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Kasur Tenzin Namgyal Tethong Speaks

by Days posted at 2010-10-01 02:25 last modified 2010-11-22 23:58
テンジン・テトン氏

「亡命政府の50年間のあいだで民主主義を導入し、実行してきた。しかし本土ではたったひとりのチベット人もチベット人の自由には選べない。自治区、自治県、自治州といっても、代表者を選ぶのは中国人で、チベット人の自由にはならない。だから、いかにチベット人が世界中に散らばっていようと、チベット人自身が自らの意思で首相を選んでいるということが、中国に対するいいメッセージだと思っている」−−。
29日、東京・新宿で行われた講演会で、亡命チベット政府の元首相、テンジン・ナムギャル・テトン氏はこう語った。
チベット亡命政府(中央チベット政府)は2001年に初めて首相(カロン・トリパ、主席大臣)を直接投票により選ぶ選挙を行い、その結果、現在はサムドゥン・リンポチェが首相に就いている。そしてちょうどいま2011年に任期満了となるサムドゥン・リンポチェの後任を選ぶ選挙が始まろうとしていて、テトン氏もそれに立候補している。
以前は議会によって閣僚が選出され、閣僚の中から首相を互選しており、テトン氏は閣僚を務めていた1990年代に任期1年の首相職を経験している。ダライ・ラマ法王が民主化を進め、多くの政治的権限を民衆と政府に移譲したいまでは、当時とは首相の重要性は比べ物にならなくなっている。このカロン・トリパの選挙、そしてほぼ同時に行われる議会議員選挙に、多くの亡命チベット人が希望を託すことになる。

テンジン・ナムギャル・テトン氏は、1960年、インドのムスリーに最初にできた難民学校で学び、そして教え始めた。1968年には「シェジャ」という教育機関誌を仲間たちと一緒に発刊。これがほぼ最初のチベット人によるNGOだと言われる。
機関誌を作る中で、テトン氏を中心とした若者たちは、亡命チベット人社会の未来について毎日のように議論したという。それが1970年の「チベット青年会議」発足につながった(彼は4人の発起人のひとり)。チベット青年会議(TYC)には各学校、難民キャンプの代表が参加して、チベット人社会で初めての大きな政治的組織になった。
「ムスリーで学校を作ったときも学校の重要性よりも緊急問題として政治問題のほうが重要と考えていて、学校の重要性は考えていませんでした。同様に当時、青年会議の重要性は認識していませんでしたが、結果として政治的に重要な組織になりました」。
亡命政府も彼に目をつけ、1973年にはニューヨーク代表部の代表に抜擢された。亡命政府はニューヨークを足がかりに各国の国連代表に働きかけ、1959年以来それまでに3回のチベット問題に関する決議採択を実現させていた。
「しかしこの年は米中関係が樹立され、チベット代表部は閉鎖の危機にあり、よい状況ではありませんでした。ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官は中国との関係を重視しており、チベット支援の要請はなかなか届きませんでした。裕福な人も大きな組織もチベット人を相手にしてくれなくなりました。そこで大学で仏教を勉強している人や関心を持っているヒッピーの人たちに接触し、小さなグループをいくつも作ってもらいました。それによってチベットに関心を持ち続けてもらうことに成功したのです」。

1979年には鄧小平の復権と歩調を合わせるかのようにチベット本土の緊張緩和のため、亡命政府の代表団本土訪問が計画され、テトン氏は1980年の第2回代表団に参加した。
「私が行ったことによって、それまで亡命政府が世界に訴えて来たことが真実だったということが確かめられました。私たちが把握していた以上にきわめて深刻に悲しい状況でした。どの家庭に行っても家族の誰かが拘束されている、誰かが拷問を受けているという状況。それが国内外の人たちに知られることになったというのが大きな成果でした」。
「その後、中国政府は経済発展を成し遂げました。各国は『中国に抵抗してもしかたない』と言うようになってきています。しかし2008年3月のチベット本土での蜂起を見てもわかるとおり、チベット人は希望を捨てていません。チベット人は決してあきらめていないと言いたい。私たちの闘争は人間としての権利です」。

「日本の難しい状況は理解できます。しかし日本政府がチベットのためにできることはあると思います。例えば亡命政府を受け入れたインドは、中印紛争に破れて以来、中国のチベット政策に口出しできなくなりました。ダライ・ラマ法王にも亡命チベット人にも、インド政府は公式には政治活動を許していません。しかし同時にチベット文化の保存やチベット人の教育には大変な努力を払っています。また1959年以来、受け入れたチベット人をひとりも追放したことはありません」。
おりしも28日に日本政府がビルマ難民の受け入れを始めたばかり。ビルマだけでなく、まじめで文化が似通っているチベット人を日本政府は受け入れてほしいとほのめかしていたようだ。
その背景には、チベット人は独自の文化によって世界に貢献できるという彼の持論がある。1979年、ダライ・ラマ法王が初めて訪米したときにはティーチングへの集客が一苦労だったという。それが米国内では急速にチベット文化、仏教への理解が深まった。1986年までのニューヨーク在任中にテトン氏は草の根の支援の輪を広げ、87〜90年に着任したワシントンDCではInternational Campaign for Tibetを設立(いまはリチャード・ギアが理事長を務めている)。
そして現在はSFベイエリアに住んでスタンフォード大学でチベット学の教壇に立つ傍ら、シリコンバレーの起業家たちを集めて設立されたダライ・ラマ財団の代表を務め、チベット100人委員会の委員長でもある。昨年日本でも開催された「ミッシング・ピース展」の母体がこの2つの団体だったと言えば、テトン氏のカラーがわかりやすいかもしれない。
「法王を始めチベットの高僧、学僧によってチベットの文化がいかに深く、豊かであるということが世界に示すことができているのではないかと思います。チベット仏教がただ単に深く、豊かであるということだけではなく、その現代性、現代における意義も認識されているのではないでしょうか」。

各国にチベット文化を紹介し、その良さをわかってもらい、サポーターを組織して、数多くのチベット支援団体を作って草の根から支援してもらう。実はこうしたことがテトン氏の「戦略」だったのだ。その術中にはまった一人として、彼の新たな戦略を亡命チベット人がフォローしてくれることを願うばかりだ。
首相選挙予備選の投票は今週末の10月3日。この結果により、21人の候補者が上位8人に絞られ、決戦投票が半年後の来年4月に行われるという。

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Police Confiscate Tibetan Ballots

Article from Radio Free Asia

by Days posted at 2010-10-05 23:50 last modified 2010-11-23 00:01

チベット亡命政府の首相選挙が各国で行われたのは、先日書いたとおり。だが、中国が狙っているネパールのチベット難民にとっては、投票箱が警察に押収されるという苦い結末になった。
この前代未聞の事件に、各国のチベット支援者も抗議の声を上げている。
RFAは当初チベット語ニュースの一環として、武装した警察官が投票所から投票箱を持ち去る衝撃的な映像をYouTubeで流した。以下は英文記事より。

RFA

チベット亡命政府の選挙が行われていたカトマンズで、投票終了前にネパール警察が投票箱を押収する事件があった。スワヤンプーとボダ、ジャワラケルの各地区で合計20個が押収された。
ボダ・ジョパティ地区の選挙担当者、ツェリン・ドンドゥプによれば、投票が行われていた3日日曜日、終了まであと30分という16時半頃、警察が箱を押収していったという。
「予備選挙は順調でした。が、突然30〜40人の警察官が投票所にやってきて、きょうチベット人が投票した投票箱全部を持って行ってしまいました。後でそれは内務省からの命令によるものとわかったのです」。
チベット人たちは、インド・ダラムサラでダライ・ラマ法王が率いているチベット亡命政府の首相候補と議会議員の選挙を行っていた。

ネパール当局が投票箱を返す可能性はほとんどないとドンドゥプは話す。
「彼らがそのまま返すか、それとも返さないかというのは難しいです。彼らは誰が選挙を担当しているのかと訊いています。ネパールのチベット人の政治的地位と状況は厳しいです。表面的にはネパールのチベット人は助けられているように見えますが、実際にはネパール政府はさまざまな試練を我々に与えています」。
中国依存に傾いているネパールで、そのすぐ隣のチベット本土の中国支配下について抗議するチベット難民はリスクを抱えている。中国在外公館近くでたびたび行われたデモに参加したチベット人は殴られ、拘束され、インドへの追放をちらつかされた。
カトマンズ選挙委員会の委員長、ティンレー・ギャツォによれば、全世界では7万9500人以上のチベット人が、ネパールの首都では8200人近くが有権者登録をしていたという。決選投票は来年3月に行われる。

カトマンズでの事件後、ネパールのポカラの選挙委員会は投票箱に異常がないことを確認した。ポカラで投票したある男性は選挙委員会を讃えたが、同時に選挙委員会は情報公開をすべきと話した。
「投票は非常に順調だったが、選挙委員会は結果を透明にすべきだ」。
別の投票者は、投票への関心が非常に高いと話した。
「2ヵ月前から人々の話題は選挙で持ち切りです。これは人々が民主的手続きを実践していることの現れです」。
チベット亡命政府は、ダライ・ラマ法王が1959年にインドに亡命した後に設立され、2001年からは議会議員と首相が亡命チベット人の直接投票によって選ばれている。
亡命政府は有権者登録のために「グリーンブック」を発行している。グリーンブックは学校への入学や奨学金申請、亡命政府の採用、課税に使われている。
チベット本土のチベット人たちが「北京による支配」に異論を唱えているのに呼応するかのように、有権者登録は前回の選挙より高率になった。2006年の選挙では、7万2800人が登録した。
規則に基づき、2期で退任する現首相、サムドゥン・リンポチェの後任を巡って、20人以上の候補者が激戦を繰り広げる。候補者にはハーバード大学の研究者、ロプサン・サンゲェや元首相のテンジン・テトン・ナムギャル、チベット青年会議(TYC)前代表のツェテン・ノルブ、議長のペンパ・ツェリン、副議長のドルマ・ギャリなどの名前が挙がっている。
予備選挙の結果は、インドやブータン、北米などのチベット人コミュニティから投票箱が回収された後、つまり約1ヵ月後に判明する。

ネパール在住のライター、Mikel Dunhamは「中国は都合の悪い問題を消し去るために、ネパール内相へのホットラインを開設するといい」と皮肉っている。彼によれば、ボダで有権者登録したチベット人は5316人。ジャワラケルでは980人、スワヤンプーでは2336人だったという。ボダでは15個、スワヤンプーでは5個の投票箱が持ち去られた。ジャワラケルでは投票を閉め切って、既に会場にはなかったという。
ネパール内相のBhim Rawaljは前国連大使でNYから帰国したばかり。ネパール共産党(UML)の党首でもある。
Mikel Dunhamはこう書いている。「ネパール政府が首相をろくに決められないうちに、チベット人たちはは、買収や強要もなく粛々と選挙を行った。北京の指令でネパール政府が投票箱を持ち逃げしようがしまいが、チベット人は首相をきちんと選ぶだろう。この対比は恥じるばかりにまばゆい」。
ネパールでは今年6月にマダヴ・クマール・ネパール首相が辞任を表明したものの、各政党間での合意が成立せず、9回も選挙に失敗している。

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Turning to Liu Xiaobo

by Days posted at 2010-10-09 22:20 last modified 2010-11-23 00:04

「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど、計ったように物事が動くことがある。そして、その予想が狂うこともある。
劉暁波がノーベル平和賞を受賞するのではないかという声は、8日の発表が近づくにつれて高まっていて、それゆえ私はノルウェーのノーベル平和賞委員会がその期待を裏切るのではないかと思っていた。が、8日18時。世界中の人権や民主主義に関心を寄せる人たちが歓声を上げる結果になった。

昨年平和賞を受賞した米国のオバマ大統領は「たとえ政治改革が遅れていたとしても、すべての人、女性、子供たちにとっての基本的な人権が尊重されなければならないということをノーベル平和賞は思い起こさせた。私たちは劉暁波氏を速やかに釈放するよう中国政府に求めたい」との声明を発表した。
また、1989年のノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世は近い将来、いまの中国市民の責任ある政治の努力が新しい世代で実ると信じている」「いかなる国にとっても言論の自由は絶対不可欠だという温家宝首相の言葉を信じる」と声明を出した。

それまでノーベル賞特集を組んでいた中国の各ポータルサイトは、平和賞について沈黙。中国国内の検索サイトでは「ノーベル平和賞」の検索結果が出なくなった。CNNやNHKをサイマルで流していた中国国内のチャンネルは、平和賞の話題になるといきなりブラックアウトした。画面が復活したときにはサッカーのニュースだったという。
ネットを規制する「万里の長城」を越えて海外の情報を得ていた中国国内の勇気ある人々も歓喜の声を上げた。が、特殊なツールを使い、規則違反を冒してまで海外のネットを見たいという人はごく少数。ほとんどの中国市民は「CCTVのニュースでは報道していないから」と信じなかったという。
貴州では人権検討会のメンバーが祝賀パーティを開こうとウォルマートに集まったが、公安に阻止された。呼びかけた陳西氏が19時から23時まで拘束された他、黄燕明、杜和平、李仁科の各氏も拘束された。集まった他の人たちは解散させられたという。他にも北京や陝西省など各地で王荔蕻氏、阿爾氏、屠夫氏など人権活動家らが「公共秩序への擾乱」を理由に逮捕、拘置されている。
中国外交部は即座に記者会見を開き、馬朝旭報道官が「劉暁波は中国の法律を犯し、司法によって裁かれた犯罪人。それがノーベル平和賞を受賞するというのはその趣旨に反しており、平和賞を冒涜するもの」と話した。これが報道されてからようやく中国の検索サイト、百度ではノーベル平和賞に関する検索ができるようになったが、表示されるのはこの談話だけだった。
つまり多くの中国市民にとって「ノルウェーの委員会が何を間違ったのか無名の犯罪者にノーベル平和賞を与えた」「このことで外交部がノルウェーに抗議したらしい」ということしかわからないままなのだ。
その本人は、遼寧省錦州市太和区南山里86号にある錦州監獄に収容されている。報道によれば、妻の劉霞さんが面会しようと訪れたが、まだ果たせておらず、劉霞さんの携帯もつながらない状態だという。
いずれにしても「国家分裂罪」という根拠のない罪で裁かれた劉暁波を、一刻も早く釈放してほしいと願う。

「ノルウェーのノーベル賞委員会は、人権と平和には密接な関係があると信じている。そうした権利がアルフレッド・ノーベルが遺した『国家間の友愛』の礎になるからだ」と受賞理由には書かれている。
劉暁波と同様、基本的人権の確立に挺身し、当時ソ蓮で軟禁状態にあったサハロフ博士は、1975年にノーベル平和賞を受賞した。が、授賞式には出席することができず、1980年にはアフガン侵攻に抗議して流刑処分になった。1986年、ゴルバチョフ書記長により復権。初代大統領になったゴルバチョフが1990年にノーベル賞平和賞を受賞した際、サハロフ博士もようやく授賞式出席がかなった。ソ連が崩壊したのはその翌年のことだ。
もしこのまま「計ったように物事が動く」のであれば、劉暁波の受賞が中国に雪解けをもたらし、近い将来の中国の指導者が再びノーベル平和賞を受賞することになるだろう。歴史は繰り返すだろうか。

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Kashima Nada

by Days posted at 2010-10-11 22:10 last modified 2010-11-23 00:08
2010-10-11下津海岸

Cogwayチームが東京アースライドに参加すると聞いて、赤いTシャツで協賛。
でもお台場じゃなくて、大洗から鹿島まで鹿島灘沿いをひとりで走ってきた。

Category(s):
ときどき旅
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Machu Protest Students Jailed

by Days posted at 2010-10-19 23:55 last modified 2010-11-23 00:14
瑪曲県蔵族中学

チベット全土に広がった2008年3月14日の騒乱から2周年の今年3月、アムドのマチュ(甘粛省甘南チベット自治県瑪曲)ではチベット人中学の生徒たちが抗議を行った。そのうち2人の生徒が逮捕され、懲役2年の判決を受けたというニュースをRFAが伝えている。懲役刑を受けたのは日本で言えば高校3年の生徒2人。

甘粛省当局は2人のチベット人生徒に、現地のチベット人学校に抗議活動に関与したとして2年の判決を出した。
カルホ(甘南)チベット自治県出身で現在インド北部在住のドルカ・キャブによれば、いずれも17歳のトプテン・ニマとツェリン・ドンドゥプに有期徒刑2年の判決が出されたという。
彼らには甘南中級人民法院が9月12日判決を出し、10月12日に甘粛省天水監獄に移送された。どちらにも弁護士はついていないとドルカ・キャブは言う。
「遊牧民出身なので、どうやって法的援助を頼んだらよいかわからなかったし、また報復の恐れからそれをしなかったのだと思います」。
2人は、2008年3月14日にラサでの衝突がきっかけでチベット全土に広がった騒乱から2周年になる今年3月、マチュ蔵族中学で約30人の学生が抗議を行ったのを煽動した容疑で拘束されていた。地元筋によれば、マチュで当時少なくとも40人が拘束されていたという。
それに続く弾圧で、当局は校長を罷免し、2人のチベット人助手を解雇した。それに対して生徒達は彼らの復職を求めて学校内でハンストを行った。

ドルカ・キャブによれば、今年4月の愛国再教育キャンペーンを批判した2人の生徒、マチュのマザ(瑪札)郷出身のナワン・ラモとママ(瑪瑪)郷出身のラプテン・ドルジェも学校から追放されたという。
「追放された2人の生徒は、どこの学校も受け入れてはならないと、警察は言っていたそうです」。

数十人の生徒たちが抗議を行ったのは、中国西部のチベット人地域での中国支配に対して起きた騒乱の2周年の3月14日。地元住民によれば他からも500〜600人が集まり、自由の欠如に抗議するとともに、チベットの独立を要求したという。
抗議の後、キャプチェン・デドル校長と2人の助手、ドレとチューキョン・ツェテンが失職した。また当局はカルホ公安弁事処長のソナム・ツェを罷免した。
授業は1ヵ月中断し、その間は「政治的再教育」の講義が行われた。
3月16日には別のカルホ蔵族第三中級学校でも抗議があったが、校庭内で公安と職員によって取り押さえられた。公安は生徒を囲んで校舎に押し返した。約20人の生徒が拘束されたが、尋問の後で釈放されたという。

RFA中国語版の記事によれば、3月14日の抗議では50人の生徒が県庁前で抗議を行ったという。また、学校内での抗議とハンストには100人以上の生徒が参加したという。また学校内での抗議とハンストに参加したのは、逮捕されたトプテン・ニマとツェリン・ドンドゥプと同じ高中三年の6クラスの生徒たち数百名。
ドルカ・キャブによれば、マチュ蔵族中学の授業は現在、正常に戻っているが、生徒たちは「一挙一動の監視が続いている」という。学校を追放されたナワン・ラモとラプテン・ドルジェは自宅で放牧を手伝っているそうだ。

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Students Protest Language Change

Article from Radio Free Asia

by Days posted at 2010-10-20 23:20 last modified 2010-11-23 00:19
Students march in Rebkong

日本経済新聞は19日、青海省黄南チベット自治州でチベット人の高校生数百人による抗議デモが起きたと伝えた。生徒らは学校側がチベット語の授業時間を減らしていることに反発。「チベットの文化を守れ」などと叫びながら市内を行進したという。
RFAがこれに続いて英文で報じている。

チベット語から中国語への指導言語の変更に対し、青海省で数千人のチベット人学生が抗議を行った。
「10月19日、マロ(黄南チベット自治州)のレコン(同仁県)で、7000人を超えるチベット人学生が抗議を行いました。学生たちは一帯の6つの学校から集まりました」とインド在住のチベット人が現地の情報を伝えている。6つの学校は同仁第一民族中学と、同仁県逸夫民族中学、同仁城市寄宿校、同仁医学院、黄南師範学校、黄南州民族中学だという。
学生たちはチベット語と中国語の両方で「民族間の平等を」「チベット語利用の拡大を」と書かれた横断幕を掲げて抗議した。
学生たちは僧侶には参加をしないように求めたにも関わらず、レコン・ロンゴ僧院の僧侶たちもそれに合流した。
「僧侶が関わることで、当局が武警を動員して抗議活動を弾圧することを学生たちは恐れていたのです」とレコンの僧侶は話した。

抗議者の数は「1,000人以上」という証言から「5,000〜7.000」という別の証言までさまざまだ。いまのところ当局はこの抗議を認めていない。
抗議活動は同仁民族中学で午前中から始まり、14時頃まで続いたという。
「そのとき、20〜30台の警察車両がやってきて、抗議者を取り囲みました。拘束されたり、逮捕されたりする人はいませんでした」。
レコン在住の別のチベット人によれば、県幹部が同時に現場にやってきて、落ち着くように呼びかけたという。
「マロ州副州長のアフ・ゲンドゥンとマロ教育部長のサル・ゲルツェンだった。2人は、彼らの要望を県と州の上層部に伝えると学生たちに約束した」と彼はBlogに書いている。

抗議は、中国支配下のチベット地域でのチベット文化、チベット語、チベット人としてのアイデンティティが浸食されていることに対して起きた。
チベットの情報筋によれば、青海省教育部の最近の会議で、共産党書記と委員長が教科書を中国語に変更すべきと主張したという。
「彼らは議論の余地を残しませんでした。チベット人教師たちは授業をチベット語から中国語に変更する研修に参加するよう、各県当局から指示されました。もしこれが現実になれば、多くのチベット人教師が失職し、代わりに中国人教師が増えることになるでしょう。これはチベット人コミュニティにとって重要な問題です」。
証言によれば、数ヶ月前、甘粛省のツォエ(合作)で中国語教科書の使用が強制された際にも抗議の貼り紙が貼られたという。
「その一帯で学校に通うチベット人の数は減り、チベット人教師や職員は理由なく解雇されたのです」。

APによれば、学生たちはレコンの学校から学校へと回り、チベット語から中国語に変えようという計画に抗議したという。APの取材に対して第一中学の教師は「デモは平和的に行われました。彼らの唯一の要求は母語を守ることだったのです」と話している。黄南第二民族中学の教師によれば公安はデモを制止せず、学校当局も参加した学生の処罰を行うつもりはないという。

中国支配下のチベットなど少数民族地域では、言語は感情的で複雑な問題になりかねない。多くのチベット人たちが開発の進行と中国人の移住による伝統文化の破壊を恐れる一方で、中国語を学ぶことが将来に役立つとして子供たちには中国語教育を受けさせようとする動きもある。
チベット仏教芸術と文化の中心地として売り出そうとしているレコンではそれが顕著だ。

SFTも現地で撮影されたと見られる写真を多数、Webに掲載している。

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Amdo Student Protests Spread

by Days posted at 2010-10-22 01:20 last modified 2010-11-23 00:25
Students march in Rebkong

19日にマロ(黄南チベット自治州)で始まった抗議は、その翌日、西側に隣接するツォルホ(海南チベット自治州)に広がったとRFAが続報を出している。

中国語オンリーの授業が強制されることを恐れた学生たちの抗議は2日目も続き、数千人のチベット人が参加したという。
20日にはツォルホの複数の町で少なくとも8,000人がデモに加わった。
「講義に参加したのは学生ばかりで、一般の参加者はいませんでした。抗議デモのあいだも秩序立って平和的でした」とあるチベット人はRFAのインタビューに答えた。
抗議は前日にレコン(同仁)から始まり、中国支配下で独自の文化、言語、アイデンティティが中国に浸食されてしまうのではないかという不安を共有する一帯に広まった。
当局によれば抗議は沈静化したという。政府幹部が学生たちに対し、例え通達で「授業は主に中国語で行う」としていても、チベット語の授業は引き続き行われると約束した。
水曜日の抗議は師範学院と2つの薬学校の学生2,000人から始まり、時間とともに他の学生たちも参加したという。
「けさ8時すぎ、ツォルホ民族師範学院と地元の2つの薬学校の学生たちが校庭に集まった。彼らは沈黙を守り、この地域で中国語を使う方針に抗議した。その後彼らは縦列に並んで、城市へ行進を始めた」。
ツォルホ蔵文中学と職業技術学校の約4,000人に学生たちも同様にデモを行ったという。
この他、ツェコ(澤庫)蔵族中学の2,000人以上の学生たちもチベット語を守ろうと抗議に参加した。

チャプチャ(共和)出身のあるチベット人によれば、学生たちの怒りは「科学、数学などすべての教科は北京語で教えられるべきとする新たな政府通達」に向けられていたという。
チベット語はいずれ「第二言語」となり、2015年には「俗語」として扱われるだろうと彼は語った。「高等教育でチベット語が選択できる保証は何もないのです」。
ツェコの政府職員、ギャウォ氏によれば、現地では学生たちの抗議は沈静化したという。「通達文書には、中国語を主要言語として用いると書いてあるが、チベット語は使わないとは書かれていない」と彼は話したという。

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Security Tight in Tibetan Towns

Article from Radio Free Asia

by Days posted at 2010-10-23 00:50 last modified 2010-11-23 00:40

またRFAの続報既報部分は省いています。

青海省当局は教育部の方針に抗議する学生たちのデモが起きたチベット地域に多数の公安職員を送り込んだ。地元筋によれば、今週月曜日と火曜日、ツォルホ(海南チベット自治州)とレコン(同仁)で教科を中国語のみにされる恐れから数千人の高校生、大学生がデモに参加したという。
レコン県教育部によると、木曜日は抗議行動は起きなかったという。
「現在は沈静化しています」と電話取材に応じた女性は答えたが、それ以上のコメントは断った。
亡命チベット人筋によれば、水曜日には数十台の軍事車両や公安要員が町中に展開していたとデモに参加したロンウ寺の僧侶が話していたという。
「たくさん来ていますが、正確な数はわからないそうです。軍のトラックが20〜30台だったということしかわかりません」とInternational Campaign for Tibetの研究員、ゾゲ氏は話した。
抗議は火曜日に同仁第一中学から始まった。学生たちは行進しながら「民族間の平等を !教育の自由を!」と叫んでいたという。

僧侶によれば、ロンウ寺の僧侶たちが行進に参加したとき、数人の教師達もいたという。要求は政治的なものではなく、教育に関することだったという。
電話取材に応じたレコン県教育部によれば、幹部がこの対応に忙殺されているという。当局は抗議の広がりを水曜日には沈静化した。
地元幹部が学生たちに接触し、例え通達で中国語を指導の主要言語に使うように指示されたとしても、チベット語での指導を続けると約束したためだ。
教育部職員は、中国語を学校で使わせるという予定はないと話した。授業は通常通り行われており、デモを行った学生たちが処罰されることも「ありそうにない」という。

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