Damming Tibet's Yarlung Tsangpo
今年5月24日、チベットの環境問題を訴え続けているTesi Environmental Awareness Movementは、いまだ世界最奥の秘境であり、一方密かな開発計画が上がっては消えているヤルンツァンポの水力利用計画についてリポートを発表した。過去の水力利用構想の中には、意外にも日本人の名前も見える。
The Tibetan Plateauは、チベット域内のヤルンツァンポ〜ブラマプトラ上流域の水力発電プロジェクトを地図にまとめた。これが近年の国際的議論への新たな情報提供となることと、中国の水資源利用に関する誤解を解く一助になることを期待したい。
ヤルンツァンポ〜ブラマプトラ上流域には10ヵ所のダムが完成しており、3ヵ所が工事中、7ヵ所が検討中であり、他に8ヵ所の計画がある。インダスとサトラジ、カルナリの各川でもそれぞれ1ヵ所ずつ水力発電が行われている。アルンには5ヵ所の大型ダムが計画されており、スバンシリにも別の大型ダム計画がある。
大小の水力発電プロジェクトが進められている一方で、大規模送電網に関係ない小さな地域的な水力発電プロジェクトもたくさんある。多くのチベット人たちは電気なしで暮らしてきたし、ほとんどは今後も電気が届かないだろう。チベット高原では先に中小規模のダムを造り、その電力を使って大規模なプロジェクトを進めるというのがひとつのパターンになっている。チベット人に電力を供給するのが目的ではなく、より大きな発電所を作ってインフラ開発を行い、中国沿岸部の飽くなき電力需要に応えることが最大の目的なのだ。
地図には地名や河川、山、湖沼の名前はチベット語で記載したが、水利プロジェクトの名称はほとんどが中国語になっている。中国語の名称が用いられるのは、もちろん作る側の名称のほうがわかりやすいからであり、研究者にとっても混乱が防げるからだ。
ヤルンツァンポ〜ブラマプトラ
ツァンポ〜ブラマプトラ川はチベット/中国とインド、バングラデシュを流れる国際河川である。最近までヤルンツァンポにはダムがなかった。中国は建設中のザンム(蔵木)プロジェクトを含め、中流域に5ヵ所のダムを建設する計画を発表し、インドの反発を招いた。ヤルンツァンポに歴史、宗教、経済的つながりを深く持っており、古くから流域に暮らしているチベット人たちの声は無視されたままだ。
ヤルンツァンポ川はチベット文明の歴史、特有の伝説と戒律、ひいてはチベット人のアイデンティティに緊密な関係がある。エジプトにはナイル川があるように、ヤルンツァンポはチベット文明のゆりかごと捉えることもできるだろう。ヤルン平野はヤルン朝として知られる初期のチベット国王の出身地だった。聖なるカイラス山の懐を源流とし、ヤルンツァンポ平野は巡礼地や修行僧たちの思索のための洞窟、霊的な修行の地である「ベユル」(秘密の谷間)などに彩られている。チベットを想像上の魔女に喩えた「魔女仰臥図」にも川は描かれている。
ツァンポ峡谷・聖なるペマコの地
ツァンポ峡谷としても知られるヤルンツァンポ大屈曲部は「地球上の最後の秘境」として、また地球上に例を見ない巨大水利の可能性を持った場所として世界中の注目を集めている。19世紀まで地理学者はヤルンツァンポの峡谷の向こうがブラマプトラにつながっているのか、イラワジなのか、それとも別の川に注いでいるのか確信を持てなかった。ルンペのすぐ下流でヤルンツァンポは7756メートルのナムチャバルワと7294メートルのギャラ・ペリという2つの高峰のあいだ、およそ4900メートルの標高差がある大地の裂け目に入り込んでいる。その大屈曲部を通る際の2500メートル近い落差は、水利にとって理想的と考えられている。世界最強のダムと送水路の建設(詳しくは後述)が行われるのではないかという疑惑を、下流の国々が持つ由縁である。
また、ヤルンツァンポ大屈曲部は世界でもまれに見るほど多様な植物種が生息することでも知られている。行くのもままならない秘境で、植物学者がどうやって調査し、数え上げたのか想像を絶するが、ともあれある公式サイトによれば3700種が確認されており、この一帯が「植物たちの故郷」であると言われている。大屈曲部の生物多様性は、ヒマラヤ一帯の生態系が世界でもっとも豊かで、しかも危機に瀕していることを物語っている。
チベット人にとってはチベット仏教の勃興と切り離せないインド出身のヨが行者、パドマサンババ、またの名をグル・リンポチェが隠った最も聖なるベユル、「ペマコ」がある場所である。代々空想的なチベット仏教の高僧は、秘宝を見つけ出し、何重にもなったベユル、「ペマコ」の霊的な扉を開けて旅をしたという。またチベット人たちは女神、ドルジェ・パクモ(ヴァジラヴァーラーヒー)が一帯から現れたと信じている。
魔女の背中にチベットの地図が描かれたように、地元の登山グループはペマコ地方をドルジェ・パクモの姿と重ね合わせた。「頭はカンリ・カンポ(白い雪山)、胸はナムチャバルワとギャラ・ペリに。下半身はヤンサンか、アルナチャル・プラデシュの上シャン地方にあると言われる内ペマコに横たわっている。シャンとヤンサンはキラ・ヨンゾンの聖なる三角形を成すが、それがドルジェ・パクモ神の陰門である」。これらの伝説と巡礼の教えは、数百万の仏教徒達にとって宗教的、文化的な意味を持っている。
ヤルンツァンポ〜ブラマプトラ大屈曲部での水利計画
地図は大屈曲部での水利可能性について、モトゥオ(墨脱:チベット語ではメト)とダドゥカ(大度卡)の2つの構想があることを示している。モトゥオプロジェクトではルンペからメトまでのトンネルが掘られる。ダドゥカの方は、ペからインド国境近くのディドンまでだ。ともに中国はメト(墨脱)近くに3万8000メガワットの水力発電所を造ろうとしている。これらの構想は経済的、工学的観点からは実現可能なものの、中国政府がトンネル終端部に大規模なダムを造る場合の貯水量による環境と耐震性の問題が残る。現在これらの構想はアセスメントと調査によって慎重に検討されている段階である。むしろこの工事のために電力を供給するための近隣のダムと高圧送電網が先に完成しないと着工できないものと見られる。既にオンラインでは読めなくなっているが、2003年7月に新華社が出したこの地域の研究レポートによれば、これらのプロジェクトに関する当局の、あるいは研究機関やその他のWebサイトが存在するという。下記は国家電網公司が作成したモトゥオプロジェクトと高圧送電網が描かれた地図だ。
これらの水力計画で掘られるトンネルはどれも、ニャクチュで進む錦屏(ジンピン)第二計画で建設中のトンネルと同規模の15〜25キロと見られる。これらのトンネルは、屈曲部の下流に建設される発電機を回すための送水路として利用される可能性が高い。この地点が、大峡谷にできる大規模ダム(モトゥオ)になるだろう。もうひとつのプロジェクト、「ダドゥカ」と地図に記載されている構想は大型ダムなしに2400メートルの標高差を活用するのだが、場所がインドとの国境に近く、また中印紛争のようなことが起きれば問題になろう。トンネルのルートは推測できるし、中国の技術者たちがこの構想で最大限の利益を求めようとしているという可能性が高い。
いずれにしても大屈曲部に巨大ダムを建設する最大のリスクは地殻変動にある。ヒマラヤとチベット高原はテクトニクスプレートの衝突によって形成された。それゆえ、チベットでは地震はまれではない。モトゥオ貯水湖が建設されると見られるメト県では、9万人の犠牲者を出した2008年の四川大地震以前に「中規模の」地震が起きている。最近の玉樹での地震でタンゴダムに亀裂が走ったことが、大屈曲部の下流のインドやバングラディシュに住む人々から不安視される原因になっている。中国の地質学者、范暁氏は、断層近くに巨大な人造湖を造り圧力をかけることが地震の引き金になると警告している。
ツァンポ〜ブラマプトラからの分水
大屈曲部に建設した巨大ダムから数百キロに及ぶ長大な運河を経て、黄河やヤンツェ(長江)、ゴビ砂漠へ分水する構想が提案されたこともある。ひとつは李伶著『チベットの水が中国を救う(西蔵之水救中国)』(2005年12月出版)に書かれている人民解放軍の司令官だった郭凱氏の構想であり、もうひとつは日本の三菱総研の創設者、故・中島正樹氏が1977年に地球環境基金に提案した5000億ドルに及ぶ構想だった。これらの構想は政府の関心を惹かなかったのか地図に落とされておらず、実現可能か、経済的に問題なかったかも定かではない。
中島正樹氏と郭凱氏の二大空論の他にも、ツァンポ〜ブラマプトラからの分水についてはいくつもの構想があった。その中で唯一「公式に」実現へ向けて検討されたのは、標高3500メートルのツェタンからニャン盆地にトンネルを掘り、そこから黄河へ水を導くというものである。この成否は標高差と大屈曲部にできる発電所の電力にかかっていたと見られる。この構想はその後撤回された。公式でなければ、それこそ街路のように縦横無尽にチベット各地の河川をつなぐ計画が山のようにある。
大屈曲部一帯の地形に関する詳細な研究や、Google Earthで把握できる地勢からは、構想のようには分水路の建設ができないことがわかる。例えば高さ850メートルのモトゥオ貯水湖を造れば、大屈曲部の2000メートルにも及ぶ高低差を利用できると言われているが、これを実現するには入り組んだ山岳地帯に数百キロに及ぶ水路を建設しなければならない。
過激な議論として「核の平和的利用」によってトンネルを掘削し、モトゥオのダムとイウォン川・パルン川の水力を合わせるという案も出ている。仮に実現できるとは言え、その建設費はおそらく現実的なものではないだろうし、水力開発というのは経済開発であり、単に水をあっちからこっちに移せばよいというものではない。
もうひとつ忘れてはならないのは、チベット高原における気候条件、つまり中国北部で水需要が高まる冬から初春にかけてはチベットの河川はだいたい凍結しているということである。ヤルンツァンポ中流部
いくつかのプロジェクトが進行中。510メガワットのザンム(蔵木)プロジェクトは既に建設が始まっており、レンダ(幤達)、チョンダ(仲達)、ランチェン(朗県)の3プロジェクトでは用地整備が進められていて、数年内に着工されるだろう。Jiachaもまもなく始まりそう。Jiexuが最後になりそうだ。というのは、下流の6つのダムの上流に位置するこのダムは、調整的な役割を果たすからだ。
イウォン川・パルン川
ヤルンツァンポの支流であるこれらの河川でも計画が進められている。これらの支流での計画はモトゥオ水力計画に不可欠なものと推測される。計画の位置はHydrochinaのサイトで確認できる。プロジェクト名は小さく、微かにしか書かれていないが、近くの町のチベット語名を持って来ているのが、だいたいの位置になる。
ヤルンツァンポとブラマプトラがひとつながりの川だと確認できたのは、19世紀後半に英国領インド測量局のエージェント(バンディット)がチベットに潜入し、調査した成果。キンタップというバンディットが僧侶に扮して当時のツァンポ峡谷最奥部しようと奮闘したが、同僚に売られて奴隷になってしまい、脚抜けに時間がかかった、などなど、このヤルンツァンポの探検史はとてつもなく面白い。
いまでこそGoogle Earthで誰でも川筋をたどれるが、ツァンポ峡谷に執着して今年の開高健賞を受賞した角幡唯介さんによれば、峡谷は深いオーバーハングのゴルジュと「幻の」滝の連続。水上を下ることはほとんど無理だという。1993年には日中合同隊に参加した早大カヌークラブの武井義隆さんが支流のポー川で行方不明になっている。
明日は東京・広尾のJICA地球ひろばで、ヤルンツァンポをはじめとするチベットの水資源問題を取り上げた映画 "Meltdown in Tibet" の上映と、アジアの水資源問題に関する講演がある。
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Climbers on the Edge
The Expedition Day
マナスル初登頂、植村直己のエベレスト登頂に連なる日本の山岳界はどのように広がって行くのか、そのフロントラインを明らかにしようという野心的なディスカッション、「ザ・エクスペディション・デー」(主催:日本山岳会・日本山岳協会・毎日新聞社)が9月11日、東京・代々木で行われた。
ステージに登壇した6人は、いわゆる大学山岳部出身の「アルピニスト」の姿とはかなり異なる「エッジな」クライマーたち。短い持ち時間の中でそれぞれの挑戦についてスピーチを行った後、柏澄子さんのコーディネートでディスカッション。
平出和也さん(31)と谷口けいさん(38)は、それぞれヒマラヤの山々に挑んだ結果、登山隊の一員として登るのではなく、2人のパートナー同士としてインド、パキスタン、チベットなどでユニークな登山を楽しむようになった。自身の登攀を映像に残すことを得意とする平出さん。2008年に日本人初のピオレドールを受賞するきっかけとなったカメット南東壁「サムライダイレクト」に挑んだ7日間がまず映像で紹介された。
清涼飲料水のCMに出てくるような絶壁に挑むのだが、「ファイトー!」「いっぱーつ!」というような気合いで登れるような山ではない。4日の予定が結果的に7日になったが、日が暮れて暗くなってからも冗談を言い合いながら着実に高さを稼ぎ、ほんのわずかなスペースに天場を築いて仮眠する彼らの登山の「楽しみ方」にはちょっとしたカルチャーショックを覚える。
「最初は楽しくてしょうがなくて、少しでもこの壁の中にいたいと思った」と平出さん。「よくきたね。やったね、すごいよ。本当にありがとう」。互いの健闘を称え合う登頂直後の谷口さんの言葉が印象的。
とはいえ、そのカメットの翌年に挑んだガウリシャンカールでは頂上の手前、150メートルで敗退した。「失敗から学ぶこと、山に教えられることは多い。おまえたちはここから登らせないぞという威圧感があった。それでも悔しくはない。山をまるごと楽しんでいるから」(平出さん)。
「未知の中に手探りで行くことによって感動もあるし、自分の可能性や限界がわかる。やべえ間違えちゃったかな、帰ろうかなとも思うことはあるけれど、それは山と自分の距離が遠いから。山の麓で何日か暮らすことで次第にその距離が縮まってくる」(谷口さん)。
ビッグマウンテン・スキーヤーとして知られる佐々木大輔さん(33)は、集大成とも言える "END OF THE LINE" を発表後、山岳ガイドとしての活動に軸足を移した。昨年は11月から5ヵ月間、南極観測隊にフィールドアシスタントとして参加。昭和基地から600キロ離れた奥地に滞在するセールロンダーネ地学調査隊の安全管理を担当した。「極限を目指すスキーには自分の経験が生かされているし、そこで培われた判断力は山岳ガイドでも生かされる。それを磨いて行きたい」。
佐々木さんはもともと中学2年のときに山岳ガイドを志し、宮下岳夫さんの紹介で三浦雄一郎スキースクールに通うようになったのが、日本屈指のスキーヤーになるきっかけだった。それゆえ、ただのプロスキーヤーではない。「2003年にデナリ。仲間と努力して登るということが気に入った。その次がパラムシル島。その後、グリーンランドのフィヨルドをシーカヤックにスキーを積んで、2週間旅をしたりした」。そんなユニークな経験が "END OF THE LINE"、そして山岳ガイドの活動につながっている。
佐藤佳幸さん(35)がのめりこんだのはアドベンチャーレース。世界最高峰のレイド・ゴロワーズというレースでは、ボード、MTB、インラインスケート、ラフティング、乗馬‥‥など数々の種目をこなさねばならず、しかも登山だけでも4000〜5000メートルまで登る。基本はチーム参加。ひとりでも脱落したらし失格なので、とにかく仲間と息を合わせるのが重要。
「わからない種目ばかりに取り組んで来たので、やっている人のところに泊まり込んだりしてトレーニング方法を習得してきた」と佐藤さん。「初めてアドベンチャーレースに挑戦したときには何もできなかった。できないから、未知のものにチャレンジできる理由があった。チャレンジするときに応援してくれる人たち、一緒にやってくれる仲間がいたからやれた」。
そんな佐藤さんだが、2007年からはアウトドアスポーツの魅力を伝える映像カメラマンに転身。トレイルランナーでもある「普通の主婦」間瀬ちがやさん(43)を被写体として追っている。
「アドベンチャーレースやトレイルランニングは自然の中で仲間とともに景色を楽しみながらできるのが魅力。映像はアプローチしやすい場所で撮られているので余裕がありそうだが、実際にはもっと極限状況のところが多い。そういうところを映像で紹介したい」と話す。
一方の間瀬さん。「買い物にいくついでに走る。山も好きだから山も走る」。控えめに話すが、2006年のトランスジャパンアルプスレースでは優勝をかっさらった恐るべき「主婦」だ。
そして「冬も走りたい」2人が熱中しているのは、まだ日本ではなじみのない「山岳スキー競技」。山スキーでおなじみのシールをつけたり外したり、標高差約1500メートルのコースを2時間程度で一周するレース。シールの着脱には工夫があり、着けるのは40〜60秒程度、はがすのはべりべりと一瞬。ヨーロッパではメジャーだが、7年目に佐藤さんたちが世界選手権に出たときには、彼らは雑誌で写真を見ただけでレース未体験だったとか。
驚くべきは高校2年生の中嶋徹さん(17)。ソウルフルなクライマーの中嶋岳志さんを父に持ち、瑞牆山、小川山、湯川、鳳来の数々の難グレードルートを完登した挙げ句、2009年夏には英国のピークディストリクト国立公園へ。岩壁を傷つけない、人工物を残さずに登る「トラッドクライミング」で成果を上げて注目され、今年もインターナショナル・クライマーズ・ミーティングに参加するため再び英国で難易度の高いクライミングに挑んだという。
支点がほとんどない岩壁に、するすると登って行く中嶋さんの映像。ロープはあるが「まったく意味がない。落ちたら一巻の終わりというのは精神的に厳しい」。見ていても心臓に悪い。
最初はトップロープで何度もトライして、それで落ちないと確信できてから挑むのだという。「行けると確信してから1時間後ぐらいにそのルートに挑む。緊張でおなかが痛くなったりすることもある。自分の中で葛藤もある。それが集中力の妨げになるので、できるだけそのルートを離れて、散歩したり食事したりしてルートのことをできるだけ考えずにして、戻って来て手早く準備して集中に持って行くようにしている」。こんなことを考えながら登るクライマーが本当に高校生なのだろうか。
「主婦」の間瀬さんがどんなトレーニングをしているのか。「ときには朝、家族を送り出してから富士山に登り、午後帰ってきて家事をしている」という間瀬さんの返答に、「自分の中ではトレーニングは一切していないが、山岳ガイドの仕事でバランスが磨かれている」と続ける佐々木さん。そこから谷口さんと中嶋さんが異口同音に「バランスは非常に重要」と揃えると、「体力的なバランスもあるけど、社会的なバランスも」と唯一会社員の平出さんが反応する。
「エッジなクライマーたちのディカッション」からはもっとピリピリしたやりとりを期待していたが、本当に最前線に立つ人たちというのはむしろ言葉に出さない共感を周りに伝える人たちなのかもしれない。
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The Struggle For Asia's Water Begins
今年 "WATER: The Epic Struggle for Wealth, Power, and Civilization" を出した雑誌ジャーナリストのスティーブン・ソロモンが、Forbesの「2020年予測」というコーナーに「アジア水戦争の始まり」を寄稿している。 全体として抽象的な論調で、決して共感できない部分もあるが、アジアから遠く離れた欧米の知識人がヒマラヤの水問題をどのように訴求すればいいと考えているのかがわかって興味深い。
ヒマラヤ山脈の北側、標高3300メートルに広がるチベット高原の湖沼や永久凍土の草原は、2020年にはありえないほどの危険地帯になると見られる。しかし僧侶や遊牧民たちが暮らす途方もない広さの平原は、競争が激化する「水」資源にとってかけがえのない大地でもある。
「アジアの貯水タンク」にチベット高原はよく喩えられる。長江、黄河、メコン、サルウィン、ブラマプトラ、インダス、サトラジ、その他の数えきれないほどの河川はどれもチベットの山々の雪や氷河に端を発している。15億人以上がそれらの水に頼っているのである。その役割は増すばかりだ。パキスタンやインド、中国からカンボジアなど人口の大きな国々では水不足が深刻な脅威になりうる。チベットを政治的に支配する中国が、「貯水タンク」の管理人に君臨しており、水の流れを一方的に変えようと情熱を燃やしている。
二酸化炭素を大量に排出する石炭によって経済大国に上り詰めた中国は、その勢いを止めないために、水力の活用を野心的に進めようとしている。国家的な目標は現在発電量の1/3程度を水力でまかなっているのを、2020年には60%に引き上げることだ。そしてそのために最適な立地条件は、すべてチベット高原にある。
三峡ダム上流の長江には巨大ダム計画が目白押しだ。インドシナ半島の漁業、農業に欠かせないメコン上流と、インド東部とバングラデシュを潤すブラマプトラ川上流にも小規模ダムが作られている。ミャンマーの生命線であるサルウィン川にも中国は目を付けている。
中国が電力をまかなうためにダムを建設する影響は、河川下流の年間を通した水量の増減や水質、環境、はたまた「食の安全保障」やエネルギー戦略、政治的安定にも及ぶだろう。この50年間で最悪の渇水に見舞われたメコン流域の国々は今年初め、メコン上流域にダムを建設しようとしている中国を非難した。2015年に至って、伝統的に秘密主義の中国に対抗して下流の国々が自前でダムを持つようになれば緊張は高まるだろう。
インドはブラマプトラ川に中国が建設しようとしているとされる巨大発電ダムから目を離せないでいる。中国は一笑に付すが、その背景には中国全土で深刻化する水不足を補うために計画されている「南水北調」つまりブラマプトラ川の水を分水しようとする巨大プロジェクトが控えているからだ。中国のひとりあたりの飲料水は米国の1/5しかなく、北部の渇いた大地では特に水に不自由している。今後10年の間に、インドとのあいだで国境紛争が未解決になっているチベット南部のブラマプトラ川大屈曲部に世界最大級のダムを中国は作るだろう。老齢のダライ・ラマの没後、国際的なチベット支援の流れが衰えることで、地政学的なバランスも中国にとっては有利に働くと見られる。
一方、地域的な電力供給やモンスーン時期の治水のために安価で改良可能な小規模ダムを国際協力で作ろうという動きもある。中国は「協力的」だと見られたがっているのだ。これは一見正しい動きのようにも見えるが、あまりにも間接的で性急すぎないだろうか?チベット高原には不吉な気候変動の雲が覆い被さろうとしている。激しいモンスーンや氷河の縮退は、いかに私たちが地球温暖化に対するこれらの河川の影響を知らないか警告しているかのように見える。もし「貯水タンク」が空になることがわかれば、すべての人々が困ったことになるだろう。
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Medical Students' Protest 'Not Resolved'
Article from Radio Free Asia
この事件、単なるチベット人差別というだけでなく、チベット医学という民族文化への考え方のギャップ、チベット人以外から見たアファーマティブ・アクションに対する反感までも考えさせられたが、その後まったく情報がなく、どうなったのか気になっていた。
それを受けてのRFAのチベット語ニュース→英語訳がようやく。
チベット医学院関係者によれば、学院職員は卒業生に対してこのように話したという。「今年の卒業生については60人の採用枠を広げることはできなかった。彼らが譲歩したのは、西洋薬学履修者を対象とした試験の合格者は採用するということだけだった」。
「これは不公平だ。チベット人学生は伝統医学しか学んでおらず、そんな試験に合格するわけがない」。
学院職員は取材に対して、抗議した卒業生に関するコメントは控え、「状況は解決されないだろう」とだけ答えた。
チベット医学院には、ナチュやロカ、シガツェといったチベット西部、中央部から学生が来ている。
「中学校や高校を卒業し、チベット医学院に入学するまでに、彼らはチベット語を身につけています」。雲南省出身のチベット人学生は、他の学生においつくまで1年間チベット語を習う必要があるという。また大きな医療施設でもチベット伝統医学は2、3人の小さな診療科としてしか設置されていないという。
今年256人の卒業生のうち、60人しか採用されなかったのは、中国政府高官がチベットを視察した際、急いでチベット人医師を増やす必要性が認められ、昨年大量に採用した反動だ。
関係者は、9月2日のような抗議は難しいだろうと言う。「携帯メールで名前を出して抗議参加者を集めた卒業生たちは後日拘束されました。詳細を知るのは難しいのですが、彼らがいなくなってしまったことは確かです」。
「チベットでこうした行動を起こすのはきわどく、気兼ねした学生もいただろう。写真には遠慮がちな学生や、いやいや一団に加わる学生も写っていて、確かに抗議に加わるかどうかは個人の自由だ。大学生ならこれが違法かどうかわかってやっているのだろうが、チベットではそれがどのように見られるか‥‥」と3日の記事でウーセルは結んでいた。
彼女が書いているように、ラサでチベット人がやることは何であっても分裂主義的活動と見なされかねない。写真を見るかぎり、勇気のある卒業生たちは本当に控えめに抗議をしていたようだが、それすらも拘束の対象となるのは、やはり異常な社会だ。
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What Liu Xiaobo Did
劉暁波はなにをしたのか〜中国の獄中作家について考える夕べ
獄中の小さなネズミ 小霞に 一匹のネズミが鉄格子を這い 窓枠にのぼって走り回っている はがれた壁がそれを見ている 血を吸って腹一杯の蚊がそれを見ている ネズミも天上の月を惹きつけて 銀色の影はまるで飛んでいるかのよう その稀な美しさ 今夜のネズミは紳士的だ 何も食わず何も飲まず牙もとがない キラキラ光る目を見開いて 月光の下を散歩している 暁波 1999.5.26 (訳:水野衛子)
「劉暁波は詩人としてよりも、その思想の方が有名だ。しかし私は彼が本当は詩人なのだと言いたい。彼の詩の中には彼の弱さ、もろさを見ることもできる。しかし私はそれを『弱い人間の力』と見ている。詩の中では彼はただのひとりの自我に過ぎない」−−国際ペン東京大会の開催に合わせて来日した「独立中文ペンクラブ」のメンバーが、25日夜、東京・早稲田で『零八憲章』起草者で、昨年12月25日に有期徒刑11年の判決を受けた劉暁波をテーマに講演した。
もちろん当人は獄中で不在だが、かつて独立中文ペンクラブの会長を務めた劉暁波の経歴、作品、その影響から、詩人としての人となりまで劉暁波を知る人たちから直接話が聞ける貴重な機会になった。
英国に亡命した詩人の揚煉さんは、冒頭の言葉に続けて4編の詩を朗読した。「狱中的小耗子」「一封信就够了」「雨中的我」「夜晚和黎明」‥‥、いずれも妻の劉霞に向けて書かれたもので、揚煉は「おそらく彼にとって唯一の理解者だっただろう」と解説する。
「詩というのは先天的な思想の自由、言論の自由の発露である。専制政治が詩を禁止するとよく聞くが、そうではなく詩が専制政治をコントロールしているのだ。詩は政治によってコントロールされることを許さない。彼の詩の中で私たちは非常に純粋な、リアルな人柄を読み取ることができる」。
とは言え、多くの作家たちにとってまだ自由な著作活動が中国ではできない、と独立中文ペンクラブ会長の廖天琪さんは話す。
「中国の経済はこの20年間ですさまじい発展を遂げてきたが、政治の改革はなされていない。中国の人文精神、自由を求める精神は停止した状況で、中国の知識人はそれを憂いている。劉暁波は80年代初期に『中国政治与中国当代知識分子』(中国政治と現代中国の知識人)でこのことを指摘しており、中国の思想界では先駆者だ。その劉暁波が獄中にあるのは個人的な活動のためだけでなく、中国知識人の良心を、自由を求める独立した精神を代表しているためだ」。
「中国政府はいかなる組織にとっても敏感で、私たちは非常に高度な監視下に置かれている。会員の中には海外に出ることはおろか、旅行の自由もない人もいるし、外出や著作ができない人もいる。現在46名の作家と記者が獄中にいる。うち5,6人はペンクラブの会員だ」。
「いま世界はネットの時代になり、中国政府はそれにも圧力をかけている。多くの作家はネットに発表しているが、それが原因で投獄されたり、監視下に置かれる人もいる。メール、Webサイト、Skype、QQ、Facebook、Twitterなどすべてを政府は監視していて、ネット警察が疑わしい文章が見つけた場合にはそれを押さえるという手段をとっている。だから私たちは非常に苦しい状況に置かれているが、そうした状況に負けない勇気を持って活動していこうとしている」。
英国在住の作家、馬建さんは、劉暁波の著作が美学や哲学から、次第に社会評論に変化し、天安門事件をきっかけに完全に知識人としての責任を負う立場になったと指摘する。
「『中国政治与中国当代知識分子』が最も重要な著作ではないか。中国の知識人たちがどうすれば嘘偽りなく生き延びられているかということが書かれている。政府が思想界を統率しているという現実は非常に恐ろしいと彼は書いている。この問題は国を超越して存在する。チェコの亡命作家たちはチェコ国内に残った作家と常に連絡を取っていたが、中国の知識人たちは、相手が中国政府と敵対する立場だと知ると距離を置く傾向にある。だから中国の知識人たちはかんたんに御用学者になってしまう。こうした状況を彼は批判している。政府を批判するだけでなく、中国の知識人に対しても批判していたのだ」。
「『向良心说谎的民族』(良心に対して嘘をつく民族)の中で、劉暁波は天安門事件以後の中国社会のマヒ状態について書いている。いまの中国で天安門事件などを取り上げようとすると集団マヒ状態に陥る。つまり劉暁波が分析しているのは、経済がこんなに発展しているのにも関わらず、なぜ道徳観念の発展が停止しているのかということ。中国の道徳観念が一番傷ついたのが天安門事件だったと彼は書いているのではないだろうか。つまり天安門事件以後、嘘をつかなければ生きて行けない社会になったからだ」。
「残念なことに彼が獄中で書いている文章には私たちは接することはできない。彼のペンは剥奪されたが、彼の精神は損なわれていない。すべての作家は思うことを書くことと同時に、書くことの自由を求めるべき。権力者は思想を持つ人間を抹殺することができても、思想を抹殺することはできない。ぜひ今後も劉暁波に注目してほしい」。
独立中文ペンクラブは会員の約半数が中国国内で執筆している作家たちで、今回2人が出国許可が出ずに参加できなかったそうだが、運良く来られた広州の作家、野渡さんは中国国内の状況を話してくれた。
「昨夜中国で138人の作家などが『劉暁波にノーベル平和賞を』という声明を発表した。零八憲章は既に中国で1万人以上の署名が行われている。零八憲章を広めていく活動の中で『喝茶』(お茶を飲む)という表現が使われる。『喝茶』とは隠語で、署名をした人たちが公安に事情聴取されること。最初は少数の人たちが呼ばれていたので怖かったが、いまやたくさんの人たちが『喝茶』を体験していて、恐れなくなった。みんなネットで『自分もお茶に呼ばれた』と書き込むので、逆に『喝茶』に呼ばれないのが不名誉と思われるようになってきた」(会場は爆笑)。
「零八憲章以後、特に劉暁波が拘束されたことによって、そうした事件が関心を呼ぶようになった。昨年の判決は奇しくも建国60周年だったが、多くの人たちが「応援」(抗議とは言わない)を行った。特に2010年はこうした無言の支援活動が中国の市民の中で大きく広がっていると言える。中国の民権運動は劉暁波の逮捕以後、大きなうねりを生んでいる。だからこそ劉暁波にノーベル平和賞を受賞させてほしいのだ」。
劉暁波の著作を紹介した馬建さんは「書いた文章のせいで監獄に入れるということ自体が信じられない」と話していた。これが私たちのふつうの感覚だろう。劉暁波の刑期11年よりも、この信じ難い体制が崩れるほうが先になるよう、自由世界の私たちは働きかけていきたい。
胡錦濤主席と曹建明最高人民検察院検察長には、米国PEN American Centerのサイトからオンラインで請願が出せる。
講演会を主催したアムネスティ・インターナショナル日本は、劉暁波を始め、胡佳、師濤など、人権に反して拘束されている人々の釈放を呼びかけ、キャンペーンを行っている。
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Banned Tibetan Singer Disappears
Article from Radio Free Asia
24日のRFAより、チベットで起きている作家、芸術家、著名人の拘束に続く展開が報じられている。若いチベット人の歌手が「次に捕まるのは自分」と覚悟を決めても不思議ではない状況。
ダライ・ラマを讃える曲のCDをリリースしたチベットの人気歌手が、公安の捜索をかわして行方をくらましている。
あるチベット人男性はラサで「中国当局はパサンを探していますが、いまのところまだ彼は捕まっていません。彼の両親は心配しています」と話した。パサンの父親はダワ・ツェリン、母親はドルカという名前だという。
「政治的に微妙なテーマを歌ってCDに収録したことを、当局は捜査しています。CDが発売された2日後、当局は彼のすべてのCDを店頭から回収することを命令しました」。
ラサ近郊トゥールン・デチェン(堆龙德庆)県のネチュン出身で21歳と見られるパサンは、チベット東部のカムやアムドのチベット人たちの「チベットの旋律」の影響を受け、亡命中の精神的指導者、ダライ・ラマを讃えていたと彼は話した。
1959年に中国支配に抵抗して起きた蜂起の際、チベットから亡命したダライ・ラマは、中国首脳から繰り返し「チベット独立を目論む分裂主義者」と名指しされている。あくまで中国国内のチベット人による「実質的な自治」をただ求めているだけだと話しているにも関わらず。
発禁となったCDに収録されている「平和へのかぎりない希望」は、ダライ・ラマをケルサン・メト(幸福の花)に譬えて、その長寿を祈っているのだという。中級学校の時から、彼は歌うのが巧く、発禁になったのは彼の最初のCDだったという。「中国政府はCDを禁止しましたが、チベット人はいまだにそれを入手しようとしています」とラサの男性は話した。
トゥールン・デチェン県の中国人職員はインタビューに対して、「誰がそんなことを言ったのか。何も事件は起きていない。そんな噂を流さないでほしい」とコメントした。
今年3月青海省当局は、チベットの中国支配に抗議する曲の入ったCDを収録し、頒布した容疑で逮捕された30歳の歌手、タシ・トンドゥップに15ヵ月の「労働再教育」の判決を出した。
彼はモンゴル人で、チベットの独立とダライ・ラマを支援する歌を唄ったことが「法に触れた」ために、ユルガン(河南モンゴル自治県)で労働再教育が言い渡されたという。
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1959年に中国支配に抵抗して起きた蜂起の際、チベットから亡命したダライ・ラマは、中国首脳から繰り返し「チベット独立を目論む分裂主義者」と名指しされている。あくまで中国国内のチベット人による「実質的な自治」をただ求めているだけだと話しているにも関わらず。