Tibetans Risk Lone Protests
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29日のRFAは、チベット各地での悲痛な抗議の炎がまだ消えていないと伝えている。
厳しい弾圧の中、厳罰を覚悟した2人のチベット人がそれぞれ抗議を行った。昨年3月にラサで始まり、チベット全土に広がった蜂起の波は、1年以上経っても散発的な個人ないし少人数のアクションとして続いている。たいていの場合、抗議は中国公安にすぐさま鎮圧され、抗議参加者は時として激しい暴行を受けて拘束されるという。
「6月28日には、ツォゴン(チベット自治区チャムド地区)教導師養成所の若いチベット人学生が、チャムドの町で抗議を行って拘束されました」とカナダ在住の地元出身者は話した。
ロプサン・ニェンダック(18)は、友人と共にその日、朝早くから町に出かけ、「用事からあるから」と友人に先に帰るよう頼んだという。友人がいなくなるやいなや、彼は禁じられたチベット国旗を羽織り、手作りの横断幕を広げて、市場の中を歩きながら「チベットは自由だ!」「中国は出て行け!」と叫んだ。 「彼は『みんな立ち上がって後に続け』と呼びかけながら、チャムドの公安局に向かって行きました」。
ニェンダックはその場で逮捕されたという。
翌日、仲間の学生がニェンダックの逮捕を知り、6人が彼の釈放を求めてチャムドへ赴いたが、公安に相手にされなかったため、学校に戻って、抗議を広げようとした。が、養成所長がそれを中止させた。7月17日、カム、デルゲ出身の40がらみの男、ヨンテン・ギャツォが、チャムド運動公園で抗議を行った。
「彼はチラシを配りながら、スタジアムを一周しました。居合わせた人たちは歓声を上げましたが、それが騒動の始まりでした。チラシには彼の名前があり、チベット問題への抗議を呼びかけていました」。
チャムドからの情報を、ニューヨーク在住のチベット人女性、アチ・ドルマが聞いている。
「公安車両がサイレンを鳴らしながら、駆けつけました。涙を流しながら逃げ惑うチベット人たちの混乱の最中、抗議をした男は逃げました。チャムドではその後警戒が厳しくなり、公安がそこらじゅうに配置されました」。
彼女によれば、男は7月21日に逮捕されたという。
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Not a Day Goes by Without Tears
早ければ8月1日にも、と言われていたトンドゥップ・ワンチェンの公判がどうなったのか、いまのところ情報はない。いつのまにか拘束し、家族に消息を知らせず、弁護士をつけないか、当局が弁護士を選任する詐欺まがいの秘密裁判で刑を言い渡す。このこと自体、近代社会では信じられないことだ。
彼の妻、ラモ・ツォがInternational Tibet Support Network (ITSN) の署名を呼びかけるメッセージがYouTubeに掲載されている。残念ながら肉声は英語に吹き替えられてしまっているが、それでも切々と訴える眼には思わず見入ってしまう。
現在トンドゥップ・ワンチェンの両親、家族とダラムサラで暮らすラモ・ツォ自身も、先週地元で署名集めを行ったそうだ。「国境なき記者団」のサイトには、その模様とともに、彼女のインタビュー映像が掲載されている(チベット語→英語→日本語なので、訳はあやしい)。
--なぜ彼はドキュメンタリーを作ろうと思ったのでしょう?
チベット本土の本当の状況を伝えたかったというのが、夫の最大の動機だと思います。ダライ・ラマ法王をはじめ、50年間耐えてきたチベット人の思いと、中国の弾圧を外の世界に知らせたかったのです。
--あなたの状況は?
6人の家族と夫の両親の生活の糧を得るために働いていますが、1999年から肝不全を患っています。彼の父親はたびたび調子が悪くなり、母親は泣いてばかりです。
毎朝1時に起きて、パンを焼いています。売るため、生活のためです。
様々な困難と向き合わなくてはなりません。--チベットの政治犯の家族の状況は一般的に言ってどうでしょうか?
特に昨年3月10日の弾圧以降、他の政治犯の家族は、私と同様、言い難い困難と悲しみにくれています。涙を流さない日はないでしょう、きっと。
勇気あるトンドゥップ・ワンチェンは、中国政府に「拉致」されていたのと同じ状況ではないか。
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Plague Town Reopening
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きのうのRFAは、鼠ペスト発生のために封鎖されていたアムドのジケタン(青海省海南チベット族自治州興海県子科灘鎮)の隔離措置が緩和されつつというニュース。
「人々は戻って来ています。食堂、商店、宿泊所は再開しました」と地元民は電話インタビューに答えた。「ペストは完全に制圧されました。一部の道路封鎖は解除され、残る検問も数日中に撤去されるでしょう」と当局者は話した。
人口1万人の町、ジケタンは、高い感染力を持つ伝染病の流行を防ぐため、先週土曜日から封鎖されていた。
ジケタンのチベット医学診療所の従業員によると、12人が感染し、うち3、4人が命を落としたという。
「彼らはジリン(西寧)からの医療チームによって集中治療を受けています」。
最初に亡くなったのは遊牧民のチベット人男性で、感染したリスに接触した犬を埋葬した3日後のことだった。地元筋によれば、男の葬儀後から感染が広がったという。
別の証言によれば、感染の拡大を防ぐために武警が町を包囲した。しかし「多くの人々が検疫を避け、丘の上に逃げた」という。
中国衛生局の専門家によれば、この隔離が功を奏して大発生にはならないという。隔離地域は町の中心部、3500平方キロに及んだ。
肺ペストはせきを通して人から人へ空気感染する。WHO(世界保健機関)は、ペストの病原菌はリスのような齧歯目から発生する。発生はまれだが、致死率は高く、感染者は感染から24時間以内に死ぬことがある。
新華社によれば、青海省衛生庁が鼠ペスト発生を発表したのが8月1日深夜。7月16日以降にジケタンを訪れ、その後発熱やせきなどを発症している人はすぐに診察を受けるよう呼びかけている。
青海省衛生庁によれば、5日20時までの死者は3名。ほか1人が重体となっている。
ジケタンは西寧の南約260キロ。チャプチャ(共和)からジェクンド(玉樹)へ向かう途中、ホッカ(河卡)から南へ分かれ、国道から外れたところにある町だが、一応興海県の県政府所在地となっている。道はないものの、その先は黄河だ。
道路網的には幹線ルート沿いではなく、行き止まりに近いため、「隔離」によって感染拡大が防げたと思われる。
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Free Dhondup
LEAVNG FEAR BEHINDのサイトによれば、トンドゥップ・ワンチェンは1992〜93年頃、19歳のときにチベットからインドへ旅に出た。この旅は現在スイスに住むいとこのギャルジョン・ツェトリンと一緒だった
LEAVNG FEAR BEHINDの制作にも大きな役割を果たしたギャルジョン・ツェトリンの言葉が、YouTube映像として掲載されている。
さて、トンドゥップ・ワンチェンのこと、 彼の話をしましょうか。 彼はアムドの東の端のバイェンで生まれました。 彼には10人の兄弟と、両親がいます。 両親は70歳を過ぎています。 次は、彼の幼少から青年になるまでの写真をお見せしましょう。 さあご覧ください。 これは彼が生まれて初めてラサへ行ったときの写真です。 まだ幼いときです。 これがトンドゥップ・ワンチェン。 これがいちばん若い叔父のワンディ。 その息子のシャウォ。 彼は読書が好きでした。 一度も学校に行かずに読むことを覚えました。 チベットの歌に彼はひかれました。 ラシェという私たちの地方の曲、恋歌の一種です。 彼はラスもそうですが、それらが好きでした。 本当にラシェが気に入っており、よい唄い手でもありました。 これはチベットのどこかです。 彼はインドへ旅立とうとしました。 これがインドへの途中。 ネパール国境に近い地元の人の家に泊まったときです。 この真ん中の、帽子をかぶっているのが彼。 私たちと仲間の一行は、サガというところを経由して来ました。 昼食で休んでいるところ。 大雪でも私たちは歩かねばなりませんでした。 私もその一行の中にいました。 仲間たちの多くが一緒でした。 高い山々。これを越えなければならなかったのです。 すごい雪でしょう! これが私。 これがトンドゥップ・ワンチェンと仲間たち。 6ヵ月の赤ん坊も一緒にいました。 それから私たちは峠を越えて。 この写真は反対側から撮ったんです。 全員で18人いました。 これはもうネパールです。きっと。 あとは、私の弟、サンゲェ。 ソナム、ジャムヤン・ドルジェ。3人の親類。 彼らはTCVに入りました。 これはトンドゥップと私。それから私たちの叔父。 これはダラムサラのTCVで撮った写真です。 他に何か言ったほうがいいですか?
トンドゥップ・ワンチェンは審理を待つ身で、早ければ8月上旬に行われると伝えられているが、詳しい容疑や判決に関する情報はまだない。
真実を伝えることの重要性が、政治的な立場を超えて理解されることは望めないのだろうか。
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Missing Tibetan Writer Said Detained
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8月3日のウーセルのblogエントリ「突破噤声,远离恐惧,接踵被抓的几位藏人作家」をさっそくICTやRFAが取り上げている。「チベット式」では日本語訳されている。
10日のRFAは、ウーセルが「行方不明」としたタシ・ラプテンに関する記事を伝えている。
7月下旬に行方不明になっていたチベット人学生で小説家が四川省の拘置所に拘束されていることが判明した。
発禁になった文芸誌「シャルトゥンリ」の編集者、タシ・ラプテンは7月26日、大学から自宅に帰省する途中で行方不明になっていたという。 当初ワシントンを拠点とするInternational Campaign for Tibet(ICT)からの声明とチベット人ブロガーの報告は、ラプテンを「行方不明」と伝えていた。
「彼は拘束され、(四川省アバチベット自治県の)マルカムに連れて行かれたに違いありません」と地元のチベット人は匿名を条件に話した。「彼は県公安の拘置施設にいるものと思われます」。
アバ公安局は、月曜日の電話取材に対して応答しなかった。ラプテンは、アバ県ゾッゲ(若留害)の出身で、甘粛省の蘭州西北民族大学に在籍していた。彼が関わった文芸誌、著書『血書』(いずれも発禁)は共に、昨年来の中国に対する抗議と民主化について書かれていた。
「彼は17日に帰郷しましたが、26日から姿が見えなくなりました。親類何人かに電話をかけ、しばらく連絡が取れないが、詳しいことは話せないと伝えたそうです」と消息筋は伝える。
「彼は『血書』を1000部印刷し、400部以上を捌いたところで当局に禁止されました」。
ICTのWebサイトでの声明では、チベット人は彼の著書が「政治的なことがら」として当局に扱われていることと彼の消息を不安に思っているという。 ラプテンは監視を受けていたという。
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Move to Allow Dalai Lama Pictures?
4日のICTのプレスリリースに、ちょっと気になることが書かれていた。全体としては「チベットでは抵抗と、それに対する厳しい弾圧が依然続いている」という論調なのだが、カンゼの一地方ではダライ・ラマ法王の誕生日を祝う法要が当局公認で行われ、法王のポートレート写真まで配られたのだという。
素直に喜ぶべきか、それとも新たな弾圧の予兆か、という記事の一部を抄訳。
東チベット、カンゼ(甘孜)のダンゴ(炉雀)でダライ・ラマの誕生日を祝う法要と、法王の肖像写真の掲出が中国当局に許可されたことが、当局に何かの思惑があるのではと疑いを呼んでいる。7月6日のダライ・ラマの誕生日を記念する催しはチベットでは一般的に禁止されているためだ。
一部のチベット情報筋によれば、数人の公務員の一団が法王の写真を配りに来たほどだという。状況の急変はいつものことだが、国家レベルでの中国政府のダライ・ラマへのスタンスは厳しいまま変わっておらず、この動きが他に広まったり、新たな試みであったりする保証はない。10月1日の建国60周年に向けた「一時的な懐柔策」だと捉えるチベット人もいるようだ。甘孜チベット族自治県ダンゴ地区と関係のあるチベット人情報筋によると、ダライ・ラマの74歳の誕生日と長寿を祝うダンゴ僧院での法要に、僧、尼僧、信者が集まることを当局が許可したという。ダンゴ各地には6月、これまでの強硬路線とはまったく異なるメッセージを携えた5〜6人の当局者が訪れ、現在は隣のダルツェンド(康定)地区に行っていると同じ情報筋は伝える。
「当局者がダライ・ラマ法王を称えるスピーチを行ったとき、村人たちは大変驚くとともに困惑しました。厳しかった『愛国主義教育運動』が終わったばかりでしたし。しかし今回彼らは、地元のチベット人たちにダライ・ラマ法王の素晴らしさを称える話をするために肖像写真を持って来たのだと言いました。こんなことは中国に占領されてからの60年間、なかったことです。ほとんどの人たちは新たな運動の始まりなのではないかと疑っています」。7月にその地域を訪ねたチベット人は、法王の肖像写真が配布されたとは聞かなかったが、一部の場所では写真所持が許されており、また他では禁じられていると話した。
「中央の指示なのか、地元政府の判断なのかはわかりません。後者であれば危険すぎるかもしれませんが、何らかの新たな方法で状況を変えようとしているのかもしれません。とは言え、僧院や村々はまだ厳しい管理下にあります」。カンゼ出身のチベット人と話したという亡命チベット人研究者の見解は次のとおりだ。
「チベット自治区内よりも、周辺のカムやアムドでの社会安定を多くの中国当局者が危惧していると聞いたことがある。中国には、チベットを御するにはまずカムから、ということわざがある。当局者はこの2つの地域の人々の信心深さと、とりわけダライ・ラマをはじめとする高僧への帰依の深さをよく知っている。昨年からの抗議は、この地方の人々を深く傷つけた僧院での『愛国教育』とここ数年の宗教弾圧が原因だ。それで当局者は、共産党規則に則った形で地元のチベット人の怒りを和らげる運動を実行しようとしているのかもしれない。長期的なチベット政策を変える動きというよりは、建国60周年を前に『社会安定』を維持しようとする策略の可能性が高いだろう」。
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Three Tibetans Sentenced in Chamdo
チャムドでチベット人3人に、それぞれ懲役2年の判決が出たと12日のRFAが伝えている。
情報筋によれば、当初30人以上が逮捕された6月に騒動について、拘置中のチベット人3人に判決が言い渡された。3人とも有期徒刑2年の判決が、8月4日、チベット自治区のチャムド(昌都)県法院で出されたという。
「判決の理由は公開されませんでした。親族にさえ、刑期に関する知らせがなかったのです」とチベット本土と接触のあるダラムサラ在住のゲシェ・モンラム・タルチン師はいう。
別の情報によれば、3人は、ギャツェンツァン・ジャンパ(46)、ブルク(56)、ムツァツァン・ツェテン(40)と確認され、判決前に同じ昌都県内のジョムダ(江達)からチャムド拘置所に移されたという。
「一時、3人はジョムダから釈放されるとの噂が流れていましたが、中国当局に対する彼らの態度が元で、彼らはチャムドに移されました」。ジョムダ出身で現在インドに住むドルジェはそう話した。「ジョムダの知人は、とても言いにくそうでした」。
3人は、6月下旬にキャビェ僧院近くの騒動を起こしたとしてジョムダで拘束された人々の一部だといわれる。
1月に謎の爆発騒ぎ、3月の「農奴解放記念日」祝賀行事への強制参加に対する抗議など、ジョムダでは当局に対する抗議の炎が消えておらず、より弾圧も厳しくなっているようだ。
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Watanoha
夏休みというわけではないけれど、1日だけ休みをもらって、宮城の石巻へ行ってきた。日本沿岸自転車の旅、今回目指すは石巻から福島県の広野まで。
JR石巻線が最も石巻湾に近づく渡波(わたのは)駅から走り始める。万石浦に架かる橋を渡れば牡鹿半島だ。いつかはこの半島も1週しないとならない。
小さな駅舎の前、「吸い殻入れは撤去しました」と書いてあるところからすると、かつて喫煙スペースだったところで自転車を組み立て。電車を降りた帰省の家族連れが、迎えに来たじいちゃんたちのクルマに乗り込んで行く。少しうらやましい。
駅前の道をまっすぐ、万石橋へ。牡蠣の養殖で有名な万石浦だが、地図を見なければ少し広い入り江といった感じ。橋の上まで行って、引き返した。
橋の脇の道を、祭りの衣装をまとった子供たちが行ったり来たりしている。「祭りのため、この先通行止め」との看板もある。気になってそのままその道を進むと、魚市場の前に屋台が並び、トラックを改造したステージで踊りが披露されていた。子供たちはちょうど踊りが終わって帰るところらしい。
自転車が人垣の邪魔にならないように押して通り抜け、長浜沿いの道に出る。わたのは保育園の前を通って、まっすぐ西へ。少し向かい風かも。あまりスピードが乗らない。海水浴場の手前ではサーフィンをしている人たちが。小休止して堤防の上に上がる。
石巻漁港の水産埠頭はがらんとしていた。亀のように小舟を載せた遠洋漁船が何隻もつながれている。並行する県道に移り、旧北上川の河口に架かる日和大橋へ。歩道は反対車線側にあるのだが、短区間だから大丈夫と車道をそのまま行ったのが、違った。橋の上は向かい風の強風。案外長い橋で、下り坂もスピードが上がらない。追い抜いて行く後続車を気にしながら、何とか渡り切ったときにはほっとした。
時間があれば石ノ森萬画館にも行きたかったのだけれど、河口は市街地から少し離れているので、また次の機会。
工業地帯は、歩道はぼこぼこしているし、車道は大型トレーラーが行き交うし、とても走りにくい。向かい風にハンドルを取られると命の危険を感じるほどだ。製紙工場の構内から頻繁に汽笛が聞こえ、専用鉄道で貨車の入れ替えをしているんだなと想像する。
ようやく工業地帯を抜けて、北上運河を渡るときには、少しほっとした。松島までのサイクリングロードが始まるのはこのあたりからだ。
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