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What's happen in Lhasa yesterday

by Days posted at 2008-03-15 16:00 last modified 2008-05-13 18:58

正直、ここまでチベット人が本気だとは思わなかった。各都市での支援の動きに呼応するかのように、デプン寺やセラ寺を始めとする僧院の僧侶たちがデモを始め、それに対する中国政府の制止(または弾圧)を引き金として、怒った市民が抗議行動を展開している。多くは公安や軍に鎮圧されているようだが、まだ散発的に衝突が続いているようだ。
きょう中国政府は外国メディアに対して、この騒動が「ダライ・ラマ一派の陰謀によるもの」と発表したが、いかに法王とは言え、崇高な僧院の僧侶たちがその煽動に無思慮に乗って動くとはとても思えない。ましてや法王がこんな勝ち目のない騒動を煽るようなことをするだろうか?
僧侶たちは間違いなく、北京オリンピックに照準を合わせて、捨て身の覚悟で訴えているのだ。中国政府がこの揺さぶりをどのように受け止めるかによって、オリンピックの成否が変わって来るかも知れない。だから、私たちはこの動きを注視すべきだ。1980年代後半の戒厳令の頃から比べると、ラサにはデパートが建ち、ファーストフード店が開業し、携帯電話が普及している。空港への高速道路や鉄道も開通し、中国の他の都市と変わらなくなってきている。事態はそこで起きているのだ。
日本での報道は、死者10人とか、80人という目撃者もいるだとか、AFP電の写真を使って伝えるばかりだが、事態とその背景は数字で語れるようなものではない(どうせ中国政府が発表する人数には、チベット人の数は含まれていないのだ)。BBC NEWSは14日に起きたラサでのデモ隊と治安部隊との衝突について、目撃者の談話を拾っている。

The Economist誌特派員James Milesによると−−

こちらはまだ夕方です。チベット人が多く住むラサの旧市街は、日中から続いた騒動がほぼ収集されているようです。とは言え、まだ中国人経営の店舗やレストランなどへの襲撃が散発的に続いています。店の中の物が通りに投げ出され、ごみと一緒に燃やされています。
最大の疑問は、この後どうなるのか?ということです。治安部隊は変わらず市街に展開したままで、いつ撤収が始まるかはわかりません。
政治的な問題ではありますが、オリンピックを控えて流血の事態を避けたいがために、北京政府は優柔不断に陥っているのではないでしょうか。

目撃者によると−−

市街は炎に包まれていた。かなりの数の軍隊が町に展開しているのを見た。
まったく突然こんなことになってしまった。中国人経営の店はみんなチベット人に焼き討ちされている。
通りには戦車が走っている。催涙弾。担架に乗せられて運ばれて行く人たち。普通のチベット人たちがおかしくなっている。

水曜日の暴動を目撃した人の証言−−

警官がいました。制服の警官を寺院の中で見たことはいままでなかったのですが、少なくとも2つの寺の中で、無線交信しているのを見ました。
僧侶が人々に突然駆け寄ろうとしたところへ警官が現れ、そこから追い払うように殴ったり蹴ったりしました。それで僧侶たちは寺に逃げ帰りました。

旅行者のジョンは−−

きのうまでラサにいました。6日間ラサにいたのですが、そのあいだに有名な問答を見るためにセラ寺を訪れました。
着いたのが問答を行う寺の広場から僧侶たちが逃げていくところでした。僧堂は公安によって封鎖されていましたが、私たちは僧侶が公安要員に殴られたり蹴られたりしているところを目撃しました。僧侶たちは、回廊に座らされ、公安要員がその両側を囲んでいました。
私たちの一行はセラ寺から閉め出され、ラサ市街に戻りましたが、その車窓からも迷彩服姿の人民解放軍を載せたトラックを間近に見ることができました。道路はすべて封鎖されていました。

カナダから訪れた人によると−−

先週チベットにいたときに、セラ寺で暴行を受ける僧侶を目撃した。私たちの一行は僧坊へ行くことができず、そこへは観光客が行けなくなっていると言われた。
中国人ガイドからは一切撮影禁止と言われ、バスの車窓から僧坊を見ているあいだにも、公安が私たちを厳しく監視しているようだった。
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Voices from Tibet

by Days posted at 2008-03-17 23:50 last modified 2008-05-13 18:59
Radio Free Asia - Tibetan

中国政府に抗議する声は、ラサから青海省や四川省に広がっている。青海も四川も、歴史的にはチベットのアムドやカムと呼ばれてきた地域だ。
何がチベットで起きているのか。米国の宣伝放送Radio Free Asia "What witnesses are saying"から、少しずつ日本語訳。

8人の遺体がキルティ・ゴンパから運ばれてきた。(四川省阿覇にて)
キルティ・ゴンパの近くでデモを行っていたチベット人のうち、4人が射殺された。その直後、別の3人が銃弾に倒れた。いずれも少し離れたところから撃たれた。
撃たれる前、デモ隊は2ヵ所の警備隊詰所を襲撃していた。およそ5000〜6000人はいたようだ。
あとから殺された3人の名前は、ツェジンとノルブ、ロプサン・タシだ。(四川省阿覇のデモ参加者)
カンゼ県の道孚(タウ)では3月15日に抗議行動があった。突然10台のトラックに乗った公安がやってきて、カム・セルシュ寺(Kham Sershul monastery)は包囲されてしまった。彼らは通りを警備して、通行人の身元確認をしていた。非常に緊張していた。(四川省カンゼ県)
ラサの尼僧院の救護所で5人のチベット人が亡くなった。ツァングン尼僧院です。チベット人の2人は負傷していて、足が折れていると言っていた。少年の遺体が引き取られないまま放置されていた。他にも数人の遺体が運び込まれ、親類や知人ではないかと確認する人も多く訪れていた。(ラサ、アニ・ツァングンの関係者)
もう2日も家に帰っていない。部隊がいたるところにいて、出るに出られないんだ。外で何が起きているのか、さっぱりわからない。(ラサのチベット住民)
中国当局は民家を捜索してチベット人の逮捕を始めた。ダライ・ラマの写真を所持していたり、暴動に加わった者を捜索するとチベット人に対して当局から警告があった。逮捕や捜索を妨害したり、逮捕の際に集まってはいけないとも言われた。
自治区政府は中国の他の地域に勤務するチベット人公務員に対し、3日以内にラサへ報告書を提出するように求めた。報告書がない場合は、悪い「結果」をもたらすという。(ラサにて)
西北民族学院(蘭州)のチベット語学科の学生たちは、大学構内で平和的なデモを行った。1000人以上の学生が参加したが、学外から参加しようとした人々は合流を阻止された。抗議行動は平和的なもので、中国政府はラサなどで起きているチベット人への弾圧を中止せよと彼らは叫び、ラサやラプラン寺などでの抗議行動への連帯が示された。「民主主義の栄光と生命のため、われわれはチベット人と立ち上がる」との横断幕が彼らは掲げていた。(アムドにて)
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コメントスパム

Posted by days at 2008-04-09 01:57

けさから3/9とこの記事にだけ、コメントスパムが多数。とりあえず削除したけど、きっとまた付くんだろうな。しかもアクセス元を隠蔽して、いろんな国のIPアドレスから来ていたので、そこまでやるかと:)わらった。

Today is better, so I can go out

"What witnesses are saying" by Radio Free Asia

by Days posted at 2008-03-18 23:25 last modified 2008-05-13 19:00

きょうも引き続き、Radio Free Asia "What witnesses are saying"から。

きょうは少しは平穏になったので、外出できた。大勢の市民が食料を買いに町に出ていた。しかし通りには武警が警備していて、通行人の身分証明をチェックしていた。公安も多かった。市政府は外国人に対してラサから退去することを求めなかったが、もし脱出したければ外事課が手伝うと言っていた。(ラサにて、香港人OL)
北京の民族中央大学にはおよそ2000人のチベット語学科の学生たちがいるが、うち40名がチベットでの死傷者を悼んで静かな抗議を行った。公安が学内に入り、彼らを教室に軟禁している。(北京にて、チベット人の抗議参加者)
ラサの人民病院も被害を受けた。地元のチベット人たちは、負傷したチベット人が治療を受けられないように中国人が破壊したのだと疑っている。他の病院に行ったチベット人たちはみんな追い返されている。(名乗らなかったチベット人)
地元の寺院は武警によって破壊され、負傷者も出ている。(四川省阿覇のチベット住民)
暴動は町中と郊外とで突発的に起き、大勢の公安が通りに展開している。が、特に身の危険を感じることはない。(四川省阿覇の中国人住民)
旅行者は阿覇県から出て行くようになっている。外国人ツアー客が3組着いたが、すぐに出て行くように言われていた。(四川省阿覇の中国人ホテル従業員)
土曜日の午後、400〜500人の僧侶が通りに出てきた。彼らは店や家のガラスを割り、30分もしないうちに立ち去った。2000人もの兵士がその区域を警備していた。(甘粛・四川の省境に近い寺院のそばに住む中国人)
ほとんどの抗議行動は小規模だったが、まだ続いている。1000人ほどの武警がマチュやリチュといった各県に駐屯している。(3/14に始まった抗議行動の様子を語った中国人)
チベットでの暴動が原因で、地元の当局はここでも抗議行動が起きるのではないかと警戒している。200人ほどの武警がこの県にも駐屯している。(青海省トンレン県の中国人住民)
外国人の入域は禁止されている。(青海省トンレン県のホテル従業員)
甘粛省夏河では泊まるところが見つからなかった。それで夏河から出て行かざるを得なかった。再び夏河に入ろうとしたが、だめだった。チェックポイントで身分証明が入念にチェックされた。夏河に通じる唯一の道路に検問があった。すべての車両が停められ、乗客の身分証明とナンバープレートが控えられた。記者も潜入することはできなかった。甘粛省から出るときも、入る時と同じように慎重に調べられた。(英国人記者)
彼ら(公安)は、暴動が写っている写真をすべて消去した。証拠を持って行かせないようにするためだ。(甘粛省のツアーガイド)
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Virtual Terror in Lhasa

"What witnesses are saying" by Radio Free Asia

by Days posted at 2008-03-20 03:35 last modified 2008-05-13 19:01

引き続きRadio Free Asia "What witnesses are saying"から。忙しいので、とりわけ注意すべきものだけ。

阿覇の抗議行動での死者は18人になった。キルティ・ゴンパだけで15人が葬られた。郊外で3人の遺体が確認された。
けが人はあえて中国の病院へ行かず、自宅で手当を受けているようだ。(チベット人の情報源から)
ラサでは武警に護られた公安がチベット人の民家を捜索している。公安は居住許可証をチェックしていて、許可を持たない者を問答無用で拘引している。許可を得ていたとしても、何か疑いがあれば同じように連れて行かれてしまう。
例えば、3月15日午後10時すぎから始まった捜索では、カムのTsawa Pasho出身の家族が狙われた。彼の父、Kalsang Gyaltsenには、LochoeとJampaのふたりの息子と、もうひとり娘がいた。娘以外の3人は居住許可を申請中だったが、保留になっていた。公安は父親と息子2人を連行した。娘は何もなす術がなかった。公安は家宅捜索で10000元を見つけた。それは家族が小さな販売業で稼いだ金だったが、公安はそれも没収し、娘はたったひとり、しかも一文無しで家に残され、いまも家族がどこに勾留されているのかわからないままだ。
同じ一角に四川省カムのDegeから来た家族がいて、彼らも同じように逮捕されてしまった。家族6人とも抗議行動には参加しておらず、潔白だと主張している。基本的に中国政府は男女問わず若いチベット人を拘引しているようだ。彼らがどこに連行されたのか誰も知らず、家族の消息を探すこともできない。彼らが殺されても、捕まっても、殴られてもわからず、そもそも生きているのか亡くなっているのかも知る方法がないのだ。ラサは恐怖政治のただ中にある。(ラサの親族に電話したカナダ在住のJampelより)
3月18日の14時5分すぎ、四川省のKarzeで抗議行動が始まった。Pema Dechen と Ngogaの2人が先導し、僧侶と民衆が参加して、「ダライ・ラマに長寿を」「チベットに自由を」と叫びながら、ビラを配った。
数百名の武警が配置され、すぐに抗議行動を中止させた。Pema Dechen, Gonpo, Tseten Phuntsog, Lobsang, Zangpo, Palden, Gonpoなど10名が逮捕された。デモを先導していたNgogaは、撃たれて殺された。他の9人も連れて行かれて、おそらく拷問を受けたのではないか。
Karzeは中国人の公安と武警であふれていて、チベット人は町から出て行くことも、市街に入ることも禁じられている。(四川省Karzeより)
200人以上の僧侶たちがDargye僧院から抗議を始めた。すぐに中国人スパイが当局に通報したので、Karzeの市街へ向かって行進する途中で、公安によって停められた。僧侶たちは抵抗し、ひとりが銃撃されて殺された。(四川省Karzeより)
以前、射殺された男のことを伝えた者です。きのう彼の家族は、遺体を葬祭場に運ぶ予定でした。しかし公安が来て、遺体を持って行ってしまいました。検屍などの調査のために、すべての遺体を集めていると公安は家族に言いました。それらは検屍後に一緒に火葬され、家族は火葬の後に葬祭場に来ることができるのだそうです。遺体は強制的に持ち去られ、遺族はそれをどうすることもできないのです。(ラサより)
3月18日、リタンでは300人以上のチベット人が抗議を行った。デモの途中、Appa Bumoという若い女性がダライ・ラマの写真とカタ(礼節を表すスカーフのようなもの)を持っていたが、それで彼女は公安に逮捕されてしまった。
リタンでは軍隊の数が急に増えており、規制も厳しくなっている。報道管制が敷かれており、学校やオフィス、店舗はみな開けることができない。(リタンより)

「武力を用いていない」というのなら、こんな話はでてきようがない。まず心配なのは、きょう中国政府が発表した24人の逮捕者だけでなく、その他に拘引され、どこかに勾留されている無数の若者たちの安否だ。責任ある国際社会の一員として、私たちは中国政府の動きを監視し、不当に逮捕されているチベット人たちの解放を求めねばならないと思う。

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Long Live the Dalai Lama!

"What witnesses are saying" by Radio Free Asia

by Days posted at 2008-03-22 23:20 last modified 2008-05-13 19:01
雪山獅子旗

引き続きRadio Free Asia "What witnesses are saying"から。
RFAの記事は、他メディアのと合わせてちべ者さんもまとめています。こちらも要チェック。

私たちはいま、Tsolho地域で抗議行動をしています。要求は、チベット問題の平和的解決について、ダライ・ラマ法王と中国指導部とが対話を行うことです。法王のチベット訪問も望んでいます。私たちの活動は平和的で、Tsolho(中国語名でHainan)県にあるSerlho寺の10〜15人の僧侶と一緒です。
ちょうど私たちはShangへデモを続けており、Shangでは県政府へ向かうつもりです。遊牧民を中心に数百名のチベット人が加わっています。もうSerlho寺を出て4、5マイル歩いていますが、公安がShangや県政府へ行かせないようにするのではないかと恐れています。
私たちの行進は、ラサやその他のチベットの地域で始まった平和的な抗議行動に連帯を示すものです。いま向こうから公安が来るのが見えます。ありがとう。そして、私たちがこうして行進していることを、ぜひ世界中にお伝えください。(抗議中の僧侶、デモ中から携帯電話より)

英語表記になっている地名は、あとでわかるかぎり(時間の限り)直しておきますが、お急ぎの方は「旅行人ノート チベット」を参照してください。座右に1冊あって、損ない情報源です。

3月18日、私たちAmdo Golog(中国語名でGuoluo)にあるPalyul Darthang寺の僧侶は、地元の政府へ向かってデモを行っていました。民衆も加わって、300名ほどでした。武警はおらず、40名ほどの地元の公安が見守るだけでした。
政府庁舎に着くと、私たちは中国旗を引きずり降ろし、チベット旗を掲げました。公安は少し離れてこちらを眺め、写真を撮るだけで、関わろうとしませんでした。それから学校や病院にも行き、中国旗をチベット旗と取り替えました。その後、拘置所に押し掛け、政治犯の釈放を要求しました。私たちはこれらを完全に平和的に、誰も傷つけず、破壊せずに行ったのです。
午後遅くになって、4台のトラックに分乗した武警が到着しました。彼らは5、6人か、もしかするともっと多くのチベット人を拘束しました。いまは残った僧侶たちも僧院にだけいるわけではなく、山に隠れたものも多いため数が分かりません。主導した僧侶が「主犯」として手配されています。中国は、自発的に投降した者は別として、その他の者は「深刻な事態」を招くだろうと警告しています。現在、僧院は武警に包囲されている状況です。私たちがどんな行動を起こしたか、いまどんな状況かを、ぜひ伝えてください。(Palyul Darthangの僧侶)
3月20日にSerthar(中国名Seda)郡のKikuに武警が配置された。1000人ぐらいはいるだろうか。彼らは手始めに17日の抗議行動で庁舎に掲げられたチベット旗を降ろそうとし、平和的に抵抗したチベット人に対して発砲した。Tseshul 村のKyari とTsedo、2人が殺された。Yeshe Dorje とTabkeを含む8人が重傷を負い、Serthar郡病院に運ばれた。
郡内ではSerthar Sera 寺の僧侶に率いられた1000人のチベット人が、2人のチベット人が命を落とした地点へ向かって50キロのデモを行った。彼らはチベット旗とダライ・ラマの写真を掲げ、「ダライ・ラマの長寿を!」「チベットに人権を!」「チベットに独立を!」と叫んだ。彼らは同時にチベット独立を求めるチラシも配布した。武警は「深刻な事態」を招くと脅したが、彼らはデモを続けた。しかし、それ以上の銃撃は起こらなかった。(Sertharより)

公安や武警の対応はどこでも同じというわけではないようだ。通信手段が少ないためか、それとも官僚的な組織に原因があるのか、上層部の指示が行き渡っているようには思えない。現段階では抗議行動に対する当局の対応に地域的な濃淡があるようだ。

ラサの兄の家に滞在しているが、外出ができない。武警がすべてをシャットアウトしているためだ。
居住許可証を持っていればまだしも、持っていなければ外を歩くことすらできない。15日、16日は、外を歩くチベット人すべてが拘引された。いまもまだ武警が私たちを閉じ込めている。
武警が撮った写真を元に、公安が民家を訪ね歩き、写真に写っているチベット人を知らないか、どこに行ったかと聞いて回っている。ついさっきも僧侶がひとり捕まったと聞いた。
RFAとVOAには妨害電波が流されており、ラサでは聞くことができない。(アメリカ国籍のチベット人)
きょう現在、公安が阿覇地域のチベット人民家をひとつずつ捜索している。ダライ・ラマの写真や関係する物品を所持していないかどうか探しているのだ。所持していた者は、すぐに拘引される。一度捕まれば、オリンピック開催まで勾留され、オリンピックが終わってから裁判が始まるのだとチベット人たちは噂している。(阿覇より)

チベット人が語る「裁判」とは、多数派が少数派を裁く、およそ公平とはほど遠いもののことである。中国の裁判は二審制であり、地方では一審のその日のうちに控訴審の判決が出ることもある。チベット人の抗議活動は「国家分裂を意図する活動」として死刑判決が出せる罪状が適用されることがほとんどだ。死刑は判決から数日で執行される。欧米諸国が非難する「人権状況」はそこに由来する。そして、オリンピックが終わってしまえば、欧米諸国もその劣悪な人権状況に目を向けなくなることをチベット人も恐れているのだ。

たくさんの人々が拘束された。私は家にいて、友人たちと連絡が取れない。携帯電話は電波が入らなくなっている。私に電話をかけてきた人がいたら、電源を切っているのではないかと思うだろう。だが、実際には私は一度も電源を切っていないのだ。(ラサ在住のチベット人)
ラサでは、身分証明を持っていないチベット人はみんな拘引された。抗議行動に参加したかしていないか関係なしに。周辺の遊牧民は身分証明なんか持っていない。ラサの刑務所は定員一杯だ。(亡命政府スポークスマン)
ラサではたくさんのチベット人が拘束されている。けさも私はTaring市場近くで3人のチベット人が拘束されるのを見た。彼らは激しく殴られ、目隠しをされて連行された。
中国本土とKongpo地域から、さらに多くの部隊がやってくると噂されている。町に出ているチベット人はみんな監視下に置かれている。特に男性と若者は目をつけられているが、婦人はそれほどでもない。ハンドバッグの中を調べられることはあるが、全身をチェックされることはない。どこの所属かわからないようにナンバープレートが隠された武警の車両がラサの街路を埋め尽くしている。(ラサより)
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Protest March in Tokyo

by Days posted at 2008-03-23 01:45 last modified 2008-05-13 19:18
2008-03-22三河台公園

22日午後、六本木でのデモは予想を上回る参加者数になった。まだラサの僧侶たちがデモを始める前--3月8日の新宿でのピースマーチの数倍の規模だ。
都合によりリヒトと一緒だったので、最初は彼が遊ぶのを見守りながら高見から群衆を眺めていたのだが、そこから見て何人ぐらいかと大車輪の幹事役に聞かれ、400人ぐらいかなと答えたのが甘かった。事務局はサバを読んで「500人」と報道関係者に伝えたのだが、警察発表はなんと900人だった。
在日チベット人たちを先頭に、三河台公園からの行進が始まると、あんな小さな公園にこんなにいたのかと思うぐらいの長蛇の列が六本木通りを横切り、渋滞を巻き起こし、遠くからクラクションが。あー、ごめんなさい。
そんな多くの参加者になったにも関わらず、極端に騒いだり、暴力沙汰になったりということがなかったのは幸いだった。在日チベット人たちの真剣さゆえかもしれない。
さらに言えば、ふだんはこうした表立った行動に出ない著名な研究者や登山家の姿があったのにも驚いた。とにかくひとりでも多く参加し、隣国の首都からも厳しく見張っているぞと示すことに意義があったのだ。少なくとも1800の眼で、本当に心配しているその数倍もの目と耳で。

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Western Reporters Back from Lhasa

by Days posted at 2008-03-28 01:28 last modified 2008-05-13 19:20

3月14日、ラサにはThe EconomistのJames Miles記者が滞在していて、西側メディアへリポートを続けていたが、19日にはチベットを離れてしまった。それ以来ややラサの状況がわかりにくくなっていたのだが、中国政府に選ばれた数人の報道陣がラサを訪れ、久々に状況を知ることができた。
日本からは共同通信が参加したので、日本の新聞、テレビは共同電しか報じないのではないかと思う。少しはバランスを取るために(中国政府に選ばれたメディア、って時点で無理があるけど)、各メディアのリポートをまとめたBBCの記事(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7316205.stm)を訳してみた。


USA Today北京支局長
CALLUM MACLEOD
(BBCラジオのインタビューに答えて)

一行がジョカンを出発しようとした時、意外なことが起きた。
30人ほどの若い僧侶が一行を取り囲み、「彼らはあなたたちを陥れようとしている。彼らは嘘つきだ、信じてはいけない」と叫び始めた。それで数人の報道陣は、ジョカンがまさに象徴的な場所だと知った。
戒厳令とは言わないまでも、相当な厳戒態勢が敷かれている。
チベット人が多く住む旧市街には、警棒と盾を持った武装警官が大勢いた。
一行から離れ、騒動を主導したとされる僧侶たちの寺院を訪れようとしたが、無理だった。僧侶たちはまだ拘束されていると思われる。

AP通信 北京支局長
CHARLES HAZLER
(BBCラジオのインタビューに答えて)

町は本当に分断されているようだった。近年建設された中国風のラサの一部は、まったくいつも通りに見える。
が、昔からのチベット人地区を歩くと、放火された建物の跡が目についた。確かに町は破壊されている。
水曜日の夜には旧市街の外出禁止令もやや緩くなり、チベット人も少しは町に出るようになった。
が、さすがに22時には通りには人気がなくなり、特にラサの旧市街ではヘルメットと盾を持った12人チームの警官のパトロールに出くわすことが多かった。

中国日報
WU JIAO
(中国日報インターネット版より)

ゴンガ空港から65キロのバスの旅。ラサは平穏だった。ラサ川(キチュ河?)は高速道路に沿って静かに流れており、野ガモが水浴していた。
一方で、世界の尾根に踏み入った私は、2週間ほど前に19人が亡くなった痕跡を生々しく感じないわけにはいかなかった。
焼け落ちた商店や建物は、悪夢を悼む静寂に包まれていた。
が、ラサの人々は通常の生活を取り戻している。ビジネスは活発だし、郊外では農夫が忙しく働いている。

フィナンシャルタイムズ
GEOFF DYER
(同誌Webサイトより)

暴動はチベット人居住区として知られる町の東側で起きた。近年、移民してきた漢人がたくさんの商店を開いているところだ。
中国国内のテレビは、そういった商店への放火で亡くなった漢人のことを繰り返し報道している。
襲われずに残った建物は、白い布がつけられている。これは建物がチベット人のもので、襲われないようにする目印だ。

ある通信社記者
(BBC Webサイトへの寄稿)

ジョカンにいたとき、若い僧侶たちの一団、だいたい30人が出てきた。
3月14日に起きたことは、ダライ・ラマとは無関係で、自分たちは自由を求めているのだと彼らは15-20分にわたって言っていた。
私は特に尾行もつかず、比較的自由に歩き回れた。
印象に残ったのは、破壊された商店街だった。そして水曜日には、その商店街に多数の武装警官が配置されており、神経を尖らさねばならなかった。


AP通信 CHARLES HAZLER記者の詳しいレポートは、APのWebサイトで読める。
時間があればこれも訳したいのだけれど。
http://ap.google.com/article/ALeqM5h5Z6bJwtN_roGSIUQiQnfbf2NkhgD8VLBR1G0

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The Monks Would Not Respond with Violence

by Days posted at 2008-03-30 07:05 last modified 2008-05-13 19:22

25日からのラサ行きプレスツアーは、北京政府によって選ばれたメディアだけが参加できた。AP、USAトゥデー、ウォールストリート・ジャーナル、FT、共同通信、韓国KBS、香港TVB、フェニックステレビ、アルジャジーラなどといった顔ぶれ。CNN、BBC、AFN、ワシントンポストなどは、14日以来ラサで撮影された映像の扱いなどが「偏向報道」と政府に批判され、参加が許可されなかった。RFAより、そのあたりの証言。

プレスがラサを訪問できると伝えられた直後から、我々は外務省と内務情報処からその情報を得ようと躍起になっていた。定員には限りがあるため、数人だけが参加できると言われた。メジャーなテレビ局はひとつも選ばれなかった。例外はAP通信のテレビクルーとアルジャジーラで、APはリポート抜きの素材として取材するからだと思う。アルジャジーラも英語版は選ばれなかった。
この選択には、政治的な判断が働いているのではないかと思う。きょうも抗議活動があった(彼らが訪問しているにも関わらずだ)。このようなプレスツアーが再度行われる可能性は低いだろう。(27日、西側テレビ局の北京事務所職員)

北京政府がアルジャジーラを好意的に扱う理由は、中国中央電視台が「(この一連の中国の対応について)国際的に多くの国々から支持を受けている」として伝えた国の名前を羅列するとよくわかる。ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、グルジア、パキスタン、北朝鮮、モンゴル、ネパール、ベトナム、フィジー、シリア、セルビア、ザンビア、ブルネイ、バングラディシュ、シエラレオネ、レソト、モーリタニア、コートジボワール、コンゴ‥‥。
中国は西側ではイスラム国家と国境を接し、それらの国々の民族意識が国内に飛び火することを恐れている。それらアルジャジーラがよく見られている国を除けば、いずれも多かれ少なかれ国内に民族紛争を抱えていて、武力でそれを抑えつけようとしている国ばかりだ。どちらが偏向しているというのか、まったくフェアではない。

その偏ったプレスによるツアーも、ジョカンで僧侶たちの決死のアピールに迎えられた。ラサだけでなく、アムドでもまだ抗議行動が続いている。いずれも驚くべきは、報道陣や外交官がいつ来るのか僧侶たちが知っていたこと(おそらく中国政府は極秘にしたかっただろう)、ラサで何か起きているのか数百キロ離れたアムドの僧侶たちも知っていて同時多発的に行動が起きていることだ。

25日、カンゼ自治県のTrehor Draggo寺(トンコー・ゴンパ?)では、僧侶たちが決起を企んでいたが、誰が先導するかが決まらなかった。カンゼ県で中国政府の鎮圧によって死亡した僧侶の死を悼む特別な祈祷が行われ、ようやく決起することが決まった。
300人ほどの僧侶たちが僧衣に身を包み、ダライ・ラマの肖像を掲げ、寺から近いDraggo郡の中心部へ向かって、平和的に行進を始めた。主にチベット人から成る警官の一団が、僧侶たちに行進の停止と寺への退却を命じたが、僧侶たちは異議を唱え、中国政府のために働いて恥ずかしくないのかと逆にたしなめた。チベット人警官たちは武器を持った中国人警官を抑え、銃を下げさせた。
チベット人警官は僧侶たちに根負けし、郡の中心部へ向かうことを許した。僧侶たちはダライ・ラマの長寿と、チベットへの帰国、パンチェン・ラマの解放、チベットでの宗教的自由と人権を求めるスローガンを叫んだ。町に着くと、他のチベット人もそれに合流した。武警が到着し、追い払おうとしたが、僧侶たちは互いに肩を組んで抵抗した。
僧侶たちは寺に戻ってからも抵抗を続けた。武警が発砲したこともあったが、僧侶たちは非暴力を唱えて、地面に伏せて逃れた。寺に戻る途中で政府の車輛によって何人かが負傷したにも関わらず、だ。現在、寺院は武警によって包囲されており、僧侶全員の退去が求められている。(26日、インドの情報筋より)
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