Personal tools
Document Actions

Mining Lead to Standoffs with Tibetans

by Days posted at 2010-08-31 01:42 last modified 2010-08-31 01:44

ペーユルでの発砲事件について、RFA(英文版)が別の証言を伝えている。

インド在住の僧侶、チメ・ギャルツェンによれば、一帯の鎮圧のために部隊が増派されてきているという。
「隣接するカンゼやデルゲから武装部隊が到着したそうです。ペーユルへ向かう道路は封鎖され、住民たちも自由に動けません」。
彼によると、タシ・サンポに率いられた昌台区シャルチュ・ギャツォ村のチベット人たちは鉱山採掘に関する不安を訴えるため、8月13日、ペーユル県政府にやってきたという。
一行は中国企業のKartin公司の金鉱山が村一帯の人口増を引き起こし、放牧地を傷つけ、草原の生態系に悪影響を及ぼしていると訴えた。
「政府職員は彼らに耳を貸すどころか、申し立てを却下して拘束しました」と彼は言う。
「村人たちはこれを意図的な弱い者いじめだと取り、後から来た40人がペーユルの町中で拘束されたタシ・サンポたちの解放と、土地破壊への補償を求めてデモを行いました」。
一行は県政府庁舎の前で3日間に渡ってピケを張ったが、4日目の早朝、公安が催涙ガスで攻撃し、待機させていた車両で連行しようとした。
「何人かが連行されようとしているとき、まだ動ける仲間たちが気勢を上げ、抗議を叫び始めた。同時に武警が発砲を始めた」。
「タシ・サンポが最初に狙われた。彼は脚を撃たれ、親戚がすぐに手当をした。興奮と銃弾が飛び交う中、チベット人ひとりが撃たれて即死し、約30人が負傷した。うち5人は重傷だったそうだ。公安も2人がけがをした。ひとりは目をやられ、もうひとりは手足だという」。
ペーユル県政府職員は電話インタビューに対し、抗議者たちとの交渉がまだ続いていると話した。「事件については、若干の歩み寄りがなされましたが、まだ交渉中です。鉱山の操業が自然環境に悪影響を及ぼしていることに我々も注意を払っています。中国政府は鉱山操業を調査するでしょう」。

上海に本社がある鉱業企業、Kartinは一帯で20年以上も金の採掘を行っているが、特に事業を拡大したのは2006年8月のことだった。以後4年間にわたって重機の数は増え続け、施設は拡大の一途をたどっている。従業員はほとんどが上海出身だ。
環境汚染の心配だけでなく、チベット人たちは鉱山操業の拡大が自然災害の増加につながるのことを懸念している。
近隣のドゥクチュ(甘粛省舟曲)とジェクンド(青海省玉樹)では相次いで悲惨な地震と土石流が発生したが、チベット人たちの中には鉱山操業と採掘が原因ではないかと疑う者もいる。
チベットは中国語で「西蔵」、つまり中国最大の金の宝庫を意味する。チベットでの中国の鉱山操業は、聖なる土地を破壊し、生活を育んできた環境を蝕むと主張するチベット人たちの抗議を今後もたびたび引き起こすことになるだろう。

Tibetan Petitioners Killed in Palyul

by Days posted at 2010-08-25 09:00 last modified 2010-08-31 00:22

カムのペーユル(四川省カンゼチベット自治州白玉県)で18日、鉱山採掘に抗議するチベット人に対して武警が発砲、3人が死亡し、30人以上が負傷する事件があった。うち5人の重傷者は成都市内の病院へ搬送されたという。一報はTCHRD(チベット人権民主化センター)の情報のようで、Phayulの速報をダラムサラ在住の中原一博さんが訳している

A map shows the site of the standoff.

VOTはネパール在住の亡命チベット人、ダクパ・イシェの情報として、死亡者は3人ではなく4人、公安は抗議を主導したタシ・サンポの家族ら2人を連行、遺体も回収したという。またタシ・サンポ自身も脚を負傷した。現地では多くの軍、公安が検問を行っており、緊張が高まっているという。 RFA(中国語版)はVOTの情報のほか、TCHRDへの取材を交えて記事にしている。

最近、鉱山採掘が原因で住民と当局とが衝突する事件が、チベットのチャムド(昌都)、四川省のカンゼ(甘孜)などでたびたび起きており、RFAも何度も報道している。TCHRDによれば、鉱山経営者が地方当局に賄賂を渡して、次々に鉱山を開発しているという。「国営があり、民間があり、私有もある。金鉱を掘るのは非常に簡単で、事業者には環境意識がない。地方当局も一緒になって乱掘を進めている」。

Monks Protest Amid Festival Tensions

by Days posted at 2010-08-17 00:28 last modified 2010-08-17 00:37

リタンの夏の風物詩と言えば、大草原で行われる競馬大会。地元に伝わる「ケサル大王」の叙事詩を再現しようと行われる伝統行事だ。が、2008年と昨年は連続して中止になってしまった。
原因は2007年のこの大会の際、ひとりの若者、ロンゲ・アダがチベット独立を叫び逮捕されたこと。ロンゲ・アダはその後有期徒刑8年の判決を受け、拘束されたままだ。ITSNが出したレポートの日本語訳がルンタ・プロジェクトの中原さんのblogに掲載されている。
ダラムサラ発RFAの最新ニュースはこのリタンでの夏の事件。

A horseman shoots an arrow as part of a performance at the Lithang Horse Festival, Aug. 1, 2006.

年に一度の競馬フェスティバルの時期が近づくにつれ、四川省のチベット自治州で緊張が高まる最中、地元の人々が2人の僧侶による抗議を支持するという出来事があった。
リタン情報筋によれば、僧侶2人は木曜日(12日)、リタン(理塘)の街頭でチベット国旗とダライ・ラマの肖像を掲げて行進した。彼らは町の中心の商店街を回り、地元の人々が逮捕をさせないよう助けるまで、ダライ・ラマへの支持を訴えた。
「エンジン騒音と激しい交通のために、僧侶が『ダライ・ラマ万歳』と叫ぶのを聞いたのは近くにいた人たちだけでした。やがて公安がその場にやってきましたが、たくさんのチベット人たちが集まり、誰がその僧侶なのかわからないようにして逮捕を逃れました」。

事件以来毎年のように、当局は今年も競馬フェスティバルの開催を禁止した。年に一度の競馬フェスティバルはチベット全土から5万人の観客を集めるほどだった。
地元当局は2人の僧侶の投降を呼びかけているが、まだ捕まっていない。
「中国公安はポスターなど目立った広報ではなく、口伝えに僧侶たちの自首を呼びかけています。もし自分たちから自首すれば、その後の扱いがよくなると言っています」。
リタン公安局の職員は電話取材に対して事件を確認したが、詳細は話さなかった。リタン在住者は僧侶たちの身元がまだわからず、拘束されていないと語った。

2007年のフェスティバルでは、Yondruの遊牧民グループのひとり、ロンゲ・アダがステージ上の中国人職員からマイクを奪い、ダライ・ラマへの支持を訴えるとともに、この精神的指導者がチベットに帰れるよう北京政府に要請した。演説の一部はビデオに撮られ、海外のチベット支援団体を通してネット上に拡散されている
ロンゲ・アダはすぐに拘束され、国家分裂と政府転覆を企てたとして8年の有期徒刑判決を受けた。
彼の拘束は、5000人以上のチベット人による1週間にわたる抗議に発展した。彼の釈放はもちろん、抗議はダライ・ラマの法話を聴けるようになることや、テンジン・デレク・リンポチェを始めとする政治犯の釈放も要求してのことだった。
公安と軍、2000人が鎮圧に乗り出した。抗議参加者の多くはフェスティバルのために遠くからやってきた遊牧民たちだったが、地元のチベット人指導者の呼びかけに応じて退却した。
当局はすぐに「愛国再教育」キャンペーンを展開し、一帯からチベット人公務員を排除した。

また2007年の事件に関連して逮捕されたチベット人2人の解放を、中国当局は遅らせている。
当局は以前、近くの僧侶、ジャミヤン・テンジンが8月3日に釈放されると発表していたが、その後、出身村の人々に「10月より前に釈放されるとは期待しないほうがよい」と連絡して、人々の憤慨を買った。ジャミヤン・テンジンは2007年10月、競馬事件の後に始まった愛国再教育キャンペーンに反対して拘束された。
同様に遊牧民のジャリブ・ロトも刑期が満了する9月3日の1ヵ月前には釈放されると期待されていたものの、現在も拘束が続いている。ジャリブ・ロトは2007年8月に拘束され、ロンゲ・アダが演説する写真を海外のチベット支援団体に提供するのを手助けしたとして、諜報罪に問われていた。

今年も残念ながら「真夏の叙事詩」は上演されなかったが、集落単位でのローカルなお祭りはやっていたようだ。雲南太郎さんのレポートが秀逸。どんな競馬なのか、彼の写真も見てほしい。

Life Sentence for Yak Hotel Owner

by Days posted at 2010-08-15 22:58 last modified 2010-08-15 22:58
ヤク・ホテル(亚宾馆)

8月13日のRFAの記事より。ラサで知らない人はいないヤク・ホテルの経営者、ドルジェ・タシに終身刑が宣告された。ドゥクチュの土石流災害の報道にかき消されてしまった感もあるが、その直前には海外ツーリストのあいだでも有名なチベット人への判決に一時騒然となった。

ドルジェ・タシ(37)とラサで特に有名なヤク・ホテルは密告から起訴され、6月26日に秘密裏に判決を受けた。彼は2003年からの共産党員で、チベット自治区政府から「10人の輝ける青年」に名前を連ねたこともあった。
匿名を条件にインタビューを受けた彼の友人によれば、逮捕を招いたのはインドへの送金だったという。「彼は政治活動には資金を提供していなかったと思います」と友人は語る。「彼は本当の仏教徒で、お布施を贈っていたのだと思います。インドのいくつかのお寺にも」。

別の情報筋によれば、当局はドルジェ・タシの自宅を家宅捜索し、亡命中のチベットの精神的指導者、ダライ・ラマからの2000万元の寄付に対する礼状を発見したという。礼状は彼が隠した植木鉢か花瓶のようなものから発見された。
コロンビア大学のチベット学者、ロビー・バーネットによれば「もし彼が礼状を取っておいたなら、それはおそらく宗教的な送金でしょう」と話す。「ダライ・ラマに寄付をし、返書が届いたなら、信者としては取っておくのが当然でしょう。しかし中国ではそうではありません」。
1959年に亡命したダライ・ラマは、中国首脳から「チベットの独立を画策する分裂主義者」として非難されるたびに、自分はあくまで中国の下で「実のある自治」を模索しているのだと言い続けている。

中国民族出版社が出した2008年の名鑑には、ドルジェ・タシは不動産と観光を主に手がける西蔵神湖集団の董事長として掲載されている。彼の事業には少なくとも2億8000万元(4130万ドル)の資産があるという。
ドルジェ・タシは2005年の全青連の総会で胡錦濤主席と温家宝首相に会っており、政治協商会議の代表にも推薦されている。
あるチベット人によれば、ドルジェ・タシのチベットでの成功が、彼の逮捕と起訴を招いた可能性があるという。中国人は傑出したチベット人に我慢がならないのだという。
「最初、彼は1〜2万元の資金で小さな食堂を始めました。やがて彼はラサ市観光局から仕事を受注したことから、事業を拡大させ、武勇伝を実践することになったのです」。
「彼はホテルなどの事業でチベット人しか雇いませんでした。彼は多くのチベットの子供に力を尽くしました。彼こそがチベット国家のために本当に働いている人なのです」。

Phayulによれば、ドルジェ・タシは2008年3月に拘束され、音信不通になっていたという。6月にラサ中級法院で出された判決ではヤク・ホテルに関する「不正事業」の容疑で、終身刑(無期徒刑)のほか、4億3000万元と言われる資産の没収も宣告されたという。
「傑出したチベット人」と言えば、カルマ・サンドゥプの一族が相次いで判決を受けたばかりで、これも訳のわからない判決ばかりだった。誰もが知っているとは言え、その行方がさっぱりわからない気味の悪い事件が続く。なぜチベット人はこんな扱いを受けなければならないのか。

Tashikaraura

by Days posted at 2010-08-14 19:10 last modified 2010-08-14 19:18
2010-08-06慥柄浦

まだ工事してて未供用のトンネルに阻まれ、国道260号線が慥柄浦(たしからう
ら)の集落を避けるバイパスから海沿いのつづら折れ旧道に戻ると、眼下には贄湾
(にえわん)の青い海。きょうは少し波が立っているようだ。260号線は、太平洋
岸を伝う国道の中でも指折りの「酷道」だが、改良が進んで虫食い状態で整備が進
んでいる。
写真を撮っているうちにモトはさっさと坂道を上がって行ってしまった。上り坂は
イヤだ、と言っていたモトが、ことし中学生になってからどんどん先に行ってしま
うようになった。口では相変わらず「もうイヤだ」と言っているが。
坂の頂上で待っていたモトに追いつき、先に行ってよいと手を振って合図する。後
ろからも前からもクルマは来ない。カーブが多いので見通しが悪いが、海沿いの爽
快な坂道を下って行く。
贄湾の景色によそ見をしていたら、右ブラインドカーブからトラックが上がってく
るのに気付くのが遅れた。重そうな大型の冷凍トラックがゆっくりとだが、セン
ターラインを越えてこっちへ突っ込んでくる!
狭い下り坂の急カーブ、あわててブレーキをかけたモトのMTBは後輪が路肩の外
側へ滑って、バランスを崩しかけている。トラックを避けようとガードレールぎり
ぎりで私もブレーキをかけたが、路肩に散らばった砂利で滑る滑る! モトは何と
か転ばずにトラックとすれ違った。滑る私のMTBとも、トラックの前頭部はぎり
ぎりでかすめて行ったが、今度は迫り来るガードレール。あわや白い鋼鉄の生け贄
になるかと思うところで、なんとかバランスを取り戻した。
「危なかった。死ぬところだった」とモト。いや、ホントやばかった。親子ともケ
ガひとつなく済んでよかった。「もしあそこで死んでいたら、自転車の旅に連れ出
した父をずっと恨んで、呪って出てやる」。
モトがそう話すこの夏の自転車旅は、2年前の夏の旅の終点だった三重県志摩磯部
から、昨年の出発地、尾鷲までの約95キロ。慥柄浦はその中間の旧南島町、いま
の南伊勢町にある。これで東京から和歌山県の日ノ岬まで約1200キロがほぼつな
がった。

−−先週末の旅から戻って早々、『地平線通信』vol.369に書いた文章。

Category(s)
ときどき旅

Truth in Drugchu

by Days posted at 2010-08-10 23:20 last modified 2010-08-11 01:58
ドクチュの土石流現場

ラダックで大水害が起きたと思ったら、今度はアムドのドクチュで土石流被害。
ドクチュ、甘粛省甘南チベット自治州の舟曲県では、8日昼前に起きた土石流で県内の月円村、三眼村、春楊村が埋まったほか、白竜江に流れ込んだ土砂が自然ダムを造ったために市街地が水没。現時点で702人が亡くなり、1000人以上がまだ行方不明だという。

ドクチュ(舟曲)には活断層が走っており、そもそも地滑り多発地帯だ。蘭州晨報の2005年12月28日の記事によれば、舟曲県内で1950年から1990年までの40年間に雹害、暴風雨、鉄砲水など自然災害が23回も起きていたという。地滑りは1981年4月9日に白竜江が8キロに渡って寸断され、1300立方メートルの自然ダムができた災害以来、8回も起きている。土石流による国道や橋の損壊は毎年のように起きていた。
『舟曲県誌』にはこう書かれている。「舟曲山地、幾重にも連なる峰々、山々はすべて青緑に染まる‥‥。1950年代には県内のほとんどを森林が占め、山紫水明、生態環境が保たれ、空気が清々しかった。‥‥その後、多くの林を開墾して農地に転用し、‥‥保水土の流出が深刻である」。

1958年の『大躍進』時代、県内の森林資源は略奪的な破壊を受けた。舟曲林業局が創設された1952年8月から1990年までの統計によれば、累計で189.75万ムー(=2846ヘクタール)が伐採され、ほとんどの森林が二次林になった。民有地の材木は乱伐、盗伐に遭い、全県で毎年10万立方メートルの森林が失われていった。植生の破壊は深刻で、生態環境は破壊限度を超えてしまった。
県政府の首脳は記者に、舟曲は典型的な農業県で、県民の89.1%が農業に従事している、この40年間で耕地を倍増させて生産量を増やした、いまでは40度以下の斜面のほとんどが耕地になっていると話した。
このような無理な土地の造成が保水土を流出させ、地滑りを招き、土石流などの災害を発生させているのだ。

新華社が土石流の原因をあくまで自然災害とする一方で、四川新聞網には地質学者の范暁氏のインタビューが掲載された。要点だけ訳すと、

  • 歴史上、ドクチュでは災害が高い確率で発生しているが、今回の土石流災害はいままでの被害を大きく上回る。
  • 原因は強い降雨。ただ、降雨から土石流発生まで2時間あったので、早期に避難することはできたのでは。
  • 予算の問題もあり、完全に災害を防ぐことは不可能。
  • 1950〜90年代の大量森林伐採と耕地の拡大、造成が保水土の流出を深刻化させた。
  • 2000年以降、大規模な水力発電開発や市街地の拡大、工場の増設、道路の改築と拡張など環境への影響が大きいプロジェクトが進められ、土砂災害の危険が増大した。
  • 工場団地の造成、大規模な道路建設、キロワット級の水力発電開発、市街地の拡大などは全国で見られることで、甘粛はそのひとつに過ぎない。しかし中国西部の山岳地帯にまで開発が及ぶことで、以前から災害が多発していた地域でもこうしたプロジェクトが進められ、植生の破壊と保水土の流出を激化させている。当然、土砂災害の頻度や規模にも影響しているだろう。

とのこと。白竜江の各支流には水力発電計画が花盛りで、インタビューによれば甘南州だけで156ヵ所のダムが完成もしくは、建設中、計画中で、電力の州外への「輸出」が州税収の50%以上を占めているという。
「ダムは莫大な利益をもたらします。環境と引き換えに、我々は大きな発展を得たのです。しかし今回のように大災害が起きれば、その救援と復旧には多額の費用がかかります。それどころか失われた命はお金には代えられないものです」。

Nepal's Repatriation of 3 Tibetans Leaves UN ‘Concerned’

by Days posted at 2010-08-03 01:34 last modified 2010-08-03 01:34

ネパールからのチベット難民強制送還事件については、Phayulがダラムサラからがんばってリポートしている。最初は7月23日に「ネパールがチベット人2人を送還」というケルサン・リンチェンさんの記事。

チベット難民受け入れセンターの所長、ドルジェ・ダンドゥル氏はVOTの取材に対して、ネパールのABCニュースが21日深夜、ネパールのフムラ地区で2人のチベット人が逮捕され、チベットへ送還されたと報じたと話した。2人のチベット人の身元はわかっていない。

これに続いて28日にはプルブ・ティンレーさんが「国連が3人の送還を確認」と記事にしている。

国連は、ネパール政府が6月初旬、3人のチベット難民を中国当局に引き渡したことを明らかにし、「深い憂慮」を表した。国連難民事務所はネパール政府に対し書簡を送ったという。

「今年6月初め、3人のチベット人たちがネパールから中国に強制送還されました。これは深刻な問題であり、我々は深く憂慮しています」とカトマンズの国連難民事務所スポークスマンのニニ・グルンさんはAFPの取材にメールで回答した。
International Campaign for Tibet(ICT)の報告書にはこの事件の詳細が掲載されている。それによれば、送還された2人の難民(若い女性と僧侶一人)は現在投獄されているという。 2人の僧侶はネパール国境に近いコルチャ寺の出身で、女性のほうはシガツェ出身。公務員だった可能性があるという。彼らはヘリコプターでネパール政府職員に連行されるという前例のない扱いを受けた。
2人の僧侶はダワ(20)とドルジェ(21)、女性のほうはペンパ(22)と身元が確認された。パンパと僧侶のうちひとりは投獄され、6ヵ月拘留されるだろうと地元の噂を元にICTは書いている。もうひとりの僧侶は寺に戻ることが許されたという。
3人は6月初旬、アリ(阿里)県のプラン(普蘭)に国境を接するネパールのフムラ地区でネパール警察に捕まったという。中国当局は女性がインドへ逃れようとしているのではないかとして、カトマンズに着く前に捕まえようと捜索していた。

チベット人の送還は、2003年に子供を含む18人がネパール警察に拘束され、中国当局に引き渡された事件以来。当時この事件は国際的な抗議を招いた。

混迷が続き、中国からの圧力にさらされるネパールでついに起きてしまった事件とも言える。ネパールへ逃亡したチベット人の行方を、ネパール警察の助けを得て中国当局が捜索していたというのが何とも不気味だ。

Send a Letter to Ms.Koirala

by Days posted at 2010-08-02 23:55 last modified 2010-08-03 01:22

で、ネパール副首相にして外務大臣、スジャータ・コイララ女史への要請文はぜひ東京のネパール大使館にも送ってください。

ネパール連邦民主共和国副首相・外務大臣
スジャータ・コイララ殿

6月初め、ネパール政府が3人のチベット難民を強制送還し、中国との国境で公安
に引き渡したとの報道に接し、私は非常に心配しています。うち2人は今もチベッ
トで拘留されていると聞いたからです。
ご承知のとおり、ネパールからのチベット難民の送還はネパール政府と国連難民
高等弁務官(UNHCR)との「紳士協定」に反し、またネパールが依拠すべき国際
法にも違反しています。
世界中の良識ある人々と共に、私はネパール政府に抗議します。

1. UNHCRとの約束を尊重し、チベット難民のインドへの安全な通行を保証してく
 ださい。
2. 難民保護の国際ルールに則り、「拷問を受ける危険性があると信じるにたる現
 実的理由がある場合は、何人も他の国へ強制送還されてはならない」という国連拷
 問禁止条約に従ってください。

2009年に米国政府が出した報告書によれば、「ネパールから送還されたチベット
人は電気ショックや屋外での放置、激しい殴打などの拷問にさらされ、過酷な強制
労働に従事させられる」とのことです。民主主義国家の一角として、チベット難民
の基本的人権を損なうようなことをネパールは慎むべきです。
チベット人が政府に抑えつけられたチベットから逃れようとするのを停めるために
中国政府はネパール政府に圧力をかけています。チベット難民を含むすべての人々
の基本的人権を尊重するという国際標準をネパールが確立することを、国際社会は
歓迎するでしょう。

私はネパール政府に、投獄や拷問、そして死の危険にさらされるチベットへのこれ
以上の強制送還を中止する措置をただちに取り、6月の事件についてUNHCRと共
同で調査することを求めます。
私は事態を引き続き注意深く見守り、この事件について我が国の駐ネパール大使に
も注意を促す次第です。

(日付と署名)

というような感じで。英文の場合はSFT本部のオンライン署名サイトに例文があります。
宛先は、

〒153-0064
東京都目黒区下目黒6-20-28
フクカワハウスB
在日ネパール国大使
ガネシュ・ヨンザン・タマン閣下
« September 2010 »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30