係を認めたが、彼の文章については彼に責任があり、憲法によって言論の自由が保障されているのであれば、当局が言う「国家政権転覆罪」の嫌疑はないはずだと主張しているという。
劉暁波は、昨年12月8日23時すぎ、北京市公安局の公安十数人によって自宅から連行された。公安は十数時間に渡り、家宅捜索を行い、パソコン、携帯電話、蔵書、「零八憲章」の草稿などを、他の私物と共に押収した。
12月10日、妻の劉霞が北京市に苦情を申し立てたが、窓口担当者は当初拘束を否定したばかりか、嫌がらせをした。今年3月20日、劉暁波に「居住監視」措置が取られていることがようやく劉霞に口頭で知らされた。
この時点で罪状が明らかにされないまま拘束されていること、本来自宅から離れることを制限するはずの「居住監視」にも関わらず連行されたこと、家族や弁護士が面会できないことなど、公安の措置は明らかに違法だと、莫少平弁護士は分析している。
そして6月23日、劉暁波に対して逮捕状が出され、彼は拘束されたまま国家政権転覆の容疑で正式に逮捕された。
逮捕後の待遇は以前より改善されており、同一房に5人が収容されている。連行以来半年間の拘束中、自白を強いられたり拷問を受けたことはなく、毎日の尋問も4時間の制限内に留まっているという。
面会した尚宝軍と丁錫奎の2人の弁護士は、司法手続きによらず劉暁波が拘束されたことについて当局を批判している。
劉暁波は1955年、吉林省長春生まれ。北京師範大学で博士号。1989年に民主化運動に参加し、89年6月から91年1月まで泰城刑務所で拘束された。95年には天安門事件で拘束された民主活動家の支援を行い、『反腐敗建設の書』『血を流した教訓 民主と法治社会の推進』を執筆。逮捕され、96年10月から思想改造3年の刑に服した。彼の発言と執筆はいつも当局の恨みを買い、常に監視と妨害とを受けていた。
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Numakuma
先週火曜日、叔父の葬儀で広島の福山へ日帰りした。
早起きして東京駅始発の「のぞみ1号」で9時半に福山に着いて、葬儀までの3時間を散歩に充てる。
福山駅前はバスターミナルをほじくりかえして工事中。急いでその千年橋行きのバスを探し、仮設のターミナルを一周したところで目的のバスを待っている列を見つけた。
草戸川に架かる橋から、明王院が見える。子供の頃、叔父と一緒に河原で花火を眺めたのを思い出す。バスは瀬戸川に沿って旧道を行き、川を渡ってスイミングスクールから細い道を走り出した。途中、坂を上がって丘の上の団地に寄り、老人ホームの先の回転場でUターンして来た道を下りてくる。本当にこれが大型バスの走る道だろうかと思うほど貧弱な林の中の道を抜けて行く。採石場が近いらしく、やたらとダンプとすれ違う。斜面を利用したセメント工場の上はゴルフの打ちっぱなしで(このパターンはここだけじゃないと思う)、打球の落ちる先は瀬戸池というダム湖。
里山を縫ってバスは走り、熊野から峠を越えて沼隈側が山南。思わず「ロカ」とフリガナを振ってしまいそうになる。松永からの道と合流すると道は格段によくなり、町らしくなり、元の沼隈町役場、いまの福山市支所に到着。30分後に乗り継ぐべき鞆行きはここから出るのだけれど、路線は並行しているので、このバスの終点、千年橋までそのまま乗って行く。
巨大なスーパーやホームセンターがあり、あまり散歩に適した場所ではなさそうだと思いながら、内海大橋への道を見送る。バス路線は橋の先の田島、横島まで続いているので、いつか機会があれば行ってみたい。
千年橋バス停は、その先の小川に架かる橋の手前だった。たいした橋ではないのだが、あとで地図を見てみれば、ここがかつての海岸線で、小川は埋め立ての名残で残されたものではないかと想像する。
折り返し場へ向かうバスを見送って、歩き始める。ここまで来て快晴。喪服で歩くような場所ではない。
海は見えないが、海岸には造船所や工場があって、潮の匂いがする。横引、小桜とバス停を過ぎたところで、小さな造船工場の脇から海岸線に出た。
桜バス停の前でまだ時間があるので、堤防に腰掛けて内海大橋を眺める。内海で波がおだやかなせいもあるが、水が本当に澄んで、消波ブロックの底に泳ぐ小魚まで見えて驚いた。
道路が海岸から離れる白浜バス停で乗り継ぎのバスを待った。近くの民家には「ホワイトビーチ共和国大使館」の看板。「沼隈支所-鞆車庫」の紙製の行き先をフロントガラスに貼り付けて5分遅れで走って来たのはマイクロバス。サングラスかけた運転手に手を上げて乗り込んだものの、平日の日中では乗客は私ひとりだった。
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- ときどき旅
Nepal Police Arrest Tibetan Protesters
AFPによれば、ネパール警察はチベットとの国境近くで、34人のチベット人を拘束した。
チベット人たちは国境へ向かう途中で警察に車を停められ、その先へ歩いて突破しようとしたところを逮捕された。彼らはプラカードを持って中国批判のスローガンを叫び、中国のチベット人への弾圧に抗議しているのだと説明した。
警察のアバヤ・ジョシ氏は、「本部から指示があるまで拘束しておくことになるだろう」と話した。
ネパールは1959年にチベットの精神的指導者、ダライ・ラマがインドへ亡命して以来、多数の亡命チベット人が居住し、その数は2万人になっている。
インドと中国に挟まれ、ネパールは中国との良好な関係を保つため、チベットは中国の不可分の領土とする北京政府の「ひとつの中国」政策に沿って、反中国デモに対する厳しい取り締まりを行っている。
AP通信によれば、チベット人が拘束されたのは、国境より30キロ手前のAndheriという町だそうだ。
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Tibetan TV Dishes Pulled
Articles from Radio Free Asia
古くはVoice of America、そして精力的にチベット内の情報を英語だけでなく、チベット語、中国語で放送するRadio Free Asiaのようにチベット人が頼りにする「西側情報」がある。世界各地での中国政府に対するチベット人のアピールは、これらの電波を通してチベット域内のチベット人を勇気づけているはずだ。
中国政府は当然これを目の敵にして、妨害電波で対抗している。加えて、衛星アンテナを禁止し、テレビはCATVを通して観るよう強制しているそうだ。ここまでやるか、というほどの「情報鎖国」はネットだけでなくラジオにも及んでいる。15日のウーセルのBlogをきっかけに、RFAが自身の脅威を英語でフォローしている。
「今年4月初め、カルホ(甘南)県の地元放送局スタッフがやってきてケーブルを敷設し、チベット人がRFAやVOAのようなチベット語放送を聞くために設置している衛星アンテナを撤去していきました」。
カルホのラプランに住むチベット人女性はそう話した。
「政府公認の番組を視聴するためにケーブルを引かなければならないと彼らは言っていました。地元のチベット人たちが言うには、当局は中央や地域レベルの政府の指示を受けているそうです。彼らは政府発行の指示書を配布しました」。
RFAが入手した甘南県の告知によれば、国務院文書129号により、「衛星アンテナを回収するたゆまぬ努力」によって甘粛省での衛星放送受信を制限するよう指令されているという。告知には、政府の指示に従わず、アンテナを撤去しない者は「法により処罰される」と記されている。
6月15日のウーセルのBlog "Invisible Tibet" によれば、中国政府は2000年頃からRFAやVoice of Americaの電波をブロックしようとしていたという。それによると、数百の妨害電波塔がチベットに建設されたという。
「RFAやVOAを聞けないようにするため、中国政府はチベット僧にアンテナ撤去を強要しています。それが5月になってカルホではエスカレートしています。チベット人たちは政府御用達の番組を、CATVによって観なければならなくなったわけです」。
ウーセルの記事を補足すると、2000年当時、江沢民の「敵の宣伝を追い払おう」との指示により、チベットと新疆ウイグル自治区に「西新工程」として巨額の投資が行われ、その一環として妨害電波を発する大出力送信機が設置されたという。「数百」というのは、数年前のだいたいの数だそうだ。
2004年に中国のチベット問題研究者、李涛撰が記した報告書では「辺境では電波事情が悪く、チベット人はRFAやVOAのチベット語放送を聴いており、『地上は社会主義、空中は資本主義』という状況になっている」。
写真はカルホ、チョネ(卓尼)県のチョネ・ゴンパ(禅定寺)で5月20日に撮影されたものだそうだ。
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Patriotic Education Campaign in Jomda
Articles from Radio Free Asia
最近頻繁に出てくるジャムダでの騒動、もう1つ、18日のRFAより。
ジャムダ出身でダラムサラ在住のサムテンという情報提供者によれば、6月13日、当局は「愛国教育」キャンペーンをジャムダの6つの僧院で実施するべく赴いた。そのうちのひとつ、ニェド僧院では3人の僧侶と従者が地元の拘留所に連行された。その後、9つの村の数百人のチベット人が集まり、彼らの解放を要求したという。
数百人の公安要員が駆けつけ、群衆を散開させるために催涙ガスを用いた。人数は不明だが、気が遠くなった人々が病院に連れて行かれたとサムテンは語る。
「解放軍にいたことがあり、北京語が話せるケルサンというチベット人が武警の前に出て、毒性ガスを使うのを止めるよう言ったが、彼を殴り倒された」。
ダライ・ラマを批判させられる「愛国教育」を避けるため、多くの僧侶が僧院を空けているとサムテンは言う。
ジャムダ出身者のもうひとり、ドルジェによれば、カメラの前でダライ・ラマを批判することなどを含む「愛国教育」を6月18日までに終えるよう各僧院は指示されているという。
「もし指示に従わなければ、一帯の全僧院が閉鎖され、僧侶は全員拘束、連行されると言います」。
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Lha Gyalo !
6月7日、サカダワでラサに集まったカム出身の商人たちが逮捕された事件は、Phayulがその後詳しく伝えている。
RFAとかなり重複するけれど、「市場」がトムシーカンだったり、「商店街」がバルコルだったり、細かい描写はさすがチベット人メディア。
- 逮捕された6人は、7日11時頃、トムシーカン市場に集まった200人の中にいた。ツクラカンにバターを奉納しに行く前、一行は正装し、喜捨を集めながら、「ラー・ギャロー!」(神に勝利を!)と叫んでいた。一行はカム出身でラサに住む商人によって率いられていた。
- 奉納の後、一行はバルコルを移動し、ポタラ宮の前で再集合した。カタを掲げ、再び「ラー・ギャロー!」と祈りの言葉を叫んだ。
- 次にネチュンへ向かう途中、大勢の武警によって前進を阻止された。
- 夕方16時頃、チベット人の群衆が再びトムシーカンに集まった。あわてた公安が集会の事情を聞いたところ、チベット人は「単に信教の自由を実践しているだけ」だと答えた。
- 公安はチベット人数人を拘束したが、6人を除いてすぐに解放した。当局は当初、6人についても事情聴取の後にすぐ解放すると説明していたが、その後解放されたという情報はない。彼らの解放を保証しないなら、いつでも抗議を行うとチベット人は息巻いているようだ。
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Troubule in Sagadawa
台湾のチベットニュースサイト、「西蔵之頁」は、6月15日にVoice of Tibetで流れたサカダワ期間中のトラブルを伝えている。
中国共産党政府は、サカダワへの参加を控えるよう通知していたが、ラサでは焼香に集まった人々がデモに発展し、チベット人1人が逮捕された。アムド・サンチュ(夏河)県のチベット人も散発的に当局への抗議を行った。この他、チャムド(昌都)地区ジャムダ(江達)県でも冬虫夏草を採りに来た漢人と地元のチベット人とのトラブルが原因で、チベット人9人が逮捕された。
- 13日夜、通知に背き、集合してデモを行った罪で、チャムド地区ジャムダ県の卡貢郷出身で、ラサへ行商に来ていたシリン・リンチュ(34)が公安に逮捕された。
- ラサ−ナチュ(那曲)間、ラサ−チャムド間の主要道路沿いの検問には、ラサでのデモに参加したチベット人をチェックし、警備を厳しくするように通達されているという。
- 6月6日から7日にかけてジャムダ県リカラ郷(音写)で、冬虫夏草を採取した漢人と地元チベット人のあいだでトラブルが起き、9人のチベット人が公安に逮捕されたという。詳細はわかっていない。
- この他、ネパール在住のサンチュ出身のチベット人によると、カンロ(甘南)州中級人民法院の秘密法廷でラプラン寺の僧侶2人が「国家政権転覆罪」によりそれぞれ無期徒刑と有期徒刑15年の判決を受けた。
判決の数日後、ラプラン寺では抗議行動が起きたという。
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6 monks in Dhen Choekor Monastery Sentenced
5月27日のTCHRDのリリースによれば、1月に逮捕されたデンチョーコル僧院の僧侶6人に、15〜12年の有期徒刑判決が出されたという。容疑はペマ・ツェパクが獄中で殺されるきっかけとなった「爆発事件への関与」で、さしたる被害がなかった事件だけに、でっちあげの様相を示している。
信頼できる情報筋によれば、6人の僧侶の容疑は爆発事件への関与だという。公判は5月22日、チャムド(昌都)地区ジャムダ(江達)県人民法院で開かれ、爆破事件を幇助し、抗議活動に加わり、政治的犯罪を犯した上に、ダライ・ラマ法王が「分裂主義者で反中国勢力である」という文書に署名をしなかったために6人それぞれに有期徒刑の判決が下された。
僧院長のテンジン・ギャルツェン(37)、ニチェイ(50)、ガワン・タシ(51)、タシ・ドルジェ(30)には15年、唱導僧のジャムヤン・シェーラブ(42)には13年、ツェリン・パルデン(36)には12年がそれぞれ言い渡されたという。
被告が適切な法的主張と弁護を受けながら、自由で公正な裁判を受けられたかどうかといったことを含め、公判手続きについてはほとんど明らかにされていない。
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