Don't Let China Steal Losar
Students for a Free Tibet本部のテンドルが、ロサル(正月)に向けたメッセージを書いている。今年のロサルはヴァレンタインデイと重なった。つまり今週末の2月14日。
テンドルはNY在住。世界中からすればNYのチベット人は少なくないが、それでも故国から遠く離れて暮らす孤独感が、彼の青臭いメッセージの隠し味になっている。
ロサルはチベットのものだ。ロサルはチベットの人々のためにある。誰も私たちから盗ることはできない。
自分はチベット固有の祭りが意味をなさないような遠い外国に住んでいる。毎朝、毎晩混雑している地下鉄で戦い、見知らぬ人たちのまなざしを逃れ、自分の歩く地面は、山の故国から遠く海と空を隔てている。なぜロサルを祝う必要があろうか。西暦での新年はもう終わってしまったのだ。さて、答えは簡単だ。どこに住んでいようが、自分はチベット人だからだ。チベット人が自分たちの伝統を祝わなくてどうするのだ。中国当局も、チベットの一部の地域ではチベット人がロサルを祝うのを奨励しているという。花火への補助金を出しているところもあるそうだ。言うまでもなく、ロサルを「乗っ取ろう」という中国当局の哀れな試みは、ロサルを中止するまで思い詰めていたチベット人たちに反射的な怒りを引き起こさせた。
ロサルを祝うのは中国当局の指示によるものだ、というのは間違いだ。同様に、中国当局が祝うように言うから、ロサルを中止する、というのも間違いだ。伝統を尊重するならば、中国当局への賛否ぐらいで、そんなに簡単に左右されるべきではない。中国は自分たちの伝統に口を出さないでほしい。私たちチベット人は、いつ、どこで、どのようにして、いかにロサルを執り行うか、私たち自身で計画して活動せねばならない。来年も、その翌年も、中国当局はロサルを祝うようにと、私たちに言うだろう。ただアピールのために毎年ロサルを中止すべきだろうか? 中国政府に本当に痛手を負わせたいと思うなら、彼らを排除してロサルを行うべきだ。そして、私たちは自分のアイデンティティを主張するのに、この機会を利用すべきだ。チベットの食べ物を食べ、チベットの衣服を着て、チベット語を話し、チベット語でロサルのカードと表札を書き、バターランプを灯して、コルラ(右僥)する。カターを扉にかけ、ルンタを風に泳がせ、ツァンパとお香の匂いで空気を満たす。
チベット本土からの記事や詩でも、中国人から私たちをひきはがし、気力を養い、私たちのアイデンティティを確認する機会としてチベット人たちがロサルを祝おうとしているという。ハートマークに"Tibet"という文字を添えて、ヴァレンタインデイとロサルが重なることを示す人も多いという。例えばラサでは、ほとんどの人たちがロサル前の買い出しを終え、それぞれの自宅でロサルを祝おうとしていると聞く。2年近くになる事実上の戒厳令下で、グチュの熱い鍋や、デシーの甘い皿を友人や家族と囲んで、精神を養うのだ。
悲しみは象徴的な振る舞いとしては大切だけれど、政治的には一定の価値しか持ち得ない。過度の悲しみは、死者を生き返らせるよりむしろ、生きている人を死に近づけてしまう。本当は、自由へのチベット人の戦い(命をかけた戦い)、草の根からの活動による戦いを進めることが、殉教者を勇者たらしめているのだ。人々が参加したいと思うのは、躍動的で包容力にあふれ、魅力的でダイナミックな活動だ。決して、自己憐憫と無限の悲しみと涙の海に一緒に溺れたいと思わないだろう。
私たちの悲しみではなく、私たちの精神で、私たちの嘆きではなく、私たちの行動で、私たちとその抑圧者とを区別しよう。行動を一歩進めたいのなら、そして殉教者に敬意を表したいのなら、チベット人として、行動によって、誓いによってロサルを行うべきだろう。
今年のロサルには、ぜひ毎週何をするとか、できれば毎日何をするとか、そういう決心をしてほしい。それがチベット人を強くし、中華帝国を弱めることになるのだから。
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