Okirai
鍬台峠の国道45号線はすっかり改良されていて、大きなオメガカーブでトンネルへ上って行く。途中で歩道はなくなった。車道の脇を自転車を押して歩く。トンネルの入口まで20分かかった。
全長2.4キロのトンネルを出るとそこは大船渡市。坂を一気に下って、吉浜へ。国道から外れ、学校や民宿のある通りを通って海沿いの県道に出た。
吉浜駅のホームには、震災に鍬台トンネルで急停止したディーゼルカー36-105が横付けされていた。車体がやけにきれいなのは、ちょうど震災の直前に検査と同時に再塗装されていたのもあるが、ボランティアによって清掃活動が行われているのも大きいようだ。駅は大船渡市の出張所を兼ねていて、明日の市議選の不在者投票にときおり人が訪れる。
吉浜は「スネカ」と1971年から2008年まで設置されていた大気球観測所で知られている。明治三陸津波で全村流出の被害を受けた吉浜は、その後移転が行われて現在は高台の県道沿いに家々が並び、このため昨年の大震災での被害は比較的少なかったという。津波の被害を受けたのは海辺の田畑がほとんどだったようだ。いかに高台への移転が有効だったことか。
その当時に建てられたらしい案外レトロな商店も残っている。選挙カーが通り過ぎる。
今度は羅生峠を越えねばならない。中腹までは田畑や農家があって、ショートカットできそうだったので、国道から離れてそちらを選んだ。最後は例によって押し。廃屋だと思った建物から、牛がこちらを見ていた。振り返ると吉浜の海が見えた。
改修されたのか真新しい感じのトンネルを抜け、越喜来へ下る。下り切ったところにローソンがあった。聞いてみれば、「この下」に2軒ほどプレハブの食堂ができたという。そこは「浦浜サイコー商店会」というプレハブ商店街で、その中の1軒「三平」ののれんをくぐる。
まぐろ、サケ、シラスと三色の海鮮丼は750円で、大盛りを頼んだらおまけしてエビまでつけてくれた。安すぎる。もともとこの店は越喜来小学校の脇の通りにあったという。この仮設商店街のグランドオープンが今年の2月25日。うちはもっと前に準備ができていたのでなるべく早く開店したかったがと「三平」の主人が苦笑する。開店50周年にかけて、ラーメンを50円で用意したが、なんと当日は数年に一度のドカ雪。行列するだろうと見込んで仕入れたために気が気でなかったそうだ。
「三平」の得意客は近くの北里大海洋生命学部の学生たちだった。学部は震災後の5月から相模原キャンパスに移転、学生たちも引っ越してしまった。岩手日報によれば北里大は三陸キャンパスの使用中止を2016年度まで延期したそうだ。学生たちが三陸に戻り、越喜来がより活気づくことを祈りたい。
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Aneyoshi
三陸の旅を、宮古から再開した。浄土ヶ浜を訪ねた後、津軽石で45号線を外れ、湾をぐるっと回って重茂へ向かう。「月山登山口」バス停のある標高200メートルあまりの白浜峠を越え、重茂半島の中心部に入って行く。
重茂中学校の夕方のグランドでは野球部が練習している。その向こうには青い海が見える。吉川商店で大福と麦茶を買う。ひょっとしたらこれが今夜の夕食になるかもしれない。ジャージ姿の女子中学生とすれ違い、「こんにちは」と挨拶を返した。
しばらく行くと津波に流された平地に出た。「里」の真新しいバス停がぽつんと立っている。自販機もある。ただ建物はコンクリートの土台だけが残り、ひっそりとしていた。漁港の近くに家々が立ち並ぶ光景がまぶたに映った。
重茂川に架かる橋も流され、いまは仮橋が架けられていた。県道は重茂川に沿って上流に向かう。ずいぶん奥まで津波が遡上したものだと思う。
夕闇が迫って来た。どのぐらい歩いたか、気づくと山の中の県道は平坦になっていて、しばらく行くと「姉吉」のバス停が現れた。「←魹ヶ崎灯台・姉吉キャンプ場」の看板。野宿するならキャンプ場のほうがいい。
急な坂道を下って行く。明日ここを上ることはあまり考えないようにする。谷間に開けた集落の中を抜ける。明かりの灯る家があれば、お勝手から湯気の立ち上る家もある。夕食時なのだ。日常の風景に心和んだが、100メートルもいかないうちにひしゃげたガードレールが見えてその気分がすっ飛んだ。
津波は深いV字型の谷間をえぐり、波は海抜38.9メートルまで達したという。谷に阻まれて、海はなかなか見えない。ようやく谷を抜け出して海が見えたとき、私は呆然とした。目の前には、何もなかったのだ。
キャンプ場の痕跡らしい駐車場を過ぎると、舗装路は分断され、砂利道が海へと続いている。船着き場の近くには発破工事の資材が積まれ、倉庫代わりなのかナンバーを外されたワゴンが置かれていた。それに、「←本州最東端、魹ヶ崎灯台」の道標。深い崖に囲まれた入り江に、波の音だけが聞こえた。
翌朝、麦茶とGPSだけを持ち、魹ヶ崎を往復した。本州最東端の魹ヶ崎には車道は通じておらず、姉吉の入り江から片道3.8キロの遊歩道を歩いて行くしかない。登り口はかつて舗装されていたのだろうが、震災で破壊されてしまっている。小さな入り江を見下ろしながら高巻いていく。岬を回り込むと傾斜が緩やかになり、木々の間を森林浴気分で歩ける。ところどころ倒木に邪魔されたが、1時間もしないうちに灯台に着いた。
岩場には誰が植えたのか黄色い水仙が咲いていた。穏やかな海。さっきの入江とはまるで別世界だった。まだ旅をするには不自由なこともあるが、それでもいまの三陸を訪ねる価値はある、と思った。
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Tateshina
ピラタス改め今年から「北八ヶ岳ロープウェイ」になったそのロープウェイの山頂にはまだ雪が残り、ふもとにある蓼科湖近くの聖光寺ではちょうど桜が満開。山にはようやく春が訪れています。
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Two Tibetan Cousins Self-Immolate in Dzamthang
19日のRFAによれば、アバのザムタンで木曜日、2人のチベット人が抗議の焼身自殺を遂げた。2人はいとこ同士だったという。ザムタンでは2月にも18歳の青年が焼身自殺している。
ダラムサラのジョナン仏教会会長ツァヤン・ギャツォによれば、事件はアバ(四川省阿壩チベット・チャン自治州)のザムタン(壌塘県)できょう午後に起きた。
「地元のチベット人、僧侶たちは炎を消そうとし、2人を連れ帰ろうとしましたが、数時間後に2人とも死にました」。2人の名前はチューパ・キャプとソナムだという。彼によれば、中国武警の弾圧にも関わらず彼らの遺体はザムタンのジョナン寺に運ばれて葬儀が行われた。
「7台の武装車両が集まってきました」と彼は言う。当時寺の近くのチベット人たちは2人に応急手当を施したが、その甲斐なく亡くなったという。
ザムタンは1月に抗議デモに対する発砲事件が起きた場所のひとつで、亡命チベット人や人権団体によれば少なくとも6人が死亡、60人が負傷している。
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Monk Dies a Week After Burning
Article from Radio Free Asia
7日のRFAより。再び悲報。
3月30日にアバのバルカムで焼身をはかった僧侶、テンパ・タギャ(22)はその1週間後に病院で息を引き取った。ダラムサラ在住の僧侶、カヤ・ツェリンが発表した。
ツェリンによれば、彼は9時23分にアバ地区の病院で死去した。彼の寺だったバルカムのギャロン・ツォドン・キルティ寺に遺体を戻してほしいという要望にも関わらず、彼の遺体は当局によって火葬されたという。
タギャと同時に焼身したチメ・パルデン(21)は事件の翌日に亡くなった。
北京政府の支配への抗議とダライ・ラマ帰還を求める声の高まりにつれ、2009年以来抗議の焼身をはかったチベット人は33人にのぼる。現時点でわかっているだけでそのうち25人が命を落としている。
タギャの葬儀は7日、ギャロン・ツォドン・キルティで盛大に行われた。
「寺の対岸には中国武警の一大部隊が集結し、葬儀に参加した地元のチベット人たちを脅していました」。チベット人による焼身抗議の結果、中国当局による取り締まりが四川省で強まった。青海、甘粛など他のチベット地域、チベット自治区でも同様になった。亡命チベット人によれば、中国当局は数百人の僧侶たちを僧院から連行する一方、作家や芸術家、歌手、そしてチベットの民族意識を鼓舞する市民活動家など何人ものチベット人を投獄しているという。
焼身抗議をはかったチベット人に対して中国当局は「テロリスト」「無法者」「犯罪者」「精神病患者」などとテッテルを貼り、チベットの精神的指導者であるダライ・ラマが仏法に背いて焼身を奨めているのだとしている。
だが、仏教指導者は焼身を奨励してはいないということを明らかにしており、チベットでの抗議に対する中国当局の「無慈悲で非論理的な」政策を非難している。
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Growin' Up
家の中を片付けていたら、外からときおり聞こえる歓声が気になって、公園まで行ってみた。
満開の桜の下では近所の人たちが宴の最中。
ふと見上げると、古木の幹から樹皮を突き破って小さなつぼみが。
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Four Tibetan Environmental Activists Detained in Tawu
「タウ環境保護協会」のチベット人メンバー4人が2月中旬、カンゼ(四川省甘孜チベット自治州)タウ(道孚県)の公安に拘束されていたことがわかった。
タウ環境保護協会は2011年、タウ県の様々な村から集まったチベット人たちによって非公式に設立された。彼らは野放図な採掘や森林伐採、野生生物の密猟に抗議することで環境を保護することを目指していた。タウ在住の50人の会員は全員それなりの教育を受け、地域コミュニティを信頼していた。
情報によれば、タウ県では昼夜問わず4台の装甲車が巡回して警戒を高めているという。武警部隊はチベット人地域を頻繁にパトロールし、3、4人以上のチベット人の集まりを解散させている。
タウでは昨年8月にニツォ寺の僧侶、ツェワン・ノルブが、11月にダカ・チューリン尼僧院のパルデン・チューサンがそれぞれ焼身抗議する事件が起きており、アバと同様に厳戒態勢にあることがわかる。
おととし12月に起き、23人が犠牲になった草原火災も記憶に新しい。新京報によれば、当時の防火体制は紙上の計画だけで実際が伴っておらず、ショベルや刷毛など「原始的な用具」しか消火手段がなかったという。
その後消防予算がついたというが、まともな行政を怠る一方で、住民の自助努力を抑圧するという本末転倒がタウでは実際に起きているようだ。
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