Personal tools
Document Actions

Iwaki

たまには自転車旅の話

by Days posted at 2008-09-07 22:55 last modified 2008-09-07 19:02
2008-08-29夕筋踏切

2008-08-29塩屋崎

2008-08-29代ノ下橋

2008-08-29江名漁港

2008-08-29小名浜

2008-08-30蛭田川

2008-08-30勿来海岸

2008-08-30九面

朝起きたら、まだ雨だった。プールへ行く支度をしている子供たちの横で天気予報を調べると、きょうはこれから晴れるらしい。子供たちを見送り、MTBをワゴンに乗せて出発。泉駅の駐車場にワゴンを停めて電車に乗り換える。
広野駅には11時すぎに着いた。発車のオルゴールは「シュッポーシュッポー」の汽車の歌。このあたりがその歌のモデルだったとかで、ホームにもその碑が建っている、
嘘みたいだが、予報通りピーカンだ。さっそくMTBを組み立てる。タクシーからスーツ姿の男たちが下りてきて、駅の窓口でそれぞれに愛知までの切符を買い、領収書をもらっていたと思ったら、缶ビールを探してうろうろしている。出張も大変だ。
11:30。駅前から、東北の旧街道を南下する。まだ走り出したばかりなのに、遠くまで来た、と思う。道幅は2〜3間(3.6〜4.8メートル)。江戸時代の宿場町に特有の幅で、これだとセンターラインが引けないから、自動車の交通からは取り残されることになる。観光資源として生かせるところはいいのだが。

道は浅見川にぶつかって、国道6号線に合流。橋を渡って、切り通しを抜けると、地図のとおりに左へ旧道が分かれる。常磐線の線路と、現在国道とのあいだの、見捨てられたような道だ。小さな峠を切り通しで抜けると、線路脇の道になった。「夕筋踏切」という小さな踏切があって、その向こうは海。「いまは山中、いまは浜」の歌の出てくる「浜」はこのあたりだったかもしれない。
旧道は変わらぬ道幅で現在の国道に絡み付くようにうねうねと続いている。18歳未満立ち入り禁止と書かれたラヴホテルが2軒。看板は国道に向いているのに、入口は旧道から。どっしりとした石造りのポータルの小さなトンネルを二つ抜けると、林の向こうから踏切がカンカンと鳴る音。短い編成のローカル列車が目の前を通り過ぎていった。
踏切から線路を見れば、トンネルの入口が二つ並んでいて、線路はその片方に通じている。線路のないトンネルのレンガ作りの入口はやや小さく、そこまでダートに轍が続いていた。あとで調べると1967年に電化した際、それまでのトンネルでは架線の高さが足りずに新しいトンネルを掘り直したようだ。常磐線が開通したのは1898年(明治31年)だから、古いほうのトンネルは100年以上経って、まだ現役で地元の人たちに使われていることになる。

末続の集落を通り抜け、小さな駅のホームのガードをくぐり抜けて、いったん山の方に向かう。末続から久ノ浜にかけて、国道も線路もいくつもトンネルを抜けていくのだが、旧道は山側の小さな峠に迂回して、まったくトンネルを使わずに行くことができる。もちろん坂はそれなりにきつい。農作業をしている人が、そんな道を辿る自転車を怪訝そうに見ている。峠を越えると、緑の中を滑走。気持ちがいい。
信号のない国道のトンネル出口を、大きな冷凍トラックが通り過ぎて、続いてクルマが来ないのを十分に確認して横切る。「国道6号線、東京まで221キロ」の標識と、「大雨注意報発令中 走行注意」の案内板。国道をまっすぐ走れば2、3日あれば自転車で東京まで行けるのだ。
小さな川に沿って線路の橋まで海に迫ったかと思うと、旧道はまた山側に迂回する。またもや国道と立体交差して、坂を上がると、山を削って走るもっと立派なバイパスに出た。走るクルマは少ないが既に供用されているようだ。このあたりでは三世代の街道が並走していることになる。車道は通じていないが、植栽の切れ目から歩道には出られるようになっていて、まっすぐ延びるバイパスに少し誘われる。

信号で国道を横切って、久之浜の町中に。大久川には弧を描いた江戸時代スタイルの木橋、代ノ下橋が架かっている。0.3トン制限で、もちろん車輛通行止め。釣り竿を持った老人が、自転車で走って行く。
大久川に沿って河口まで行き、コンクリート橋を渡って、久之浜の町中を走る。夏の昼前の町は暑さでしんとしている。町はずれには幼稚園。園庭の向こうには太平洋が見えた。旧道はここで国道に吸い込まれた。常磐の動脈を行き交うトラックの犠牲にならないように走る。
このあたりは波打ち際に国道と線路とが並んでいて、電車の窓からもよく海が眺められるところだ。しばらく行くと、西行の歌碑が立つ広場があって、一休み。国道と線路とのあいだ、ラーメン屋の裏からまた2間幅の道が分かれているのを発見。地図を見ると、「波立寺」の文字に隠れて見逃していたが、これも四倉に向かう山越えの旧道のようだ。
海辺からそれて、その道をたどる。古い寺がある。道筋の雰囲気は間違いなく旧道だ。大きくカーブしながら坂を上がって行く。バイパス工事の看板。さっきの続きを、こんなところに通すのだろうか。汗をかきながら切り通しの峠を越え、坂を下って行くと、四倉の町中にぽんと出た。夏の日差しの中の旧街道は、台湾に行ったときに走った東海岸の小さな町(東河)を思い出す。

四倉駅に立ち寄って、PETボトルのジュースを1本買い、駅前通りを海に出る。国道や線路と並行するのはここまでで、ここからは海岸線沿いに小名浜を目指すことになる。町中から離れる前にとジュースを買ったが、それでも海岸線の県道沿いにはドライブインも自販機も揃っていた。
仁井田川の小さな橋を渡るとキャンプ場があった。夏休みらしく、何張りかテントが見えた。
県道豊間四倉線。まあ、ペダルを踏む以外に楽しみのない道だ。松の防砂林に遮られて、海は見えない。松についた虫のほうが気になる。5キロほど走った夏井川の河口を渡る橋がほぼ唯一のランドマーク。「塩屋崎方面、大型車通行不可」の案内板がこれでもかというほど何度も現れ、逆に気になる。
案の定、薄磯の小さな漁師町に差し掛かったところで、2車線路は突然終わり、弁天川を渡る橋へ道はかっくんと折れる。橋を渡った先は、町中の路地に県道マークがついている。これはこれは。コンクリートの堤防沿いの道を進んで行くと、煮タコ加工工場の壁に「塩屋崎→」とペンキで表示がしてあり、それに沿っていくと水子供養などの碑が立ち並んで背筋が寒くなる富神崎の尾根に上がり、それを越えるとまた町中に出た。

シーズンの終わった海水浴場の向こうに塩屋崎の灯台。その下まで走って行くと、客のいない平日の駐車場に、3軒並んだ土産物屋のおばちゃんたちが手持ちぶたさにしていた。近づくと録音テープの歌が流れるという美空ひばりの記念碑には、あまり近づかないようにしておく。
夏休みのサーファーが多い豊間の海水浴場。砂浜に沿って走った。豊間のセブンイレブンで麦茶を買う。店の前の郵便ポストに自転車を立てかけておいて、いざ走ろうと思ったら、その下でポストにつながれて犬が休んでいて驚いた。おとなしい犬だった。
ここからの旧道は路線バスも走る道。バス停を次から次へたどって走るのは楽しいものだが、「の印」というバス停があって思わず吹き出してしまう。いわき病院、塩屋崎生協病院と、このあたりはやはりバス路線が不可欠なようだ。
合磯(かっつお)から岬の切り通しを抜けて江名。ここまで来るともう小名浜はすぐだ。案内標識に書かれた「アクアマリンふくしま」までの距離を逆算しながら走る。江名の岸壁で一休み。船に向かってカメラのシャッターを切ったら、足下を小魚が泳いで行った。
中ノ作、永崎と漁師町が続き、このあたりがきっと本当の小名浜産の魚を水揚げしているところなんだろうと思う。下神白の高校の前を過ぎて、トンネルと抜けると、小名浜の魚市場の前に出た。

さて、小休止はあちこちでしているものの、それを除けば広野から2時間半、走りっぱなしだ。14時すぎ。おなかも減ったので、客が出入りしている「うろこいち」という魚屋兼食堂に入り、本鮪赤身鉄火丼を頼んだ。カニ汁がついて、すぐに出てきた。まぐろてんこもりでおいしい。
「いわき・ら・ら・ミュウ」の前の岸壁で食後の一休み。海上保安庁の船の向こうに、ガラス張りの不思議な球体、アクアマリンふくしまが浮かんでいる。そのまま電車に乗った泉駅まで走って行くことにする。
港町の貨物線に沿って、走る。大型車が走るせいか、舗装がでこぼこしていてあまり走りやすいとは言えない。消防署の前から広い道をそのまま進もうとして、間違いに気づく。斜めにそっと分かれる細い道が、泉への県道だった。
藤原川を渡る橋からは、煙突からもくもく煙が出る工業都市が一望できる。国道バイパスの立体交差をくぐり、朝、湯本からクルマで来た道をたどっていく。小名浜からほんの5キロほど。あっという間に戻ってきた。
泉駅前には屋根付きの駐輪場があったので、MTBはそこにロックして停め、ライトだけ外しておく。再びクルマを運転して、子供たちが遊ぶプールに戻る。続きは明日だ。


翌朝は6時に起きた。朝食までの2時間、また走ってこようという算段だ。
泉の駅前通りを県道までまっすぐ走る。県道20号は、バイパスができるまで国道6号だったのだろうと思う。あとで地図を見たら、もうひとつ県道239号が海沿いを走っていたが、まあきょうはしかたない。とにかく急ぐのだ。植田にかけて、小さな丘を越えるルートになっていて、意外にだらだらと上り坂が続く。朝で涼しいから、まだよいものの。
植田の町中を抜け、鮫川橋を渡る。河口近くというせいもあるのだろうが、小さな川のわりに長い橋だ。渡って2つ目の信号を右へ。少しでも海に近いルートを走りたい。畑の中の道は、わだちが水たまりになっていたりして、意外と走りにくかった。鵜の巣という交差点で、同じように畑の中を突っ切る現在の国道とクロス。道は緩やかにカーブして、神社へ向かって行く。幸いにして「←勿来」の標識があって、神社の行き止まりで道に迷うことは避けられた。道沿いに民家が切れ目なく並び、中には旅館や商店もあって、かつてはこれが街道だったのでは、と思いをめぐらせた。

勿来の町はずれで、国道に合流。まだ時間があるので、勿来海岸を抜けて、大津港駅まで行くことにした(これだったら、泉から植田までも海沿いのルートを取るべきだった)。海岸沿いに国道と線路とが並ぶ。国道には歩道があるので、それほど緊張せずに走れるのがよい。
海岸沿いは人気のない海水浴場。勿来と言えば関所である。線路と国道に挟まれた狭いところに、赤色灯の着いた小さな小屋「勿来関検問所」が目立つ。江戸時代の勿来の関は、線路のガードをくぐった山中にあるらしい。そこまでは行けない。いまでこそ砂浜が広がっているが、江戸時代は山が海に迫る本当の要衝だったのだろう。
行く手にも山が迫ってきて、短いトンネルで県境を越えた。常磐交通のバスは平日朝の1日1便だけ、律儀にもそのトンネル手前の九面(ここづら)までやってくるらしい。九面からは茨城県最北端の港、平潟港への道が分かれているが、きょうはまっすぐ駅へ向かうことにする。
茨城県に入ると、国道6号もとたんに関東の雰囲気になる。郊外の住宅地を過ぎて、「美術館入口」という真新しい交差点を右へ(左に行くと天心記念美術館があるようだ)。小さな丘を越えると、ひっそりとした駅前の市街地。予定より1本前のいわき行き電車がちょうどホームを出て行くところだった。
これで1993年まで30年以上も日本一広い市だったいわき市の海岸線、約60キロ以上を走り抜けたことになる。ちなみに、現在の日本一、高山市には海はなく、2番目の浜松市の海岸線は天竜川から白須賀まで約28キロしかない。(8/29、30)

Category(s)
ときどき旅
The URL to Trackback this entry is:
http://www.mobileplace.org/dias/blog/iwaki/tbping
« September 2008 »
Su Mo Tu We Th Fr Sa
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Recent entries
Traveler in the Sky days 2008-11-20
Dispatch from Dharamsala days 2008-11-19
Jigme Speaks days 2008-11-13
Kidnapped Choekyi Nyima Issue on UN Panel days 2008-11-12
What is Rights in Lhasa days 2008-11-11
Another Jigme Re-Arrested days 2008-11-10
Tibetans No Need to Airfare days 2008-11-09
Recent comments
Re:re: Quake Hits Damshung ディディ 2008-10-07
Re:Ooma Ferry Route Suspension にだて 2008-09-10
Re:Woeser Intimidated in Lhasa Woeser Dawa 2008-08-26
Re:Past Entry Added Josh 2008-08-24
Re:Past Entry Added Josh 2008-08-24
Re:Past Entry Added VanDenn 2008-08-23
Re:Past Entry Added Rimma 2008-08-09