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ときどき旅

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土地の風土と、その力を得て生きている植物の影響力

by Days posted at 2006-05-22 02:46 last modified 2006-05-22 02:46

水元公園には、メタセコイアの木々がすっくと立つ林があり、雨上がりの新鮮な空気を
吸い込んだ木々の濃密な呼吸に、思わずうっとりとしてしまった。

写真は、バードサンクチュアリの入口に立つ、都区内では珍しい標識。

WILDLIFE PROTECTION AREA

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垂直懸垂

by Days posted at 2006-05-23 02:25 last modified 2006-05-23 02:27
垂直懸垂

高校の頃、壁にクライミングロープを張って、垂直下降をやってた。
先生に見つかると面倒なので、職員室から見えない壁で。でもみんなの注目の的だった。
ボルダリングはやってるけど、クライミングロープはあれから使ってないなあ。

ネガをぱらぱらめくっていたら、こんな写真が出てきて、思わずスキャンしてしまった。
写っているのはたぶん後輩。

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利根町布川

by Days posted at 2006-06-11 01:39 last modified 2006-06-18 00:11
利根町役場前

北千住でTXに乗り換えるはずだったのだが、乗った常磐線が成田直通だったので、そのまま我孫子より先に行ってみる。そういえば、手賀沼の南を走るこの路線には乗ったことがないのだ。
電車は常磐線と同じ通勤車両なのに、我孫子を過ぎるととたんに単線になり、途中駅で行き違い。なんか違和感。
車窓の左手に池のある公園と、遊ぶ親子連れが見え、次の駅の布佐で降りる。ドアが背中で閉まって、ホームの時刻表を見て、ちょっと後悔する。日中は、30分に1本しかない。
駅を出て、近くのコンビニで地図を確認すると、近くの栄橋を渡ると利根川の対岸は茨城県らしい。次の電車に乗るのではなく、行ってみることにした。

数時間に1本のバスは行ったばかり。空は雨が降りそう。
県境の橋は、国境を思わせるほどものものしいところではなく、自動車が多く行き交っている。利根川も思ったより川幅が狭い。行き先の宛てがあるわけではなかったので、橋から見える大きな建物に行ってみると、利根町役場だった。
橋の千葉側は平地だが、茨城側はちょっとした丘になっている。階段は徳満寺の参道。上がっても展望は得られず、参拝だけしてくる。
来見寺、布川神社、布川小学校と別に目指したわけではないが、その前を通る。詳しくは知らないが、「柳田國男第二の故郷」という看板があちこちにあり、それを記念した公園もあるらしい。

あまり人気のない土曜日の午後の集落を歩いているうちに、千葉県側に戻るのが面倒になった。県道に出ると、「↑竜ヶ崎」の標識があり、さっき地図を見たところでは4、5キロの感じだったので、そのままてくてく歩くことにする。しかし、間もなく「竜ヶ崎7キロ」の標識に遭遇。嘘だろ、と思いつつ、とにかく歩く。
途中、農協の直売所で激安の値札につられ、トマトとにんじん、たまねぎ、馬鈴薯を買い込んでしまった。馬鈴薯の重さにはさすがに悩んだのだけれど。
それにしても布佐駅から竜ヶ崎駅まで一本道なのに、バス路線のひとつもないというのが信じられない。そこまで自家用車に頼る生活をしているのか、高校生や老人はどうしているのか、疑問はつきない。
1時間かけて、利根町のはずれにできたばかりらしい大きなスーパーの前を過ぎ、竜ヶ崎市にようやく入った。町境のちょっとした峠から竜ヶ崎方面を眺めたときには、だだっぴろい田園を県道がまっすぐに走っているばかりで、すぐそこに町の中心部があるとはとても思えず途方に暮れる。
モスバーガーで休憩。店員さんに聞くと、ここからさらに20分以上、「意外とありますよ」と返答された。結局30分かかって竜ヶ崎駅に着いた。列車はちょうど出発したばかりで、次は40分後。すっかり夕方になってしまった。こんなところまで来てしまうとは。

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洲崎灯台

by Days posted at 2006-06-18 00:10 last modified 2006-06-18 00:20
館山自転車道

自転車2台をSTEPWGNに積み込んで、隙間にダッフルバッグを押し込んで、Let'sGO ! と言っても、いつものことだが10時は回っている。
湯島のいつものセルフスタンドで、最低限都内を脱出するだけのガソリンを給油し、神田橋のスタバから首都高を見上げると、渋滞。そうか、土曜日だった。呉服橋入口まで回って、料金所をくぐる。ETC対応のゲートは清掃中で、ブースの係員にカードを渡す。すみませんねえと謝られる。ETCを着けてから、この感覚はなかったような。
渋滞は7号線へ続いていて、呉服橋からの入路は空いている。環状線はかろうじて流れている。有明からの渋滞も、湾岸線東行きの車線だけで、こちらはスムーズ。まさに都心を脱出しようとしているのだ。
浮島からアクアライン。川崎側のトンネルをくぐり、「海ほたる」もすっ飛ばし、木更津側の橋だけ少し速度を緩めて、あっという間に房総半島に上陸。
途中、「ロマンの森」のアスレチックフィールドで遊んで、17時前には南房海岸に着いた。

日没にはまだ時間がある。自転車を引きずり出し、平砂浦の自転車道(県道和田白浜館山自転車道線)を洲崎へ向かって走り始める。が、100メートルも走らないうちに、道は車道から浜辺へ離れ、完全に砂に埋もれる。自転車をひきずって、ちょっと先まで行ってみたが、この先走れるとは思えなかった。砂に咲いたヒルガオがあざわらっているようだ。
しかたなく車道を走る。それほど交通量は多くない。平砂浦ビーチホテルから先は少しカーブの多いワインディングだし、畑仕事を終えたおばちゃんも猫車で歩いているので、クルマもそれほどスピードを上げずに走っている。助かる。
夕暮れ前に洲崎灯台の下に着いた。路地の奥の商店の脇にあるのは、クルマはおろか、自転車も上がれない狭い階段。その下に自転車を並べて置いて行く。
水平線の上には薄い雲がかかっていて、きょうの夕日は海には沈みそうになかった。愛の言葉を楽しみにやってきたカップルたちを邪魔するように、すぐに帰る、あと1分で帰る、と子供が走り回る。海に映った夕日が、岬の突端の入り江をわずかに照らし出した。恋人たちのシルエットが浮かび上がった。

(きょうは雨なので、6/3のことです)

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Koiwagawa

by Days posted at 2006-08-03 23:15 last modified 2006-08-04 01:43

山形県鶴岡市小岩川地区で海に迫った崖が崩壊し、国道7号線とJR羽越本線が土砂に埋まったのは7月14日のことだった。全国に災害をもたらした、あの梅雨の最中だ。
片側1車線ずつの国道は2日間の通行止めの後、片側通行で通行が再開されたものの、鉄道はいまも復旧工事の最中。特急「いなほ」と接続する代行バスがかろうじて新潟−庄内の旅客を運んでいる状況らしい。

翌週末に私たちも寝台特急「あけぼの」で秋田入りする予定だったのが、運休となってしまった。17日までは北上線経由で迂回運転をしていたのだから、そのまま続けてもらえればよかったのだが、きょうの段階では8/9に運転再開される見込みらしい。まあ、急に仕事も忙しくなって、休暇を取って秋田行きどころではなくなったので私たちはいいのだけれど、それにしても山形の人たちは困るだろう。

山形県知事はこの災害に関して「自然災害ということで片付けられるのか」と記者会見で苦言を呈したらしい(7/25山形新聞)。これはこれまでのJRや国土交通省による対策が不十分だったのではないかということを指摘しているらしい。
道路については山沿いに「新直轄方式」の高速道として日本海東北道の工事が着々と進められており、いずれ開通すれば新潟県境−鶴岡のあいだは国道の通行止めに悩まされることがなくなるだろう。
問題は鉄道だ。今回土砂崩れの起きた小岩川−あつみ温泉駅間は海沿いに単線の線路が国道と並走しているのだが、それとは別に複線幅の2つのトンネルが山側に貫通しており、トンネルの出入り口部分を既存の線路と接続すれば、すぐにでも列車が走れるそうな感じなのである。
このトンネルは旧国鉄が建設したのが、民営化の余波でそのまま使われなくなってしまったらしい。つまりもう20年以上もほったらかしなのだ。
このトンネルを有効に使えば、少なくともこの区間は土砂崩れや台風による波浪とは無縁になる。線路の付け替え工事が土砂崩れの災害復旧よりも安いとは言わないが、この20年の無策のために余計なコストを支払っているとは言えるのではないだろうか。しかもそのコストは、JRだけでなく、山形の乗客たちが不便な思いをすることで支払っているのである。

運転再開時期の発表前に、8月下旬に休暇を取るべく、再度「あけぼの」の予約を取りに駅の窓口へ行った。駅員はいつまでの発車分が販売中止なのかを確かめてから指定券を発行してくれたが、「それまでに動いているといいんですけれど」と言っていた。
予定通り来週の9日から、小岩川の人たちの生活が元に戻ることを願おう。

小岩川未使用トンネル入口

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Re:Koiwagawa

Posted by days at 2006-08-11 23:13

毎日新聞8/8より。

富塚・鶴岡市長:JR東などに要望「未利用地活用し幹線の安全策を」 /山形

 羽越線新幹線直通促進庄内地区期成同盟会長の富塚陽一鶴岡市長は、7日までに、JR東日本本社などに、同線の安全対策として「あつみ温泉駅―小岩川駅間の2カ所の未利用トンネルや未利用鉄道用地を活用し、日本海沿岸の大動脈幹線の安全策を講じてほしい」とする要望書を提出した。土砂崩れの不通区間は9日、運転を再開する。【粕谷昭二】

Aomori Touring has been Canceled

by Days posted at 2006-10-07 23:55 last modified 2007-02-27 01:15

この2週間、嬉々として準備に励んできた竜飛岬ツーリングだったが、おととい、きのう、きょうと、日曜日の天気予報が「曇りときどき雨」「曇り」「雨」と目まぐるしく変わり、敢えて悪天候に挑むこともないと思い直して、出直すことにした。
列車の指定券変更に訪れた上野駅「みどりの窓口」は、常磐線特急が強風で運転中止のため、払い戻しを求める長蛇の列。申し訳なく思いながら、でもこっちもきょう中に変更かけないとならないのだと、無言で訴える。
中には大声で長蛇の列に文句を訴える人も酔っぱらいもいて、Giapponeの観光が大雨にぶつかってしまったイタリア人カップルや、小さい子供を連れた母親たちに申し訳なく思った。やはり悪天候の日には行動を起こさないに限るのだ。

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Across Kobotoke Pass with Bicycle

by Days posted at 2006-10-09 20:00 last modified 2007-02-27 01:13
石老山篠原側登山口に下りてきたところ

予定ではその頃、津軽半島を走っているのだったが、この大荒れの天気では行かずに正解だったかも知れない。2日も自宅で掃除、洗濯を繰り返して、洗うべき子供の体操着や保育園のシーツがあらかた乾いてしまうと、関東地方の好天に誘われて身体が疼く。

かくして、予定通り8時に家を出て、駅前でHardrock A1を輪行袋に詰めて、山手線に乗る。高尾駅前でMTBを組み立て、中央線の線路に沿って小仏峠へ向かう。
舗装路の終点から先は薄暗い林の中の道。しばらくはジープ道が続き、走れそうな感じがするが、他のハイカーに気を使って押していく。斜面をジグサグに登る登山道。道はよく踏まれていて、いい感じ。途中でランドナーを押して下りて来る男性とすれ違う。思わず、気をつけて、と声をかけてしまう。
小仏峠には11時頃に着いた。尾根道をさらに乗ったり、押したり。人が結構多いので、無茶をするわけにはいかない。昼前には城山到着。東西の展望が開け、木陰にベンチが建ち並び、茶屋を中心に山の上とは思えないほど賑わっていた。
相模湖の向こうに富士。ここからは「東海自然歩道」をたどる。小仏峠ほど道はよくない。尾根を巻いてにあっちへこっちへ急に降りていく。階段もあり、なぜか下りなのに担ぎだ。千木良に着く頃には息も絶え絶えになっていた。
降りたところの茶屋のラジオはお昼のニュースをやっていて、ワシントンの状況をリポートしていた。北朝鮮が核実験を行ったらしい。こんなところで聞くのはなんだか現実味に乏しいけれど。

相模川の対岸に渡るのに、車道を走ればいいものを、また無茶して弁天橋への川沿いの隘路を下る。倒木があるが、担いで通過。しかし、思ったよりも狭隘な道で苦労する。
弁天橋には釣り人がいて、こちらを見て目を見張っているので、こりゃ釣果の邪魔をしてしまったかと思ったら、自転車で登るんですか、と言われた。自転車の出現に驚いたらしい。登るんです、と答えたものの、どんな登り返しが待っているかと思うと気が重くなった。

東海自然歩道は嵐山を越えるのだが、敢えて自転車担いで登るような山でもないと思い直し、国道に出て、舗装路を山の裏側に回る。再び標識に従って行くと、里山をシングルトラックで抜ける道に。でも地図では相模湖病院を通るはずなので、これはおかしい、と思うが、だまされた気になってそのまま標識に従う。道はやがていい感じのダートになって、気分よく走っていく。沢沿いの道にぶつかるとそれが顕鏡寺の参道だった。
登山道は顕鏡寺の門前を突っ切って、直登している。思わず引き返そうかと思ったが、えいやっと10kgの自転車を担いで、登る。
そこから標高約700メートルの石老山への「走行」については、あまり詳しく書きたくない。とにかく走る、自転車に乗るどころか、担いでいた時間のほうが長かったのだから。尾根に出てからはほんの少し乗れるところもあったが、それよりも担がねばならないほうが断然多い。すれ違う登山者からは、それでどこまで登るんですか、と言われる。もちろん山頂までに決まっているだろうに。脳に酸素がいかなくなり、思考力が落ちていくのが手にとるようにわかる。サイクルコンピューターがホルダーからいつのまにか脱落していたのにも気付かなかった。最後に見たときには確か走行距離971km。あとちょっとで1000キロだったのに!
登るは地獄、下るも地獄だ。反対側の篠原へ下りる道は、石がごろごろ、滑るったらありゃしない。自転車にひきずられて私までそのまま落ちていきそう。まったく梯子を上って、降りてくるような登山道。
山裾の人たちにいくら賞賛のまなざしで見られようと、この山に自転車で登るのはまったくお薦めしない。

(以上、10/9の記録より)

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Tappi

by Days posted at 2006-11-05 01:00 last modified 2007-02-27 01:16
階段国道

てなわけで、ようやく1000キロの旅の終わり、竜飛岬にたどり着いた。ここがとりあえずの旅の行き止まり。
今回の短い旅のハイライトは、小泊から竜飛に至る「竜泊ライン」。標高500メートルほどの峠越えを含むハードなワインディングロードだった。数年前に観光バスも入れるように完全2車線路として舗装され、クルマでドライブするには快適だろうが、自転車には滅多にクルマのやってこない道路の幅員はあまり関係ない。ちょうど木々が色づく季節だったが、毎年11月中旬には閉鎖されてしまうという。旅立つのにはぎりぎりのタイミングだったかも知れない。
小泊港を朝7時に出て、竜飛に着いたのが11時。ちょっと時間をかけすぎたかもしれない。
竜飛から海底トンネルは北海道に続いているが、自転車では走って通れないので、青森に引き返して帰ってきた。

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Yamada Ranch in Snow Storm

by Days posted at 2007-01-09 22:45 last modified 2007-01-14 22:36
シングルリフト

ここ数年、1月の最初の連休には必ず長野県高山村の山田牧場を訪れていて、忙しい年末年始を終えてようやく一息つくことになっている。
列車だと、長野から須坂まで長野電鉄に揺られ、バスに乗り換えて山田温泉へ。冬場は路線バスが山田温泉止まりなので、ここでスキー客向けのマイクロバスにさらに乗り換えねばならない。クルマでも、須坂インターから1時間はかかる。
それでも標高1500メートルに広がる放牧場を覆う雪は、このあたりでは他にないほどふかふかのパウダースノー。志賀高原や万座温泉の喧噪をよそに、のどかなスノーライフが楽しめるのだ。
とは言え、今回行ったときには「爆弾低気圧」の通過で、猛烈な吹雪だった。数メートル前が見えず、滑っているのか浮遊しているのかわからないような白世界。安全なのか危険なのかすら、感覚がつかめなくなってきて、これはまずいと茶屋に退却。おしるこを食べて帰ってきた。
県内の他のスキー場では、夕暮れまでに下りてこない行方不明者が出たという(その後、全員無事を確認)。この連休までどこも雪がなくて困っていたそうだから、もう少し早く、しかも穏やかに低気圧が来ていればと思う。

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Toward Afghani

2001/10/25の殴り書きを仕事場で見つけたので、消去前に転載

by Days posted at 2007-01-12 20:23 last modified 2007-01-12 20:23
afghani_ttl

カブール行きツアーバスはまもなく満員となります。
ご予約のお客様は、早めに手続きをお済ませください。
銃刀、危険物のお持ち込みは固くお断りします。
セキュリティチェックには時間がかかる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
また、当ツアーバスは、天候不順、政情不安、車輌の故障、その他の理由により、中止される場合がありますので、ご了承ください‥‥。

かつて、カブールが聖地だった時代があった。
ロンドンから月に1回、出発し、オリエント急行と同じ道をたどって、ボスフォラス海峡を渡り、退屈なトルコの田舎道をゴトゴト走って、テヘランでショールを被った女の子たちの歓迎を受け、アフガニスタンの山々を越えて聖地カブールを目指すツアーバスは、満員が続いた。
ヨーロッパ各地はもとより、遠く米国からこのバスに乗ってきた若者たちは、トルコでマッシュルームを卒業し、カブールで樹脂の味を覚えて、気がついた時にはインド亜大陸をうろうろしていた。
カブールのゲストハウスは、西洋からやってきた新参者と、東洋から逃げ出す憶病者とが擦れ違い、あてにならないうわさ話を交換するキャラバンサライだった。デリーでまともなシャワーのあるゲストハウスの探し方、ヴァラナシィーで犬を追い払うための薬、遠くダージリンやチベットへの潜行した達人たちの話‥‥。
それは、ホメイニによって外国人がテヘランから追い払われ、アフガニスタンの山々が共産主義者の手に落ちて、カブールがダイヤモンドの輝きを失うまで続いた。

フンザはパキスタンの最北にある小さな村だ。アリという男は、そのフンザからカラコルム山脈を越えて、中国政府の支配する最西端の町、カシュガルに商談のためにやってきていて、そこで中国政府と「東トルキスタン独立戦線」とのいざこざに巻き込まれて、帰り道を塞がれた。
「東トルキスタン独立戦線」は当時、タクラマカン砂漠の東側にあるいくつかの町で散発的に蜂起を繰り返しており、数日前にもカシュガルから数キロ離れた村で、武装ゲリラが警察署を襲撃する事件が起きていた。カシュガルでも大規模な襲撃があるという噂が流れ、イスラム教徒も、中国人も、私とアリも、町中がピリピリしていた。
カブールへたどりつけるかはともかく、とにかくカラコルム山脈を越える国境通過の許可が出るのが待ち遠しくて、私はアリと同じ招待所に泊まっていた。アリは山へ向かうバスやトラックがないか、町中をうろうろし、私は通行許可証を得るために、国境地方を管轄する警察署に日参する。
北京から約2000キロ離れたカシュガルで、北京時間を使うのにはかなり無理がある。朝9時の始業時間に警察署へ出かけようとするとまだ外は暗いし、逆に夕食をとりながらアリと国境を越える相談をしている時にはまだ日光が照りつけている。出歩く人の少なくなった(そしてライフルを持った警察官のパトロールが厳しくなった)23時になって、ようやく日が地平線に落ちる。

きょうは4時間待って、ようやくつながった。アリは電話局へ行って、フンザで待っている弟に電話をかけたことを話してくれた。弟の家族も元気なようだ。自分の妻や子供たちのことを考えると、涙が出てくる。
カシュガルから北京を経由して各国へ通じる電話回線は、たったの4本しかないらしい。しかも衛星ではなく、タクラマカン砂漠の北方のへりを、町や村伝いにつなぐ非常に頼りない電線だ。2000キロの長さのどこかで停電していただけで、声を交わすことはできなくなってしまう。
アリの電話の話しを聞いて、その翌日私も電話局へ行ってみた。9時に申し込んで待ち続け、昼頃に北京のオペレータと話すことができ、東京の家族の声を聞くことができたのは夕方になってからだった。そしてその翌日は、北京のオペレータ止まり。翌々日は北京とさえも、通じなくなってしまった。

3週間を過ぎて何もよい報せはなく、アリも飛行機代をどこからか調達して上海を経由して帰る、と言い出した。山を越えれば車で1日、200キロぐらいで済むのに、遠く数千キロを迂回する途方もない帰り道。
ある日の朝、警察署へ行く途中、モスクの前でばったり会ったのが、アリを見た最後になった。私が警察署からジープに乗せられて、そのまま近郊の町の土レンガ造りの招待所に連れて行かれてしまったからだ。
その夜、ヘリコプターが何機も飛来する音と、遠く爆音が、招待所のベッドまで聞こえてきた。

アリとカシュガルの町がどうなったかはわからない。
フンザに来たら、私の家に寄ってくれ。私がいなくても、きっと妻や弟たちが歓迎してくれるだろうから。
10年経った今でもときどき思う。アリはちゃんと家に帰れたのだろうか。

カシュガルからフンザへ200キロ、そしてフンザからハイバル峠を越えてカブールへ800キロほど。今年も自由に行き来することはできない。

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Kyoto, Hakodate

by Days posted at 2007-01-21 00:45 last modified 2007-01-22 00:59

来週末、1/27(土)は京都へ、1/28(日)は函館へ行く予定です。

いまのところ、土曜日は午前中にこどもの用事があるので、午後の新幹線で京都へ。知人宅に伺って、トンボ帰りの予定。日曜日は羽田発朝一のフライト。京都で引き止められても最悪間に合うように、名古屋から「ムーンライトながら」の予約を取ってあります。これだと京都発22:45の上り最終の名古屋行き「のぞみ」に乗ればOK。そこまで遅くなるかどうかわかりませんが。

ともに12月1月と相次いで亡くなった友人・旧知の霊前参りです。この慌ただしい日程はそんなわけです。

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"As it is" Hotspring

by Days posted at 2007-02-05 01:50 last modified 2007-02-20 01:28
こっちの湯

日曜日は朝から洗濯機を回して、1週間分、家族5人の衣類を何度かに分けて洗っては干し、掃除して、食事を作ると、いつのまにか日が傾いている。少し肌寒いが、心地よく吹き抜ける風に、きょうあたりの夜景はさぞかし、と思いを巡らせて、胸がうずき出す。

遅めの昼寝から覚めた子供たちを引き連れて、一路、中央道を西へ。混雑気味の上り車線を見ながら、笹子トンネルとそれに続く急な下り坂を走り下りると、眼下に甲府盆地の夜景が広がる。わあっと子供たちの歓声。右手の山裾に目立つフルーツ公園の、少し上にある明かりが、今夜の目的地。

初めて来たときには、大弛峠へ行ってきた帰りで、フルーツ公園の駐車場や園内道路を抜けて、まさかこんなところに、と思うような尾根の上に突如現れた掘っ建て小屋温泉に驚いたものだった。案内看板の少なさと、脱衣場の小屋と露天風呂のみというの素っ気なさがこの「ほったらかし温泉」の「ほったらかし」たる由縁なのだが、それだけに湯船の向こうに広がる眺望には感服する。

久々に訪れたほったらかし温泉は、旧来の掘っ建て小屋が改装で閉鎖されていて、南東側に少し下ったところに「あっちの湯」という新しい(でも少し立派な)棟が建って、そちらで営業していた。脱衣所を出ると、大きな洗い場と内湯もある。どちらかというと東向きなので、雄大な夜景というわけにはいかなかったが、湯船の向こうの素晴らしい眺望はそのまま。湯に浸かって仰ぎ見れば、オリオン座と北斗七星。明るい月夜だったので「降るような星空」は無理だったが、1時間余りも極楽の時間を味わうことができた。

こうして週末は終わる。

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Takatsue

by Days posted at 2007-02-19 01:50 last modified 2007-02-20 02:19
peak of takatsue

東北道を西那須野塩原まで2時間、さらに2時間、塩原温泉を抜け、尾頭、山王、中山と3つの峠を越えると、ようやく旧館岩村に着く。国道400号は、山王峠を越える手前の栃木県側の除雪が間に合っていなくて、そことスキー場手前だけチェーンが必要だった。ここは昨年4月に隣の旧伊南村などと一緒に「南会津町」になったところで、それでここの「たかつえスキー場」も村営から町営になった。
昨年の夏休みを伊南村で過ごしたときから、隣村の「たかつえ」は気になる存在で、この週末、初めて訪れた。土曜日は着いた時間が遅めで、回数券使って、第6リフトに乗り、七ツ岳に近いピークを往復するのが精一杯。無風の快晴で、ピークからは那須連山の裏っかわが遠望できた。
ピークからのリフト1本分は、例外を除きスノボ滑走禁止。それを知っていて、スキーボードで来たわけだが、シングルリフトの倦怠感を我慢すれば、雪質はよいし、空いているし、なかなかよいルートだ。

夜は、夏にお世話になった伊南村の「田吾作」を訪問。道路が凍結しないうちと思い、19時すぎに出て、30分の夜道を往復。ほとんどすれ違うクルマがないのが怖い。
突然お邪魔した私たちを、酒井夫妻は暖かく出迎えてくれ、旧正月のために炊いた「ふかし」(小豆の入っていない赤飯のようなもの?)をごちそうしてくれた。夕食食べたばかりなのに、おいしくてたいらげてしまった。
また来よう。

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Shinagawa Aquarium

by Days posted at 2007-04-14 23:50 last modified 2008-06-08 23:28
2007-04-14日本橋

2007-04-14しながわ水族館

旅は日常の延長でもある。このところ毎週土曜日は学校の友達と約束して児童館へ行くことになっているのだと決めているらしいモトを、自転車に乗せて違う方向に連れて行くのは相当に骨の折れる仕事だった。
頼まれていた振込を済ますために、銀行にも寄らなくてはならない。不忍通りは慣れた道だが、歩道が狭い。特に道灌山下のおなじみの古書ほうろうあたりは、電柱が歩道の真ん中に突っ立っていて、向こうから来るママチャリにも気兼ねする。ひとりだったら車道をクルマと同じ速度で走っていくのだが、リヒトを後ろに乗せて、モトと一緒に走るのではそういうわけにはいかない。なるべくイライラしないように、着実に走る。
祖父が入院している日本医大の下を通るときに、そういえば見舞いに行かなければと思い出す(私の祖父はこの2週間後に予期せず亡くなった)。根津神社の前は「つつじ祭り」の支度が進んでいる。谷根千界隈、週末は名所めぐりの人たちで混むのだが、土曜日はさらに仕事をする人たちも重なって混乱するのだ。
それも動物園の前まで来ると一段落する。公園に入って、不忍池のほとりで自転車を停めて振り返ると、無理矢理連れてこられたモトの機嫌はようやく直っていた。リヒトが歓声を上げる。公園の中を2台並んで、スピードを落として走る。

天神下から外神田で、中央通りに出る。リヒトはベビーキャリアの中でいつのまにかうたた寝。土曜日の秋葉原は人通りが多い。歩行者に気をつかっていると、ほとんど歩く速さ以下。青果市場があった頃を思い出す。売られている物は別だけれど、秋葉原はいまでも「市場」だ。
万世橋を渡ると、閉館になった交通博物館が右手に見える。中央通りを来たのは、江戸時代からの起点「日本国道路元標」があるからで、やはりここを通らないとスタートという気分にならない。写真を撮っていると、徒歩ツアーの一団がやってきて、私たちの自転車が邪魔になっているようだった。
欄干の龍の彫像が「かっこいい!」とモトに言われて、確かに猛々しいのにいまさら気づく。ふだん通勤で行き来はしているのだけれど。
銀座に入ると、土曜日のこの時間は歩行者天国。自転車を降りて、車道のまんなかを押して歩く。銀座と言えば、子供の頃はおもちゃのキンタロウを訪れ、すぐ隣、三越のマクドナルドでクォーターパウンダーを買ってもらうのが日曜日の楽しみだったのだが、いま思うと何と贅沢な子供だったのだろう。当時の私のお小遣いは、ほとんどこのキンタロウで消えていった。いまやキンタロウはなく、マクドナルドがあった場所はティファニーになってしまった。
かろうじて木村屋、山野楽器、ミキモト、教文館あたりは往時そのままで、別にそれを懐かしむわけじゃないが、自転車を停めて教文館の6Fへ上がる。モトがきのうまで読んでいたYAノベルの続編を読みたがっていたのだ。さすが「ナルニア国」、それほど広くないのにきちんと揃っている。フロアの奥にはベンチに座って読めるスペースがあって、モトと同年代だが、いかにも品の良さそうなベレー帽をかぶった女の子が真剣なまなざしで本を読んでいた。

大門のWendy'sで昼食。大門の由来となった増上寺の山門が威風堂々と立ちはだかっている。あ、東京タワー、とモトが声を上げる。高速の下になってしまった金杉橋から屋形船が係留された古川を眺めると、東京湾が近いことを感じる。
大きく右に曲がって三田、高輪へ向かう交差点から国道15号線を外れて、新幹線が目の前を通り過ぎるガードをくぐる。これが旧海岸通り。小金持ちが外車を買いに来るヤナセの隣のガソリンスタンドは、なんとヤナセ専用。
通りの突き当たりは船路橋で、工事中。以前仕事の合間に訪れたときには橋の向こうは都電工場の跡地で、橋の上には都電の線路が見えたものだが、いまや橋の向こうはSMAPがCMに登場した「芝浦アイランド」で、もやはその面影はまったくない。金杉橋からここまで私たちが走ってきたのが、都電の工場入庫線だったそうだ。
旧海岸通りは運河を渡り、モノレールの下をくぐる。芝浦アイランドへの真新しい橋が架かっているのに気を取られていたが、右へ行けば田町の駅で、このあたりは祖父の実家があって、幼い頃よく連れられてきたところだ。JALシティホテルの前を快調に飛ばすモトを引き止めて思わずそんな話をする。
八千代橋を渡り、工場跡地に大きなオフィスビルが林立する芝浦を抜けて、大井埠頭へ向かう新幹線の回送線をくぐる。下水処理場、土曜日なので人気がないビル街は、20年前の休日に訪れた工場街を彷彿とさせる。食肉市場を過ぎると、天王洲橋で、ここまで少し飛ばしてきたので、橋の上で一休みする。弓なりに中央が高くなった橋の上は、案外眺めがよくて風がない時には休憩に向いている。漕ぎだせば下り坂なのもよい。

品川シーサイド駅が背後にできた東品川あたりも、大きく変貌した街だ。かつて青物横丁の駅から歩くのが億劫で、品川の高輪口から競馬場行きのバスで訪ねた頃は、確かタバコ工場の跡地だったはずだ。交差点の角に、緑の蔦に覆われた古い工場が残っていたのに、少し安堵した。
運転免許試験場の前にあった教習所は、いつのまにかマンションになっている。試験場にはおっかない顔をした教官がコースをうろうろとしていた。あの試験場でよくも免許試験に合格したものだと思う。
その鮫洲橋の先で、首都高1号線をくぐる。金杉橋から先、かなりのスピードで飛ばしてきたので、しながわ水族館の開館時間には間に合いそうだ。水族館へは高速沿いに行けばよいのだが、高架下の薄暗さを避けて、競馬場へ向かいまっすぐ走った。
都会とは違う馬の匂い。通りは交差点を過ぎてそのまま競馬場の構内に吸い込まれていく。ママチャリに乗ったまま走って行く家族連れは厩舎の職員だろうか。開催日ではない競馬場は静まり返っていて、駐車場だけが賑やかだった。広い駐車場を活用して、フリーマーケットをやっているらしい。
スエヒロのある交差点から高架下の歩道を行く。水族館はしながわ区民公園の中にあるのだが、その公園の入口がなかなか見つからない。鈴ヶ森まで高速の下を走っていって、昔の運河の橋の上からようやく入口を見つけた。あとは水族館を目指すだけだ。垣根の向こうは競艇場で、モーターボートのうなり声が聞こえてきた。
運河跡に作られた人工池のほとりに2台を停め、リヒトをチャイルドキャリアから抱え降ろした。ちょうど海獣のショウが始まるところで、間に合ってよかった。

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Yokohama

by Days posted at 2007-04-15 20:05 last modified 2008-07-24 08:11
2007-04-15国道駅

2007-04-15大桟橋

2007-04-15本牧のいつもの公園

品川駅から京浜急行に乗り換え、平和島駅前の駐輪場に停めた自転車に戻る。きょうはリヒトは留守番。夜更かしのモトを起こして連れ出すのにまた時間がかかってしまい、平和島に着いたのは11:30すぎ。
高架下の駐輪場でモトの自転車に空気を入れる。よかった。パンクしていたわけではなかった。きのうはほとんど空気の入っていないMTBタイヤで30キロ以上を走ってきたのだ。悪いコンディションに気付かないほど怖いことはない。

国道15号線を南下する。京浜急行線沿いの道で、つまりはほぼ旧東海道だ。野球クラブの帰りの子供たちに追いついたり抜かされたり。短い商店街の入口で選挙の街頭演説をしているのを横切る。京急の駅をいくつか過ぎるうちに、いつのまにか六郷橋まで来てしまう。側道を走っていって、多摩川の土手を上がり、さらに階段を上がると都県境の橋の上。いよいよ神奈川県だ。
旧東海道は川崎に入ってすぐ細い路地となるようだが、構わずに15号線をたどった。川崎・鶴見の市街地に入ると、交差点に歩道橋があったり、地下道をくぐらねばならなかったりして、少し厄介だ。迷路のような地下道でモトを見失いそうになってあせる。「ゴム通り入口」なんて交差点の名前に、工場街らしさを感じるが、このあたりも工場跡地にマンションがにょきにょきと立っている。融資先が減った銀行が撤退した後の交差点角は、マンションのモデルルームだ。
六郷橋から幅の広い国道に、同じように幅広の歩道を走ってきたが、鶴見の汐見橋から途端に道が狭まる。JR鶴見線の国道駅入口。ホームの下に薄暗い飲み屋街が連なるが、昼間から開いている店はなさそうだ。鶴見線の駅はどれも無人駅なので、ホームまで上がってみる。私鉄駅の趣きだが、日中の電車は30分に1本。線路の向こうに運河のような鶴見川が見える。
ホームの下の飲み屋街の反対側から出ると、交通量の少ない旧東海道。生麦まではこの道をたどった。キリンビールの工場正門は国道ではなくこの旧道に向いていて、その歴史を感じさせる。が、この正門前でモトが転倒。靴裏にガムが貼り付いたのを気にしているうちにバランスを崩したらしく、悔しくて泣いている。工場の警備員よりも、正門前の雑貨屋のおばさんが、何事かと顔を出してくれた。

生麦から先は、工場地帯を向こうに望む運河と、京急、JRの線路とに挟まれた味気ない国道だ。それでも子安あたりでは、テレビドラマのロケが行われていた。興味もなく、先を急ぐ。もうとっくに昼は過ぎていて、おなかが空いている。モトはコンビニのおにぎりで構わないと言い、いよいよみなとみらいが近づいてきたので、臨港パークあたりで昼食と考えて、神奈川警察署前のローソンで食料調達。が、臨港パークまで走るつもりが、中央市場からの橋が未完成なのを見たとたんに高速脇の神奈川公園に吸い込まれて、おにぎりを広げていた。

橋を渡ってみなとみらいに入る。曲がるところを間違え、混雑しているBLITZまで来てしまった。団体ツアーの観光客に行く手を阻まれる。その向こうの空き地には特設のテレビスタジオ。その先は更地とマンション建設地の高いスチール塀で、こういうニュータウンはどうも気分がよくない。
パシフィコ横浜の脇に出るが、ここでも観光ツアーと、展示ホールへの搬入出の人たちに遮られる。もうあきらめる。赤レンガ倉庫の向こうの岸壁で一休み。向こうの大桟橋には小さめの客船が横付けになっている。観光客で賑わう倉庫の端には、引き揚げられた「不審船」を展示する海上保安庁の資料室があり、そこだけちょっとものものしい。
大桟橋の客船ターミナルはすっかり新しくなったが、その入口の交差点は昔のまま。入口を横切る貨物線は歩行者専用のデッキになったが、街路樹も周りの店も、私が高校生のとき、上海に旅立った頃と雰囲気は変わっていない。
山下公園に入って岸壁沿いを氷川丸まで走り、どうやって本牧へ抜けようか思案する。ホテルニューグランドの脇から山下町に入る。よそ見をしていたモトが、車道と歩道を隔てる段差に乗り上げて転倒。相当痛かったらしく意気消沈している。走り始めたのが遅かったけれど、そろそろ限界かもしれないと思う。

本牧へは新山下を回るのが早いのだが、自転車の機動力を生かして、元町商店街へ。日曜日の賑わいは推して知るべし。さらに親子連れMTBの不自然さも想像に易い。メインストリートは反対向きの一方通行なので、フェリスの下の裏道を抜けて山手トンネルの入口にたどり着く。新旧ふたつのトンネルが口を開けているが、旧道のほうは歩道が通行止めだったので、反対側へ渡る。
アーケイドだった本牧通りは信号が多く、結構長く感じる。同じ本牧でも米軍から返還された宮原に入ると、風景が一変する。マイカルの手間のいつもの公園で休憩。あとはどこまで行こうか。
磯子から357線、つまり首都高湾岸線の下を走り、駅の裏を通って、新杉田の駅前に出たところで、いい夕暮れになったので、ここできょうはおしまい、とした。聖天橋の大きな再開発ビルの前に自転車を停め、電車で引き上げた。
帰って宿題もやらねばならないし、沖縄は自転車で行くにはまだ遠い。

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Another Tour has just started

by Days posted at 2007-05-21 01:29 last modified 2007-05-21 01:29
yukiaibashi

再び旅に出ようと思ったのは、私が日常に悩んでいたからであり、さらに言えばこのままではモトがろくな大人にならなくなってしまうという危機感からでもあった。冬にはモトを何度かスキーに連れていったものの、その合間、私は仕事に追われていたし、私を育ててくれた叔父や古くからの友達が相次いでこの世を去って行ってしまったのに涙を流していた。
4月、モトが4年生になって、ようやく日曜日が休めるようになって、それまでの鬱憤を晴らすかのように思い立って養老渓谷へクルマを飛ばしたりして、その次の週にはモトと新たな旅を始めることにした。
旅は日常の延長でもある。いつも公園に遊びに行くような支度で、3歳のリヒトをマウンテンバイクに取り付けたTOPEAKのチャイルドシートに座らせ、気の進まないモトを誘って、家を出る。土曜日だというのに散歩客で賑わっている根津界隈を過ぎ、不忍池のほとりで休憩。ようやくモトの機嫌が直ってきて、買い物客でごったがえす秋葉原を抜け、日本橋に着いた。
この日は3人でしながわ水族館まで走り、海獣たちのショウを観た。翌朝今度はリヒトは留守番で、モトとふたりで自転車を置いてきた平和島に戻り、横浜の磯子(正確には杉田)までを走った。
1日に走る距離は少ないが、太平洋岸に沿って、海岸線をできるだけ忠実になぞって、大洋州弧を南にたどり、日本から台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシアと島を伝って、カナトと同じケープタウンを、一歩一歩、一漕ぎ一漕ぎ目指す。

また新たな旅を始めた報告を、少し離れて暮らすモトの祖父母にしようと思っていた矢先、その祖父、つまり私の義父の急死の報せが入った。未明に遺体を出迎え、何とか葬儀を終えると、今度は入院している私の祖父が危ないと連絡。モトの写真を持って病院に行くと、酸素マスクを付けた88歳の祖父はかすれ声で、そこに置いておいてくれ、あとで見るから、と言ってくれた。結局、それを見たのかどうかわからないまま、2日後に亡くなった。呆然とするしかなかった。
次第に日常が日常でなくなってくる。死は身近になり、生きることの意味を日々考えなくては、翌朝生きていられるかどうかも自信が持てなくなる。非現実的な夢の中での啓示と、この世の現実とが混じりあって記憶を支配する。
この状態から解放されるのには、おそらく時間がかかるだろうと思う。1ヵ月、2ヵ月、いや半年、1年。ひょっとしたら、一生かかっても抜け出せないかもしれない。
しかしこの旅を始めたときには、少なくともそうではなかったのだ。旅を続けることで、前に旅を中断した地点に戻って再びペダルを漕ぐことで、まだましだった人生の状態を取り戻すことができるのではないかと、わずかな希望を抱いて、5月の初旬に、連休の3日を使って毎日走った。三浦半島を回り、湘南海岸へ抜けて大磯に着いた。

そして旅する魂はいま大磯にあって、夢うつつの日常を送る私を遠くから眺めている。
スタートしたときには旅はモトのもので、私がモトの伴走者のつもりでいたが、この1ヵ月で変わってしまったように思える。モトは私のよい伴走者になってくれるだろうか。

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Ogubashi Street

by Days posted at 2007-06-17 01:33 last modified 2007-06-17 01:33

クルマが生活の一部になった頃から、尾久橋通りへよく通うようになった。新宿、池袋、銀座、上野といった繁華街にはクルマは停めにくいし、電車で行ったほうが早い。むしろそうした場所は平日に行き来していて、だいたいの用を済ませられるので、休日は逆に「郊外」に向かうのだ。
尾久橋通りが延びる足立区を郊外などと言っては失礼なのだが、本当の郊外に出るには時間がかかりすぎるのだ。かくして、ファミレスやファーストフード、量販店、回転寿司、ガソリンスタンド、カー用品店などが道路沿いに多く立ち並ぶ尾久橋通りで「郊外」を疑似体験する。

尾久橋通りは地図に線で引いたかのように西日暮里駅前からまっすぐ北に延びる。熊ノ前までは信号の多い下町の道で、おまけに上空を走る新交通システム工事のためにたびたび車線変更があるから、うっかり前を走るバスに追突しないように気をつかう。
赤土小学校前の小さなモスバーガーが気に入っているが、残念ながら駐車場がない。クルマを停められるのは、隅田川と荒川の中州に2005年にできた家電量販店ケーズデンキから先になる。新交通システムの駅ができると、駅直結になるケーズデンキには巨大駐車場があるが、いつもそれほど混雑している印象はない。
荒川を渡り、首都高中央環状線をくぐったあたりから、尾久橋通りらしさが出てくる。洗車スタンド、焼き肉系・イタリアン・和食系なんでもござれのファミレス、中古車専門店、コンビニ、パチンコ屋‥‥。どれも駐車場を入る道を間違えれば、裏道はまるで迷路だ。昔の地割りをまるで無視してまっすぐ新しい道ができた結果である。
昨年新しくできたセブンイレブンのあたりに新しい駅ができるらしい。きょうはそこで走行テスト中の真新しい車両を見た。その向かいがサイクルあさひで、モトのGIANTもここで取り寄せてもらったし、マニアックなものでなければだいたいの小物はここで手に入る。
江北四丁目の交差点を右に入ると、ゴルフ練習場の向こうにホームセンターのドイト。中越地震があった時にはこのドイトを訪れていて、ゴルフ練習場のネットを支える高い柱がゆらゆら揺れるのに驚いたのだが、練習場は最近取り壊されて、どうやらマンションになるらしい。巨大とは言えないものの、ホームセンターらしいホームセンターのない都内からだと、真っ先に思い浮かぶのがこのドイト。子供が同級の父親連中ともここでよく会うのが不思議。
環七が交差する陸橋下にあるオートテックは、以前22時までやっていたので、仕事帰りにちょこまかと通ったものだが、今年になって21時までになってしまった。
環七を過ぎてさらに走って行くと、両側に緑の広場が広がる。舎人公園だ。尾久橋通りはさらに都県境まで続いて、埼玉県に入るやいなや直角に曲がって西へ向かうのだが、この舎人公園あたりまでが私の行動エリア。まずだだっぴろいのだが、この季節には池もなかなかよい。北側は新交通システムの車庫が建設されるために一部閉鎖となっており、このあたりが完成するのが楽しみ。

子供をたくさん乗せたワンボックスに紛れて、私もその1台になる。少し安心する。何をするにしても、子供を連れていることで受ける視線を気にしないで済む。「郊外」へ通うのは、だからなのかもしれない。

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Old Cyclists Accident

by Days posted at 2007-06-27 01:21 last modified 2007-06-27 01:42
自転車で日本一周の80歳が事故死 あと40キロで自宅

25日午後1時50分ごろ、長野県小谷(おたり)村北小谷の国道148号の外
沢トンネルで、自転車で走っていた同県小川村瀬戸川の無職原野亀三郎さん
(80)が大型ダンプにはねられ、胸を強く打ってまもなく死亡した。県警大町
署によると、原野さんは自転車で日本一周旅行をし、自宅まであと約40キロの
ところで事故に遭ったという。
同署の調べでは、原野さんはトンネル内の緩いカーブを走行中に、後ろからはね
飛ばされたとみられる。
(http://www.asahi.com/national/update/0625/TKY200706250347.html)
「自転車王」のぐちやすおさんから、世界一周の中でも、日本を自転車で走るのはかなり危険度が高いという話を聞いたことがある。変わりやすい天気、風、そして狭い道路。
さらに問題はトンネルだ。比較的新しいトンネルには避難路を兼ねてしっかりとした歩道が併設されていて、だいたいは自転車もそこを走ることができるが、古いトンネルはそうでないことが多い。狭い、暗い、汚い、である。しかも日本はクルマ優先社会だから、自動車がちゃんと走れれば、改修の予算などつきはしない。
子供と一緒の上越国境越えでも、三国峠を後回しにしたのは、三国トンネルを自転車で抜けるのが危険だからだ。端に除けようのないトンネル内で、後ろからダンプの轟音に追われた時の恐怖は、想像を絶する。
たしか国道253号儀明トンネルだったと思うが、トンネル内工事のために途中から片側1車線交互通行に遭遇したことがある。工事用の時間差信号で対向が青になって全速力で走り抜けるのだが、それでもこの時間差は自動車向けにセットされているので、こちらがトンネルを出ないうちに対向側が青になってしまう。真っ正面から迫り来る保冷トラック。工事で片側に制限され、逃げ場のないトンネル内。ああ。
これからも心してかからなければならない。そしてトンネルに入る前にはお祈りを。

原野亀三郎さんの無念を悔やみ、ご冥福をお祈りします。
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MLIT saids

by Days posted at 2007-07-13 01:25 last modified 2007-09-04 02:23
緊急的に対策を実施すべき個所とは、
①「車道上における自転車通行が危険と考えられる箇所」
②「歩道上における自転車と歩行者の輻輳があると考えられる箇所」
をいう。
対策の実施に当たっては、危険性の高い箇所を優先するものとし、上記①
の対策箇所(上記②との重複部分を除く)にあっては次に示すアの対策を、
上記②の対策箇所にあってはア及びイの対策を実施すること。あわせて、道
路構造や交通実態に配慮した規制の見直し等も実施すること。

警察庁の調査を元に、きょう国土交通省が「自転車走行環境整備の取組について」という通知を全国の地方自治体に出した。
トンネルもさることながら、日本の道路はおよそ自転車が走るのに向いていない。いや、もともと道路の構造には何ら問題がなかったのに、そこが自動車で溢れることによって、自転車が(そしてリヤカーが、大八車が)閉め出されてしまったのだ。
もちろん道路構造を見直すことによって、秩序を回復しようというのに異論はない。しかしこの通知、いかにも「自転車が問題だから対策しよう」という意図に満ちていないか。
だいたいにおいて危険なのは、路肩がほとんどない車道を制限速度を大幅に超えるトラックがぶんぶん飛ばし、しかも歩道はひとりがようやく通れるだけの幅しかない、というケースだ。もともとが狭い道路なのだから、車道も歩道も最小限の幅しか確保できないようなところで、国土交通省が言うような道路構造施策が期待できるものだろうか?

警察では、「自転車の通行に係る危険箇所について(平成19年2月19日
付け警察庁丙規発第7号)」に基づき、普通自転車歩道通行可の道路及び駅・
市街地・学校周辺等、自転車が集中する施設からおおむね半径500m以内
の歩道が設置されている道路(以下、「点検対象道路」と言う)について、
自転車の車道通行の危険性や自転車と歩行者の輻輳による危険性が考えら
れる箇所を点検し、自転車の通行について危険と思われ検討すべき箇所を抽
出している。

冒頭の引用箇所の前に、以上のような前置きがある。
これだけでは具体的な調査箇所はイメージしにくいが、文字通りであれば「車道を自転車が走るので、クルマのドライバーがヒヤヒヤする」「歩道を走る自転車に歩行者が迷惑している」といった視点から「点検」が行われたのであって、サイクリストの視点はまったく欠けているように思える。
三者三様の立場がある中で、自分だってクルマを運転する時もあれば、のんびり散歩することもある。歩行者を自転車が邪魔しちゃならないことはもちろんなのだが、クルマももう少し自転車に気をつかってくれないだろうか。
道路構造の改善などという大それたことよりも先に、警察庁と国土交通省には、まずは通達や運用を見直して少しでも早く安全な道路にしてほしいと思うのだが。

十ニ峠

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Tokai Shizen Hodo by Bicycle

by Days posted at 2007-08-19 00:00 last modified 2007-09-06 01:18

藤野駅に着いて、前回自転車を分解したバス停前で、逆に組み立て。ブレーキのちょっとした噛み合わせが合わないのに悩み、中途半端なまま走り出す。もうお昼なので昼食をどうしようか迷ったが、食べているうちに雨に降られてまったく1キロも進まないというのもどうかと思い、駅前の雑貨屋でおにぎり2つとPETボトルのお茶を買い込んだ。
夏休みなのか、「シーゲル堂」は開いていない。狭いわりにクルマががんがん走る国道20号を脅えながら全力疾走し、4トントラックの前を日連大橋に逃げ込んだ。橋は少し下り坂なので、時速40キロ以上でダム湖を渡ったが、その先は上り坂。早くもスローペースに。
やまなみ温泉へ向かう道は基本的に上り基調なのだが、若干のアップダウンがある。赤沢のバス停を左に入り、谷筋を山間に走る。ひたすらの上り坂。いつのまにかダンシングで登っているのに気づいて、これじゃまずいとギアを落とす。まだアプローチ、本番は先なのだ。
田ヶ岡の高原集落を過ぎると、坂もだいぶ緩やかになってきた。白い壁のシオン教会を過ぎて、しばらく行くとサミット。一気に下り坂で篠原へ下りる。前回通った中村橋を渡るつもりが、行き過ぎて新大橋を回り、少し上ることになってしまった。
旧篠原小学校跡、「篠原の里」の校門の前に腰を下ろして、一休憩。さっきの菓子パンとおにぎりを食べる。集落に人気はないが、スタッフの人たちが数人やってきて、挨拶した。

雨は降りそうで降らない。風も強くなく、このぐらいがちょうどいい感じ。石砂山の登山口は昭文社の山地図では詳しく書かれていないが、地形図であたりをつける。牧馬方面に少し行ったところから登山道が始まっているようだが、その手前の沢沿いにほぼ並行して車道があって、途中から登山道に合流しているような感じ。
特に案内標識はないものの、篠原川を渡る小さなコンクリート橋を渡り、その沢沿いの道に入っていく。ギフチョウの保護を訴える看板。さらに行くと、登山者向けのトイレがあって、どうやらこの車道で正解だったみたいだ。
13時すぎ。小さな橋で沢を渡り、いよいよ登山道に取り付いてガシガシ上っていく。しばらく押しで上っていくと尾根筋に出た。木々の中の尾根道も上り基調だが、ときどき走れるほどの緩やかなトレイルが現れる。いきなり担ぎだった石老山より全然楽だ。
相変わらず天気は悪く、ときおり雨が降っているみたいだ。降っても木陰をずっと歩いているおかげで、まったく濡れない。木々のあいだの先は山々の風景ではなく、白い霧一色だ。
が、30分ほどで地形図のとおりに、山頂直下の急斜面に出くわす。丸太階段になっていて、押すわけにはいかないので、やはり担ぎしかない。東海自然歩道の標識では、篠原から石砂山までの1/3しか来ていないことになっているので、この先ずっとこの登りかとかなりへこむ。上を見て、あの木のところまでと決めて、20メートルほど担ぎ上げては息を整え、吹き出す汗を拭う。全然ペースは上がらないのだが、それほど進まないうちに、あと1/3の標識になった。さっぱりあてにならない。
さらに鬱なのは、きょうは全然人が入っていないらしく、至るところ蜘蛛の巣だらけということ。こっちは両手が塞がっているから、それを払いながら進むわけにもいかない。
時間にしたら20分ほどだが、そうやって悪戦苦闘を続けるうちに、丸太階段が終わり、走れるぐらいの緩斜面になった。気を良くしては走っていくと、急に開けて石砂山山頂。わーい。

とは言え、霧に覆われて展望はまったくない。時刻はちょうど14時。一休みしたものの、蚊や蜂がうるさくつきまとい、とても落ち着けないのでさっさと出発する。
ちょっとした急な下りの先は、草に覆われた吊尾根。その途中から、さきほどではないが急な下りになる。でもまあ丸太階段を担ぎ上げるのと比べたら雲泥の差だ。自分の足を取られないように、後輪をロックして山道を削らないようにしながら、とにかく押して下る。登りでいきなり急斜面が立ちはだかったように、下りも急に緩やかな尾根道になったので、サドルに跨がり、走り出す。これこれ、これですよ。シングルトラックの尾根道をローギアで走り続ける快感は、それまでの苦労を吹き飛ばしてしまう。
東海自然歩道は伏馬田集落へ下りるメインルートと、青根へ向かうサブルートに分かれる。14時半。まだ山道を走れるので、そのまま尾根を青根方面へ。
でも短い急斜面が目の前に。裏切られた思いだが、この先もいいことがあるさと、また担いで登る。実際、それほどの高さではなく、その先も少しは走れた。相変わらず蜘蛛の巣はうざいが、もう構っていられない。
伏馬田城の分岐を過ぎ、尾根から杉林の中を下降する。急斜面を横切るようにつけられた道は崩壊箇所があって、とても乗っては走れない。数メートルほど道が跡形もなく流されているところでは、しばらく思案して、自転車をその場に置いてその先の道の固さを偵察し、本当に恐る恐る自転車を担いで移動させた。
急にコンクリートの車道に出た。15時を過ぎていた。もう十分やった、と満足した。

タイヤの泥を舗装にこすりつけて落とすようにブレーキングしながら坂を下ると、伏馬田城の登山口に。一瞬地形図を読み間違えて、伏馬田集落の方向に行くが、しばらくして戻ってきて、菅井へ向かう。少し上り坂なのが災いした。
菅井小学校も廃校になって、NPOの拠点として使われていた。校庭ではなく、通りに面して二宮金次郎の銅像が立っているのが、少し違和感が。雨があまり降るようであれば、ここから藤野駅に戻ることにして、途中でやまなみ温泉に寄ろうと思っていたのだが、どうやら天気は持ちそうだ。道志川に沿って橋本まで十分走れる時間なので、山を越えて奥相模湖方面へ向かう。青根への東海自然歩道サブルートは菅井の山上集落を越えて続いているので、そちらへ行ってみる。急なコンクリートの坂を上がった民家と民家のあいだに、自然歩道の入口の標識が。軽トラックなら入れそうな緩やかな幅広の道として続いていたので、もっと先に行ってみる。秋には落ち葉をざくざくと踏み越え、なかなかよい道だろう。自転車でもずっと走っていける。これが続くなら、青根まで行くのは全然楽勝だ。
ローギアでどんどん走っていくと、傾斜こそ緩いものの、道は次第に狭まり、送電線作業路がいくつも分岐するようになった。「天神峠」と標識がある十字路は、綱子と長又を結ぶ峠道らしい。
それを過ぎると完全な登山道になり、少しは押さねばならなくなった。というか、ここまで走ってこれたので、押すことを忘れていたほどだった。地形図での "601" のピークを過ぎると、再び杉林の中の下り坂を走れるようになった。ここまでは東海自然歩道の標識に従って走ってきたが、初めて何の標識もない三叉路にやってきてしまった。地形図ではこの道はまっすぐ長又へ下りているはずなので、こんな三叉路はないはずなのだ。しかし、東海自然歩道の「青根」という行き先も、どこなのかいまひとつわからない。たぶんまだ尾根筋を行くのだろうと、それが明確に分かる右側に進路を決めて、シングルトラックを走っていく。途中には杉林の伐採跡もあって、草の露で足がびしょびしょになる。やがて再び東海自然歩道青根の標識を発見。これでよかったのだと安堵。
道は尾根沿いから斜面をトラバースするようになり、杉林の中を延々と走る。しばらくして、林の中の舗装道の峠に出た。果たしてここはどこだろう。青根の標識は直角に曲がって、舗装道を行くようになっていて、その逆には新たな登山道の入口に「平野峠、巌道峠」の案内板が立っている。地形図にも、昭文社の山地図にもそんな道は記されていないのだが‥‥。
きっと舗装路をしばらく行くと、東海自然歩道が続いているのだろうと、山の中をうねうねと伸びる車道を走っていく。下り坂なのだが、分岐を見逃すと上り返しが大変なので、ゆっくり慎重に走る。が、分岐はなかなか見当たらず、いつのまにか道志川の渓谷が見下ろせるようになってきた。谷の向こうにはほぼ同じ高さに集落も見える。どこの集落だろうか。ガソリンスタンドの看板が見えるので、山地図からするとあれは東野だ。もっと手前を走っているものと思っていたので、思わず驚いてしまった。
なおも坂を下っていくと、人里に出て、観光客の乗用車とすれ違った。篠原からずっと山道は無人だったし、菅野の集落でも人には遭わなかったので、なんだか懐かしい思いだった。

道志川に架かるのは「大河原橋」。河原にはいくつもテントが並び、川遊びをしている家族連れの姿。一方には釣師たちが並んでいる。
道志川の水は意外と冷たかった。靴下を抜いで足を水にひたし、蜘蛛の巣だらけになった顔をごしごしと洗った。ハーフパンツでむき出しになっていた足も傷だらけで、特に虫さされあとは洗うと、真っ赤な血が垂れ流しになった。
これで道志川北側の東海自然歩道は終わった。

石砂山 石砂山
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
Across Kobotoke Pass with Bicycle Across Kobotoke Pass with Bicycle
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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ときどき旅

Whale Watching Tosa

by Days posted at 2007-08-26 10:15 last modified 2007-09-06 01:28
土佐湾のイルカ

宇佐橋田の漁港へ向かう。
駐車場の整備された公園には、ホエールウォッチング向けの待ち合い施設があって、そこで乗船受付。私たち4人は3番船らしい。
「8時出航」なのだが、受付順にどんどん船に乗せて出航していくらしく、手続きしてからトイレでゆっくりというような人が置いていかれそうになって抗議している。
桟橋を渡り、船に乗る。小型の漁船である。甲板にプラスチックのベンチが並べられていて、そこに3人ずつ12人分のライフジャケットが置かれている。私たちの船では席がひとつ余った。
早々と出航。漁港を出て行く。わくわくする。外海に出ると大きく揺れ始め、ジェットコースターみたいだ、とはしゃぐ。が、30分もすると、リヒトは青い顔をしたかと思うと寝てしまった。船はなおも岸に沿って南へ進む。須崎の工場群が見える頃には、モトも気分悪くして嘔吐。私も気持ち悪くなって舷側からもどしてしまった。さようなら、たまごかけごはん。
一向にクジラは見つからないらしい。船長が聞く無線の声が響いている。時間切れでUターン。するとしばらくしてエンジンが切られ、他の船舟が見えたかと思うと、イルカの群れが見えます、と船長。目の前を数頭のイルカがジャンプしながら通り過ぎていった。
リヒトを抱えて舳先に腰掛け、足と腕とでぐっと踏ん張る。
イルカの群れは多く、それと並走しながら船は進む。周囲の僚船は4隻になっていて、衝突しやしないかと気が気でならない。写真を撮りたいが、この体勢では難しいので、しっかりと目に焼き付けておいた。

それから2時間航海したが、クジラは見つからなかった。これ以上気分が悪くならないように寝ているしかなく、海の上とは思えないほど様々な夢をみた。
GPSの軌跡をあとで見てみたら、窪川の興津崎の沖まで来ていた。宇佐からおよそ35キロ。時間がかかるわけだ。大方のホエールウォッチングもこのあたりまで来るのかもしれない。

桟橋に戻ったのが13時。汚れたリヒトのTシャツを着替えさせ、私たちも着替えるためにいったん宿舎に戻る。少し休憩したかったが、宿舎の冷房は15時にならないと入らないという。あまり食欲はなかったけれど、胃の中は空っぽなので、港の近くの料理店で食事。リヒトはかつお丼をたいらげた。
そのあとどうしようかと相談して、伊野町の土佐和紙工芸村を目指した。仁淀川の西岸を走る。河川敷は広いが、川の流れが東京の荒川なんかと違う、もっとゆったりとした流れに見える。パラグライダーが飛び、砂利の河原にはいくつもテントが見える。土佐の人たちは、海ではなく川で遊ぶものらしい。

宇佐 宇佐
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Broken Bridge

by Days posted at 2007-09-04 02:39 last modified 2007-09-04 02:39
本荘大橋南詰交差点
子吉川

秋田の国道7号、本荘大橋が片側通行制限になっているようです。ミネアポリスの老朽橋崩落事故を受け、全国で一斉に点検したところ、本荘大橋では8/31にH型鋼が1本破断し(作業員の目の前で轟音を立てて!)数日は全面通行止めだったとのこと。
本荘大橋と言えば、カナトと自転車で日本海側を北上した昨年の4月、雲行きが怪しいために橋の手前をいったんの終点と決めて、8月に出直しスタートしたところ。その中断期間に付近の地図は穴が空くほど眺めましたから、非常に親しみがあります。近くのマクドナルドには4月も8月も立ち寄っています。

子吉川に架かる本荘大橋を挟み、その前後は市街地ですが、すぐに両方面とも並行路のない一本道になりますから、日本海側の要衝です。市内には他に2本橋が架かっていて、幸いにして孤立することはなかったようですが、それにしてもクルマが欠かせない人たちにとっては不便だったことでしょう。
必要以上に高くて長い高速道のコンクリート橋梁より、生活に欠かせないこうした鉄橋の補修に予算をかけてほしいものです。

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Re:Broken Bridge

Posted by days at 2007-09-06 01:40

9/5 6:00 a.m.より通行止め全面解除されたそうです。

Skip to Kakitagawa

by Days posted at 2007-09-16 01:33 last modified 2007-09-16 01:33

この三連休の3日目、17日月曜日が空いたので、モトとふたり自転車旅を1日だけ進めることにした。
前回は8/5に伊豆下田で終わっているので、その先、石廊崎を回って伊豆西海岸というのが正しいルートなのだが、「1日だけ」というのが何とも中途半端。来週もう1日加えるにしても、アプローチが遠すぎる。
モトと相談して、下田から先の伊豆西海岸は冬の楽しみにとっておくことにした。アップダウンの激しさは東海岸の比ではない。体力もつけなくちゃ。
伊豆だったらまたせのおさん家にお世話になるかもしれなかったのだけれど、しばらく先になります。モトとせのおさんのチェスの対戦はお預け。

というわけで、明後日の朝は三島の柿田川湧水地から、西へ向かってスタート予定。下田よりアプローチが1時間半節約できる。自転車2台のトランスポートをどうするか、明日考えなきゃ。

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Riding Along Old Tokaido

by Days posted at 2007-09-17 23:55 last modified 2008-05-19 12:59

6:23東京発の「こだま」。結構空いているじゃないかと思ったのはつかのま、品川、新横浜で満席に。
三島駅に着いたものの、新幹線ホームから南口までは距離があり、改札を出る頃には汗だくになっていた。

駅前の道を西へ向かい、伊豆箱根鉄道の踏切を渡って、その先の一方通行路を南へ下る。三島から沼津にかけてはなだらかに下っているので、すいすい走れる。それまでまっすぐ続いていた道が小さな神社(地方神社)を迂回して、鳥居の前に出た。歴史のある道のようだ。
ぽつぽつと雨が降り出す。かつて路面電車が走っていた旧国道を横切ると、灌漑池が左手に現れる。池から流れ出す用水に沿って、国道1号バイパスへ。このところ雨が多かったせいか、ずいぶんと水量が多い。

柿田川湧水の公園に着いたときには、雨は小降りになっていた。第一展望台には、望遠レンズ装着のカメラを抱えた先客がいた。きょうはカワセミがいた、という。展望台から乗り出すように川面を見ると、川床からぶくぶくと水が湧いているのが見えた。ここから川が始まっている、というのは少し信じられない光景。雨に煙るせいで、またそれが神秘的に見える。
雨は降ったり止んだり。国道1号バイパスを離れ、さっき横切った旧国道に合流する。小さな倉庫の前の縁石で、モト、よそ見をしていたのかいきなり転倒した。倉庫から出るトラックの運転手が目を丸くしている。雨で滑ったのだという。足も痛いが、時間のロスも痛い。

旧国道はバス通りで、しっかりとした歩道が両側にあるので安心して走れる。黄背川を渡り、大岡の坂を下り、沼津の市街に入る前に警察署の手前を曲がって、黒瀬橋を渡った。香貫山のふもとを抜ける山裾の道。「内膳堀通り」と名付けられている。
市街地は信号が多くて、タイミングがあわないといらいらする。港大橋で再び狩野川を渡る。ずいぶん風が強い。レガッタが何隻か出ていて、こんな風で横倒しにならないか、見ているこちらがヒヤヒヤする。その先はすぐに魚市場だ。
港をぐるっと回って、公園を抜け、以前はなかった「巨大水門」びゅうおへ。展望台に上がれるようなので、自転車を停めた。

地図を見れば海岸沿いの道は確かにあるのだが、その先は港湾関係者以外通行禁止となっている。よく見れば堤防上に上がる急なコンクリートのスロープがあった。海側に縁石があるだけで、道といった雰囲気ではないのだが、走れる幅は十分にあるので、それをしばらく走って行くと、なんとなく海沿いの遊歩道という雰囲気になってきた。
海からの風は強いが、18〜20キロぐらいの一定速で走る。モトもよくついてくる。きつそうな気配はないので、どんどん行く。
次第に人気がなくなり、単調で飽きてきたところに、縁石のところどころにナンバーが振ってあることに気づいた。その下には沼津港からの距離、富士川河口までの距離が書かれている。計算すると250メートルごとにNo.82まで、延長20.5キロ続いているようだ。これを数えながら走っていたら、少しは気分が楽になった。
まったく人のいない市営プールを過ぎ、No.50のところで休憩。雲の合間から海上に陽が射しているのが見える。12時を知らせるチャイムが聞こえる。さっきまで見えていたびゅうおは、もう見えなくなり、代わりに富士コンビナートの煙突がかなり近づいて来ていた。

堤防上の道は田子の浦港の手前で途切れ、「火気厳禁」の注意書きが道の両側にこれでもかというほど書かれている貯油所脇を走る。ガソリンの匂いが立ちこめ、急いで走り去る。道は岸壁に突き当たり、ちょうど小型タンカーが出航していくところだった。少し遠回りしてしまったような気がする。
そのまま走って行くと、東海道線の吉原駅前に出た。駅前にはクリーニング店ぐらいしかない。道は、港湾施設と国道1号方面となっているので、東海道線を渡るU字形の高架を渡り、国道1号バイパスと新幹線の高架下に出た。何度も左折右折を繰り返しているので、戻ってるんじゃない?とモトに言われる。
富士市内を東西に横切る県道は、交通量が多い上に歩道があったりなかったり、路面の状況もあまりよくなくて、ひどく走りにくい道だった。
「富士川8キロ」の標識があって、まだまだだと思っていたのが、身延線の高架をくぐって、もうしばらく走ると富士川橋に着いた。南アルプスの夏の水を集めて、どうどうと流れる富士川。モト、この迫力に目を奪われている。橋を渡った先で、川の上流を眺めていると、雲のあいだから夏富士の頂上が顔を覗かせているのを見つけた。

地図を見ると、旧東海道は富士川を渡った先で河岸段丘の上を通っている。富士川の上流に向かう県道を渡らねばならないが、信号がなかなか青にならないと思ったら、歩行者用はボタンを押さねばならないのだった。
畑や民家のあいだの急坂を上がると、建物の隙間から富士の町が見渡せる。よい展望台があれば、きっと絶景だろう。交通量の少ない2車線の道。大きな榎の木の向こうをクランク状にカーブしているのが、江戸時代の東海道を思い出させる。
せっかく坂を上がったのだが、道は緩やかに下って行き、東海道線の富士川駅前で旧国道に合流した。さっきの「富士川8キロ」は、富士川橋ではなく、ここまでの距離だったようだ。1,2キロの違いかもしれないが、紛らわしい。

東海道線には、東京では見られなくなった「みかん色」の短い電車や長いコンテナ貨物列車が行き交う。その線路に並行する旧国道を走る。まもなく右に逸れて行く道が旧東海道。このあたりは蒲原の宿。かつて旅籠として使われていた建物やなまこ壁の商店などが残り、これで道路が舗装されていなければ、本当に江戸時代のよう。海岸沿いの工場群の電力供給のために構築された水力発電の巨大なパイプが異彩を放っている。
玄関前に赤いベンチを置いた商家の前に自転車を停め、中に入ってみる。ボランティアの女性が冷たいお茶を入れてくれた。壁には櫂なども掛けられていて、その理由を聞けば、甲州から川舟で運ばれてきた味噌や醤油を回船に積み替えて商売をしていた山六という商家だったそうだ。蒲原は、街道筋の陸上交通と、川を利用した水上運輸との交差点だったのだ。

由比駅前を通って、また旧国道を横切り、さった峠へ向かう細道に入る。細道とは言え、街道筋。道に沿って古い民家や商家が軒を接し、軽自動車ぐらいしか入れないような道を埋めている。これはまた浮世絵に出てきそうな風情だ。
えー、ここを登るの?とモトに言わせた急坂を上がる。もちろん降りて押しだ。モトを待って振り返れば、変わらぬ駿河湾の景色。富士はあいにく目の前ではなく、探した雲上に浮かんでいた。眼下には東名、国道バイパス、東海道線が並び、欠かさず立ち寄る由比パーキングエリアが見える。本当に海の隣なのだ。
道はコンクリート舗装の農道。軽トラぐらいしか入れないと思いきや、対向してワゴンが走ってきて、あわてて道を譲る。さほど時間がかからずに石碑の並ぶ峠、最高地点の駐車場に到着。駐車場があるとおり、峠の反対側は道幅が広いが、舗装は工事中、なおかつ、こんな急坂あるの?とモトが言うとおりの急斜面で驚いた。ブレーキをきしませながら下り、すぐに東名のトンネル脇に出た。

興津川を小さな新浦安橋で渡る。斜光になった夕日がまぶしい。さった峠を超えたのだから、きょうは清水まででいいやと思う。国道52号に出た八木間のセブンイレブンで休憩。無事を祝って、モトはガリガリ君を店先でかじる。
国道52号を1号との合流点まで下る。興津駅前を過ぎ、線路の向こうの丘に立派な寺院が見えてくる。奈良時代に創建されたという名刹、清見寺だ。横砂、袖師を過ぎて、清水駅前に着いたのは17時を少し回ったところだった。
66キロは、モトにしてはよく走った。

2007-09-17柿田川湧水
2007-09-17沼津魚市場
2007-09-17富士川橋
2007-09-17蒲原宿
2007-09-17さった峠

Omaezaki Omaezaki
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Re:Riding Along Old Tokaido

Posted by days at 2008-05-19 12:57

"Rental Car At Daytona Beach Airport" とか、いつか見る必要ができるようになりたいコメントがたくさんついているのだけれど、いずれもスパムっぽいので消しました。
このエントリーでのコメント受付は中止します。コメントある方は、他のエントリーへよろしくお願いします。

Omaezaki

by Days posted at 2007-09-24 23:15 last modified 2007-10-21 15:38

清水の町は、オイルサーディンの匂いがする。海沿いに公園の入口があったので、入って行くと、かつて岸壁で使っていたガントレーがそびえている。まだ朝早いので散歩している人しかいない。小さな港内フェリー乗り場も人気がないが、波打ち際で子供が遊んでいるのが目立つ。公園の出口で危うく見逃すところだった、次郎長宅跡。ただの石碑だった。
駒越で線路跡のサイクリングロードが左に分かれ、県道を渡って150号線を西へ。直進すると工事中のバイパスで、1台の自転車がそっちに入って行ったのを見て、私たちも後を追った。まだ舗装されていなくて砂利道だ。その先はいましも舗装工事中。横断して海側を並行する自転車道に出る。

「いちご海岸通り」と名付けられた海沿いの自転車道はジョガーやローディに注意さえすれば非常に快適ですいすい走れる。追い風も功を奏して、モトの最高時速34キロ!
静岡の市街に入って、用水の水門があるために一度歩道に出ねばならなかった。海から離れて、静岡駅へ向かう路地を入り、しばらく市街を走って東名をくぐって右折。東名沿いにちょっと入ったところが登呂遺跡。水田跡はそのままだが、博物館はこの6月で立て替えのために閉鎖。遺跡の敷地の多くは工事中になっていて、藁葺きの復元住居と高床式倉庫が移設してひとつの広場に集められていた。
弥生時代の「発見」というのは、つまりは日本の農耕文化の始まりを確認し、日本人が昔から米を作ってきたことを証明するものなのだが、それはイコール日本が島国であったがゆえに独自の純血文化を育んで来たという論理につながりかねない。環太平洋的な視座からすると、弥生時代は日本に「発見」されたのではなく、中国・朝鮮半島から「伝わった」ものだとせねばならないはずなのだが、これは間違っているだろうか。
遺跡の再整備は3年後に終わるという。そのときにはもう少し見学しがいのあるものになっているだろう。
一方でその隣の芹沢けい介美術館は小学生の時に訪れて以来、まったく変わっていなかった。山に雲、松竹梅など、江戸時代の浮世絵と現代の商業デザインとをつなぐミッシングリンクを発見したように感銘を受け、小学生の時と同じように出口の売店で絵はがきを買い求めてしまった。

再び150号線に出て、南安倍川橋を渡る。用宗から県道に入ると、旧街道ならではの落ち着いた町中の道になる。郵便局は10月からの民営化を前に、看板書き換えの真っ最中である。用宗駅前にはマンションが建ち、いよいよ海が道路に迫る大崩海岸の入口もリゾートマンションの脇だった。振り返ると夏富士がぽっかりと雲に浮かんで見えた。
「落石注意」の標識を過ぎ、いよいよ難関、大崩へ。橋梁部分はカーブはしているがほぼ平坦なのでまだ楽だ。橋を渡って、コンクリートのシェルターに飛び込むと、いきなり上り坂の始まり。交通量はかなり多いが、ほとんどが乗用車や軽トラックで、大型トレーラーが来ないのがまだ救い。「東海の親不知」と呼ばれているらしいが、迂回する日本坂トンネルがあって、観光客か沿道のクルマしか入ってこないのが大きく違うところ。
とは言え、上り坂のシェルターは危なくつらく厳しい。テイルランプの点滅スイッチを入れるにはいったん停まらねばならないのだが、それがまた難しい。
シェルターを出た先にほんのわずかな路肩を見つけ、2台停めて休憩。以前のように「無理!」とは言わないが、大変だ、疲れる、をモトは連発している。
道は厳しいカーブを繰り返し、橋から15分ほど上ったところで、ついに頂上に至った。伊豆東海岸を思い出すような道は、徐々に高度を下げて行って、瓦屋根の連なる焼津の町に降り立つ。
朝比奈川を渡って、漁港に入り、工事中の魚市場の目の前の「与作鮨」で昼食。

中港を回るように道をたどって、海岸沿いの道に出る。とは言え、巨大な堤防に遮られて海は見えない。小型船溜まり、船工場の並ぶ一角はさながら海軍基地のようだ。
海岸に出たところで堤防に上がり、その上を南へ快走する。海の向こうには伊豆の険しい山々。モトといずれは走破せねばならない険路を思わず想像するしばらく走ってディスカバリーパークの「ときめき遊星館」に着いた。プラネタリウムが売り物の子供向け科学館だが、次の上映までしばらくあるので、体験展示だけを見る。屋上からは遠く御前崎が見渡せる。既に14時。あと3時間ほどであそこまでたどりつけるだろうか。

大井川にかかる大平橋を渡る。河口にいちばん近い橋なので、堤防に上がるアプローチも長ければ、橋そのものも結構長い。遠く、南アルプスの前衛の山々が見える。川の水は不思議な色に濁っていて、合流分流でそれが濃くなったり、薄くなったりしている。
橋を渡ると吉田町。2車線の県道はかなり狭いのだが、クルマはかなり多い。信号も多くて、かなりヒヤヒヤする。こういうときはモトを先に行かせて、私は後ろで追い抜こうとするクルマに注意喚起する役目だ。
吉田町住吉を過ぎて、坂口谷川を渡ったところで「太平洋岸自転車道」の標識を見つけた。川沿いに続く自転車道の途中にある看板を見ると、途切れ途切れながら御前崎近くまで続いているようだ。自転車道は往々にして町外れを走るので、地元の風物を眺めるには適していないのだが、クルマや信号を気にしなくて済むのでスピードは出る。一長一短だが、いまは自転車道を選んで坂口谷川を河口に向かって走る。

いったん国道に出て、勝間田川を渡ると、怪しげな農道が国道から斜めに分岐。畑のあいだを走るその道にカンで入って行くと、「軽車両以外通行禁止」の標識の立つその道が、またもや太平洋岸自転車道だった。記憶によれば、これは静岡鉄道駿遠線の線路跡。国道に並行して、ときおり農道が交差するためにバリアがあるものの、まっすぐに南へ続いている。そして、畑仕事の軽トラックが道の真ん中に停まっていることがあるから、これにも気をつけねばならない。
風向きが少し変わって、向かい風になってきた。ディスカバリーパークからほぼ休憩なしなので、モトがだいぶ遅れてきた。「ここは相良片浜、御前崎まで14キロ」の標識。

渚のドライブインなどが点在する国道と並行して自転車道は続く。製茶工場のベルトコンベアーが上を横切っていたりする。それほどきつくはないものの、緩やかなアップダウンの連続。疲れた足には案外こたえる。
旧道を横切って今度は少し小高い山裾を走る。。
日が傾いているせいもあって、山の中を走っている気分になってくる。「トロルの橋」と欄干に書かれた橋で農道をまたぎ、少し行くと国道との交差点に出た。
あと5キロぐらいだろうか。国道から御前崎方面へは海岸道路に加えてバイパスができたために旧街道は完全に生活道路になっている。急坂で海岸段丘を上がる。踏ん張る気力もなく、早々と押して行く。うずたかく土が盛られ、ちょっとした公園になっている港の突堤の向こうに、まだ夏富士が海に浮かんで見えた。

御前崎市に入ると、モト、歓声を上げる。役場前、いまは支所前を過ぎ、学校までは緩やかな上り坂。交通量は少ないが、バスも通る歩道のない街道。飛ばして走るクルマに注意して、端を走った。集落を過ぎ、畑の中にあるバスの折り返し場で帰りのバスの時刻を確認する。17:44に相良へ戻るバスがある。相当急がないとならない。灯台までの残り800メートルを、とにかく突っ走った。
17:06、両手を挙げたバンザイポーズで白くそびえたつ御前埼灯台前にゴール。岬をめぐって、ぐるりと海。曇っているので夕日は見えないが、たぶんまもなく暮れるだろう。海岸にも人気はない。

2007-09-24石部海上橋
2007-09-24焼津小川港
2007-09-24ディスカバリーパーク
2007-09-24静波海岸
2007-09-24小堤山
2007-09-24御前埼灯台

Riding Along Old Tokaido Riding Along Old Tokaido
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
Mouth of Tenryu River Mouth of Tenryu River
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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ときどき旅

Mouth of Tenryu River

by Days posted at 2007-10-06 14:25 last modified 2007-10-24 01:21
2007-10-06白羽海岸

2007-10-06合戸浜

2007-10-06しらすまぐろ丼

2007-10-06国安橋の祢里

2007-10-06軽便跡のダート

2007-10-06横須賀宿吉田屋

2007-10-06浅羽海岸の崩落

2007-10-06「風竜」と灯台

2007-10-06掛塚橋

御前崎灯台から白羽海岸を西へ。どういうわけかサーファーもほとんどいない。波の加減だろうか。丘の上にメロンのような形をした自衛隊のレーダーが近づいて来て、それを過ぎると海っぷちの道はおしまい。少し坂を下がって、小高い丘を上がる。ここから振り返ると、どこまでも続く海岸線の景色。灯台の展望台に次いで御前崎で好きな光景だ。きょうは自転車だから、好きなところで停まって愉しむことができる。

意外にも雨がぽつぽつ降って来た。
これはいったい何の匂いだろうと、異臭をいぶかしげに思いながら筬川(おさがわ)を渡る。その先の交差点は直進すると浜岡原発の構内に入ってしまう。ちょうどそこから大きな機械を積んだ巨大トレーラーが2台続けて出てくるところだった。海沿いの道はないので、国道方面へ右折する。
国道150号線との交差点、上ノ原のサンクスで一休み。実は朝食を食べていない。肉まんと菓子パンでとりあえず一息ついたら、雨がざあざあと降ってきてしばし足止めとなった。国道を挟んだ向こうでは、スーパーとホームセンターの建設工事が佳境。こうして「故郷」の地域社会は、米国流の悪しき集約経済に飲み込まれて、破壊されていくのだ。

佐倉の交番を過ぎて、軽便駿遠線の線路伝いに行く。雨が小降りになったので走り出したが、降ったりやんだりで落ち着かない。小さなスーパー、郵便局、公民館、祭礼の飾り付け。住宅地を過ぎて、特徴のある送電線の2本の柱あたりから、用水路沿いの山裾の細い坂道を下って行く。「降雨時がけ崩れ注意」の立て看板。いまがまさにそうなのだが、運悪く雨が激しくなり、その崖の影で雨宿り。モトはクモをみつけて大騒ぎ。まだざんざん降りなのに、早く行こう、と言い出した。
桜ヶ池の大鳥居前を過ぎ、新野川の手前で国道150号とぶつかる。さっきのサンクスからは、浜岡原発のちょうど反対側になる。
ねむの木美術館は移転したが、明るい色調の建物は現存していた。何に使われているのだろう。角を曲がって海に向かった突き当たりが浜岡砂丘の「白砂公園」。自転車を停めて、靴の中に砂が入らないように苦労して丘を上がるが、初秋の砂丘は飛砂防止の緑化が功を奏して、「月の砂漠」のイメージからはほど遠かった。

この白砂公園から、またサイクリングロードが始まっている。最初は松林の中の舗装路をひたすらまっすぐ。砂丘が途切れたあたりから、防波堤の上を走るようになる。眺めはよい。が、曇り空で波は荒く、気分洋々という感じではない。道の両側を延々と連なる白いガードレールの上には何十羽ものカラスがたかり、しゃがみこんだおっかない学ランの連中の前を恐る恐る通るみたいだ。
おまけに路面に積もった砂。近くに砂丘があるぐらいだし、海沿いの道路はいずれ堆砂から避けられないのだが、あるところではとても舗装路を走っているとは思えないほど長く押して行かねばならなかった。
そしてときおり雨が降ってくる。陸側は柵に囲まれた工場やスズキのテストコースがある程度で、海岸沿いの道はまったく避難場所がない。晴れたりやんだり、なんとかやりすごしながら走って行くと、土砂降りになった。ちょうど堤防下に公衆トイレを発見して逃げ込んだ。
雨が止むのを待っていたら、12時のサイレンが鳴った。

その少し先に体育館のような建物と、菊川に架かる橋が見えて来て、近づいてみると「大東温泉シートピア」。持っている地図には載っていないが、最近できたんだっけ。サイクリングロードに隣接しているだけあって、専用の駐輪場もある。ここで天気が回復するのを待つことにした。
冷えた体を濃い温泉の湯船で温め、露天風呂に出ると、いつのまにか青空。もう午後は雨の心配がなさそうだ。濡れたシャツを着替え、大広間で食事。本日の日替わり定食、釜揚げしらすまぐろ丼。ちょうど私の分で売り切れ。モトは天ざるを頼んだ。

菊川の河口に架かる潮騒橋は、自転車歩行者専用。架けられたのは1995年だが、自動車が入れないせいか、まだ道路地図に載っていない。ここから菊川に沿って大東町の役場まで「大東ウェルネスロード」と名付けられた川沿いの道を走る。
150号との交差地点で「この先通行できません」の注意書きがあるが、これは自動車向けのものだったらしい。ダートになるものの、MTBで問題なく通り抜けられた。ロードではおっかないかもしれない。スピードは出ないが、私たちの寄り道旅にはMTBがいちばん合っていると思う。

国安橋で祭礼の祢里(ねり)とすれちがった。大きい。神輿よりも山車に近いが、お囃子が乗り、その上には人形。四輪の台車ではなく、大きな大八車のような感じ。子供も多く、うろうろする小さな子を、高校生ほどの交通整理係が手際よく注意する。大きく西へ蛇行する菊川に沿って、さらに上流へ。バスの折り返し場がある旧大東町役場、いまの支所の裏手から、川を離れて神社の前を横切る歩道のない裏道に入る。これがやはり駿遠線の線路跡。その証拠に、少し先の駐車場には「新三俣駅」の看板があった。
祭り囃子があちこちから聞こえて、それも気になる。老若男女の半纏に「に組」とか「は組」とか書かれているので、モトはこれを「いろはにほへと」順になっているのではないかと推測した。
「南大坂駅」を過ぎ、軽便跡の道は2車線路となって小さな丘の裾を回って伸びる。小さな川を渡った先からは車道と分かれて、明らかな線路敷に。その斜面には彼岸花が咲いている。いったん民家の裏に消えて行って、そこまで追って行くのはさすがにはばかられたが、ちょっと車道を走った先からは再び砂利道を追うことができた。
朝顔の「トンネル」を抜け、竹林の中のダートが続く。MTBじゃなきゃ、こんなところまで来れない。MTBだから、アスファルトじゃないこんな道を走るのが楽しい。少し小高い丘を走るので、畑の向こうに祭り囃子の聞こえる町並みが、そのさらに向こうに青い太平洋が見渡せる。なかなかの展望だ。

横須賀には旧街道の町並みが県道とは別に残っている。旧東海道筋ではないが、それゆえに開発から逃れたとも言える。道幅は江戸の街道筋そのもの。旅籠や醤油店、酒屋などがかつてのまま残って商売を続けている。ただ生活道路なので地元のクルマがぶんぶん走るのは、まあしかたないか。
吉田屋という和菓子屋で大判焼を買い、店先でモトと食べる。大東の祭りと違って、横須賀は三熊野神社の大祭に合わせて春に祢里巡幸の奉納が行われるらしい。横須賀の祢里のルーツは、江戸の神田明神にあるそうで、その形態が伝わる唯一のものだとか。町中にも祢里の蔵がある。能登七尾の台車蔵、青森のねぶた蔵の小型版といったところ。
その先には横須賀城跡。復元した石垣が残るのみ。雨ざらしになった模型で城跡の全体像が分かるのみだが、天守閣跡まで上ると、太平洋が一望に眺められる。午前中、あれほど雨に苦しめられたとは思えないほどの快晴。

150号線弁財天橋を渡り、海岸沿いのコンビナートを抜けて、砂浜に出るとまたサイクリングロードが続いていた。きょうはまだ海に触れていないので、波打ち際に出て、海水を味わう。浅羽海岸はゴミが散乱していてあまり綺麗とは言えないが、意外にも遠浅で、波が美しい模様を作っていた。
堤防上の自転車道だが、それほど砂に埋もれてはおらず、すいすい走れる。堤防上から松林に入るところで、「この先300メートル自転車通行できません」の警告。松林の中の道は、枯れ枝が落ちていたりして、確かにその先は走る人が少ないようだ。林の中から再び海浜に出たところで、無情にも工事用の高柵がとおせんぼしている。サイクリングロードのアスファルトはその先も続いているが、いったい何があったのだろう。
待つようにモトに言い、砂浜にHardrockを下ろして、偵察。硬く絞まった砂浜は、1.9インチ幅のタイヤで走れる。200メートルほど行ったところで、砂浜は波に洗われて削られる高さ5メートルほどの断崖になった。なるほど、おそらく西湘バイパスを崩れさせた9月の台風だろう、この波に浸食されて、サイクリングロードも崩落してしまっているようだった。
モトの待つところまで砂浜を戻り、最初の警告まで戻るのも癪なので、松林の中を強硬突破して一般道まで下りる。私たちの行く手もずいぶんワイルドになってきた。

太田川を渡るため、再び150号線まで戻る。国道沿いは磐田近郊の住宅地。棟上げを祝って、餅をまいている家があった。こんな風習も私たちには馴染みがなく、珍しく見える。地図には「サークルK」があることになっていたが、看板のぬりつぶされたがらんとした店だけを発見。その先、橋の手前に真新しいファミマを見つけて、そこできょうの「ガリガリ君」タイム。
駐車場の一角でガリガリ君をかじるが、目の前の店頭で店長が「五平餅」を焼いていて、モトが自転車で東京から来たのだとか、自慢げに自己紹介している。五平餅、うまいぞと売り込まれ、1本買わざるを得なくなった。食べたモトが「おいしかった」と報告に行くと、いちごのキャンディーを山ほどくれた。かえって申し訳なく。
そんなことをしているうちに、夕日はあと少しで暮れるところ。急いで太田川を渡り、「太平洋岸自転車道」の案内に従って住宅街の中を走る。いままでずっと海岸沿いだったので、住宅街の中を歩行者に気をつけて走るのは少し妙な感じ。今之背川の堤防上をしばらく走り、対岸へ渡るうちに、日が暮れた。
回りの様子はわからないが、とにかく松林の中のサイクリングロードをひたすら追いかける。間の悪いことにLEDヘッドライトの電池切れ。薄明かりが頼りだ。テイルランプは生きていて、モトはそれを目印に、遅れないようについてきたそうだ。
さすが市街地。ときどきジョギングしている人や犬の散歩をさせている人がいるので、真っ暗でもそれほど怖くは感じなかった。行く手が開けると、再び海の堤防上。が、さっきまでと違って、夜の海だ。海洋公園の風力発電の巨大風車と、河口の灯台とが並んで残照のシルエットとして見える。
堤防沿いをぐるりと回って、天竜川沿いの河川敷道路に。川沿いにはクルマがびっしり並び、暗闇の中を釣り人が動き回っている。中には家族連れやカップルもいて、暗いわりに賑やかで不安がない。
とにかくひたすらペダルを踏んで遠州大橋を越え、掛塚橋が見えてきた。さっきのファミマでモトが五平餅を食べているあいだにきょうはこのあたりまでとアタリをつけたところ。橋のすぐそばにバスの営業所があって、そこには屋根付きの駐輪場も完備していた。文句なしにここをきょうのゴールとして、磐田駅行きのバスに乗り換えた。ここまで走れてよかった。

Omaezaki Omaezaki
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Pine Trees of Enshunada Pine Trees of Enshunada
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Pine Trees of Enshunada

by Days posted at 2007-10-07 16:00 last modified 2007-10-27 16:42
2007-10-07中田島砂丘

2007-10-07篠原町付近

2007-10-07舞阪波止場

2007-10-07白須賀宿

2007-10-07豊橋市城下

2007-10-07豊島駅

さすがの天竜川だ。無骨なトラス鉄橋の掛塚橋が、あまりの川幅の長さに頼りなく感じる。
渡ったところで、再び「太平洋岸自転車道」の案内板がお出迎え。有料道路の遠州大橋を除くと、掛塚橋が天竜川最下流の橋なのだが、実際の河口まではここから3キロある。
堤防上の道をのんびりと走る。きょうも釣り人が多く、彼らのクルマが飛ばして来るのに注意せねばならなかった。河川敷にモーターパラグライダーの短い滑空場。ワゴンが1台、風向きを思案している。やがて太平洋が見えて来た。きょうも波が高い。
堤防上の道は海にしばらく沿ったところで途切れ、サイクリングロードが松林の中に消えている。モトは頭上のクモの巣にばかり気を取られている。しばらく走ると道路に出た。消えかかった「自転車道迂回路」の地図入りの案内板があるのだが、いまひとつ要領を得ず。このあたりが江之島らしい。道路地図に従い、プールの先を曲がって、遠州灘大橋を渡る。浜松市内を流れる2つの川を渡る橋だが、掛塚橋に比べれば、どこが「大橋」と言いたくなる。川の向こうには浜松駅前のアクトシティが望める。
遠州灘海浜公園では、広い芝生の上でゲートボールのようなゴルフのような競技を大勢の人がやっている。ガーデンテニスというらしい。さすが日曜日の朝の公園、だんだん歩道上も人が増えて来た。観光バスまでやってきて、と驚いていたら、その先が浜松の観光名所、中田島砂丘の入口だった。

砂丘は浜岡でこりごりしていたので、入口のスロープを上がって、遠くの観光客を眺めるだけにする。と、後ろからママチャリに乗った婦人が走って来て、砂丘の手前の小径に消えて行った。ふむ、この道はなんだろう。しばらくは公園の中を走って、駐車場にでも続くのだろうか。
簡易舗装の道を追って行くと、砂利の車道に突き当たった。砂利道の向こうには公園やサッカーグラウンドも見える。道は海へまっすぐ向かっていて、さっきの婦人もそっちへ向かって行ったようだ。途中、砂丘が横から望め、観光客が蟻のように見えるのが不思議。
ママチャリ婦人は、海の突き当たりで太平洋を眺めていた。砂利道は直角に曲がって海沿いに西へ続いている。北海道のような荒涼とした浜辺の景色。海を眺めながら、どこまで行けるのだろうかと、この砂利道を走り始めた。

約50分後、私たちはまだその砂利道を走っていた。平均時速18キロ。行けども行けども海沿いの砂利道なのだ。いや、正確には草蒸した松林の中のシングルトラックあり、松の若木を植えている植林用の軽トラ道がありなのだが、それにしてもあまり変化のない、人気のない道。
ママチャリ婦人のいた砂利道の始まりを起点として、キロ程と町名の標識がところどころにあり、米津、新橋、小沢渡と、町名を手がかりにだいたいの位置はわかるのだが、これがどこまで続くのかはどこにも書かれていない。聞こうにも人がいない。
元より道路地図にない道。浜名バイパスが海岸に迫る篠原あたりか、最悪は浜名大橋の手前まで続くのだろうと覚悟する。MTB向けの道ではあるが、ハードテイルなので次第にお尻が痛くなってきた。いつのまにかバイパスと並走。ああ、篠原より先へまだまだ続くのだ。
堤防上に2台のおじさんサイクリストが停まっていて、そこで道を聞くことができた。この先、「サイクリングロード」は浜名バイパスを階段でくぐって、舞阪まで続くのだという。これがサイクリングロードだとは、10キロ走ってきて初めて知った。
高速道路並みのバイパスをくぐったところで、道路の案内板を振り返ってみたら、そこが坪井IC。今度はバイパスの金網と松林のあいだを走る。簡易舗装されているが、松の根っこがかなり張り出してアスファルトを押し上げていて、走りにくいことこの上ない。馬郡ICの入口で車道と交差しているのを境に、舞阪の町中を走ることにした。舗装路のなんと快適なことか。
小さな灯台を家並みの向こうに眺め過ぎ、突き当たりの記念橋からは小さな漁港が望める。浜名湖の湖口は、浜名大橋を渡れるつもりでいたのだが、これはどうもバイパスの自動車専用のようだ。橋のたもとまで行ってみたが、歩行者自転車が上がれるような階段などは見当たらず、すごすごと引き返す。
お昼まではまだ時間があるが、浜名湖と言えばうなぎだよな、とさっきのおじさんサイクリストが話していたのが頭に残って、どうしてもうなぎが食べたくなり、舞阪旧脇本陣の斜前にある食堂に入って「うなぎ丼」を頼んだ。

弁天島、西浜名橋を渡り、ようやく湖口の対岸、新居に入る。北側には東海道線と新幹線が並行していて、ときおり轟音を立てて「のぞみ」が突っ走って行く。東海道新幹線ならではの光景。そして南側には湖面の向こうに弁天の鳥居と、憎き浜名大橋。
新居町駅前で旧東海道と思われる裏道に入り、関所へ向かって走る。急に舟溜まりが現れたりして、宿場町のこの風情には感嘆する。関所は交通量の多い国道沿いにあって、江戸時代そのままの建物を残しているとはいうものの、少し居心地が悪そうだ。松に白州はどこかで見たような感じもする。
旅籠「紀伊国屋」の前を通って、湖西への国道が右に分かれる突き当たりを左へ。旧街道独特の幅を持った道は、一里塚や「棒鼻」跡を見ながら、やがて現在の国道1号線に突き当たるが、国道を100メートルほど西へ行くと、また旧街道が右へ分かれる。「浜名旧街道」と名付けられていた道は山裾を緩やかにアップダウンしながら続く。このあたりもまた祭礼の最中らしい。人気のない午後の神社の前に、派手な飾り付けがされた山車が停められていた。半纏を着た善男善女は、その先の公民館の座敷で酒盛りの最中。通りから丸見えだ。この開放感がいい。
海のほうを見れば、家々の向こうに畑を切り拓いて通したような現在の国道1号、さらにその向こうの高架の浜名バイパスが見える。年を経つにつれて生活圏が山裾から浜辺へ進出し、ついには海上に出てしまったようだ。

いつのまにか白須賀の宿場町に入っていて、案内板が目につくようになった。酒屋の手前を右に曲がる道があり、私たちを追い越したパトカーがそれを入って行ったので、角にある案内板に気がついた。ここは潮見坂下、左新道、右旧道。
果たして旧道の奥は信じがたいほどの急坂。道路地図を見れば国道1号もヘアピンカーブを描きながら登っているところなので、私たちもいちばん古い旧道の急坂を、押しを覚悟で登る。モト、結構調子よく途中まで漕いで上がって来た。坂の両側は暗い竹林。パトロール警戒中の立て看板があって、さっきパトカーがやってきた理由がわかった。
それにしてもまさかこんなところで急坂。以前のモトなら「もう無理!」を連発しているところだが、きょうはクルマが少なくていい、と着実に登ってくる。上がりきった中学校の前に石碑があり、そこはまさに海を望む展望台になっていた。いつのまにかこんな高さまで来たことに驚く。
白須賀の宿は、坂下の本宿がたびたび津波に襲われ、潮見坂上に移転したという。「旧東海道」の標識はあるが、本陣は空き地になってしまっている。神明宮の祭りの幟だけがすっくと立っていた。
14時すぎ。東海道はここでしばしお別れ。伊良湖へ向かう国道42号線に入る。

42号線は歩道が途切れ途切れにしかない、2車線の道。車道の右や左、とにかく安全なほうを選んで走る。おまけに細切れのアップダウン。ときおりローディーとすれ違うが、確かにトレーニングにはなるだろう。
道路標識にも「伊良湖岬」、「伊良湖フェリー出航」の看板を見て、今回の目的地が間近に見えてきたので嬉しくなる。国道1号バイパスとの交差点の先が、「ようこそ豊橋へ」の標識のある愛知県境。長かった静岡県が終わり(まだ伊豆西海岸が残ってはいるけれど)、思わずガッツポーズ。
さっきの白須賀宿でも休まず、舞阪からほとんど休憩を取らずに走って来たので、細谷東のサークルKでどっかり腰を下ろした。定番の1リットル紙パック麦茶を買い、水分補給。おまけにバナナで栄養補給。
コンビニには訪れる人が絶えず、いちばん傑作だったのは子犬を軽トラの助手席に載せたおじさん。その荷台には同じ斑の犬が3頭揃って、こちらを眺めている。

さて、コンビニは坂の下にあるので、スタートは上り坂。これが結構こたえるようになってきた。
海岸線から離れた国道を、ひたすら走る。西七根を過ぎたあたりから、海岸沿いに高塚緑地へ向かう自転車道があるが、地図を見る限り国道のほうが断然近道だったので、そのまま車道を走る。下り坂は結構スピードが出る。ヘルメット、持って来たほうがよかったかも。
きょうの目的地は、なんとか明日の行程に無理のない範囲で豊橋鉄道の駅まで行くことだったので、国道を外れて県道397号線がまっすぐ向かっている豊島駅を目指す。
またもや急な坂を押して上がると、海岸段丘の上は一円のキャベツ畑。遠くに風力発電の風車が見え、高原気分だ。田原市に入り、農道のようだった道はセンターライン、歩道ありの立派な2車線路に。快適な坂道を下って行く。田園風景の広がる長仙寺前の信号で少し足を休め、蜆川に沿って走ると、谷熊(やぐま)の集落。真新しい公園の中では、遊具の汽車の前で踏切が鳴っている。やけに本格的な汽笛が鳴ったかと思うと、それは県道の先の踏切を横切る本物の電車のものだった。やっと42号線を離れて、市街へ向かう電車に乗れるのだ。
喜び勇んで豊島駅に着いたものの、無人駅のホームには当然のごとく自転車置場が見当たらない。いやあるにはあるのだが、踏切を隔てた反対側の空き地に、数台のママチャリが停められている。一晩ここに置き去りにするにはかなり不安。
まだ16:30。夕暮れにはもう少し時間がある。天気予報では明日は天気が崩れるらしい。しかも「ガリガリ君」もまだだ。そんなこんなでもう3キロ、電車の終点である三河田原駅まで走ることにした。

国道のバイパスをくぐり、下り坂の途中にまたサークルKを見つけて、「ガリガリ君」タイム。サークルKでは「ガリガリ君リッチ」も売っているのだが、100円するのはガリガリ君とは違う、とモトはソーダ味にこだわる。
ちょうど17時のサイレンが鳴った。コンビニ裏は線路で、15分おきの電車が行き交う。1時間、2時間に1本のバスに慣れた身、こんなに頻繁に電車が走るのはちょっとした驚きだ。田原市を見くびっているわけではないが、バスさえも走らない42号線沿いとのこの交通格差は何なのだと思う。
急に開けた町中を走り、巨大な家電量販店にびっくりしながら、真新しいショッピング複合施設「セントファーレ」の前を曲がって、三河田原駅前へ。部活帰りの高校生タイム。迎えに来た自家用車と、客待ちのタクシーと、市内バスとが激しく広場を争っている。
三河田原は渥美線の終点。ホームから数十メートル先まで線路が延びていて、その先は道路に阻まれている。その電車の来ない線路脇が駐輪場。ようやくありがたく停めさせてもらった。

Iragosaki Iragosaki
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
Mouth of Tenryu River Mouth of Tenryu River
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Iragosaki

by Days posted at 2007-10-08 17:10 last modified 2007-10-27 16:41
2007-10-08三河田原

2007-10-08ロングビーチ

2007-10-08赤羽根越戸

2007-10-08越戸25%

2007-10-08恋路ヶ浜

2007-10-08伊良湖港

9時には漕ぎだせるように三河田原駅に戻ってきたのに、ちょうど土砂降りに。遅くなるにつれ天候が悪くなると読んでいたのが、未明から降ったりやんだりなので、少し雲の流れが速まっているようだ。
天候待ちの策を考える。まずは「セントファーレ」のBLUEBERRY CAFEで、名古屋名物モーニングセット。時間をかけてゆっくり小倉トーストを楽しむ。ミニサラダをたいらげ、地図を眺め回し、それでも雨が止まないので、町外れのジャスコへ向かう。10時開店まで少し早かった。開店と同時に店に入るが、さしてやることもなし、書籍コーナーでレジのおばちゃんの冷たい視線を感じつつ、ひたすら読書に励む。モトはTVゲームコーナーで、他の子のプレイを指くわえて見ていたらしい。
11時すぎに外に出てみたら、少しは小降りになっていた。このまま上がりそうだ。

TVゲームができなくて不機嫌なままのモトと三河田原駅の駐輪場に戻って、出発。屋根付きの駐輪場で助かった。きのう豊島駅からこっちまで走ってきたのは正解だった。
化学工場のあいだを抜け、県道を赤羽根へ向かう。バイパスができるまではこっちが国道だったはずのメインストリート。とは言え、少しは寂れ気味。色あせたマリリン・モンローの巨大看板が出迎えてくれる。
警察署の前で、県道と並行して裏道があるのを発見。しばらくはそれに沿って走る。水たまりに気をつけながら。それほど長くは続かず、再び県道走り。
「北山クリニック」という妙に具体的な名前のバス停を過ぎる。農業高校の先の信号を、「赤羽根」の標識にしたがって左折した。伊良湖岬まであと25キロ。幅の広い歩道を快走する。
坂を下って行くと、下り切った橋が汐川。あれ、田原市内を流れてるのと同じ川だ。川沿いに道路を敷かなかったのは、水害を恐れてのことだろうか。用水路の張り巡らされた水田のあいだをしばらく走って、再び国道42号線に出た。

国道を数百メートル、坂を上がると「太平洋ロングビーチ」の入口。雨がやや強くなって来た。直進すれば20キロで伊良湖だが、その「ロングビーチ」に沿ってサイクリングロードが始まっているので、雨に濡れるのを我慢して急坂を一直線に下って行く。ブレーキが悲鳴を上げる。
海に突き当たったところが、海辺に巨岩ごろごろの海岸。きょうのような悪天候にはぴったりの光景だが、雨煙の先にはサーファーが。海岸沿いの道路にはワゴンが縦列駐車で並び、車内には手持ちぶたさの子供や恋人たちの姿が見える。難儀な趣味だ。
車道と並行してサイクリングロードがあるのだが、1キロも走ると、自転車道のみになった。ところどころに「アカウミガメを守ろう」の看板があり、ウミガメ保護のために自転車以外の車両が通行禁止になっていることがわかる。自転車はやはり自然に優しい乗り物だ。
きょうの行程、30キロ弱の半分は、こうしたサイクリングロードのはず。天気が多少悪くても出発したのは、自動車との接触の心配が少ないから、ということもある。

赤羽根港でちょっとだけ国道に交わり、雨から逃げ込むように道沿いの「くろしお」という食堂で昼食。いかにも観光客相手のドライブインという感じだったのでちょっと心配だったのだが、先客は休憩中のサーファー6人、刺身定食と味噌カツ定食にはずれはなく、次から次へ他の客も来店。
42号線沿いはもともと商店が少ないのだが、渥美半島も先端に近づくにつれ、ますますこうした食事ができるところがなくなってくる。しかも雨で行動範囲が狭まっているので、ちょうど昼食時に赤羽根港に着いたのはラッキーだった。
店を切り盛りしているおばちゃんとお姉さんに励まされて、霧雨の中を出発。

サイクリングロードは港の向こう側に続いている。約4キロ弱の波打ち際ルート。砂に埋もれているところはごくわずかで、走りやすかった。
サーファーがぞろぞろと歩いていて、海に出たところがサーフポイント。サーフィンを眺めながら走るのは、ことのほか楽しい。うまい人もそうでない人も、楽しそうに波間を漂っているからかも知れない。
波は結構高くて、サイクリングロードも波をかぶりそうなところがある。旧赤羽根町サイクリングロードの終点は、旧渥美町との町境。いまではどちらも田原市だが、ここで「25%」勾配というすごい道路標識を目撃。つまりは階段なのだが、自転車が通れるように中央にスロープがつけられている。まさかのサイクリングロード終点だった。

三たび国道42号を走る。相変わらず左右にカーブしながら、緩く丘を上り下りする洗濯板のような道。クルマで走ればジェットコースターなのだろうが、ゆっくり走る身には、上り坂はただの上り坂だ。
メロン食べ放題、イチゴ狩りの農園を過ぎるが、いまは端境期。誰もいない。和地の集落に入ると、家々の前にいろとりどりの花が目立つようになる。
5キロほど走るとまた「太平洋岸自転車道」の標識が現れ、温室の脇をまた海岸へ折れた。
最初は断崖の上の松林の中。モトは例によってクモを気にしているので、上を見上げない方がいいよ、と忠告する。余計気になったようだ。
サイクリングロードは格好の犬の散歩道でもあるらしく、無法地帯のように糞が落ちている。おまけに、かたつむりが我が物顔に道を横切る。とても口笛を吹きながらは走れない。
堀切海岸で海岸沿いまで下り、あとは砂浜沿いをどこまでもまっすぐ。雲の切れ目から薄日が射してきた。遠くの海上に日光が降り注いでいるのがうらやましい。行く手には伊良湖ビューホテルが建つ小高い丘が見えてきて、それがペダルを踏めば踏むほど近づいて来る。
石門が近づくと、舗装が急に新しくなり、快適そのもの。石門と伊良湖岬との分岐の標識があるが、石門は目と鼻の先なので、少し寄り道してみる。

伊良湖岬へは断崖を越えるために峠を越えねばならない。急登する車道とは別に、自転車道は海岸線を離れた斜面を大きく回って緩やかに高度を稼ぐ。再び車道をくぐって海を見下ろす断崖上からの景色。波のうねりが手に取るようにわかる。
ここからは一気に下って、恋路ヶ浜へ。伊良湖ホテルの前の駐車場で大勢の観光客を見て、ようやく人里に戻ってきたことを感じた。
最後の一押し。海上交通センターへの長い上り坂を押して登り、せっかく登ったのに下らないと見られない波打ち際の灯台に、波濤の驚異を感じて逃げ帰り、最後はサーファーと出航準備しているフェリーを眺めながら、フェリーターミナルへの下り坂。自転車歩行者専用の橋を渡り切って地上に下りたところで、フェリーが岸壁を離れる。それを眺めていたら、背後でちょうど田原行きのバスが出て行った。ああ惜しい。
岸壁まで行き、伊勢湾フェリーの乗り場を今回のゴールとする。16時少し前。最後は晴れて、気持ちのよいライディングだった。愛知県は短かったがこれでおしまいで、次回は鳥羽から三重県の旅になる。

Pine Trees of Enshunada Pine Trees of Enshunada
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Enshunada 3 days

by Days posted at 2007-10-12 23:00 last modified 2007-11-19 00:19

前回の続き。預かってもらっていたMTBに再び乗り、御前崎から伊良湖岬まで約150キロを、10/6から3日かけて旅してきました。
ルートはサイクリングロードとは名ばかり、松林の中でクモの巣だらけのシングルトラックあり、関所や宿場町をめぐる旧東海道があり、残りがクルマぶんぶんの県道といったところ。遠州はちょうど祭りの季節。きらびやかな台車や夜を徹して続く巡行を眺めながらの楽しい旅でした。
詳しくは、それぞれの日を。

伊良湖岬から輪行

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Steam Locomotive runs Moka

by Days posted at 2007-11-04 23:20 last modified 2007-11-19 02:29
C12

ガソリン代が高いのと、クルマで出かけるのはリヒトがあまり喜ばないので、電車でどこかへ出かけることにした。シートベルトが嫌なのだ。
久留里、小湊、いすみ、東金、銚子、鹿島臨海、茨交、水郡、真岡、烏山、飛んで足尾と、東京から50〜100キロ圏内のローカル線を数えていって、足尾のわたらせ渓谷鉄道は桐生までのアプローチもさることながら、そこから終点までもまた距離が長いのでやめにした。戻って真岡鉄道にはSLが走っている。モトとリヒトを引き連れて、湘南新宿ラインを小山で乗り換え、真岡鉄道の起点、下館へ。2両連結の清潔なディーゼルカーに揺られて1時間。終点、茂木に着くと、構内のターンテーブルにC12型が蒸気を上げて待っていた。
土曜・休日のみ、1日1往復。下館からの下り列車には間に合わなかったが、帰りの上り列車の整理券はまだ売っていた。指定席でないところを見ると、あまり満席になることを想定していないのかも知れない。
茂木は本田技研工業が開発した「ツインリンクもてぎ」がある町。きょうもイベントをやっているのだが、駅前からツインリンクまでは約4キロ、タクシーで行くしかない。駅前通りから国道123号に出てみるが、日曜日に開いている商店は少なく、バイパスができたためにクルマも少ない。それに引き換え、バイパス沿い、逆川の河川敷にできた「道の駅もてぎ」は大盛況だ。
さて、客車3両編成のSL列車に乗り込んだ私たち。座席は満席には足りないが、そこそこ埋まっていて安心した。リヒトがはしゃいでいるうちにすぐに出発。窓を開け、車窓を眺める。茂木の町内を過ぎると、すぐにさっきの「道の駅」。案内所には通過時刻が書かれていて、広場にいた人々が手を振っている。私たちも手を振り返す。SLは長い坂道に差し掛かり、途端に速度が落ちる。国道を並走するワゴンの中からも、家族連れが手を振っている。それを見つけたモトが、また懸命に手を振る。ときどき石炭くずが飛んできて、目に入って痛い思いをする。顔も次第に煤けてきたみたいだ。

車窓から見る沿線の人たちは、列車を応援して手を振ってくれている。一生懸命石炭をくべてSLを走らせている機関士の姿、1枚1枚の整理券を窓口で売る駅員の姿を見ているから、私たちは彼らに代わる気持ちで、それに手を振り返す。なんて幸せなんだろう。ローカル線からは、列車を走らせる鉄道員や沿線の人たちの愛情が伝わってくる。
が、愛情だけではどうにもならないことがあることも、私たちは知っている。ここ数年では、北海道のちほく高原鉄道、石川ののと鉄道能登線、宮崎の高千穂鉄道がそれぞれの事情で廃線となってしまった。私にとって、いつか乗ろう、あるいは再訪したいと願っていただけに、残念でならない。
真岡鉄道が走る北関東でも、87年に筑波鉄道が、昨年には鹿島鉄道が廃止されている。いずれも合理化のために関東鉄道から分離された路線で、乗客減に歯止めがかからず、経営が続けられなかったという。
冒頭に引き合いに出したわたらせ渓谷鉄道も、黄色信号の灯っている路線のひとつだ。沿線自治体による再生協議会から2009年までの赤字補填を受けられるようになったものの、その後も支援が受けられるかどうかはわからない。そもそも赤字路線だったのに沿線の期待があったからJRから分離されて第三セクター鉄道になったはずで、それが黒字にならないから廃止だというのでは、県や市町村関係者の期待は金目当てでしかなかったのかと思えてくる。

廃線跡は寂しい。数年は代替バスが往復して、線路の跡をたどることができるが、それさえもなくなってしまう地域が多くなっているように思う。もともとバス路線の新設・廃止が許認可制から届出制になり、全国的にバス路線が減ってきているのだ。以前鉄道が走っていたと地域も例外ではない。クルマのほうがバスより便利なのだから。
しかしこれで困るのが免許を持たない児童、生徒、高校生だ。通学、外出のたびにクルマで送ってもらうか、長い距離を自転車で行くしかない。雨の日、夜道は大変だ。事故の遭遇率も高くなるだろう‥‥。だから、バス路線やローカル線を走らせ続けることは、大事なことなのだと思うのだ。
現実的にお金が足りないのであれば、税金の投入を躊躇すべきではないと思う。全国の鉄道、バス事業者はこの経営難に直面してギリギリまで合理化を実施しているし、それがモラルハザードを生む心配はないだろう。みんなに優しい地域の交通ネットワークを維持するという合い言葉で言えば、国土交通省が固執する高速道建設と方向性はまったく変わらない。予算案審議では、道路特定財源が余っている、余っていないと議論がかしましくなりそうだ。話がおかしな方向に行く前に、全国のドライバーが払っている2倍の「暫定税率」の正しい使い途としてぜひ検討してほしいと思う。

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Inukoeji Road

by Days posted at 2007-11-23 19:30 last modified 2007-11-25 14:31
犬越路トンネル

池袋駅始発4:34の山手線に間に合うように、まだ電車の走っていない未明の線路沿いを自転車で走り、夜通し呑んで始発で帰るサラリーマンに混じってマクドナルドでチーズバーガーを買う。自転車を分解して担いで、山手線で新宿へ。高尾で松本行きに乗り換えると、車内は山へ行く人ばかりだった。小仏トンネルを過ぎたあたりで空が明るくなってきて、畑に霜が降りているのが見えた。山に雪がまだなければよいが、と思う。
藤野駅からは路線バス。やまなみ温泉の待合所でマイクロバスに乗り換え、東野には7時半頃に着いた。ちょうど前を道志川に沿って県境の月夜野まで行くバスが発車するところだった。月夜野行きは1日2本しかないというのに、乗り換えられないらしい。

夏に大川原天神峠から下りてきて、休憩させてもらった商店の前で自転車を組み立てる。もちろん商店は閉まっている。藤野駅から車中一緒だった夫婦は、焼山から蛭ヶ岳へ行くそうだ。互いに、お気をつけて、と別れる。

神ノ川林道の入口には、「この先車両通行止」の大きな看板。犬越路トンネルをピークに、道志川と西丹沢を結ぶ唯一の車道なのだが、一般車は通れないのだ。途中の日陰沢からは江戸時代からの山道が犬越路峠を越えており、これが東海自然歩道の一部になっている。そこをMTBを担いで上るつもりだった。
朝の清々しい青根の村内を抜けると、夏に走った尾根に朝日が射しているのが畑の向こうに見えた。カメラを構えたら、バランスを崩して転倒。道路から冬の乾いた畑に見事に落ちてしまった。寝不足がたたっているのだろうか。怪我がなくてよかった。
道志川の南岸を緩やかなアップダウンを繰り返しながら行くと、目の前に大室山が望める神ノ川との出合い。林道は沢を新しい橋で渡り、尾根を短いトンネルで抜けていく。改良工事が進み、距離が短くなっている分、不自然な急坂が増えているように思う。
ダンプカーが暖気運転している採石場を過ぎると「1キロ先林道通行止め」の新しい立て看板。路面にも小石が増えてきた。登山口らしく、路肩に駐車車両が増えてきたと思ったら、その先に工事用のバリケード。これが日陰沢の林道ゲートなのかと思って近づいたら、この先日陰沢まで9月の台風6号で発生した崩落のために通行止め、とある。さっきの立て看板はこのことだったのだ。日陰沢にある神ノ川ヒュッテも営業休止しており、さらに犬越路峠への東海自然歩道も登山道通行止めになっているとある。

むむむ。情報収集不足が原因とは言え、朝のこんな時間に出ばなをくじかれるとは。登山道に入れないのなら、ただのサイクリングではないか。しかもゲート近くに停まった軽トラックの運転席には若い男が乗っていて、その視線を背中に感じる。無理にゲート突破するわけにはいかないし、と思い悩んでいると、別の初老の男性が近づいてきて、自転車なら行けるよ、といとも気安く教えてくれた。落石に気をつければ、林道を通ることはできる、登山道に近づかなければ大丈夫、と言う。はあー。その登山道を上るつもりだったんだけど、と思いながら、感謝してゲート脇のガードレールを越え、お礼を言って先に走り始めた。
そのすぐ先が大崩落箇所。頭上は高くから斜面がえぐり取られ、そこから崩れた大量の土砂がガードレールを巻き込み、路肩を崩して川へ流れ落ちている。1車線分はなんとか土砂が片付けられ、斜面にはネットが張られているが、長居は禁物。斜面を見上げながらおそるおそる通る。
小さな祠の前を過ぎる。葉が赤く染まり、美しい。かつて丹沢の山案内が住んだ「山の神」という。その先でも、2ヶ所で路肩が少し崩れており、まもなく人気のない神ノ川ヒュッテの入口に到着。9時前なので、予定通り青根から1時間。日陰沢を渡り、公衆トイレに立ち寄るが、「台風による停電のため、使用中止」との注意書きを見て引き返した。さっきの軽トラ2台が追い抜いていった。荷台には苗木を積んでいるので、植林の山仕事らしい。

犬越路峠へ向かう登山道入口を見ると、しばらく人が入っていないためにかなり荒れている。忠告に従い、軽トラに続いて林道をたどることにする。崩落がなければ、ちゃんと一般車を追い返していただろう立派なゲートは、いまは開放されている。その先、いったんダートになるが、100メートルほど先で舗装が復活。不思議に思う。
小さなトンネルをくぐって、風巻の頭、袖平山へ向かう東海自然歩道の分岐を過ぎ、林道は神ノ川に沿って高度を上げていく。日が射して、次第に暑くなってくる。ステッキにザックの登山者4人パーティを追い抜いた。犬越路峠の登山道通行止めのためだが、時間のかかる林道の舗装路歩きは気の毒だ。
立派なトラス橋が現れ、その先からトンネルまでは舗装がなくなった。ゲートの先でしばらく舗装が途切れたのは、これを予告してのことのようだ。トラス橋のしばらく先で、林道は川から離れて斜面を巻いていく。斜度が増したのか、疲れが増したのか、このあたりから押しに(あとで考えれば、シフトを下げ忘れていただけだった)。トラス橋の上部では、浮石除去の工事作業中。こんな奥で朝から作業しているとは思わなかったので、驚いた。こうした地道な努力を重ねていかないと、道路の維持は難しい。一般車どころか、山仕事のクルマも入れなくなってしまう。
尾根をいくつか巻くうちに、斜度は次第に少なくなってきたので、なんとか走っていく。斜度よりも、ゴロゴロした石を乗り越えるほうが大変だ。ただのサイクリング、と思ったことは反省。MTBじゃなければとても走れない。しかしどこまで尾根が続くのか。トンネル入口で休憩にしようと思っていたが、なかなかそれが現れない。
大室山が目前に近づいてきて、緑と赤のコントラストの下に神ノ川ヒュッテが望める絶景。閉ざされたゲートが現れ、その先が標高960メートル、トンネルの入口だった。尾根を巻く林道の斜面に、いきなりトンネルが
口を開けている。林道はトンネル入口の先にも続いているが、地形図ではその先行き止まりと描かれている。犬越路峠の登山道まで等高線沿いに道が続いていたとしても、そこからさらに峠まで登らねばならず、台風以来人も入っていないようなので、素直にトンネルを抜けることにする。
10:10。気温2度。じっとしていると寒いので、地図をざっと眺めただけで、トンネルに突入する。照明はなかったが、出口の明かりが見えているので、ちっぽけなライトでもなんとか走れた。南側へ向け下り坂になっているらしく、どんどんスピードが出る。逆に北へ向かう場合は大変だろう。距離感がつかめないが出口がなかなか近づかない。抜けるのに約2分。徒歩だと10分ぐらいかかるだろうか。

トンネルを出たところは富士山が望める小さな広場。南側なので日が当たって暖かい。水場やベンチもある。トンネル入口で小休止したばかりだが、ここで持参のおにぎりを食べない手はない。しんとした山の中、ひとりで昼食。
15分ほどして、急勾配を谷へ向けて走り始める。北側と違い、完全舗装でびゅんびゅんスピードが出る。カーブから飛び出さないよう、セーブして走る。谷間は日陰。風を受けて走るので、次第に凍えてきた。我慢ならなくなってウィンドブレーカーを着込んだ。着ているあいだに、ママチャリに乗った地下足袋のおっちゃんが下から上がってきて、目を疑った。向こうへ下りられますか、と聞かれ、ダートだけど行けると答えると、安心したふう。すぐ下で鹿とすれ違って、驚いたのだという。それを聞き、こちらも衝突しないようにしっかり目を開けて走るようにする。
沢筋からの上り坂で一般車の通行を阻止している監視カメラ付きのゲートを越え、河内川沿いの車道に出たのが10:30。青根から3時間弱だった。まだ時間が早いので、本来の東海自然歩道、犬越路峠から降りてきた合流点の用木沢出合まで少し遡ってみる。登山客のクルマはたくさん停められているが、通行止めの掲示は玄倉川林道に関するものだけ。峠へ上がってもその先が通行止めになっているとは知らず、あとで途方に暮れる登山者もいるのではないだろうかと思った。
少し下にあるキャンプ場の「ガーデンカフェ」に寄り、100円のコーヒーをごちそうになりながら、作戦を練る。かつては犬越茶屋だったらしい。
東海自然歩道は畦ヶ丸山、甲相国境尾根を経て平野へ続くが、丹沢湖から世附川を遡り、切通峠を越えるサブルートもあるようだ。山地図では峠の直下まで車道が延びているので、おおまかに計算して3時間。午後はこのルートを通り、平野、山中湖へ抜けようと考えた。

川沿いの道を、丹沢湖に向けて一目散に走り下りる。若干のアップダウンや、バスが通るとは信じられない隘路もあるが、ほぼ快適な道。なにしろ紅葉が美しい。中川温泉を過ぎたあたりから眺める丹沢湖は絵のようだ。よそ見をしていると、カメラを持った夫婦連れにぶつかりそうになる。
落合トンネルの入口を右折し、トンネルに入る。湖岸に歩道が整備され、気持ちのよいお散歩コース。しかし湖畔の道は案外緩やかなアップダウンの連続で、平野まで行けば、これを戻らないで済むというのが少し嬉しかった。
が、川幅が狭まり、登山客の停めたクルマが増えて、たどりついた林道ゲートには「通行止」マークの下に「自転車通行禁止」の大文字が。ゲートの前には商店があって、主人と知り合いの釣り人らしき人たちが大声で話しているが、視線は明らかにこちらを見ている。さすがにこれは無視して通るわけにいかない。ちょうど正午。本日2度目の、もはやこれまで‥‥。

次の課題は、畦ヶ丸山攻略、甲相国境尾根になった。とは言え、きょうはもう無理。
快晴の中、早々と谷峨へ下り、酒匂川沿いの旧道を通って、まだ日が高いうちに、山北町健康福祉センターの温泉「さくらの湯」に浸かる。温泉とは言え、少しぬるめのラジウム人工温泉だった。
246号線を少し走って、新松田駅に着いたのが16時前。走行距離60キロ強。小田急線急行に乗ると、早々と眠ってしまった。

Tokai Shizen Hodo by Bicycle Tokai Shizen Hodo by Bicycle
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Touji, Shimoda

by Days posted at 2007-12-02 21:40 last modified 2007-12-12 01:00
2007-12-02ペリー来航碑

2007-12-02田牛

伊豆急下田駅のタクシー乗り場脇で自転車を組み立てる。少し風が冷たいが、思ったよりマシだ。コンビニでおにぎりを買って、押しボタン式の横断歩道を渡り、一方通行路の商店街を南へ。「ハリスの足湯」という小さな足湯を通り過ぎる。走り始めたばかりでなければ、立ち寄るところなのだけれど。
港の一角にある8月3日からの3日間で終着点とした「ペリー艦隊来航記念碑」が、今回の出発点。ちょうどボランティアのガイドさんが、数人のおじさん、おばさんに説明しているところだった。港の向こうに赤く色づいた寝姿山が見える。モトが港にドボンと落ちそうになる。観光バスがやってきて、バスガイドさんを先頭にどやどやとお客さんが降りてきたので、逃げるように出発した。
車道を避け、運河のような平滑川に沿って古い建物が連なる「ペリーロード」を行く。単に古いだけでなく、建物がアンティークショップやカフェ、イタリアンレストランなどとして活用されていて、柳並木の川沿いの通り一帯がミュージアムのような雰囲気を醸し出している。足を停めて眺めていると、横切る路地を向こうから路線バスがやってきて、慌ててモトに声をかけて道を空けた。
橋のたもとに人だかりがしていて、何だろうと思ったら、その先で放水訓練をやっている。消防団の脇を、おそるおそる通してもらった。欧米と違って日本の古い町並みは木造がほとんどだから、こうした訓練があってこそ、しっかりと保存されているのだ。
条約が締結された了仙寺前を通ると、後ろからさっきの観光バスが追いかけてきたので、ちょっと停まって道を譲った。あまり広い道ではないのだ。観光バスはその先の開国博物館で停まり、駐車場に入るために道幅一杯を使って方向転換。それにペダルを停められて、少しむっとする。

下田南高の交差点から、国道136号線に入る。136号? ん?とモトが首を傾げる。よく気がついたものだ。伊豆東海岸の135号線は下田駅前でおしまい。下田からプラス1されて、伊豆西海岸の道は136号線なのだ。日曜日で他県ナンバーのクルマが多く、歩道が途切れ途切れなので、ヘルメットをモトに着けさせた。
小さな峠を2つ越える。いずれも車道トンネルの脇に、歩行者用トンネルが掘られていて助かる。下田駅寄りのそれには、まるで水族館のように中学生がいろとりどりの魚やクジラなどを描いていて楽しい。トンネルとトンネルのあいだは、鍋田海水浴場への入口。思わず「鍋田鍋」を名乗る野宿党党首の顔を思い浮かべた。

吉佐美で大浜海岸方向へ左折。大賀茂川を渡り、川沿いに海岸まで、のどかな道が続く。小さな神社の境内に、黄色い銀杏が陽を浴びて輝いている。エスニックショップやサーフレストランなどが点在するが、どれも冬は閉まっているみたいだ。グランドの前を過ぎたところからアップダウンが始まり、その合間から海上火山のような利島が見えるようになる。思ったより急な坂と、峠の頂上のトンネル。どれも長くはないのだが、足にこたえるようになってきた。この先ほとんど行き止まりなので、交通量が少ないのが救い。
3つ目のトンネルを過ぎたところから、先にモトが一直線に下っていってしまい、有名なサンドスキー場を見逃した。あっという間に田牛(とうじ)。海水浴場、漁港の先、海沿いの車道は途切れている。
自転車を停め、ヘルメットとグローブを外して海岸に出た。浜の先には巨大な岩が鎮座している。砂まじりだが、ほとんどが丸く削れた石の海岸。ちょうど近所の人たちが清掃作業をし終わったところで、あちこちでゴミを焼くたき火をしていた。澄んだ水、白い波、青い海、絵に描いたような光景はこうして保たれているのかもしれない。
堤防に腰掛けてしばらく休憩。夏に家族で海水浴に来たのは、モトが1歳になる前だったと思う。その時もこうして堤防に腰掛けて夕暮れまで海を眺めていたっけ。

盥岬を抜ける遊歩道が続いていて、その遊歩道を反対から来た団体客が、送迎の観光バスに吸い込まれていく。看板を見ても、途中の椿園あたりは階段の連続になりそうなので、遊歩道を行くのはやめ、予定通り西へ、谷沿いに伸びる細い道をたどる。田牛の集落内は軽トラがやっとぐらいの路地なので、あまりこの道まで来る観光客はなさそうだ。
すすきの原が広がる沢沿いの道は緩やかな上り坂の勾配が次第に厳しくなり、うねうねと山の中に分け入るようになってきた。一休みしたモト、真っ赤なアキアカネが枝に停まっているのを見つけて、触れようと手を伸ばした。1車線の舗装路の行き止まりは素堀りの小さなトンネルで、それを抜けて坂を走り降りると、すぐに明るい青野川沿いの道に出た。

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Irouzaki , South Point of Izu

by Days posted at 2007-12-02 21:50 last modified 2007-12-12 01:05
2007-12-02石廊崎港

2007-12-02石廊崎

土手上の遊歩道を走って、弓ヶ浜大橋を渡り、手石の水産センターで伊勢エビを眺めて、青野川の向こうに人気のない弓ヶ浜海水浴場を見る。釣り人と、ワゴンの中で手持ちぶたさに待つその家族と。
岬のトンネルは新旧ふたつ並ぶが、旧道は反対車線側。渡るのがおっくうで、新しい2車線のトンネルを通ったが、歩道がなく、後ろから来るクルマにモト、クラクション鳴らされる。トンネルの先の小稲湾の景色に目を奪われながら、私もモトも互いに反省。
下流、大瀬と、海沿いに点在する漁村を上り下りの峠道でつなぎつつ、西へ進む。海岸を走っているせいか、風が強くなってきた。下りはスピードが出ないし、上りはもっとつらい。ぶんぶん走る他県ナンバーのクルマのせいか、歩道が完備されているのが助かる。おかげで好きなところで休み休み走ることができる。
ロードレーサーの一軍とすれ違う。手を振って挨拶してくれる。ローディーはこっちが手を振っても無視して走り去っていくことが多いので、ちょっと嬉しい。かと思えば、同じ青いロードスターが次から次へ私たちを追い越していく。その数10台以上。驚いた。

距離からすると、そろそろ石廊崎なんだけどな、と思いつつ、地図を広げると、本当にあと少しだった。が、花狩園を過ぎ、釣り船が泊まる漁港の先から駐在所までの数百メートルが激坂。あきらめてサドルから降りて、2人、それぞれ押しで歩く。
坂の頂上からトンネルが見える。石廊崎へ行くのに地図とにらめっこ。高低差があるので、地図での直線距離が早いとは限らない。でも、遠回りして、おまけに上り下りがあると余計に腹が立つ。モトが言うには、トンネルも上り坂に見えるらしい。で、その手前を左折して、細い道を石廊崎港へ走り降りた。
石廊崎港は、断崖絶壁の入り江の奥にある天然の船着き場。奇妙な形をした遊覧船が何隻か舫ってあるが、観光客の姿はない。岬への誘導標識の先は、断崖絶壁を斜めに上る遊歩道。えー、登るのー!と叫ぶモトに、土産物屋のおばちゃんががんばれ、と声をかける。
さすがにペダルを漕いでいくわけに行かず、ひたすら歩いて押す。階段でないのが救い。港に小さな漁船が帰ってきた。
遊歩道は尾根に出たところで終わり、下り坂が岬の先端まで続く。立ち入り禁止のロープで仕切られた向こうは、閉鎖されたジャングルパーク。打ち捨てられて無人のカフェテリアの中に、ベニヤ板のピエロが笑っている。危うく道の反対側の断崖に落ちるところだった。
石室神社の鳥居をくぐり、その先で自転車を止めた。岬も灯台も神社の境内になるらしい。階段混じりの遊歩道を下りていくと、風の強い断崖の上。崖の下に三徳山の投入堂のような社務所がへばりついている。強い風に飛ばされそうになりながら、ようやく岬の突端にたどりつくと、伊豆七島の案内板があった。七島に加え、神子元島までくっきりと見える。

Touji, Shimoda Touji, Shimoda
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Mera, Koura

by Days posted at 2007-12-02 22:00 last modified 2007-12-12 01:19
2007-12-02ジャングルパーク

2007-12-02三ツ石岬

2007-12-02妻良湾

2007-12-02子浦

ジャングルパークの温室に沿って続く尾根沿いの遊歩道はどこまでも上に、嫌になるぐらい続いていた。快晴一下で幽霊を恐れる訳じゃないが、棄てられた温室の中を覗くのには勇気がいる。棄てられたとは言え、管理はされていて、さっき岬でカメラのシャッターを押してくれたおじさんが、温室の入口で戸締まりをしていた。
ピークは駐車場。集合写真を取るための横長の踏み台、ベニヤ板が打ち付けられた売店が痛々しい。ジャングルパークが閉鎖されたいまも、駐車場の料金所にもおじさんがいて、石廊崎に行く観光客を案内している。
再び県道16号、下田石廊松崎線に出て、松崎方面へ向かう。県道沿いのガソリンスタンドも同時期に閉鎖されたと見え、いまはすすきの原の中。かなり登ってきたつもりなのに、まだ上る。歩き押しが多いので、速度がなかなか上がらない。上って下って、すすきの原。「長津呂歩道」の入口があり、小径があいあい岬を横断するように続いているが、車道をたどる。
岬を回る地点に駐車場があり、ここからワタスゲの保護区への歩道が続いていた。ススキが日光に揺れている。モトは先に走って行ってしまったが、あいあい岬の駐車場でも景色を一望。遠くに三ツ石岬が見える。そのあたりは地図を見ても海岸沿いに道路がないのだが、確かに波に削られた断崖絶壁の岩肌が目立っていた。

トンネルを二つ抜け、中木の集落入口までゆっくり坂を下っていくと、そのままなだらかな上り坂に突入。これが。
最初は重いギアで無理に走っていたのが力尽き、モトのMTX220のサドルを片手で押しながら、軽くしたギアでもう片手で舵を取って上っていくのだが。10分、20分。まだまだ上り坂が続く。
「どさん子ラーメン」の看板があるアロエ加工品工場を過ぎる。道ばたにもアロエ。ちょっと驚いた。松崎まであと22キロの標識。ここまで27キロだから、まだ半分近くある。結局2キロぐらい上り坂が続いて、ようやく峠のトンネル。ふえー。

入間の山村を抜け、差田の交差点を左折。案内標識は直進が下田なので、「ひょっとして戻っているんじゃない?」とモトに言われるが、こっちからでも下田に行けるのだ、と曖昧な返事をする。
グラウンドからさっきに比べればたいしたことのない小さな掘割の峠を越え、二条川沿いに出た。「吉祥」のバス停がある。さっき追い越していったバスは、確かこの吉祥行きだった。
川沿いにまたもや峠に向けて高度を上げていく。ときどき足を休めて、麦茶を飲んで一休み。このあたりは新潟の山村のような感じだ。村も、山を登る坂道も。
立岩の道ばたでおばあちゃんにどっから来た、と声をかけられる。こういう時、「下田から来た」と言うのか、「東京から」と答えるのか難しい。前者だと下田に住んでいるみたいだし、後者だと説明が厄介だ。私ひとりの時は「きょうは下田から」とか言うのだけれど、モトはいちいち悩んでいる。ともあれ、この坂道はどこまで続くのか。「もう見えるだけだから、すぐだよ」。まあその通り、次第に谷が狭まって、妻良トンネルが見えてきた。その入口、吉田口の空き地にどっかり腰を下ろして、おにぎりを頬張る。

トンネルを過ぎると、夕日に赤く染まった山が目の前に見えてきた。峠を下る急な坂道。ヘアピンカーブ。センターラインから飛び出さないようにスピードを殺して走る。モトにも絶対に追い抜くなよ、と伝えて、前には出さない。決して逆にはたどりたくない道だ。
妻良港が一望に見渡せる休憩所で、この先どうしようかと考えた。
さっきの上り坂で思ったより時間を取られ、石廊崎から2時間、差田から1時間がかかっている。既に16時近くだ。港の向こうには子浦の集落。モトはこういう時に限って視力が良い。その集落の上を斜めに上っていく道路を見つけ、あれを上るの?もう無理!と宣言してしまった。
まあいい時間だ。きょうは子浦でおしまいにしようと決めた。

妻良の町中を通り過ぎる。日がほとんど落ちかけていて、寒い。西風をまともに受けるようだ。港では子供たちが裸足で遊んでいる。元気だ。
町外れのトンネルをくぐると、さっきの町中が嘘のように荒涼とした光景になった。強い風にあおられながら、もうあとちょっとだから、と上り坂を無理に上がらず、押して歩く。
子浦の集落入口。さっきモトが見つけた坂道は、見事にここから始まって、集落の上方に続いているのが見える。妻良と違って訪れた記憶がないのは、国道が集落を迂回しているからのようだ。
少し坂道を下り、人気のない一方通行の道をたどる。海に注ぐ小川の手前を曲がると、「東海バスのりば」と書かれた雑貨屋の前に出た。店の角にバス停があった。

Irouzaki , South Point of Izu Irouzaki , South Point of Izu
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Hakkaisan

by Days posted at 2008-01-04 01:40 last modified 2008-01-16 01:40
六日町八海山

ほら、行くよ、とモトに声をかけて、圧雪車が間に合わずにふかふかの雪が残るメインバーンに飛び出して行った。
2回しか転ばなかったと、ヘルメットを雪だらけにしながら、モトは得意げに自慢した。

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My First Skiing

by Days posted at 2008-01-13 23:30 last modified 2008-06-08 23:32
ブランシュたかやまスキーリゾート

はじめて すきーで すーって すべった。たのしかった。たくみくんもくればいいのに とおもった。

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Tokachi

by Days posted at 2008-01-26 19:40 last modified 2008-01-31 01:39
十勝のヤギ

「試される大地」というキャッチフレーズはなかなかのものだと思うのだが、きょうのように、とかち帯広空港の着陸時アナウンスで「マイナス18度」という日にはとりわけうってつけだ。
空港まで迎えに来てくれたトガワさんは、「きょうはあったかいから、外で肉を焼くけど、いい?」と言う。風はないし、乾燥しているし、着るものは着込んでいるし、準備万端ではあるけれど、それにしてもマイナス10度以下の気温で「あったかい」とは!
かくして、雪上で焼きたてのジンギスカン肉をいただくという得難い経験をした。これは病み付きになりそうだ。

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Quetta

by Days posted at 2008-02-25 01:00 last modified 2008-02-22 01:52
羊飼い

ラワルピンディから33時間かけて、15時すぎに列車はクエッタに着いた。町に出て気がついた。きょうは金曜日だ。何もかも休みのせいで、クエッタは何の変哲もない高地砂漠の町だ。薬屋、パン屋はなぜか開いている。ひと回りするうちに鉄砲の絵を描いた看板が目についた。
むこうから通りをデモの一団がやってきた。2,30人かそんなに規模は大きくないものの、前後を警官が固めている。何を叫んでいるのか知らないが、おそらくシンド州の暴動に関係があるのだろうと思った。シャッターを切る。とたんに制服のひとりに睨まれた。

土曜日のタフタン行きはクエッタを9時半に出る。翌朝5時半に停まった駅で、水の補給はここが最後だと言われ、ポリタンクをいっぱいにしてくる。いよいよ熱砂の世界だ。熱いが列車の窓を閉める。風の叫び、砂にかすむ大地。列車は客車と貨車を連ねて、その中をばく進してゆく。
ノーク・クンディで停車時間の間に、町に出てすいかを買う。よくこんなところに人が住むものだ。ムスリムじゃなかったら、とっくに逃げ出しているだろう。ここでは羊さえも日陰を求めてじっとしている。
いつのまにか列車はタフタンの町を過ぎて、国境近くの終点に着いていた。線路はこの先、イラン領へ続いているが、列車は走っていない。ザックを背負い、バラックを抜けると、ボーダーがあった。出国・入国ともあっけなかった。イラン側の外貨申告所では、役人が税関を通らなくていいと言ったので、そのままベンツ製のバスに乗り込む。結局、荷物検査はなし。隠し外貨もアルコールも見つかるわけがない。拍子抜けした。
バスはしばらく国境の柵に沿って走った。鉄条網の向こう側、何もない砂漠の一隅にキャンプ村ができている。アフガニ、アフガニ。イラン人がそう教えてくれる。そういえばクエッタの郊外にもそれらしき、かなりまとまったキャンプがあった。あちらがわでは依然戦闘が続いているのだ。この様子じゃアフガニスタンへの入国はまず不可能だろうと考える。
タフタンを出るとき、税関係員によるチェックが1回。それからザヘダンまでコミテによるのが4回。いずれもパスポートをチェック。結構おざなりなもので、1度などは席に座ったままパスポートを掲げるだけで済んだ。日が暮れて、ザヘダンの町に着いた。結構大きな都市だ。---


クエッタで会ったトガワさんを訪ねた十勝の短い旅から戻り、1990年6月の日記を引っ張りだしてみた。結構ドキドキの旅だったのだ、と、いまさら思う。

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Let China Awake

Peace March for Tibet

by Days posted at 2008-03-10 00:10 last modified 2008-07-31 14:38
2008-03-08中国大使館前

エリトリアに気を取られていて、チベット・ピースマーチのことをすっかり忘れていた。
1959年3月10日は、次第に影響力を強める中国政府と軍隊に対し、ラサの市民が蜂起した日だ。この日を境に、中国側は市民に対する弾圧を強め、ダライ・ラマ14世もラサからの退去を余儀なくされて今日に至る。世界中に散らばった亡命チベット人コミュニティとその支援者は、FREE TIBETを合い言葉に毎年3月10日にデモやアピールを行っている。ロンドン、オタワ、ニューヨーク、デリー、台北、そして東京。日本では、TSNJが中心になって、毎年デモと交流会を行っている。
今年は北京でオリンピックが開催される。中国に注目が集まるこの機会を使わない手はないと、在日チベット人は中国大使館前での抗議行動も企画した。ニューヨークに本部があるSTUDENTS FOR TIBETの「日本支部」Students for a Free TIBET Japanをツェリン・ドルジェが作り、彼が麻布警察署から許可を取ってきた。これだけでも恐るべき行動力だ。
中国大使館前での抗議行動には支援者を含め約20名が参加。新宿三丁目から甲州街道を経て新宿中央公園までのデモには80人も集まっただろうか。警察の警備に護られてのこと、それぞれ参加者の半数ぐらいの警察官がついてくれたが、それに加えて写真を撮ったり、メモを取ったり、参加者の身元を確認する公安と思われる私服の警官も例年より多かったように思う。まさかとは思うが、多勢に無勢のこの行動が洞爺湖サミットに波及することを恐れているのだろうか。

現在、チベットは中国の支配下にある。昨年、ラサには中国本土から鉄道も開通し、ますます一体化が進んでいる。1959年3月10日に世界が戻れるわけではないことは、チベット人もよくわかっている。コソボのように独立ができればよいが、そう簡単な話ではない。
いちばん大きな問題は「人種的、文化的抹殺」だ。1959年以来中国政府はチベット人とチベット文化に対して過酷な政策を取ってきた。異議を申し立てた僧侶は逮捕され、政治犯として刑務所に収容され、残虐な「再教育」を受けさせられた。1989年のパンチェン・ラマ10世の死後、1995年に転生としてダライ・ラマに承認された11世ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年は、その直後から行方不明になり、中国政府に連行されたと言われている。その家族とも現在も消息不明のままだ。チベットに住むチベット人には自由がない。これがオリンピックが開催される国で、いまも起きている現実だ。
日本政府は亡命者の受け入れに積極的ではないし、排他的な島国だから、好んで日本に住むチベット人は少ない。けれど、その現実を知ってしまうと、彼らに同情を禁じ得ない。チベットに自由を、宗教の自由を、教育の自由を。パンチェン・ラマを返せ、多くの収容者を返せ。
いつまでも強圧的な手法でチベットを扱っていては、決して先進国の仲間入りはできない。中国政府はそのことに気付き、変わってほしいと思う。
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89件のコメントスパムを削除

Posted by days at 2008-04-12 23:07

4/8以来、89件のコメントスパムを削除しました。
コメントスパムはほとんどこのエントリーを狙い撃ちしているようだったので、しばらく放置していたのですが、さすがに目障り。
なぜこのエントリーにだけアタックされているのか、あまり考えてみたくはないのですが。

130件のコメントスパムを削除

Posted by days at 2008-07-31 14:37

もうこれ以上は受け付けません。

Spring hasn't come yet

by Days posted at 2008-04-22 01:10 last modified 2008-04-22 01:13

夜、銀座をうろついていたら、岩手のオヤジから数年ぶりに携帯に電話。オヤジとは言うものの、もちろん私の父親ではない。雫石の葛根田(かっこんだ)川上流にある秘湯、滝の上温泉の山小屋管理をしていて、道の通じている夏のあいだに岩手に行けば、必ず訪ねるオヤジのことだ。

今年は雪解けが早かったので、例年より早く小屋を開ける準備をしていて、きょうが道路開通の予定日だったのだそうだ。滝の上温泉の奥には、東北で2ヵ所しかない地熱発電所のひとつ、東北電力葛根田地熱発電所があるのだが、そこできのう土砂崩れが起きたらしい。その影響で自慢のかけ流しの温泉がほとんど出なくなってしまった。また発電も送電もストップしていて、小屋に電気が届かない。県からは、開通延期の連絡が来た。無理に温泉なしの小屋を開けて、ロウソクの火で燃えたりするリスクを考えると、当面宿泊の予約を断らざるを得ないという。
が、オヤジはもっと最悪のケースを心配している。地熱発電は採算が合わず、東北電力のお荷物になっている。クリーンエネルギーとして国からの補助金を受けているので、かろうじて継続していただけで、土砂崩れによる被害を復旧するほどの予算がかけられないかもしれない。発電所が復旧せずに、そのまま閉鎖ということになれば、山小屋を廃業せざるを得ないかもしれない、というのだ。

都会の人にはわからない、暗い闇が地方にはあるんだよ、とオヤジは悲しげにつぶやいた。
中央通りで客待ちをするタクシーの行列を見ながら、私はただ慰めるしかなかった。

滝ノ上温泉 滝峡荘

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Outer Coast of Boso

by Days posted at 2008-05-30 11:40 last modified 2008-05-30 17:24
2008-05-05一宮海岸

2008-05-05太東海浜植物群落

2008-05-05上総興津

2008-05-05勝浦市大沢

外房線の踏切を渡って、東へ走る。コンビニに寄って、持ち歩き用のPETボトルに麦茶を満たす。ついでにタイヤのエアーを確認。道路はまっすぐ海岸へ向かっているのだが、少し北上して宮川沿いを河口まで走ることにする。海岸沿いの県道が川を渡る橋のたもとを過ぎると、その先は砂州と砂浜だった。テトラポッドの合間にサーファーが漂っている。きょうはいい波なのだろうか。
もう11時近いので急がねば。海辺の道は少し南下すると防砂林に遮られた。県道に戻る途中で、並行する自転車道を発見。案内板によると九十九里一宮大原自転車道というらしい。県道沿いに建てられたサーフショップや倉庫、乗馬クラブ!の裏手に続く道だが、案外段差が多くローディは敬遠しそう。MTBじゃないと有効活用できないのだが、地元の子供たちと私のような稀なMTBツーリストとのために、道路特定財源が使われているらしい。

最近チベットのことに熱中しているので書きにくかったのだけれど、たまには旅の話を書いてみる。
そもそもは3/1の社員旅行(その会社の社員でもなかったのだが)にMTB担いで箱根まで行って、そのついでに芦ノ湖西岸を走った(まだところどころ雪が残っていて、その北の仙石原自転車道ともども雪解け水と泥のミックスを全身に浴びながらの行程だった)ことを書こうと思っていたのが、14日にラサでのデモと鎮圧の話が伝わってきて、それどころじゃなくなった。

それで書くのを忘れていたけれど、今シーズンはかぐらに1回、ガーラ湯沢に1回、スキーに行った。かぐらはボード持って、ガーラは子どもにスキー教えるのでスキー板担いで。3/20のガーラは暖かい日で、べたべた雪だった。
モトと一緒に沖縄まで太平洋岸を走り継ぐ旅は、伊良湖岬で中断中。その先鳥羽からの三重県内は数日かけないと難しそうなので、2人、まとまった休みが取れるのを待つしかない。MTB担いでひとりハードな山越えをするのも、それなりに地形を調べたり準備がいる。
それで、仕事の合間にひとりで気軽に進められる行き先として、房総半島の太平洋岸沿いを選んで、5/5に上総一宮駅前を走り始めた。

太東崎灯台への道は次から次へとやってくるクルマで混雑していて、警備員が駐車場へ誘導していた。歩く観光客に注意して、小山の頂上へ自転車を漕いで行く。頂上の広場ではイベントをやっていた。海に向かって叫ぶ大声大会だ。小学生が「アイスクリーム喰わせろ!」と叫んでいた。町長さんもいて、ニコニコしていた。
戦時中の高射砲の砲台が目立つ。南側の海岸線の展望は絶景。夷隅川の河口、まっすぐに大原へ続く海岸線。
海沿いには天然記念物の海浜植物群落があって、ハマエンドウが紫の花をつけていた。河口の入江は少し複雑で、1キロほど遡った国道の江東橋を渡るのにだいぶ迂回しなければならなかった。

広い農家にこいのぼりが。国道はまだ渋滞していて、まあクルマで来たら大変だ。橋を渡り、夷隅川の対岸をまた河口へ。川の向こうにさっきのこいのぼりが見えている。堤防上の道は釣り人が多く、竿をふんづけないように気を使う。小川を渡り、ヴィラ・スピカという保養所を回って海岸線の砂州へ。保養所の前には郵便ポストがあったから、以前はかんぽか、年金関係の保養所だったのかと思う。
海岸線には小さなトイレ小屋があって、その裏からまた舗装された自転車道が始まっていた。しばらくは快適に飛ばすが、海が見えるようになると次第に砂が多くなり、砂山の上を突破して走るようになり、ついには押しになってしまった。
バーベキューをしている人たちのウッドデッキも砂の山。でももう大原海岸。海水浴場の入口を出て、塩田川に架かる橋を渡り、漁港へ。八幡岬へ向かって港沿いに走り、この先行き止まりの標識を見て、大原駅方向へ曲がる。駅からも国道からも少し離れているせいか、古い漁師町の風情がよく残っている。
国道には戻らず、海岸沿いの山中をうねうねと続く田舎道を走る。緩やかなアップダウンがあって、サミットはトンネルだったりする。
地図には載っていない真新しい2車線路が出現して戸惑いながら、バイパスであることを期待してそちらへ進んだ。道は「!」の標識とともにクルマが入れないほどの細い道に変わり、民家の軒先で犬に吠えられながら、集落を一周して地図にある行き止まりの道に合流。大船谷の集落を一周しただけだった。

部原海岸入口で国道から離れて海沿いの道へ。とにかく海へ、海へ向かっていけば勝浦に抜けられるはずだ。途中にはいくつも小さな漁港があって、なんだかずいぶん遠くに来たような錯覚を覚える。
川津港は人気が少なかったが、「新勝浦漁協」という看板を目にして、イージス艦「あたご」と衝突した漁船のことを思い出した。遺族や僚船を取材しに報道陣が押し掛けたのは、こんな静かな漁村だったのだ。
知らずのうちに道を間違えて勝浦の市街地に入っていた。地図を見ていたら、杖をついたリハビリ中の男性とその奥さんに声をかけられ、勝浦灯台への道を教えてもらった。急な坂道を上がって行くのだが、道を間違えて途中から下ってしまい、トンネルを抜けてまた川津漁港の端に出てしまったりする。それにしてもずいぶん急峻な崖っぷちに民家が建っているものだと感心する。以前勝浦に来たときにも、かなり道に迷った記憶がある。
国道をさらに東へ走り、鵜原の海岸沿いの道に入る。大型車が入れないトンネル続きの剣呑な道だ。休日のドライブカーが行き交う。トンネルを歩く家族連れがアイスクリームを食べている。
海中展望塔が見えて、そこで一休み。さっきのアイスクリームはここで売っていたらしい。営業時間が終わってレジを閉めているおばちゃんに、アイスひとつだけ、と頼んで売ってもらって、海を眺めながら食べる。
展望塔も入場時間が終わっているが、「本日視界不良のため割引料金」との貼紙がしてあった。2組の家族連れが、裸足で海に入って遊んでいる。

どこかでキャンドルヴィジルを営むことにするが、ちょうど雨が降ってきた。そろそろ潮時かと思う。
興津港へ行く途中に小さな公園があって、盛り土の上に東屋が立っている。あそこだ。近づいてみると東屋ではなく藤棚だった。雨は防げないけれど、それほどひどくもない。手前の岸壁は波がもろにぶつかるらしく、派手に砕ける波頭に、子供たちがきょう声を上げている。タイミング悪く、地元の子らしい女の子2人連れがやってきて、隣のベンチで愚痴話を始める。あんまりヴィジルって雰囲気じゃなくなってしまったが、とりあえずキャンドルに火を灯した。

雨があんまりひどくなるようだったら上総興津駅でおしまいにしようと思ったが、逆にあがってしまった。もう1駅、行川アイランドまで行くことにして、そこでの電車待ち時間対策に、興津のスーパーで柏餅を買って行く。きょうはこどもの日。
旧道はクルマが少ない。緩い上り坂で小さな峠を越える。並行する単線の線路を、短いローカル列車が通り過ぎる。浜行川の集落を過ぎると、左側に広大な駐車場が現れた。入り口は鉄パイプで封鎖され、1台のクルマも停まっていない。その先には大型バス向けのロータリーと、閉鎖されたテーマパークの入り口。近づくと、その向こうに真っ暗なトンネルが口を開けていた。営業当時はそのトンネルを抜けて園内に入る趣向だったようだが、この黄昏時にはただ恐怖感を覚えるだけ。
国道を挟んだ反対側に行川アイランド駅。あたりに民家もなく、こんなところで列車を待つ気にはなれず、さらに先に進むことにする。
次の安房小湊まではトンネルの連続だ。いつものように旧道を選ぶが、いたるところに「落石注意」の看板、海側は断崖。しかも意外な急登があったりして、昼間だったら爽快な気分になるのだろうが、夜走る道ではなかった。対向して軽トラがやってきて、少しほっとした。向こうは何でこんな時間にこんな道を走っているのかと、きっと怪しんだだろう。
きわめつけは、真っ暗なトンネルだ。出口が見通せなかったら、まず引き返していただろう。入り口脇の林の中で何かがガサリという音がして、飛び上がる。脅かすなよ。そんなこともあって、全速力で駆け抜ける。本当に背筋が寒くなった。
誕生寺が見えてきてようやくほっとする。本堂の裏手に出たので、自転車を停めて本堂の前で手を合わせる。旅館が建ち並ぶ鯛の浦の手前に、遊覧船の港の岸壁があって、その向こうに鴨川の町の明かりが見えたので、岸壁に上がって再びキャンドルに火を灯す。少し風が出てきたが、キャンドルの炎が消えるほどではなかった。

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Boso Mountain and Coast Road

by Days posted at 2008-06-07 23:55 last modified 2008-07-13 01:48
2008-05-18黄和田畑

2008-05-18清澄林道

2008-05-18和田浦

2008-05-18千倉瀬戸浜

始発に乗り遅れ、8時少し前の小湊鉄道に乗る。終点の上総中野駅に着くと、反対側のホームにいすみ鉄道の黄色いレールバスと、駅前には栗又の滝行きの臨時バスが待っていて、私以外の乗客はそのどちらかに乗り換えて行った。
MTBを組み立てて走り始める。国道465号を西へ。来た線路の踏切を渡るが、名前は「老川県道踏切」。昇格したらしい。緩やかな上り坂で峠をひとつ越えて、養老川の谷を横切る。温泉旅館のある老川まで下り、また上り。ピークと思ったトンネルの中もまだ上りで、トンネルを出た山上が筒森の集落だった。
これから向かう麻綿原高原への道、星井畑林道の入り口が左に見える。あじさいの時期、6/20から7月末まで一方通行で進入禁止の標識がある。きょうは清澄山を経由するので、国道を直進。
大多喜町、君津市の境の照明のないトンネルを抜けると、黄和田。国道は右に分岐して亀山へ向かい、直進は県道81号線で「大型車通行禁止」の看板。上総中野から30分。ここでようやく予定のルートに合流したわけだ。
ヘアピンカーブを曲がると一軒宿の七里川温泉。日帰り入浴もやっていて、この先が長くなければ立ち寄るのに、と残念に思う。久留里からのコミュニティバスはここが終点のようだ。その先には天井の低い黄和田畑トンネルがあって、どうやっても大型車は入れない。
小櫃川の渓谷に沿って、ときどき行き違いスペースのある林道のような道。近所の人たちが道路脇の草刈りをやっていて、挨拶する。谷間の山藤の向こうに吊り橋が見える。房総のイメージとは離れて山深い風景。
3キロほどで清澄温泉のバス停。少し行くと温泉宿がある。ここから鴨川市だが、とたんに林間に入り、道が狭くなる。小櫃川流域はほとんどが君津市だが、川は市境を越えて鴨川市域の清澄山に源頭があるのだ。河口まで88キロあるらしいが、逆に清澄山から太平洋まではたったの4キロ弱しかない。恐るべし小櫃川。
陸橋のかかる清澄山入口で県道を外れ、清澄山へ向かって急坂を上がる。ギアを落とせば、なんとか漕いでいけるほどの勾配。

清澄寺に詣でる。立派な巨杉を仰ぎ見る。境内の池ではモリアオガエルが喧しく鳴いていて、人だかりがしている。
門前の参道は急登で本堂の裏へ続いていて、押しで上って行く。急登が終わったところにゲート出現。ここからは東大の演習林。予想通り、軽トラックだったら余裕で入れるダート道が続く。ほぼフラットに、尾根筋をくねくねと走り抜ける。きのうまでの雨のせいかところどころ泥濘になっているのが惜しい。夫婦ハイカー2組と、なぜか苛立った顔つきでランニングしている男性とすれ違った。
10分ほど走って反対側のゲートを過ぎると、天津林道、奥谷林道、それに麻綿原高原への分岐の4つ角。標識がいくつもあってインフレ気味だが、くどいほどに書いておかないと確かに間違えそう。直進して奥谷林道へ、内浦山県民の森へ向かっていくつもりだったが、麻綿原高原の展望台からの景色を見たくて、少し寄り道した。
ここがこのあたりの最高地点なので、あとは海岸へ向けて下って行くだけ。麻綿原あたりでは「山ヒル注意」の看板があり、奥谷林道を走っているあいだもそれが気になってしかたない。舗装路だが、ところどころ排水溝のギャップがあり、いい気になってスピードを出すと転びそうで怖い。
キャンプサイトを過ぎ、10分ほどでバーベキューサイトのある広場に着いて、昼食にした。
県民の森を出るともう住宅地で、思ったほど下らずに小湊の町中に出てしまった。コミュニティセンターではお祭りをやっている。JRの線路を陸橋で越えて、ぐるっと回って安房小湊駅前へ。

ここからが5/5以来の海岸沿いルートの続き。小湊鉄道の「小湊」は、安房小湊を目標に線路を敷いていたのだろうか。天津の漁港を過ぎると、海辺に「県指定天然記念物明神の鯛」の石碑が。海辺に降りて行くとここにはなんと浅瀬に鯛が逃げて行くのが見えた!
国道旧道は鴨川市に入るとバイパスと合流して歩道も広がり、一気に走りやすくなる。街路樹がまるでリゾート。亀田総合病院の前を過ぎ、小さな川を渡るとすぐ、国道から海辺に自転車道が始まっている。
鴨川シーワールドを訪れるたびに気になっていた海辺のサイクリングロードだ。イルカのスタジアムのスタンドの上から、通り過ぎる自転車を眺めていたものだが、きょうは逆にシーワールドの観光客を眺めながら走る。海辺は砂浜が浸食されていて、自転車道のすぐそばまで波が迫っている。砂浜がわずかしかないせいか、舗装路は砂をかぶっていなくて走りやすい。いいことなのかどうか。

前原海岸のプロムナードを南下し、真新しいマリーンブリッジで加茂川を渡る。人気のない漁港に迷い込んで、先に行くと岸壁に突き当たって行き止まり。雀島を囲んだ断崖絶壁に阻まれ、その先は道がなかった。引き返して国道を走る。
海岸に防風林が続く一直線の道を快適に飛ばす。国道沿いには「花摘み」の看板と温室群。海岸は花園海水浴場。道路沿いにドライブインがあって、その前に「お花畑」バス停があった。和田浦で国道を外れて漁港へ。少し日が斜めになってきた。漁港の外れの海岸では子供達が遊んでいた。岸壁にはクジラのかたちをした小さなプレートが貼られていて、よく見ると "My Bonnie" の歌詞が刻まれていた。思わず歌が口をついて出た。
白渚海岸のサーファーは上手かった。波がよいせいもあるけれど、いままで海岸沿いの旅を続けていて、愛知の赤羽根海岸と一二を争うレベルの高さだと思った。「和田サーフ橋」で温石川を渡ると、防波堤沿いに自転車道が続いていて、丸山川の手前まで快適に飛ばす。国道に戻ると、フラワーライン。恐ろしいほど一直線に続いている道。
丸山町のローズマリー公園。昔来たときにはこんなに洋館風の建物があった記憶がないのだが、いまや立派な観光名所。英国風の博物館はまもなく17時が閉館で、タータンチェックのドレスを着た係員が片付けを始めていた。
フラワーラインを南へ走り、直線が少しカーブを始めたところから、地図を頼りに千歳の町中に入る。生け垣で囲まれた家々のあいだを、軽トラックしか入れないような道で抜けて行くと小さな港があった。かつて冷凍倉庫だったらしい大きな木造の建物が朽ちて、猫のすみかになっていた。浜辺にはハマボウフウが夕日に映えて揺れている。

まだ少し明るいが、瀬戸浜海岸の堤防に出て、キャンドルに火を点す。海からの風がやまず、何度か消えてしまった。上がり始めた月を眺めながら祈りを捧げると、あとは帰るだけ。千倉駅でMTBを分解して、ローカル列車に乗り込んだ。

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The Sea Ends, The Land Begin

by Days posted at 2008-07-07 23:45 last modified 2008-07-27 00:24
2008-06-28鹿島神宮

2008-06-28日川浜

2008-06-28波崎港

2008-06-28外川駅

2008-06-28飯岡海岸

2008-06-28成東海岸

終電で帰った翌日の朝5時。始発快速成田空港行きで成田まで行き、銚子行きに乗り換え。地元の少年野球チームがどっと乗り込んでくる。鹿島線は利根川と潮来の水郷地帯、北浦を次々と高架橋で渡る景色のよい電車。空は晴れて、水面は明るい。

駅前広場には東京行きの高速バスを待つ人の列ができていた。乗り換えが必要な電車よりも便利なのだろう。運んできたMTBを組み立て、鹿島神宮駅を8時ちょうどに出発。その神宮の参道まで坂を上がる。門前の店はまだ開いていない。すれ違う参拝客に、おはようございます、と声をかけられて私も返答する。
境内は車輛進入禁止と書かれているので、参道と並行して南側に延びる防火道路を行く。とは言え、こちらも境内の森の中の砂利道だ。フィトンチッドたっぷりのダートに嬉しくなる。走って行くとちょうど本堂の裏手に出たので、参拝する。装束に身を包んだ若い男女がほうきや雑巾を手に朝の掃除をしているところ。

国道を横切って下津海岸へ坂を下って行く。海岸の砂丘を越えると、太平洋に出た。サーファーが朝練中。シーズンへ向けて、海の家を造っているところ。堤防が南へ続いていたので、釣り人をよけながらそれに沿って走って行ったら行き止まりになってしまった。さっそくだが、ハマヒルガオの咲く砂浜を自転車を押して行く。こんなことで時間をロスしていては、と反省して、県道255号に戻った。

そのまままっすぐ行くと行き止まりになってしまうので、粟生の交差点で内陸へ直角に曲がる。角に大きな看板のある鹿島アントラーズの事務所。選手専用と書かれた駐車場が見える。
鹿島港はもともと海岸と原野だったのを巨大な掘割を掘って港にしたのではなかったっけ。臨港道路は平坦ではあるものの単調で、しゃかりきになってペダルを踏んでもあまり進んだように思えない。電気工事のために歩道が掘り返されて、ガードマンの誘導で迂回せねばならないのが、かえってその単調さを救ってくれる。
カンカン照りになってきた。鹿島神宮駅から銚子まで30キロ、2時間と踏んでいたが、既に20キロ以上走って、地図ではまだ半分も行っていない。もう10時になろうとするところ。残り距離はたぶんあと20キロ、お昼前には銚子に着くだろうか。
DNC、花王の工場の前を過ぎると、鹿島港の南埠頭が間近になった。ようやく港に横付けされた船が眺められる。埠頭には、エメラルドグリーンのきらきら光る小山がいくつも築かれていて、興味をそそる。
3度目の踏切でまた貨物線を横切り、まっすぐ海岸へ向かう県道に合流。このあたりはやはりガラス工場が多いようだ。
海岸の手前に運動公園と墓地があって、一休み。
海岸は高い堤防で仕切られ、その向こうには釣り人が竿を出している。まっすぐに南へ続く堤防。尽きるまで2キロ以上あるらしいのだが、堤防にペンキで描かれた絵を眺めながら走れるのは、案外楽しい。

堤防が尽きた先に、日川浜のビーチ。サーファーが波間に漂っているのが見える。日川浜からは防砂林に護られた、かろうじてセンターラインがある海岸沿いの舗装路をひた走る。
道路と海岸とのあいだに、風力発電の風車が点在する。ところどころわずかなカーブとアップダウンがあって、先を走る自転車の緑色のパーカーが見え隠れしている。ときどきクルマに追い抜かれる。暑いのにランニングをしている人がいる。オーストラリアの砂漠の中を走っている気分になる。
緑のパーカーを追うことだけを考えて、あまり周りを観察せずに、ひたすらペダルを漕ぐ。どうせ海岸は見えないのだ。地名表示はなく、また地図にも大ざっぱな地名しか載っていないので、ここがどこだかわからない。緑のパーカーが道を逸れたと思ったら、久々に商店と自販機があって、そこで飲み物を買っているらしかった。その間に追い抜いたが、「この先通行不能」の標識に考え込んでいるあいだに抜き返された。
「この先市道、民有地のため通行不能」これはいったいどういうことなのか。途中にあるラブホテルと、その先にあるらしいシーサイドキャンプ場へは通り抜けが可能、と書かれている。なぜ通行不能なのか気になって、直進してみる。
2キロも走ると、海際に展望デッキが見えてきた。デッキに上がって通行止め方面を眺めると、この先、幾重にもバリケードが続く異様な光景。まるで国境地帯のようだ。さすがに引き返すことにした。

海沿いの道をあきらめて、県道をたどる。工業地帯の県道とは全然違う、センターラインのない細い道。でも交通量は結構あるので、少し怖い。
舎利のあたりではお寺と幼稚園と、閉鎖された小さなガソリンスタンドと雑貨屋がいい雰囲気。
県道は利根川と鹿島灘に挟まれた半島を背骨のように貫いているが、やがて学校の近くで交差点に突き当たって終わった。11:30すぎ。橋を渡れば銚子市内だが、観光向けじゃない漁師料理が食べられるんじゃないかという期待で、波崎海水浴場、新港を回ってみるが、まったくごはんが食べられそうな店はひとつもなかった。岬の突端に近い公園(対岸に銚子の町が一望できる)で残っていた麦茶を飲み干し、町中を銚子大橋に戻った。

鹿島からここまでの村々に比べれば、銚子は大都会だ。コンビニ、ファーストフード、寿司、ラーメン。目移りしながら、東へ走る。町の中は迷う。ポートタワーに向かってまっすぐ走って行ったら、坂を上がり始めたので、これはいけないと路地に入ったら、迷った。こんな路地にも人々の生活が満ちているのに感動を覚えた。海の匂いを便りに利根川沿いの岸壁に走り出た。
川口を回ると、再びポートタワーが見えてきた。さすがにおなかがへったところに、「各種定食」の看板。ふらふらと入った食堂は、「ゆうなぎ」という船員組合食堂だった。刺身定食、まぐろ定食はあるが、看板はロースかつ定食らしい。船員は魚よりも肉がお好みのようだ。つみれ汁があるというので、それをつけてもらい、ロースかつを頬張った。スタートから55キロ。見積もりのほぼ2倍を走っている。
海鹿島を沖合に見て、美しい弓なりの君ヶ浜。この「大都会」のすぐ近くにこんなワイルドな自然が残っていることに、また感嘆する。
坂を上がり、犬吠崎。「ユーラシア大陸の東、銚子市と、はるか西方ポルトガル共和国シントラ市はほぼ同緯度に位置し、それぞれ、海終わり、陸始まる犬吠埼、陸終わり、海始まるロカ岬の記念碑があります」。ポルトガルのシントラ市との友好記念碑が立っていて、この東端からロカ岬までの距離を思ったら思わず涙が出てきた。

外川は初めて訪れるが、漁師町の丘の上の街角に現れた、トラムの終点みたいな駅だった。メルボルンのグレネルグを思い出した。駅の外では、カップルのサイクリストが高そうなロードバイクを輪行のために分解していた。
急坂を漁港近くまで降りて、県道を東へ。町中を過ぎるとだんだん寂しくなり、山の中に入って行くので不安になるが、そのまま行くと銚子道路に出ることができた。
いまは無料化されて、銚子道路とは言わないらしい。おかげで自転車でも走れる。高架橋で町の上をひとまたぎ。海岸沿いのほぼ直線路だが、山を切り開いているのでアップダウンが結構ある。おまけに気温はうなぎ上り(真夏だったら死んでしまう)。汗をかきながら坂を上っていると、後ろから暴走族が追い抜いていった。気を取られていたら、ヘビの死骸を轢きそうになって、あわててよけたら、なんとヘビがよけてくれた。死骸じゃなかった‥‥。小さいやつだったけど。

銚子市から飯岡に入るあたりは小さな峠を越える。道路は狭く、交通量が多いので、危険を覚える。坂を下って、豊岡小学校のある丘に上がると、その先にもうひとつ峠があった。知らなかった。
刑部岬入り口をスルーして、飯岡の町中へ。漁港では散歩の道順を訪ねている老夫婦。その先に見覚えのある波止場の公園。15時すぎ。ここからが九十九里海岸の始まりだ。天気が怪しくなってきたが、行けるところまでとにかく走ろう。

飯岡から八日市場の新川河口までは飯岡九十九里自転車道が続いている。海岸沿いにしては砂に埋もれていることも少ない、いままで一二を争う快適な自転車道だ。海辺にはパラグライダーが飛んでいて、ときどき走っている私と並んで飛んでくれる。
新川大橋からは県道をたどる。トリップメーターは朝から90キロ強。大布川を渡り、「成田山不動尊上陸記念碑」の近くから、県道より1本海寄りの道に入る。こちらは民家やコテージが並ぶ生活道路で、クルマが少ないので楽だが、子供たちがキャッチボールやっているのに気をつけねばならない。
日焼けしたのか腕がチクチクして、一瞬虫に刺されたような感覚になる。それが気になってしょうがない。気を取られた隙に、メーターが100キロを超えた。バンザイ!

川下、殿下、中下と蓮沼海浜公園の近くを過ぎ、木戸川を渡ってまた県道に並行する裏道に入る。本須賀海水浴場入り口の信号から、その海水浴場へ。どこもそうだったが、ここも海の家を設営しているところだった。夕方のビーチはあまり人気がない。「最近県外ナンバーのクルマが多い」と通りがかりの初老の男から声をかけられる。ナンバーはついていないが、私も県外からなので苦笑するしかない。
海岸から成東駅まではバス路線もあったが、次のバスまで1時間以上あったので走って行くことにした。9キロ近くあった。本日走行距離121キロ。ちょうどいい夕暮れになった。

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Let's Walk

by Days posted at 2008-08-06 00:00 last modified 2008-08-05 19:13

過密なスケジュールを日本で過ごされたパルデン・ギャツォ師は、7月27日に成田を発ち、シカゴへ向かった。ウィスコンシン州マジソンで25日に始まった "March for Tibet's Independence"(チベット独立のための行進)またの名を「ランゼン・ウォーク」に、途中から参加するためである。
この行進、チベット人10人を含む12人の参加者で、オリンピック開会式に合わせて8月8日にシカゴ到着を目指しているそうだ。最年長はもちろん77歳のパルデン師。参加早々、一行を先導して歩いていたそうだ。この情熱は、そのままチベットの自由と独立のための情熱に他ならない。
インディアナ州に本部を置き、この行進を主催するInternatonal Tibet Independence Movement(ITIM)は、1995年以来米国内で数々の徒歩やバイクによるイベントを行っており、延べ340日に渡って、3440マイル(約5500キロ)を歩いたり、走ったりしているという。

インド・ダラムサラを拠点とするTYCやSFT、グチュスムなど5団体が3月10日にラサを目指して始めた行進は、90日間で1300キロ以上を歩き、中国の国境警備隊が待機するチベットの入口まであと10キロというところで終了を余儀なくされた。
チベット人は、どんな遠くからでも祈りながら巡礼の旅をする。いま彼らが行進しているのは、チベットを中国から取り戻すために祈る必要があるからだ。

日本でも行進が行われている。8月3日には、SFT日本が主催して、神奈川県の鎌倉市、藤沢市で"WALK for a FREE TIBET"が行われた。ベビーカーに乗った2歳から、健脚の60代まで、約40人のチベット支援者が参加、鶴岡八幡宮や長谷寺といった名刹を巡りながら、北鎌倉駅から湘南海岸公園までの11キロを歩き、観光客や海水浴客にもチベット問題をアピールした。
9日には名古屋で、24日は長野県松本市の上高地で同様のウォークイベントが行われる。

北京五輪がスタートする8月9日と、閉会式の24日には、在日チベット人コミュニティが中心となって東京で行進が行われる。9日(日)は、16時に港区六本木の三河台公園で集会が行われ、16時半に出発、六本木通り、西麻布交差点を経て麻布の笄(こうがい)公園まで約1.8キロのコースでデモが行われる予定。
アジアの東端に位置する日本からチベットへ向け歩いて行くにはとても時間が足りないが、この夏の1日を、同じようにみんなで歩くことで世界中のチベットの兄弟のひとりとして、チベットに住む姉妹たちに連帯を示そう。五輪を楽しみにしている中国や世界中の人たちに、チベットで起きていることを知ってもらおう。
さあ歩こう。チベットの自由のために。

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Iwaki

たまには自転車旅の話

by Days posted at 2008-09-07 22:55 last modified 2008-09-07 19:02
2008-08-29夕筋踏切

2008-08-29塩屋崎

2008-08-29代ノ下橋

2008-08-29江名漁港

2008-08-29小名浜

2008-08-30蛭田川

2008-08-30勿来海岸

2008-08-30九面

朝起きたら、まだ雨だった。プールへ行く支度をしている子供たちの横で天気予報を調べると、きょうはこれから晴れるらしい。子供たちを見送り、MTBをワゴンに乗せて出発。泉駅の駐車場にワゴンを停めて電車に乗り換える。
広野駅には11時すぎに着いた。発車のオルゴールは「シュッポーシュッポー」の汽車の歌。このあたりがその歌のモデルだったとかで、ホームにもその碑が建っている、
嘘みたいだが、予報通りピーカンだ。さっそくMTBを組み立てる。タクシーからスーツ姿の男たちが下りてきて、駅の窓口でそれぞれに愛知までの切符を買い、領収書をもらっていたと思ったら、缶ビールを探してうろうろしている。出張も大変だ。
11:30。駅前から、東北の旧街道を南下する。まだ走り出したばかりなのに、遠くまで来た、と思う。道幅は2〜3間(3.6〜4.8メートル)。江戸時代の宿場町に特有の幅で、これだとセンターラインが引けないから、自動車の交通からは取り残されることになる。観光資源として生かせるところはいいのだが。

道は浅見川にぶつかって、国道6号線に合流。橋を渡って、切り通しを抜けると、地図のとおりに左へ旧道が分かれる。常磐線の線路と、現在国道とのあいだの、見捨てられたような道だ。小さな峠を切り通しで抜けると、線路脇の道になった。「夕筋踏切」という小さな踏切があって、その向こうは海。「いまは山中、いまは浜」の歌の出てくる「浜」はこのあたりだったかもしれない。
旧道は変わらぬ道幅で現在の国道に絡み付くようにうねうねと続いている。18歳未満立ち入り禁止と書かれたラヴホテルが2軒。看板は国道に向いているのに、入口は旧道から。どっしりとした石造りのポータルの小さなトンネルを二つ抜けると、林の向こうから踏切がカンカンと鳴る音。短い編成のローカル列車が目の前を通り過ぎていった。
踏切から線路を見れば、トンネルの入口が二つ並んでいて、線路はその片方に通じている。線路のないトンネルのレンガ作りの入口はやや小さく、そこまでダートに轍が続いていた。あとで調べると1967年に電化した際、それまでのトンネルでは架線の高さが足りずに新しいトンネルを掘り直したようだ。常磐線が開通したのは1898年(明治31年)だから、古いほうのトンネルは100年以上経って、まだ現役で地元の人たちに使われていることになる。

末続の集落を通り抜け、小さな駅のホームのガードをくぐり抜けて、いったん山の方に向かう。末続から久ノ浜にかけて、国道も線路もいくつもトンネルを抜けていくのだが、旧道は山側の小さな峠に迂回して、まったくトンネルを使わずに行くことができる。もちろん坂はそれなりにきつい。農作業をしている人が、そんな道を辿る自転車を怪訝そうに見ている。峠を越えると、緑の中を滑走。気持ちがいい。
信号のない国道のトンネル出口を、大きな冷凍トラックが通り過ぎて、続いてクルマが来ないのを十分に確認して横切る。「国道6号線、東京まで221キロ」の標識と、「大雨注意報発令中 走行注意」の案内板。国道をまっすぐ走れば2、3日あれば自転車で東京まで行けるのだ。
小さな川に沿って線路の橋まで海に迫ったかと思うと、旧道はまた山側に迂回する。またもや国道と立体交差して、坂を上がると、山を削って走るもっと立派なバイパスに出た。走るクルマは少ないが既に供用されているようだ。このあたりでは三世代の街道が並走していることになる。車道は通じていないが、植栽の切れ目から歩道には出られるようになっていて、まっすぐ延びるバイパスに少し誘われる。

信号で国道を横切って、久之浜の町中に。大久川には弧を描いた江戸時代スタイルの木橋、代ノ下橋が架かっている。0.3トン制限で、もちろん車輛通行止め。釣り竿を持った老人が、自転車で走って行く。
大久川に沿って河口まで行き、コンクリート橋を渡って、久之浜の町中を走る。夏の昼前の町は暑さでしんとしている。町はずれには幼稚園。園庭の向こうには太平洋が見えた。旧道はここで国道に吸い込まれた。常磐の動脈を行き交うトラックの犠牲にならないように走る。
このあたりは波打ち際に国道と線路とが並んでいて、電車の窓からもよく海が眺められるところだ。しばらく行くと、西行の歌碑が立つ広場があって、一休み。国道と線路とのあいだ、ラーメン屋の裏からまた2間幅の道が分かれているのを発見。地図を見ると、「波立寺」の文字に隠れて見逃していたが、これも四倉に向かう山越えの旧道のようだ。
海辺からそれて、その道をたどる。古い寺がある。道筋の雰囲気は間違いなく旧道だ。大きくカーブしながら坂を上がって行く。バイパス工事の看板。さっきの続きを、こんなところに通すのだろうか。汗をかきながら切り通しの峠を越え、坂を下って行くと、四倉の町中にぽんと出た。夏の日差しの中の旧街道は、台湾に行ったときに走った東海岸の小さな町(東河)を思い出す。

四倉駅に立ち寄って、PETボトルのジュースを1本買い、駅前通りを海に出る。国道や線路と並行するのはここまでで、ここからは海岸線沿いに小名浜を目指すことになる。町中から離れる前にとジュースを買ったが、それでも海岸線の県道沿いにはドライブインも自販機も揃っていた。
仁井田川の小さな橋を渡るとキャンプ場があった。夏休みらしく、何張りかテントが見えた。
県道豊間四倉線。まあ、ペダルを踏む以外に楽しみのない道だ。松の防砂林に遮られて、海は見えない。松についた虫のほうが気になる。5キロほど走った夏井川の河口を渡る橋がほぼ唯一のランドマーク。「塩屋崎方面、大型車通行不可」の案内板がこれでもかというほど何度も現れ、逆に気になる。
案の定、薄磯の小さな漁師町に差し掛かったところで、2車線路は突然終わり、弁天川を渡る橋へ道はかっくんと折れる。橋を渡った先は、町中の路地に県道マークがついている。これはこれは。コンクリートの堤防沿いの道を進んで行くと、煮タコ加工工場の壁に「塩屋崎→」とペンキで表示がしてあり、それに沿っていくと水子供養などの碑が立ち並んで背筋が寒くなる富神崎の尾根に上がり、それを越えるとまた町中に出た。

シーズンの終わった海水浴場の向こうに塩屋崎の灯台。その下まで走って行くと、客のいない平日の駐車場に、3軒並んだ土産物屋のおばちゃんたちが手持ちぶたさにしていた。近づくと録音テープの歌が流れるという美空ひばりの記念碑には、あまり近づかないようにしておく。
夏休みのサーファーが多い豊間の海水浴場。砂浜に沿って走った。豊間のセブンイレブンで麦茶を買う。店の前の郵便ポストに自転車を立てかけておいて、いざ走ろうと思ったら、その下でポストにつながれて犬が休んでいて驚いた。おとなしい犬だった。
ここからの旧道は路線バスも走る道。バス停を次から次へたどって走るのは楽しいものだが、「の印」というバス停があって思わず吹き出してしまう。いわき病院、塩屋崎生協病院と、このあたりはやはりバス路線が不可欠なようだ。
合磯(かっつお)から岬の切り通しを抜けて江名。ここまで来るともう小名浜はすぐだ。案内標識に書かれた「アクアマリンふくしま」までの距離を逆算しながら走る。江名の岸壁で一休み。船に向かってカメラのシャッターを切ったら、足下を小魚が泳いで行った。
中ノ作、永崎と漁師町が続き、このあたりがきっと本当の小名浜産の魚を水揚げしているところなんだろうと思う。下神白の高校の前を過ぎて、トンネルと抜けると、小名浜の魚市場の前に出た。

さて、小休止はあちこちでしているものの、それを除けば広野から2時間半、走りっぱなしだ。14時すぎ。おなかも減ったので、客が出入りしている「うろこいち」という魚屋兼食堂に入り、本鮪赤身鉄火丼を頼んだ。カニ汁がついて、すぐに出てきた。まぐろてんこもりでおいしい。
「いわき・ら・ら・ミュウ」の前の岸壁で食後の一休み。海上保安庁の船の向こうに、ガラス張りの不思議な球体、アクアマリンふくしまが浮かんでいる。そのまま電車に乗った泉駅まで走って行くことにする。
港町の貨物線に沿って、走る。大型車が走るせいか、舗装がでこぼこしていてあまり走りやすいとは言えない。消防署の前から広い道をそのまま進もうとして、間違いに気づく。斜めにそっと分かれる細い道が、泉への県道だった。
藤原川を渡る橋からは、煙突からもくもく煙が出る工業都市が一望できる。国道バイパスの立体交差をくぐり、朝、湯本からクルマで来た道をたどっていく。小名浜からほんの5キロほど。あっという間に戻ってきた。
泉駅前には屋根付きの駐輪場があったので、MTBはそこにロックして停め、ライトだけ外しておく。再びクルマを運転して、子供たちが遊ぶプールに戻る。続きは明日だ。


翌朝は6時に起きた。朝食までの2時間、また走ってこようという算段だ。
泉の駅前通りを県道までまっすぐ走る。県道20号は、バイパスができるまで国道6号だったのだろうと思う。あとで地図を見たら、もうひとつ県道239号が海沿いを走っていたが、まあきょうはしかたない。とにかく急ぐのだ。植田にかけて、小さな丘を越えるルートになっていて、意外にだらだらと上り坂が続く。朝で涼しいから、まだよいものの。
植田の町中を抜け、鮫川橋を渡る。河口近くというせいもあるのだろうが、小さな川のわりに長い橋だ。渡って2つ目の信号を右へ。少しでも海に近いルートを走りたい。畑の中の道は、わだちが水たまりになっていたりして、意外と走りにくかった。鵜の巣という交差点で、同じように畑の中を突っ切る現在の国道とクロス。道は緩やかにカーブして、神社へ向かって行く。幸いにして「←勿来」の標識があって、神社の行き止まりで道に迷うことは避けられた。道沿いに民家が切れ目なく並び、中には旅館や商店もあって、かつてはこれが街道だったのでは、と思いをめぐらせた。

勿来の町はずれで、国道に合流。まだ時間があるので、勿来海岸を抜けて、大津港駅まで行くことにした(これだったら、泉から植田までも海沿いのルートを取るべきだった)。海岸沿いに国道と線路とが並ぶ。国道には歩道があるので、それほど緊張せずに走れるのがよい。
海岸沿いは人気のない海水浴場。勿来と言えば関所である。線路と国道に挟まれた狭いところに、赤色灯の着いた小さな小屋「勿来関検問所」が目立つ。江戸時代の勿来の関は、線路のガードをくぐった山中にあるらしい。そこまでは行けない。いまでこそ砂浜が広がっているが、江戸時代は山が海に迫る本当の要衝だったのだろう。
行く手にも山が迫ってきて、短いトンネルで県境を越えた。常磐交通のバスは平日朝の1日1便だけ、律儀にもそのトンネル手前の九面(ここづら)までやってくるらしい。九面からは茨城県最北端の港、平潟港への道が分かれているが、きょうはまっすぐ駅へ向かうことにする。
茨城県に入ると、国道6号もとたんに関東の雰囲気になる。郊外の住宅地を過ぎて、「美術館入口」という真新しい交差点を右へ(左に行くと天心記念美術館があるようだ)。小さな丘を越えると、ひっそりとした駅前の市街地。予定より1本前のいわき行き電車がちょうどホームを出て行くところだった。
これで1993年まで30年以上も日本一広い市だったいわき市の海岸線、約60キロ以上を走り抜けたことになる。ちなみに、現在の日本一、高山市には海はなく、2番目の浜松市の海岸線は天竜川から白須賀まで約28キロしかない。(8/29、30)

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Ooma Ferry Route Suspension

by Days posted at 2008-09-09 23:50 last modified 2008-09-10 01:00
1991年頃の大間

函館のも〜さんが、道新の夕刊にショックな記事が載っていたと教えてくれたのが、先週の木曜日。「東日本フェリー 道内−青森3航路撤退 11月末までに 高速船売却も」。函館−青森、函館−大間、室蘭−青森の3航路から撤退するのだという。就航したばかりの高速船も売却。函館−青森は一般船のみ道南フェリーが引き継ぐ。大間、室蘭の航路も地元自治体の支援次第で同社が引き継ぐ可能性があるらしいが、も〜さんが心配しているのは大間航路のほうだ。津軽海峡を1時間40分、大人1370円の最短距離で結ぶ「ばあゆ」は、北海道と本州を行き来する旅人には非常に重宝していた。これからは下北半島に行きにくくなってしまう、と。
東日本フェリーはほぼその記事通りに、きのう正式発表した。高速フェリー「ナッチャンRera」「ナッチャンWorld」の運行は10月末まで。その他は道南フェリーは引き継ぐが、やはり大間、室蘭航路は支援依頼の回答があるまで保留だという。

毎年のように函館を訪ねていた頃、私はまだ学生だったので、東京からの行き帰りは1日がかりの鈍行列車の旅だった。上野を始発に乗っても、その日のうちに行けるのは青森まで。青春18きっぷを一枚余計に使うよりは、と青函航路なき後の青森駅からフェリーターミナルまで深夜の道を歩いて、大型トラックの一群と一緒に北海道に渡った。トンネルを通る特急を意識しているのか、かつての青函航路よりも30分ほど速く、しかもJRより格段に安かった。
帰りはだいたい逆のルートだったが、一度だけ大間航路に乗ったことがある。青森航路と違い、小さな船で驚いた。函館山が遠ざかっていくと、いつのまにか大間に着いたように思う。大間の人たちにとっては、青森市よりも函館のほうが近いのだ。

日本海の自転車旅を竜飛岬で終えて、太平洋側は大間がスタート地点だと思って、いつか函館から船に自転車を載せて行くことを考えていたのに‥‥。
青森県には新幹線だけでなく、ぜひフェリーの支援もお願いしたい。
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Re:Ooma Ferry Route Suspension

Posted by にだて at 2008-09-10 13:10

ありゃ。一度は大間経由で北海道行こうと思ってたのに。残念です。
こんなことして地元の人、不便になるんじゃないですかね。
青函トンネルはマイカーで通れる訳じゃないし。

Island of Amawari

by Days posted at 2008-10-29 22:55 last modified 2008-10-30 00:44
濃密な公民館でのパフォーマンス

沖縄で「南島詩人」平田大一さんに会った。
沖縄とは言え、今回訪ねたのは足を踏み入れたことのない勝連半島から海中道路を4.7キロ走って、さらに橋を渡った先の浜比嘉島。内地と沖縄との違い以上に、那覇のような大都会との違いを思い知らされる時間の停まった島だ。それが人々を惹き付けてもいるのだが。
浜と比嘉の2つの集落からなる浜比嘉島の比嘉地区にある公民館、正式には農村環境改善センターで行われたイベントに、平田さんは来てくれたのだ。

演出家として知られる平田さんについては、本も出ているし、テレビドラマも作られているので、あまり書くこともないだろう。ただあまりにも強烈だったので書いておきたいのは、学生時代を過ごした東京から、故郷の小浜島に戻ってから始めた「きび苅り援農隊」のことだ。「1日で手の皮をむき、3日で肩の皮をむき、7日で心の皮をむこう」この合い言葉がふるっている。子どものころから嫌でたまらなかった家族総出での仕事、きび苅りを、島外から人を集めるほどの観光資源に仕立てたのは、「南島詩人」の人の魅力だと思った。
冬から春にかけての魚沼では「雪下ろし隊」が活躍していたり、冬の旭山動物園が全国ナンバーワンの集客を達成したり、地理的なデメリットを逆手に取った体験型ツーリズムが脚光を浴びているが、「きび苅り援農隊」はその先駆けではなかっただろうか。

平田さんは浜比嘉に10人の高校生を引き連れて来ていた。勝連町教育委員会に招かれた平田さんを演出監督として作った子どもたちによるミュージカル、「肝高の阿麻和利」に出演する「あまわり浪漫の会」の高校生たちだった。
早い時間から楽屋で衣装を合わせ、メイクを施し、作戦会議をしていると思いきや、平田さんの話の合間に演舞を披露してくれた。この高校生たちの目の輝き! それが、平田さんの、いや沖縄のいちばんの宝ではないかと思う。

翌朝、阿麻和利の居城であり、ミュージカルが初演された勝連城跡に行ってみた。半島にそびえ立つこの城は、イノー(礁域)と呼ばれ、島々に囲まれて潮の満ち干によって信じられないほど広い干潟が出現する豊かな海を手中にする「海の城」だったのではないだろうか。
琉球王朝に歯向かって勇敢に闘った肝高の阿麻和利の志は、海の子どもたちに確実に受け継がれている。

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Traveler in the Sky

by Days posted at 2008-11-20 23:55 last modified 2008-11-21 00:08

「天空の旅人」多胡光純さんの番組が、今週日曜日にNHKで放送される。
毎年恒例となった日本列島の紅葉を北海道から九州へモーターパラグライダーの空撮で追う企画。もう3年目だそうだ。

NHK総合/NHKデジタル総合
放送日:2008年11月24日(祝日)
放送時間:午前8:35(75分)
秋を彩る日本の「紅葉」。昔から人々はそのあでやかな光景に心奪われ、はかなく散り行く姿に時の移ろいを感じてきた。日本人の心をも染める錦秋の世界を、カメラマンの多胡光純がモーターパラグライダーを自在に操り、まるで鳥のように自由なまなざしで見つめてきた。北海道の大雪山からスタートして3年目。今回は白川郷、吉野山、大山、などを飛んだ。じゅうたんのような極彩色の山々をこれまでにない迫力の映像で描く。

結婚して引っ越してしまってから、かなりごぶさたなのだけれど、こうやって活躍しているのを聞くと、元気そうで良かったと思う。彼の妻あるみさんは、地上からフライトをサポートしながら、自分でも木工芸の工房を営む才媛なのだ。ちょっとうらやましい。

もうひとつはカトマンズから、温かそうな手芸品のお知らせ。渡辺香織さんのcooluでは、フェルトルームシューズの販売を始めた。
渡辺さんは冬だけでなく、夏場も手放せなかったという自信作だそうだ。
京都も冬場はかなり冷えるので、クリスマス準備で急がしそうな多胡夫妻の工房に送ってはどうかと思案している。

フェルトルームシューズ

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Zushi

by Days posted at 2008-11-29 01:20 last modified 2008-11-30 01:20
2008-11-24小坪漁港

リヒトのともだちのLouisくん一家が逗子マリーナにマンションを持っているというので、三連休にみんなで押し掛けた。子ども10人+その家族17人。いや、3日間朝から夜中まで、ホントにフルに遊んだ(それに付き合わされた)。
11月の連休、逗子マリーナ滞在のみなさま、騒々しくて申し訳ありませんでした。

この一行、次は1月、新潟方面のスキー場に出没予定。

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Life without Bronco...

by Days posted at 2008-12-15 23:45 last modified 2008-12-16 01:44
快晴の「260万ダラー」

雨がやんだと思えば、急に寒くなった。思わず笑みがこぼれる寒さ。雪の季節がやってくる。
駅に貼ってあるGALAのポスターには「GALA湯沢スキー場営業開始延期のご案内」が上に貼付けられている。降雪量不足のため、先週末のオープンはならず、14日オープンがさらに18日に延期されたらしい。もともと見込みでスケジュールを立てているのだから、いつオープンできるかは天気次第。ビジネスライクにオープン日を決めようとするのがいけない。

昨シーズン、3月に最後に行ったのがGALAだった。モトの友人兄弟と一緒に朝イチの新幹線で行き、着いて話を聞けば、今回が初めてのスキーだとかで猛特訓!
じゃない、そのままスクールに直行させた。夕方のクローズまでには、滑りながら雪玉の投げ合いをするまでになった。

残念ながらGALAは一昨年から全体の1/3を占める南エリアが閉鎖されている。Webサイトを見るかぎり、今年も開放されないようだ。
清津川沿いに神楽山が見渡せる「260万ダラー」をうさぎ跳びで降り、打って変わってスピードバーンの「イライザ」で抜ける達成感。なんと言ってもフカフカコブコブの「ブロンコ」!
全体的に標高が高いGALAの南斜面ならではのドカ雪が今年も楽しめないなんて、冬の楽しみが5パーセントぐらい減った感じ。
南エリア閉鎖の原因は超穴場的快適4人リフト「ワゴネット」山頂降り場付近の地盤変動調査のためらしいが、以前から風が強かったり、雪が多過ぎたり(!)すると真っ先にクローズされるエリアではあった。まさかこのままずっとクローズされたままということになれば、人生の楽しみが約5パーセント減った気分になる。

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Re:Life without Bronco...

Posted by days at 2008-12-15 23:45

今年も南エリアは閉鎖ですが、来年の再開に向けて整備中とのアナウンスあり。昨年10/7のJR東日本プレスリリースによれば、北エリアからカワバンガへのゴンドラを使わない下山ルートもできるらしい。

Momentary Blue Sky

by Days posted at 2009-01-06 00:00 last modified 2009-01-08 12:29
2009-01-04セパレートA

年末の慌ただしさが一段落したので、3日にスキーに行こうと思った。が、前日に年賀状を書きながら予報をチェックしていると、魚沼川流域は一日中雪だ。
結局、いつもの「とき301号」で浦佐駅に着いたのは4日朝。ときどき民宿のワゴンがお客さんを送ってくるだけの駅前広場はがらんとしていたが、雪は止んでいる。路面が濡れているので、けさまで降っていたらしい。
土曜・休日運行のスキー場行きバスの乗客はモトと私だけ。それぞれスキー、スノボを持って、ロープウェイで六日町八海山スキー場のゲレンデトップに立つと、一瞬の青空の下にきのうから昨夜にかけて降り続けた雪の、真っ白なやわらかい世界が広がっていた。

中腹にあるレストランまでの林間バーンも楽しいのだが、八海山の真骨頂はその直下のセパレートA, Bコース。コース案内ではBが非圧雪エリアと記載されているが、ロープウェイの真下のAも圧雪されていないことが多い。斜度も幅もそれなりにあるので、パウダー好きのボーダーにはよだれが出そうな斜面だ。

4日はときおり小雪混じりの天気になり、午後には気温が下がってバーンが固くなってしまった。夕方になっても回復しそうになかったので、早々と退散して、六日町中央温泉に向かった。

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Ishiuchi

by Days posted at 2009-01-15 02:22 last modified 2009-01-15 02:22
2009-01-12石打丸山

10日から12日まで3日間、子どもたちを引き連れて、石打丸山に行って来た。リヒトの保育園友達に、祖母が石打出身の女の子がいて、その縁で5歳児7人、その兄弟姉妹3人、親ども11人という大所帯で、スキー場の真ん中のヒュッテに泊まらせてもらった。
いったん山の上に上がってしまえば、大雪でも吹雪でも、滑るしかない(おかげで今年一番の上越と思えないほどパフパフの雪を堪能することができた)。お昼ご飯は他のスキー客と同じようにラーメンやカレーライスを作ってもらっていただき、夕ご飯は17時半からコシヒカリと越後特産もちぶたのトンカツ。夜も下に降りないとどこへも行けないから、また滑るしかない(幸いにしてそれほど寒くなく、楽しめた)。で、朝は朝食前に8時から一滑りというわけだ。
また今度お世話になります!

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Hanamatsuri in Tokurinji

by Days posted at 2009-04-05 22:45 last modified 2009-04-06 00:43
花まつりの徳林寺

徳林寺本堂

名古屋に行ったついでに、けさ天白区の相生山にある徳林寺に行ってきた。地下鉄野並駅から歩いて20分ほどだそうだ。駅前はバスから地下鉄に乗り換える人々で賑わっているが、地下鉄の延伸工事をしている幹線道路から、住宅街への角を曲がると、お寺の参道に出る。
坂を上がって行くと、静かな境内。ストゥーパが立ち、タルチョがはためいているのが少し変わっているが、本堂に参拝して、僧堂横から裏手に回ると、こんなところにと思うような広い原っぱが広がっていて、驚いた。

この時期、徳林寺では毎年恒例の「花まつり」が行われている。その名のとおり、境内には桜をはじめ、本当にこの時期に合わせたかのように色とりどりの花が咲き、極楽浄土のようになっていた。花まつりというのは灌仏会(釈迦の誕生祝い)のことで、お釈迦様がルンピニーの花園で生まれたことから、そのように呼ぶようになったらしい。
法要、座禅、茶会のほか、ネパール、インド、ヒマラヤ地域の文化、芸術、音楽を取り上げたさまざまな催しが行われ、今年は4日5日の週末に「ヒマラヤを越える子供たち」「Leaving Fear Behind
」「Undercover in Tibet」の上映も行われたそうだ。
ネパール、中国など各地から来日している僧侶、スタッフが一緒になって泊まり込み、食事を作りながらイベントを作り上げるというスタイルを、毎年続けているというのには恐れ入るばかり。
旧知の友人が小学生の息子2人を連れて手伝っているのを訪ねて行ったのだけれど、なんだかそれ以上の収穫で嬉しくなった。
「花まつり」は灌仏会当日の8日まで。

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Mitake Kids Boulder

by Days posted at 2009-05-29 02:00 last modified 2009-05-29 02:00
すべり台岩

天気に恵まれた5月の連休の1日を使って、カナトとリヒトと一緒に御嶽渓谷へ行ってきた。吊り橋を渡り、川岸の歩道を歩くこと数分。釣り道具を持った人、カヤッカー、ピクニックの人に混じって、クラッシュパッドを担いだ人とすれ違う。私のディパックに括り付けられたクライミングシューズを見たのか、こんにちは、と挨拶される。仲間扱いされるのは嬉しいが、こっちにはクラッシュパッドはない。

御嶽小橋のたもとにある「溶けたソフトクリーム岩」に到着。既に数組のグループが岩に取り付いている。
クラッシュパッドというのは、折り畳んだときにはぬらりひょんが大きく実体化したような形の四角いクッションで、ロープを使わないボルダリングで、岩の足下に広げておいて、落下したときの衝撃を和らげるために使う。私たちにはそんなものはないし、ルート図さえないので、慣れた人たちが取り付いている「溶けたソフトクリーム岩」は敬遠して、もっと低い「すべり台岩」に。
誰もいないが、これだって課題にしようと思えば十分な岩だ。さっそくカナトがランニングシューズのまま取り付く。ムーブだとかルートは考えず、手当たり次第登る。最後のピッチで身動きが取れなくなって、しかたないので下からお尻を押してやる(そのぐらいの高さなのだ)。
名の通り上部は滑り台のように平らな斜面だが、結構ツルツル。しかも下方の終わりから地上まで1メートルぐらいの高さがあって、飛び降りるのはちょっと勇気がいる。
続いてリヒト。足と手をかける場所を教えてやったら、するすると登って行った。さすが保育園児。身が軽い。岩のてっぺんは高さがあって落ちると危険なので、あわてて自分も登り、降りる方向に誘導してやる。
何度か「すべり台」を登ったり降りたりしているうちに欧米人カップルがやってきて、すべり台岩の下にクラッシュパッドを広げ始めたので退散。

ボルダリングは楽し。今回は向こう見ずにもシューズ以外何も用意せずに行ってしまったけれど、きちんと課題を調べて、クラッシュパッドも持参で行くと結構楽しめるようだ。新しい遊びを見つけてしまった。

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We have Nothing to Lose

by Days posted at 2009-06-04 21:45 last modified 2009-06-05 02:35
2001年、あれから12年後の北京

「学生がただ騒ぐだけでこの大きな国が変わるとも思えない。けれど、事件のために指導者のイメージには明らかに傷がついた。それが良かったのか、悪かったのかは数十年もすれば自然に明らかになるでしょう」。

1989年6月4日の天安門事件の翌年、親しくなった若い中国人記者がのどの奥から絞り出すようにゆっくりと話してくれた言葉をまだ覚えている。ふだんはあれだけ軽口を叩いていたのに、さすがにこの「天安門事件をどう思うか」という質問にはまだ答えにくかったようだ。いま考えるとストレートすぎた。
西域へ向かう車中3泊の長距離列車の中。「花房姑娘」「假行僧」といったコミカルな曲に混じって、「一无所有」(俺たちには何もない)という昨年の事件を連想させるメッセージソングが入った崔健の「新长征路上的摇滚」のカセットが私たちのBGMだった。

あれから20年。記者だった友人はいま中国を離れて暮らすという。北京の火は消えてしまった。

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Numakuma

by Days posted at 2009-06-29 21:57 last modified 2009-06-29 21:58
トモテツバス桜バス停

先週火曜日、叔父の葬儀で広島の福山へ日帰りした。
早起きして東京駅始発の「のぞみ1号」で9時半に福山に着いて、葬儀までの3時間を散歩に充てる。
福山駅前はバスターミナルをほじくりかえして工事中。急いでその千年橋行きのバスを探し、仮設のターミナルを一周したところで目的のバスを待っている列を見つけた。

草戸川に架かる橋から、明王院が見える。子供の頃、叔父と一緒に河原で花火を眺めたのを思い出す。バスは瀬戸川に沿って旧道を行き、川を渡ってスイミングスクールから細い道を走り出した。途中、坂を上がって丘の上の団地に寄り、老人ホームの先の回転場でUターンして来た道を下りてくる。本当にこれが大型バスの走る道だろうかと思うほど貧弱な林の中の道を抜けて行く。採石場が近いらしく、やたらとダンプとすれ違う。斜面を利用したセメント工場の上はゴルフの打ちっぱなしで(このパターンはここだけじゃないと思う)、打球の落ちる先は瀬戸池というダム湖。
里山を縫ってバスは走り、熊野から峠を越えて沼隈側が山南。思わず「ロカ」とフリガナを振ってしまいそうになる。松永からの道と合流すると道は格段によくなり、町らしくなり、元の沼隈町役場、いまの福山市支所に到着。30分後に乗り継ぐべき鞆行きはここから出るのだけれど、路線は並行しているので、このバスの終点、千年橋までそのまま乗って行く。
巨大なスーパーやホームセンターがあり、あまり散歩に適した場所ではなさそうだと思いながら、内海大橋への道を見送る。バス路線は橋の先の田島、横島まで続いているので、いつか機会があれば行ってみたい。
千年橋バス停は、その先の小川に架かる橋の手前だった。たいした橋ではないのだが、あとで地図を見てみれば、ここがかつての海岸線で、小川は埋め立ての名残で残されたものではないかと想像する。

折り返し場へ向かうバスを見送って、歩き始める。ここまで来て快晴。喪服で歩くような場所ではない。
海は見えないが、海岸には造船所や工場があって、潮の匂いがする。横引、小桜とバス停を過ぎたところで、小さな造船工場の脇から海岸線に出た。
桜バス停の前でまだ時間があるので、堤防に腰掛けて内海大橋を眺める。内海で波がおだやかなせいもあるが、水が本当に澄んで、消波ブロックの底に泳ぐ小魚まで見えて驚いた。

道路が海岸から離れる白浜バス停で乗り継ぎのバスを待った。近くの民家には「ホワイトビーチ共和国大使館」の看板。「沼隈支所-鞆車庫」の紙製の行き先をフロントガラスに貼り付けて5分遅れで走って来たのはマイクロバス。サングラスかけた運転手に手を上げて乗り込んだものの、平日の日中では乗客は私ひとりだった。

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Watanoha

by Days posted at 2009-08-22 01:06 last modified 2009-08-22 01:06
2009-08-14渡波漁港

夏休みというわけではないけれど、1日だけ休みをもらって、宮城の石巻へ行ってきた。日本沿岸自転車の旅、今回目指すは石巻から福島県の広野まで。

JR石巻線が最も石巻湾に近づく渡波(わたのは)駅から走り始める。万石浦に架かる橋を渡れば牡鹿半島だ。いつかはこの半島も1週しないとならない。
小さな駅舎の前、「吸い殻入れは撤去しました」と書いてあるところからすると、かつて喫煙スペースだったところで自転車を組み立て。電車を降りた帰省の家族連れが、迎えに来たじいちゃんたちのクルマに乗り込んで行く。少しうらやましい。

駅前の道をまっすぐ、万石橋へ。牡蠣の養殖で有名な万石浦だが、地図を見なければ少し広い入り江といった感じ。橋の上まで行って、引き返した。
橋の脇の道を、祭りの衣装をまとった子供たちが行ったり来たりしている。「祭りのため、この先通行止め」との看板もある。気になってそのままその道を進むと、魚市場の前に屋台が並び、トラックを改造したステージで踊りが披露されていた。子供たちはちょうど踊りが終わって帰るところらしい。
自転車が人垣の邪魔にならないように押して通り抜け、長浜沿いの道に出る。わたのは保育園の前を通って、まっすぐ西へ。少し向かい風かも。あまりスピードが乗らない。海水浴場の手前ではサーフィンをしている人たちが。小休止して堤防の上に上がる。

石巻漁港の水産埠頭はがらんとしていた。亀のように小舟を載せた遠洋漁船が何隻もつながれている。並行する県道に移り、旧北上川の河口に架かる日和大橋へ。歩道は反対車線側にあるのだが、短区間だから大丈夫と車道をそのまま行ったのが、違った。橋の上は向かい風の強風。案外長い橋で、下り坂もスピードが上がらない。追い抜いて行く後続車を気にしながら、何とか渡り切ったときにはほっとした。
時間があれば石ノ森萬画館にも行きたかったのだけれど、河口は市街地から少し離れているので、また次の機会。
工業地帯は、歩道はぼこぼこしているし、車道は大型トレーラーが行き交うし、とても走りにくい。向かい風にハンドルを取られると命の危険を感じるほどだ。製紙工場の構内から頻繁に汽笛が聞こえ、専用鉄道で貨車の入れ替えをしているんだなと想像する。

ようやく工業地帯を抜けて、北上運河を渡るときには、少しほっとした。松島までのサイクリングロードが始まるのはこのあたりからだ。

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Shionomisaki

by Days posted at 2009-08-29 22:00 last modified 2009-08-31 22:25
2009-08-29潮岬

日本沿岸自転車ツーリング、今回は三重から紀州、本州最南端潮岬まで。
途中、カヌーや観光を入れながらの旅でしたが、いちばんモトがしんどそうだったのが、尾鷲−熊野市の海岸と、この潮岬周遊道路。後者は全然予想していなかっただけに、長い坂道に思わずあぜん。
とりあえずまだ生きてますの旅の報告でした。

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Azumino Yamabiko

by Days posted at 2009-09-15 23:31 last modified 2009-09-15 23:31
2009-08-22南豊科

保育園児と走る自転車の旅。今回は北アルプスを望む安曇野、その名も「あづみ野やまびこ自転車道」を小学6年のモトと3人で8月に走った。
行けるところまで行って、大糸線で戻って来ないとならないので、出発地点は松本駅の2つ先、島内駅。あいにくの曇り空で、アルプスの山々は雲に隠れている。旧国道に出て、奈良井川を目指す。道路狭くて歩道なく、交通量多く、年長さんのリヒトには少し厳しい道だが、短い距離なので、少しずつ進んだ。

奈良井川に架かる新橋の先、国道19号と川に挟まれて細い道が上流へ続いている。このあたりは特に自転車道というわけではないらしいが、国道から離れ、クルマがあまり走らないので助かる。川にはカモが泳いでいる。
途中、拾ヶ堰という用水を分けるための堰がある。じっかせぎ、と読むのだそうだ。あとでわかったことだけれど、安曇野やまびこ自転車道は、安曇野に奈良井川の水を供給するこの用水路沿いにずっと続いているのだ。拾ヶ堰はこの取水口から終点まで標高差たったの5メートルで、等高線に完全に沿って流れているのだそうだ。
国道19号が川に迫るあたりでは、細い道は路側の歩道になってしまい、先に行ったモトが邪魔なところで待っていて迷惑。意外と地元の人たちが自転車で行き来するのに使っているようで、ママチャリ何台もとすれ違った。もちろん土曜日なので、私たちのようなツーリストも多い。
平瀬橋は新旧2本あるが、とにかく梓川に架かる自転車専用橋(!)から自転車道に入ればいいやと思っていたので、新しい橋を渡って、すぐ右折。ゴミ処理場の廃熱を利用した温水プール「ラーラ松本」を目指して行く。橋は「ラーラ松本」を回り込んだところにある。並行して「アルプス大橋」という国道の車道橋もあるが、古い地図には載っていないので、「自転車橋」より後にできたものらしい。
自転車専用橋とは言え、特に特徴があるわけではない、細い橋だ。渡ったところに、場違いに巨大なシールドマシンの先頭部分が展示してあった。梓川の下に拾ヶ堰を交差させるため、10年ほど前に掘削した際のシールドマシン。交差部の逆サイホンが最初に完成したのは大正9年だという。ほとんど水平の水路と言い、川と交差する逆サイホンと言い、先人はとてつもないことを考えて実行したようだ。
迷路のようにアルプス大橋の国道の下をくぐり、その拾ヶ堰に沿って西へ走る。用水はほとんど満水だ。いまにも溢れそう。水路と道路が交差する箇所では、自転車道は道路の下をくぐるから、用水の水面よりも低いところを並んで走る。溢れたらどうするのだろうと不安になる。それよりもモトが怖いのは、道路橋から垂れ下がったクモの巣だ。

長野自動車道をくぐり、バイパスが北側に離れたあたりから、あたりはとたんにのどかな光景になり、山々の眺望が開けた。左手に豊科町の南部総合公園が見えて、ここで休憩。とにかく広いスポーツ公園で、子供たちも走り回っているが、付き合っている父母もスポーツウェア姿が多いのが印象的だった。トイレを探して公園を一周したからわかったことだけれど。
公園を後に県道を過ぎたところで、まだ青い実を落としている栗の木を発見。傍らの看板を見ると、目的地の道の駅まではまだまだだ。
国道をアンダーパスで越え(モトはクモの巣が怖くて先頭で行けず、リヒトは遅れてついてきた)、小さな木橋で拾ヶ堰を2回左右に渡ると、大糸線の線路が見えて来た。ちょうど2両編成の銀色の電車が走り去って行くところだった。
線路を過ぎてから、用水、農道、自転車道と並行するようになり、また雰囲気が変わる。「自転車道休憩所」と書かれた四阿が用水の対岸にあり、立ち寄るが、クモの巣だらけであわてて退散。遠く雲の切れ間に、常念岳の山頂だけがぽっかりと浮かんでいる。
火の見やぐらが立つ小さな集落で、用水の対岸に渡る。ここにも小さな公園があって、一休み。近所の子供たちが遊戯王カードをやっていた。モトは遠くからその会話に興味津々。水道で腕に水を浸すと、風がここちよく感じられる。
鎮守の森を過ぎ、道祖神にあいさつすると、なんだか山々が近くなってきたような気がしてきた。水辺の木々にはトンビ、カラス、スズメが大合唱。水面にはカモが泳いでいる。暑いのでうらやましい。
広域農道と交差する。その農道沿いに、目と鼻の先の距離で道の駅が見えているのだけれど、自転車道は律儀に用水沿いをたどっている。拾ヶ堰と一緒に急カーブした先が、堀金小学校の真新しい校舎。自転車道はその先で急に用水から離れてたんぼの中を左右に直角にぐねぐねと曲がる。リヒトが曲がり切れず、たんぼに突っ込むんじゃないかと不安で一杯だったが、無事?旧堀金村役場、いまのスポーツセンター、図書館、道の駅の一帯にたどりついた。
振り返ると夏の常念岳の輪郭がさっきよりはっきりと見えた。

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Nine Devils Road

by Days posted at 2009-10-20 22:45 last modified 2009-10-20 21:45
2009-08-26尾鷲瀬木山あたり

2009-08-26県道中井浦九鬼線ゲート

2009-08-26熊野灘

2009-08-26九鬼駅

伊良湖から伊勢湾を渡って、三重県に入り、今回は熊野路、尾鷲からの親子自転車旅。
今年できたばかりの紀勢自動車道の終点、大内山インターには9時に着いて、42号線を南下。霧雨の荷坂峠を越え、10時に着いた尾鷲はざんざん降りだった。考えてみれば、日本一降水量の多い大台ケ原の麓だ。火力発電所の煙突がけむっている。
雨が上がるのを待って、13時半に尾鷲駅前を出発した。港へ向かって、大通りではなく、商店街の中を走る。往々にしてこういう道が古来からの街道だったりするのだ。それにしても、開いている店の少ない寂しい商店街。
しかし突き当たってしまったので、駅前からの大通りに出た。しばらく走ると熊野古道の案内板があったので、それに沿って第三銀行の角を曲がり、古い道をたどる。道沿いには旧家や商家が並んでいて、いい雰囲気だ。
中川を渡る。そのまままっすぐ行くと八鬼山かと思ったら、紀勢本線のガードをくぐったところで熊野古道は左へ路地に入る。それについて左折したら、さらに細い路地に消えたので、しかたない、あとは県道へ出よう。
海岸沿いの県道の向こうは、三田火力発電所。パチスロ屋の前を過ぎて、矢ノ川を渡ると、とたんに道は市街を外れた。

大曽根浦駅の先から上り坂が始まる。海岸沿いの峠を越えて、行野浦に出るのだが、モトは早くも押しで前途多難だ。尾鷲湾の対岸が見える。路面が乾いて、ときどき薄日が射すのが救い。
行野浦を過ぎると、2車線路はセンターラインがなくなり、1車線の幅に狭まる。ガードレールに県道778号線「中井浦九鬼線」の六角形があるので、県道には違いないのだが、斜面から木々が迫り、「通行注意・落石」の標識とゲート。大型車通行不能だという。これでも1992年までは国道311号だったとは信じがたい。
急坂。ひたすら押しで登る。まったくクルマは走っていない。あとからついてくるモトが立ち止まっているので、何かと思ったら、路上でサワガニを見つけたのだった。
カーブまで先に行ってはモトを待ち、追いつかれてまた先へ進む。しびれを切らして、モトの自転車と2台を一緒に押して行くこともあった。ヘアピンカーブの連続で、はるか上方に白いガードレールが見える。モトはめざとくそれを見つけて、あそこまで登るの!えー!と大げさに喚く。あれはたぶん幻となだめるが、まあ登るのは間違いないだろう。
沢を渡る橋の名前は「無名橋3」「無名橋4」‥‥。順番かと思ったら、いきなり飛んで「無名橋9」。
あとで地形図で確認すると、250メートルまではヘアピンカーブで一気に高度を稼ぐが、そこからは300〜350メートルの等高線沿いの道。そこまで上がってしまうと、あとはペダルを漕いで走って行けるようになった。
道は樹々に覆われて薄暗い。県道のサインを頼りに、営林道に入らないように注意する。登山道ではないのだが(そう信じたい)、ときどき間伐材で作った「←おわせ・九鬼→」の立て札が立てられている。森の中でカラスが鳴いている。負けじとモトが「カー」と叫んで対抗する。ときどき眼下に熊野灘が見える。
「健康とゆとりの森」入口を過ぎ、どこが峠だかわからないうちに、いつのまにか下り坂が混じるようになって、そのうちペダルを漕がなくても前進するようになった。気分よく走って行くと、軽トラックとすれ違った。危ない、危ない。この道に入って初めての対向車だ。

ひょっこりといった感じで、国道311号線にT字でぶつかった。尾鷲から2時間弱。県道はここでおしまいだが、標高はまだ約200メートルある。後続車を気にしながら、2車線の舗装路を一気に下る。あまりスピードを出しすぎると、センターラインを越えてしまいそうだ。
国道を下って行くと、「九鬼漁港」の標識のある九鬼の集落と駅前に入る脇道を見過ごし、寂しい駅裏のバイパスに入ってしまった。国道は集落に入らず、山伝いに早田へ向かう。アップダウンが余計だが、しかたない。
九鬼駅のホーム脇で休憩していると、特急「南紀」が通過していった。きょうはあとどこまで行けるかだろうか、と地図を見ながら考えた。

Iragosaki Iragosaki
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Nigishima, Coast of Fractale

by Days posted at 2009-10-26 00:05 last modified 2009-10-25 23:31
2009-08-26早田トンネル

2009-08-26賀田湾

2009-08-26甫母

2009-08-26二木島駅

最大の難所、九鬼への山越えを最初に突破したので、あとは岬ごとのアップダウンが続く道をたどるだけだ。国道とは言え、クルマは非常に少ない。半分以上はダンプカーで、おそらくこの先に大規模な造成現場があるのだろう。
早田トンネルの入口にガードマンがいて、そのダンプカーを誘導していた。トンネルに入らず、旧道のほうを出入りしているというのは、災害復旧工事だろうか。「何の工事?」と聞いたが、答えは「知らない」とのこと。
早田トンネルの中は下り坂だった。広い歩道が整備されていて助かる。連続する三木浦トンネルは途中がカーブしているので、出口がなかなか見えない。あまり気分のいいものではない。しかも2つのトンネルを通過するあいだ、クルマとはすれちがわなかった。
坂を下っていくと、「三木小学校」というバス停がぽつんと立っていた。見回すと斜面の下に校舎があった。小学校があること、そこにバス路線が通じていることに、驚いた。この「ふれあいバス」八鬼山線は、1日4本、尾鷲市内から九鬼、早田経由で三木里まで行くらしい。
三木浦入口を過ぎると、また国道は上り坂になる。賀田湾の対岸に、落石シェルターのある道が見える。あそこまで行くのか、と思う。

三木里で雨になった。ちょうど集落の中だったので、民宿のピロティで雨宿り。17時少し前。あとどこまで行けるだろうと、また地図に目を落とす。貨物列車が通り過ぎていく。三木里駅が近いが、尾鷲へ帰る列車の時間を考えると、もう少し先までいけそうだ。2つ先の二木島を目指すことにした。
モトがトイレに行きたいというので、探す。海水浴場の駐車場にあった。雨に降られて水着の一団がちょうど海から上がって来たところだった。
通行量の少ない国道に不釣り合いな緑色の有料道路案内。熊野尾鷲道路の三木里IC入口が近いらしいが、できたばかりと見えて、手持ちの地図には載っていない。みんなそっちへ行ってしまうから、国道にはあまりクルマが走っていないのだろうか。あとで調べたら、尾鷲から三木里までの短区間が供用されていて、まだ無料なのだそうだ。
養殖技術試験場のある小さな港町、古江町を過ぎて、賀田へ。三重交通色の「ふれあいバス」ハラソ線とすれちがった。ハラソとは何のことか?

賀田の小さな港は、川の水が豊富なのか恐ろしいぐらいに澄んでいた。フラクタル曲線のようにでこぼこになっている湾をぐるりと回る。この先には曽根トンネルと梶賀トンネルがあるのだが、賀田港と国道の分岐はなぜか国道のほうが狭い。しかも「甫母地内全長8メートルは通行不能」の案内に不安を覚える。
入り江のほとりに曽根トンネルがぱっくりと口を開けていた。いままでの峠道のトンネルパターンと違って、トンネル内がひたすら上り坂。緩いので、ペダルを漕いで行けるが、1300メートルもあるので、なかなか出口に着かない。照明は明るいし、広い歩道もあるし、できたばかりできれいなのだが、それにしても1300メートル。
トンネルを出たところは谷を渡るコンクリート橋の上で、その先は梶賀トンネルに吸い込まれていく。
国道311号の全通したのは2001年11月。それまでは、この橋の下の梶賀が北側の行き止まり、須野が南側の行き止まりだった。10年以上前の地図には梶賀湾を橋梁で渡り、トンネルをうがって、その先の断崖を海上橋で結ぶルートが点線で描かれていたのだが、途中で計画変更して結局1キロ以上ある長大トンネルを2つ掘り直すことになったようだ。トンネルだらけの日本国内では、この程度の掘り直しは無駄とは言わないのかもしれない。
梶賀トンネルは全長1376メートル。緩い上り坂はトンネルを出てもまだ続き、須野トンネルでようやく神須ノ鼻の峠を越えた。ここからが熊野市だ。

須野の入り江。対岸の断崖上に続く国道と青い案内標識が見える。頼むからあまり下らないで、そのまま断崖上をつないでほしいと願った。急いで入り江を回ると、さっきの標識のところに出た。「甫母地内全長8メートル以上通行不能」だ。ここまで書かれると甫母とはどんなところなのか興味が湧いてくる。
またもや峠道でその頂上、楯ヶ崎展望台でひと休憩。「『神の戦ひたる処』望むビューポイント」と書かれた案内板の写真は美しい夕日だが、きょうの天気は雨のち曇り。雨が降っていないだけましだ。眼下に、断崖に打ち付ける波を見る。
「甫母(ほぼ)とは含まれるを意味し、二木島湾の一小海湾をなしていることからその名がついたと伝えられています」と案内板に書かれているのは、入り組んだ図形を拡大するとさらに細かく入り組んだ図形が見えてくるフラクタル図形の説明ではないか。列車の時間を考えると、あと走れるのは15分か。あまり時間がない。
甫母の国道未改良区間はその先にあり、断崖を削った1車線の道にガードレール代わりの仮設ロープが張られているだけという坂だった。カーブの連続で見通しは効かず、もしクルマで走っていて、対向車が来たらと思うと恐ろしい。甫母の集落内は堤防と民家のあいだの狭い空間が国道として利用されていて、その先には直角のカーブ。これは確かに「大型車通行不能」にしておいたほうがよい。

岬への坂道を上がって行くと、ようやく未改良区間が終わり、センターラインありの2車線路に。しかし私たちは二木島駅へ行くので、国道を外れて港への道をたどった。これも甫母と同じような堤防と民家のあいだの狭い道だ。銀色のヘルメットをかぶって自転車で通り過ぎるモトを、老人たちが不思議そうに見ている。入り江の奥が小さな漁港で、短いコンクリート橋で川を渡る。近所の子供たちとすれ違う。もう遊びはおしまい。家に帰る時間だ。
駅の入口は、線路の鉄橋をくぐったところで、スロープを上がった先に駅舎があった。駅は集落の中に築かれた築堤の上にあって、ホームからは入り江が見渡せる。列車到着まであと5分。無人の駅舎の裏に2台の自転車を停めた。

Nine Devils Road Nine Devils Road
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by administrator last modified 2008-05-10 02:29
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Miran

by Days posted at 2010-01-28 00:56 last modified 2010-01-28 00:56
米蘭故城

3月6日の次回「チベットの歴史と文化学習会」では、神戸市外国語大学の武内紹人さんがシルクロード沿いの遺跡から出土したチベット語文献について話されるという。
その中に懐かしい地名を見つけた。ミーラン(米蘭)。私は1990年にここを訪れている。いまは文物協会がしっかりと保護しているのだろうが、当時は近くの村から遺跡への道なき道の脇に「自治区一級文物保存区/米蘭古城跡」と石碑があるだけで、まったくほったらかしの状態だった。
沙漠の中に3週間もいて、ようやくミーランの遺跡、そして久々の文明社会に触れた当時の記録から。

 まるで2年前に読んだヘディンの探検記の挿絵のような風景が私の目の前に広がっていた。昨日と同じ沙漠の中に忽然と石組みの遺構が現れ、私は戸惑い気味にうなずいた。そうか。確かにスウェン・ヘディンと同じものを目にしているわけだ。本を読むのと違うのは、砂だらけの砂利道に沿って相変わらず電線が走っていることと、私が確かになま暖かい風を感じていることだけだった。

 岩を組んで造った数百もの遺構は何の跡なのだろうか。ラクダの上から眺めながら脇を通過していく私の目にはそれが音譜のように見えた。ついでに荘重な鎮魂歌を私は思い浮かべた。
 アンテナを天に巡らせた放送局のような大きな建物が丘の向こうに見えてきた。米蘭の新市街は想像以上の都会なのだろうか。新市街の入口がきょうの目的地。
 しばらく進むと泥の遺構が間近に迫ってきた。これが古代シルクロードの都市帝国、米蘭の跡なのだ。
 ラクダを下りていったんは歩き始めたものの、あんまり砂に足がとられるので私はまたラクダの足に頼ることにした。木片が砂の上に散らばる。木造の建物があったのだろう。板を切り出せるほどの大木はここらにはないから、遠く通商路を介して運ばれてきたに違いない。私は勝手にそう結論した。千百年前の都を目の辺りにして──その都に出入りする人々や異国の街の様子を目頭に思い浮かべて──ようやく私は敦煌からここまでその古代の通商路を辿ってきたのだと実感できた。もう人間関係なんてどうでもいい。宗教やら政治やらをうっちゃって、私はただ古代を想像することに没入したい。
 さらに進むと、さっき新市街の放送局に見えたのが、泥を固めたパゴダの跡にすぎないのがわかった。まだ遺跡の中なのだ。塔の内部から調査用の鉄塔を組み上げてあるので、それがアンテナに見えたわけだ。並走する電線がその泥の一部を削ってまでまっすぐに張られているのが痛々しい。これほど大きなものが数々の嵐(カラ・ブラン)によく耐えたもんだ。それも時間の問題だろう。楼蘭の遺跡もきっとこれと同じ環境に曝されているにちがいない。

時を同じくしてウイグル人が中国政府の抑圧に対して大規模な反対運動を展開していたことは当時日本では報道されなかったし、また社会生活から無縁の沙漠の中にいた私たちもそれを知らなかった。
「新市街」と書いたミーランの現村は実はオアシスの開拓村だったのだが、その村には滞在できなかった。それが騒乱の影響だったと知ったのはさらに1週間後、実は私たちがいた新疆南部には外国人の旅行規制が敷かれており、私たちも旅を中止せねばならないと知らさせたときのことだった。私たちは規制線の中にいたのだ。

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Powder Riding in Seki Onsen

by Days posted at 2010-03-23 01:55 last modified 2010-03-30 01:53
関温泉スキー場

3月の連休。渋滞をかきわけて、妙高高原へ行く。
土曜日は春スキーの陽気。妙高エリアでは最も高低差の大きい杉ノ原スキー場へ行ったが、シャリシャリの激重雪にエッジを取られ、とにかく疲れる。
日曜日は早朝から怪しい空模様。朝、関川駅まで買い物に行ったら、雨。500メートル上がった関温泉ではそれがみぞれになった。あまり滑る気がせず、宿の前の短い斜面でカナトにスノボを教える。バランスがいいのか、あっというまに滑れるようになって、ちょっと悔しい。

いつのまにか雪は本降りになって、クルマが雪に埋もれている。これはひょっとしてすごいことになっていないかと、歩いて関温泉スキー場まで行ってみる。
もう15時を過ぎていたが、リフト1本上がると、それはすごいことになっていた。谷沿いにはあまりの深雪に埋もれてもがいているスキーヤー多数。パウダー満喫。気分は空中遊泳。
リフトが停まるまでたった1時間ちょっとだったが、シーズンの締めくくりに十分すぎるほどのご褒美だった。

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Margaret Line

by Days posted at 2010-04-04 00:05 last modified 2010-04-09 00:29

2007年秋に中断した伊豆半島一周の続き。前回風が強くて途中で逃げ帰った子浦から。
バスの乗車券を売ってくれた牛乳屋のおじさんは、いま体調を崩して入院してしまい、出発地点のバス停留所は少し寂しい風景になっていた。人工地盤の上にグラウンドが造られた三浜小学校の下をくぐり、マーガレットラインに向かって急坂を押して行く。そこかしこで桜並木が出迎えてくれた。
続きはまた書きます。

2010-04-04落居口

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Lovers Point

by Days posted at 2010-04-05 00:30 last modified 2010-04-09 00:30

伊豆半島2日目は西伊豆海岸を北上する予定だったが、あいにく雨。
やんだ合間に走り出してみたものの、すぐにまた降り始めて、峠を上り切ったところで中止することにした。視界の悪い国道を、ブレーキの効かない自転車で走るほど危険なことはない。
ただ「恋人岬」という地名が、親子連れにとっては少し恥ずかしい。

2010-04-05恋人岬

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Nineteen Nine Beach

by Days posted at 2010-05-01 23:55 last modified 2010-05-02 11:19

九十九里浜。成東海岸から一宮まで南下。途中で日が暮れた。

2010-05-01白子町剃金

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Nanzenji

by Days posted at 2010-05-02 17:05 last modified 2010-05-05 23:40

予定を変えて、京都の南禅寺に立ち寄った。
連休の観光客で賑わう寺領には、琵琶湖疎水の水路橋が築かれている。一瞬驚かされるが、周囲の自然とのとけ込みぶりに思わず見とれる。

2010-05-02南禅寺水路閣

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Kushimoto

by Days posted at 2010-05-03 07:30 last modified 2010-05-05 23:44

朝日は橋杭岩の間から上ってきた。夜中の湿った寒気が、みるみるうちに遠のいていった。モトはまだテントの中で寝ている。
昨年夏は尾鷲から潮岬まで走って、串本から帰ったので、今回は串本からスタート。西へ向かって海沿いにどこまで走れるか。

2010-05-03串本橋杭公園

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Hinomisaki

by Days posted at 2010-05-04 17:05 last modified 2010-05-06 00:04

好天に恵まれ、2日間で約140キロ。美浜町の日ノ御碕まで走ってきた。最後の1キロ、標高約200メートルの日ノ御碕パークへの登りがとにかくきつかった。上りきって、モトとPETボトルで乾杯。
この先は紀伊半島と四国を隔てる紀伊水道。この先の旅はおそらく紀伊水道を挟んだ阿南市あたりから。いつ再開できるだろうか。

太平洋岸の旅も3年越しで東京から和歌山まで約1000キロを走ってきたが、途中飛ばしてしまった西伊豆の恋人岬−沼津港と、三重県内の南伊勢−尾鷲がまだ残っている。そのうちモトを誘ってまた出かけよう。

2010-05-04美浜町三尾
2010-05-04日ノ御崎

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A Lonely Summer Beach

by Days posted at 2010-05-25 02:01 last modified 2010-05-25 02:01
2010-05-01本須賀海岸

2010-05-01サンシャインステーブルス

2010-05-01片貝

2010-05-01白里中央ビーチ

2010-05-01白子町剃金

2010-05-01九十九里自転車道

2010-05-01宮川河口

成東海岸の本須賀海水浴場。ほぼ2年ぶりに戻ってきた。海水浴にはまだまだ早い。駐車場は一部砂で埋もれている。リヒトは砂の上を走ったことがないので要領がわからず、足を取られて転んで、でもニコニコしている。
家を出てきたのが遅かったから、もう14時過ぎだ。海岸沿いの道は海岸線から500メートルぐらい内陸を走っているので、少し戻って交差点からその道に入る。コテージやサーフショップが多い道。しばらく走るとアメリカンスタイルのキャンピングカーが野原に停められたサンシャインステーブルス。お、馬に乗っている人がいる。後から走って来るリヒトと数えたら、3頭。見ていると、手前の駐車場でイモビライザーが作動したのか無人のクルマのクラクションが鳴り出した。馬が驚かないかとこっちがひやひやする。
道沿いにはまるで要塞のような美術館のような不思議なコンクリート打ちっぱなしの建物もある。作田川に突き当たった。「つりえさ」の看板の出た売店の角を曲がって、川を少し遡り、県道の九十九里橋を対岸に渡る。後ろから来たロードバイクに誘われるようにして、また川沿いに掘割の九十九里港に入っていく。
ちょうど漁船が帰ってきたところだった。狭い港内を器用に操舵して岸壁に着く。

小関浜芝からしばらくは県道が海岸線沿いに走る。あいにく海は見えないが、その県道の歩道を拡張したようなかたちで、大原までの自転車道がここから始まっている。六角形の県道サインには「県道九十九里一宮大原自転車道」の表示。その下の看板は、自転車道に自動車を駐車するなという注意。それにも関わらずところどころ駐車場化しているのだが。
サドルの低さゆえか、よそ見をしているせいか、リヒトはなかなか進まない。1キロに15分以上もかかって、ようやく片貝海岸入口。
九十九里道路の入口を横切ると、海岸入口に焼きそばとわたあめ、あんず飴の屋台が出ていた。20分ほど休憩。休憩の方が長い気がする。

7、8月のみ有料になる海岸の駐車場沿いに走り、九十九里道路の下をくぐって県道に戻る。まだきょうの予定の半分も走っていない。歩道がやや広いだけの自転車道にも次第に飽きてくる。サンライズ九十九里を過ぎる。ちょうど路線バスが出て行くところだった。バスでエスケープも考えなくはないが、いままでバス停らしきものはまったくなかった。どこを走っているんだろうか。
東金道路をくぐり、真亀川を渡る。ここから大網白里町。白里中央海水浴場のあたりで海岸の上空にカラフルなパラグライダーのようなものが飛んでいるのを発見。気分転換に自転車を下りて、九十九里道路の向こうへ行ってみる。よく見てみれば、カイトボードだった。
きょうの中間点と目した白里海岸入口に着いたのは16時半。ようやく半分だ。出発が遅かったとは言え、夕暮れまでに一宮に着けるのだろうか。とにかく黙々と走る。

白子町に入ると自転車道の様相が少し変わった。ただの歩道でなく、県道とのあいだが菜の花の植栽で区切られ、少し独立した感じに。案内板も初めて見た。なんとなく走りやすくなったように感じる。
案内板に書かれたとおり、白子自然公園の手前から自転車道は県道を離れ、九十九里道路をくぐって、その海側を並行するようになる。公園には干潟が残り、夕方のランニングをしている人もいる。南白亀(なべき)川を自転車専用橋で渡る。河口の先に白波が見える。海沿いの道とは言え、防砂林に阻まれてあまり海を見ることがない道なので、少し感動する。
九十九里道路のカーブに沿って、自転車道も大きくカーブしながらややアップダウンする。高く上がったところから、テニス合宿所の向こうに夕暮れの海が見える。

右は九十九里道路、左は海岸までの原野。単調な道に変化があるのは、ところどころの案内板と九十九里道路のインターチェンジ。長生町に入って、長生インターをオーバークロスする。ちょっとした上り坂がだんだんきつくなってきた。もう18時。
そのすぐ先で九十九里道路沿いの快適路はおしまい。道路下をくぐるガードは、路面がぬかるんだ泥で埋もれていて、ちょっと大変だった。用水路を渡り、しばらく調整池沿いを南下する。池では親子連れが釣りをしている。こんにちは、と挨拶すると、もう「こんばんは」じゃないの、と小学生になったリヒトに叱られる。
西側は広大な野原で、その向こうに夕日が沈んで行く。あとで地図を見たら、サッカー場だったようだ。その先はいきなり住宅地に入る。3メートル幅の道の両端に白線が引いてあるのでかろうじて自転車道の続きだとわかる。ポンプ場の脇を過ぎると、再び九十九里道路が現れる。道路のほうももう一宮の終点に近い。料金所の手前に、自転車道の休憩所がある。九十九里道路をオーバークロスして、宮川沿いに出る。次第に暗くなってくるが、街路灯があるのが心強い。18:44、ようやく新一宮大橋に着いた。
2年前にはきょうの行程を残してこの前後を走った。宮川に架かる橋が2年前のスタート地点だった。これで踏み跡が鹿島の下津海岸から千倉の瀬戸浜までつながった。

宮川に沿って行くのが駅までの近道なのだが、途中で曲がるところが要領を得ない。このへんとあたりをつけたところ先は、真っ暗な道。遠くから列車が橋を渡る音が聞こえて来る。一宮でもこのあたりは海岸の別荘地。立派な屋敷が多い。
こんなに遠かったっけと思うほど先で県道に出た。あとは田んぼの中の道を上総一ノ宮駅に向かって一直線。カエルの合唱が心強い。やや寒くなってきた。周囲はほの暗いが、その中を散歩している人たちがいたり、急に段差があったりするので注意しながら走る。
これまた道を間違っているのではないかと心配になってきたあたりで、ようやく町らしくなってきて、唐突に見覚えのあるセブンイレブンの前に出た。駅のホームも見える。
リヒトとの約束通り、セブンイレブンでアイスクリームを買う。確かに約束は約束だけど、寒くなってからチョコモナカを食べるのはどうかと思うのだが。

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Nobiru

by Days posted at 2010-07-16 01:41 last modified 2010-07-16 02:01
2009-08-14陸前大塚

2009-08-14五大堂

2009-08-14陸前高砂

2009-08-14野蒜築港

2009-08-14成瀬大橋

2009-08-14東名運河

JR石巻線渡波(わたのは)駅からのMTBひとり旅の続き。

自転車道は北上運河に沿って延々と続き、矢本の公園の中の林間の道になり、さらに公園を抜ける(ここからレンタサイクル進入禁止の標識がある)。さっきまで向かい風で苦労していた分、いまのうちに距離を稼いでおこうと思うが、時速26キロはなかなか持続しない。ちょっと気を抜くと20キロぐらいになっている。

あまりすれ違う自転車はないが、向こうからロードレーサーが走ってきて、運河を眺めると野蒜築港。古いレンガ作りの橋台が残っている。あたりの戦後の護岸と比べ、意外にもしっかり明治の遺構が残っているので驚いた。が、その他には特に産業遺産と呼べるものは見当たらなかった。
自転車道の標識に従って、鳴瀬川の河口へ。家族連れがテントを張ってバーベキューをやっている。日本建築学会が建てた石碑が立つ。明治の一時期はこのあたりが上下水道完備の市街地だったのだそうだ。いまはまるっきり原野で、その面影はない。
鳴瀬川の対岸に東名運河があって、それに沿って自転車道が続いているはずなのだが、川を渡るには上流の橋まで相当な迂回を強いられる。最も下流はJR仙石線のコンクリート橋で、もちろん自転車はこれを渡れない。
次が国道45号線の成瀬大橋。整備されて自動車専用バイパスのようになっていて、相当東に迂回しないと道路に入れない。風さえなければ快適な堤防上、一度下りてみるがあまり風は変わらず。石碑から2キロ以上走り、線路をくぐって、とにかく成瀬大橋に行ってみる。ここが渡れないと、さらに2キロ上流の小野橋まで走らないとならない。しかも対岸をまた河口近くまで戻らないとならないのだ。
築堤は高かったが、セイタカアワダチソウの林の中に、なんとなく踏み跡が続いている。これは何とかなりそうだと思い、MTBを肩に担いでよじのぼった。ふへー。

成瀬大橋を渡り、下流へは追い風。整備された舗装路を、30キロで快調に飛ばす。仙石線をくぐる手前で、町中に続く築堤と線路の36キロポストを発見。2000年に架け替えられる前の旧線は少し上流を通っていたらしい。約5キロ迂回して、ようやく東名(とうな)運河に差し掛かり、運河沿いの自転車道へ突入。
自転車道だからと気を緩めてはいけない。運河沿いにまっすぐ松島湾まで抜けるものだと思っていたら、500メートルほど走ったあたりから林の中に逸れ、右へ左へ曲がるうちに方向感覚を失い‥‥。おっと軽トラックが曲がり角から出て来た。危うく突っ込みそうになった。
ここはどこ?と思っていると、松林の中でガソリンスタンドが近くにある道路と交差。一息つきながら辺りを見回すと、役場らしい建物もある。 少し寄り道すると、さきほどまで並行していた東名運河の向こうに仙石線の野蒜駅があった。なんだ、こんなに近かったんだ。

自転車道に戻る。林の中をぐるんぐるんとかんぽの宿やユースホステルの前を巡る。浮き輪を持った海水浴の家族連れとよくすれ違う。あとは田んぼの中をひたすら西へ突き進む。‥‥あぜ道。その向こうに白いガードレールが見えるので、自転車道には間違いないのだが、50メートルほど舗装が途切れ、あぜ道に入らねばならなかった。田んぼなので、靴の下は泥だ。慎重に慎重に進んだ。さっきの成瀬大橋のセイタカアワダチソウの林といい、きょうは意外なダートが多い。
すぐ東名運河を渡ると、間近に無人の東名駅。小さな踏切を渡り、県道に合流して小さな峠を越える。風は感じないのに、それなりに向かい風らしく、ペダルに力を入れないと上がらない。おまけにせっかくの下り坂は向かい風でスピードが落ちてしまう。あとから考えれば、小さな峠を連続4つ越えなければならないこの区間がいちばんきつかったかも。

ほたてや生かきを売る店が軒を連ねる磯崎あたりでは、買い物のために路上駐車するクルマのせいで観光客のクルマがすれちがいできなくなり、混乱していた。そのあいだをすり抜けて行く。
国道に出ると大渋滞だ。さすがお盆のハイシーズン。五大堂も大賑わいで、行ったことないから寄ってみる。
海の上の浮かぶお堂自体はたいしたことなくて、歴史的価値を別にすれば大津港の天心堂のほうが素晴らしい。むしろ、家族連れ、男女のグループ、カップル、観光客を見ているほうが楽しい。観光の次は瑞巌寺。自転車を押して恐る恐る山門の前まで行くと、観光案内の人が、自転車は山門の中に停められると言うので、立ち寄る。

17時すぎ。思ったより遅くなってしまった。トンネルとトンネルのあいだ、陸前浜田。田里津庵には何度か牡蠣を食べに来たことがあるが、いまはオフシーズンだ。このあたりの浜辺は近くに島々が浮かんでいて、意外と好い眺め。もっとも日没前で何でも美しく見える時間ではあるけれど。
海、道路、仙石線、東北線の線路が並んでいる。けさ乗ったのと同じ東北線の交流電車が走って行く。
塩竈の埋め立て地を過ぎ、市街地に入る。線路の高架下から観光埠頭をぐるりと回り込み、龍やへびの形をしたおかしな観光船の脇をマリンゲートへ走って行く。市街地はときどき地図を見ないと道に迷う。どの道も同じように見える。
なんとか県道23号線を見つけ出すと、あとは貞山堀に沿って南下するのみ。堀に沿ってマンションが立ち並ぶこのあたりは塩竈の住宅地だ。七ヶ浜からの道と合流すると、県道23号線は6車線の広い道路に。公園や巨大な倉庫、ショッピングセンターに沿った歩道も十分幅があるが、いまひとつ舗装が荒れて走りにくいので車道の端を行く。
臨海鉄道のガードを過ぎると、目印のアウトレットモールにある観覧車が見えて来た。仙台港を越えて亘理へ向けショートカットする港湾道路と県道23号線はなぜか交わっていないので、アウトレットモールの駐車場を横切らせてもらった。このアウトレットモールは1987年の「未来の東北博覧会」跡地だ。既に日は没し、観覧車の向こうの夕焼けが美しい。

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Natori

by Days posted at 2010-07-18 01:11 last modified 2010-07-18 01:13
2009-08-14閖上大橋

2009-08-15仙台空港

2009-08-15鳥の海

2009-08-15亘理吉田浜

七北田川を渡ったところで、川沿いに河口へ向かう自転車道に入ってみる。閖上(ゆりあげ)大橋まで11.2kmの案内。かろうじてトレイルが判別できるので、行けるところまで行ってみよう。それでも夕暮れの野山ではいろんな生き物が蠢いている。野生化した猫が飛び出して来て驚いた。
貞山堀にぶつかったところで、それに沿って直角に曲がる。堀の向こうはレトロな煙突のある汚水処理場。この黄昏時だとちょっと不気味な雰囲気。貞山堀沿いの道は並木が続き、いい雰囲気ではあるのだけれど、さすがに暗い。だいたい時速20キロで走っていたが、次第にサイクルコンピュータの表示も見えなくなって来た。
路上を慌てて逃げて行く生き物は、なんとカニだ。群れを作る習性があるらしく、しばらく油断していると、カニの群れに突っ込みそうになる。少しスピードを落として目を凝らしながら走るが、あたりはどんどん暗くなり、しかもいつ果てるともわからない自転車道なので、そうそうのんびりもできない。 20分ほど走ると、ようやく車道にぶつかった。
河川工事のため自転車道は通り抜けできないとの案内標識に阻まれ、自転車道と500メートルほどの距離で並行する県道塩釜亘理線をひたすら南下する。もう19時を過ぎた。両側はほとんど田畑のようで、遠く西には仙台市街の夜景が見える。電波塔があるのは八木山だろうか。
夜の県道の交通量はさほど多くなく、周囲の風景があまり変わらないのでただペダルを漕ぐだけ。ときどき虫が顔に当たるが、気にしない。クルマが途切れると、ペダルの動きに合わせて、チェーンがきしむ音だけが聞こえる。
頼りはLEDのライト。白色ヘッドライトをハンドルバーに、赤色フラッシュライトをサドルバッグにつけている。後ろから私の存在がわからないと追突必至。ドライバーからすれば、いきなり間近に無灯火の自転車が走っているほど怖いことはない。またヘッドライトをつけないと、交差点で右折のクルマに気づかれず、突っ込まれることがある。
ときおり赤色のライトをヘッドライトにして走っている自転車を見かけるけれど、クルマからすれば、向こうに見える自転車が同じ方向に走っているのか、逆走してこっちに向かっているのかは重要なわけで、ヘッドライトが赤色というのはやはりよくない。それで逆走してくるのはもはや犯罪以上の自殺行為だ。

閖上大橋を渡る。名取川の上流に、ビル群の灯りが輝いている。自転車道はこの先、閖上の集落を通って海沿いに続く。閖上の港町を見てみたい気もするが、その先真っ暗な自転車道を考えると、きょうは最寄りの駅に急いだ方がよさそうだった。
県道をまっすぐ行くと空港アクセス線にぶつかった。周りが田畑なので、美田園(みたぞの)駅のホームの灯りは遠くからでもよく見えた。県道を少し外れて、駅に着いたのは19時半すぎ。渡波駅から約77キロ。午後から走り始めたにしては、まずまずだ。

翌朝、美田園駅を6:45に出発。飯塚大橋で貞山堀を渡り、堀沿いの自転車道に入る。風はなく、貞山堀は静かだ。閖上大橋からここまでの自転車道もいつか来てみたい。北釜大橋の向こうに空港が見える。橋を渡って空港側に行くと、航空機の進入路の真下に出た。誘導灯がフラッシュしている。その近代的な光景と裏腹に、敷地を仕切る柵の堀側は、ともすれば雑草に埋もれそうなダートだ。美田園駅から15分ほどで、仙台空港ターミナルに着いた。
阿武隈川の河口まで約10キロ、松林の中の県道が続く。林の向こうには海があるのだけれど、釣り人が切り開いた野良道以外、海が見えることはない。
納屋の集落に入り、「この先行き止まり」の標識を見て、右折。まっすぐ行くと河口で川と貞山堀に遮られて行き止まりなので、亘理大橋へ向かう必要がある。貞山堀を渡るところに、赤い消防車が停まっている。軽トラックが慌ただしく行き交いながら、言葉を交わしている。
「ノボルんとこのおばあちゃんが、ゆうべシジミ取りに出て行方不明になってるんだ」。
貞山堀に小舟を浮かべて、棹を指しているのは、堀の清掃ではなく、そのおばあちゃんの捜索のようだった。

昨夜お世話になった県道に出て、亘理大橋で川幅の広い阿武隈川を渡る。荒浜の町中を抜ける。公園には町営の温泉施設が出来ていて、そこできょうは花火大会が開催されるらしく、交通整理の警備員がやたらに目立つ。とは言え、まだ朝の8時過ぎでは、釣りをする家族連れと、テントをたたむキャンパーぐらいしかいなかった。
鳥の海は周囲約7キロの汽水湖。太平洋に接しているが、ここに橋がないので、ぐるりと迂回するしかないので、馬鹿にされているような気分になる。ペースもなかなか上がらなくてイライラする。
漁港では、漁船がお祭りのために祝旗をたくさん付けている。漁協の屋台も出ていた。地図ではこの鳥の海の南端から、海岸沿いに細い道が延びている。行ってみると砂利ダートだった。本当にこの先通り抜けられるのかどうか不安になりながら、とにかく先を急ぐ。舗装路同様とは行かないけれど、1.95インチのタイヤなのでそこそこのスピードで走って行ける。
牛橋河口で堤防が途切れる。真新しい河口堰が出来ていて、それを渡ることができた。その先、坂元川の河口まで来ると、ダート道が浸水していて、クルマはまず入れない。堤防上に上がり、幅の狭いコンクリート堤の上を、河口堰まで押して行く。堤上に座り、5分休憩。川の上流に、とんがった山が見える。地図で確認したものの、方角がいまひとつわからず。

高浦橋の手前で海岸沿いのダートから県道に戻る。県道は磯浜漁港に向かって行って、漁港の手前でクランクカーブ。漁港方向が優先で、一時停止しないとならないのが面白い。
小さな丘を登った埒木崎が県境。やっと福島県に戻って来た。釣師浜町内の県道が大型車通行不能になっていて、迂回路が港沿いに案内されているので、大型車じゃないけれどそちらに回る。遅い朝食を食べて、水着を着て、近くの民宿から浮き輪を持って海水浴場に行く人たちが多い。
相馬港を過ぎて、駅への道に突き当たり、反対に海岸へ。そろそろコンビニに寄ってまたおにぎりでも調達と思っていたところで、旅館の1階に食堂を発見。10:30でまだ少し早いけれど、この先しばらく海岸沿いに町らしい町がないので、この石和田食堂で昼食にしておく。
テレビの高校野球は、ちょうど福島代表が負けたところだった。相手がPLだからしかたない、と食堂のおばちゃんを慰めた。

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Manseibashi Station

by Days posted at 2010-07-20 23:25 last modified 2010-07-22 01:27
2010-07-20交通博物館跡地

MTBでの通勤ルートはいくつかあるのだけれど、猛暑のきのうは昌平橋を渡り、神田郵便局の手前を折れて、須田町に抜けるルート。この抜け道は須田町交差点でそのまま神田駅に直進できず、二段階右折になるのがネック。最近は秋葉原に外国人観光客を乗せてきたバスが、そのあいだ路上駐車していて、かなり迷惑だ(他に停めるところがないのも確かだけれど)。
そのバスの向こうで、交通博物館の跡地がすっかり更地になっていて驚いた。2006年の閉館後もしばらくは建物が残っていて、深夜に通ると少し薄気味悪かったものだ。
アーチの上に旧万世橋駅ホームが丸見え。交通博物館の1階には、数段の階段の上に自動販売機が置かれた「中央休憩室」というスペースがあったのだが、中央の四角い穴はまさにそこ。階段の上から閉館間近で混雑する館内を眺めていたのが懐かしい。
当時の交通博物館が作成した「旧万世橋駅のうつりかわり」という解説シートによれば、1936年に開館した交通博物館の開館後、1943年の営業休止までの約7年間博物館と同居していた万世橋駅には、ホームから博物館に直接入ることができる「特別来館口」があり、「中央休憩室」はその階段の踊り場を利用して作られたのだという。
JR所有のこの敷地にはオフィスビルが建てられるらしいが、その設計にはぜひ「特別来館口」の空間を利用した仕掛けを取り入れてほしい。

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Souma

by Days posted at 2010-07-22 01:52 last modified 2010-07-22 01:52
2009-08-15松川浦大橋

2009-08-15松川浦

2009-08-15ハツカラ橋

2009-08-15福島第一原発

2009-08-15井出川

2009-08-15広野駅

石和田食堂を出て、すぐ松川浦大橋を渡る。渡った先は埋め立て地で、海水浴場と漁港が造成されている。この橋と鵜の岬トンネルができなければ車輛が入れなかったところで、こんなダイナミックに地形を変えてしまってよいのかと一瞬思う。
灯台下のトンネル出たところがかつての鵜の岬で、神社があった。かつて行き止まりだった道の駐車場には家族連れが多い。海側にはサーファーも多い。ここからは松川浦と海のあいだを、ひたすらまっすぐ。
海浜自然の家を過ぎて、県道へショートカットする里道を入る。里道なので、地図と勘を頼りに進む。T字路に突き当たったら、迷わず海を目指す。急斜面を下がり、台地の上に出ては、また谷を埋めた田んぼへ下りる。道ばたには赤や黄色の花が綺麗に植えられていて、嬉しい。田んぼの向こうには優美な白鶴が見えた。カメラを向けると、あっという間に稲穂の中に隠れてしまった。 12時のサイレンが鳴る。終戦記念日だと思い出し、ちょっと黙祷。田んぼの外れで県道に合流。県道74号線は2車線で続き、ときどき川を渡りながら、丘を越える。田畑の中の単調な道で、距離と時間だけが過ぎて行く。このワイルドさは、なんとなく秋田に似ている。

真野川を渡ると、原町火力発電所の煙突が見えた。発電所のある丘を越え、北泉の丘を越え。地図では直線なので、どこがアップダウンなのかわかりゃしない。
塚原の交差点で県道391号広野小高線の案内が現れた。この391に沿って行けば、広野にたどり着けるわけだ。ちょっと嬉しくなったのもつかのま、この391、田畑の間の里道をぐねぐねとつないでいるのが実態で、ガードレールに貼付けられた小さな六角形を見逃すと見失いそうだった。危うく休耕地を転用した駐車場に入り込みそうになりながら、小さなハツカラ橋に到着。
小高川の河口に面していて、川で遊ぶのも海に入るのも楽しそうだ。地元の婦人会がそれぞれ売店を出していて、にぎわっている。海を眺めながら10分休憩。その先の県道は、松林の中のキャンピングサイトの中を通り抜けていて、さながらキャンプ場のメインストリートのよう。

南相馬市、旧小高町から浪江町に入るあたりは災害復旧なのか道路が付け替えられていた。いままで走って来た田園の道からすると不自然なほど里の匂いがしない林の中の道を、とにかく南下する。そして、その不自然なわけは2キロほど走った先でわかった。東北電力浪江・小高原子力準備本部という、電柱の看板。県道の両側一帯は、その建設予定地として保全されていたのだった。

丘を越えて小川を渡り、緩い上り坂に取りかかると、行く手に福島第一原発が見えて来た。坂を上がり切ったところで、直進する道と、原発敷地に沿って行く細い道の分岐。あたりに人家はなく、道に沿って鉄条網。1ヵ所あった発電所構内への小さなゲートは無人化されており、許可車と無線で認証して入れるようになっているらしい。そんなことを観察しながら走って行くと、森はだんだん深くなり、県道も林道の様相を呈して来た。
そのまま進むと、道の両側には発電所関連の施設が建ち並び、構内路でのスピード出し過ぎを戒める案内標識‥‥。いつのまにか原子力発電所の敷地に入ってしまっていたのだった。
後ろからパトカーがついてきて、おかしなところで停まったら余計に怪しまれそうだ。とにかく敷地を出なければ、とそのまま走り、「関係者立ち入りご遠慮ください」の案内がある正門から一般道に出た。ようやくガードレールに「福島県」の文字を見つけたときには少しほっとした。ようやく県道に戻ったのだ。

再びオリエンテーリングのように391の六角型をガードレールに探しながら進む。「工業団地」や「小学校」など具体的な案内は大きな看板があるのに、県道標識は曲がり角に申し訳程度にしかないというのがわかってきたから、用心するにこしたことはない。水産種苗研究所近くで、小さな川の橋を渡る。河口の向こうに海が見える橋の下で、数人の男たちが網をしかけているところだった。いくつも丘を越え、いくつも小さな川を渡る。川を渡るたびに、周囲の村落の暮らしぶりに眼を凝らす。
そんな丘のひとつを越えた先に急に富岡の町が見えた。駅の裏側から回り込んで、常磐線のガードをくぐると、築堤の上に国道6号線。時刻は16時半。けさの美田園駅からもう120キロ走っているんだから、もういいよな、この次に常磐線の駅に近いところに出たら、そこから帰るかと、少し気楽に考える。

踏切を渡って、県道244との分岐を左へ。また危うく福島第二原発の構内に入るところで、県道391を発見。相変わらず村落の中を右へ左へ曲がりながら続くかと思えば、急に激坂で丘の上に上がったりする。上がった先は畑の広がる開墾地で、分岐のどれも同じような幅の道ばかり。県道を見失って行ったり来たりしていたら、私を仲間だと思ったのか野良犬がついてきて、一緒に道を探すはめになった。
天神岬スポーツ公園近くまでは県道をたどれた。が、行き止まり。地図を見ると、木戸川を渡る橋がその先にあるように錯覚していたが、実際にはそこは断崖の上で橋などないのだった。公園の案内所で、あわただしく道を聞いてみると、国道か旧街道まで遡らないと橋がない、とのこと。最寄り駅は木戸駅だが、もらった地図を見てみれば、その隣が広野ではないか。こりゃ急げば予定通り広野まで行けそうだ。思わぬ迂回に気を落とすどころか、道程が残りわずかなのに気付いて、とたんにペダルが軽くなった。
木戸川の河岸段丘を降りて行く。下り坂でスピードをつけると、あっというまに旧街道まで出た。鮭の絵が描かれた木戸川橋の案内標識。川の真ん中には竿を出す釣り人の姿。橋の上から下流を見ると、天神岬越しに河口まで見渡せる。やはり橋はまだないのだ(2010年現在、架橋工事中)。

海岸に面した丘の上にある広野火力発電所に向かって、県道は豪快なスロープを用意している。Jビレッジの入口で空を見上げると、雲が夕日に映えてきれいだった。火力発電所の2本の煙突さえも、夕日に映えて美しい。
広野火力の入口から、二ツ沼総合公園のあたりまで、つい最近できたばかりの2車線路が続いているが、それは県道が直角に曲がって常磐線の線路を越えるところまで。このまままっすぐ旧街道を行けば広野駅に出るとわかっていたので、もうこのかわいそうな県道を追いかけることはなかった。

急坂の細い道を降りるとお地蔵さんがお出迎え。18時ちょうどに広野駅到着。
しかし駅前広場では盆踊り大会をやっていて、広場へ入る道にはガードマンがたちはだかっていた。駅前へ行くには、迂回してほしいとのこと。うむむ。なんとかたどりついて、駅舎の脇で盆踊りのフレーズを聞きながら MTBを輪行袋にしまう。缶ビール片手の盆踊り見物客にはいい好奇心の対象で、何人もに声をかけられた。東京の盆踊りと違い、音楽は拍子のみでエンドレスで続く。少しずつかけ声が違うのは町内の屋号を入れているからなのだそうだ。
これで渡波から大洗までがつながった。本日走行8時間で139.61キロ。MTBだとこのへんが限界かも。

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Shimonita

by Days posted at 2010-07-27 02:03 last modified 2010-07-27 02:03
2010-07-19吉井駅

2010-07-19上信電鉄車内

真夏日。群馬県吉井町の吉井駅に着いたのは14時すぎ。
上信電鉄は土曜・休日の指定列車に限って自転車の車内持ち込みを許可している。ローカル私鉄なので、日中は1両だったり2両編成だったりの電車が行ったり来たりしているのだが、自転車が持ち込めるのは日中の2両編成の電車だけのようだ。14時56分の下仁田行きを待つ。午後の下仁田方面指定列車はこの1本しかない。
リヒトと2人、自転車を押して改札を通る。駅員さんが踏切を渡ったホームの上までリヒトの自転車を押してくれる。やってきたのは昔西武線で走っていた101系電車。通学でお世話になっていたから、少し懐かしい。「後ろが空いているから」と言われ、最後尾の扉から自転車をうんしょと持ち上げて乗り込む。また駅員さんが手伝ってくれた。

電車の中は冷房が効いていて涼しい。意外と揺れるので自転車が倒れないように手で(リヒトは足も使って)しっかり押さえる。
かのはら、なんじゃい、せんだいらと次第に山に分け入り、急峻なカーブを曲がって信号所で上り電車と交換し、トンネルをくぐると終点しもにた。
自転車を押してホームを抜けると、今度は駅員が改札脇の従業員用通路を開けて、通してくれた。

静まり返った下仁田の町内を抜け、国道に合流して、電車に乗ってきたのと逆方向に自転車を走らせる。川に下りられれば、水遊びでもと思ったけれど、このあたりの鏑川は深い峡谷の中を流れている。無理そうだ。
石淵橋を渡り、道の駅にさしかかる手前でリヒトがつぶやいた。「これって自転車の旅じゃない? ボクは公園でちょっと乗りたかっただけなんだけど」。いまさら遅いや。
道の駅で神津牧場のソフトクリームを一緒に食べて、勘違いをなだめる。
馬山小学校の前を通る旧道は、横瀬川に架かる橋が工事中で、自動車がほとんど入って来ない。あまり怯えることなく南蛇井まで走る。ちなみに小学校のグランド脇には駄菓子屋さんが健在。鏑川の上流に、奇妙な形をした荒船山が見えた。

吉井駅まで戻るつもりが、富岡の町内を過ぎたあたりで日が暮れた。しかたないので電車にまた乗り換えて、さっきの駅員さんに事情を説明することになった。

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Tashikaraura

by Days posted at 2010-08-14 19:10 last modified 2010-08-14 19:18
2010-08-06慥柄浦

まだ工事してて未供用のトンネルに阻まれ、国道260号線が慥柄浦(たしからう
ら)の集落を避けるバイパスから海沿いのつづら折れ旧道に戻ると、眼下には贄湾
(にえわん)の青い海。きょうは少し波が立っているようだ。260号線は、太平洋
岸を伝う国道の中でも指折りの「酷道」だが、改良が進んで虫食い状態で整備が進
んでいる。
写真を撮っているうちにモトはさっさと坂道を上がって行ってしまった。上り坂は
イヤだ、と言っていたモトが、ことし中学生になってからどんどん先に行ってしま
うようになった。口では相変わらず「もうイヤだ」と言っているが。
坂の頂上で待っていたモトに追いつき、先に行ってよいと手を振って合図する。後
ろからも前からもクルマは来ない。カーブが多いので見通しが悪いが、海沿いの爽
快な坂道を下って行く。
贄湾の景色によそ見をしていたら、右ブラインドカーブからトラックが上がってく
るのに気付くのが遅れた。重そうな大型の冷凍トラックがゆっくりとだが、セン
ターラインを越えてこっちへ突っ込んでくる!
狭い下り坂の急カーブ、あわててブレーキをかけたモトのMTBは後輪が路肩の外
側へ滑って、バランスを崩しかけている。トラックを避けようとガードレールぎり
ぎりで私もブレーキをかけたが、路肩に散らばった砂利で滑る滑る! モトは何と
か転ばずにトラックとすれ違った。滑る私のMTBとも、トラックの前頭部はぎり
ぎりでかすめて行ったが、今度は迫り来るガードレール。あわや白い鋼鉄の生け贄
になるかと思うところで、なんとかバランスを取り戻した。
「危なかった。死ぬところだった」とモト。いや、ホントやばかった。親子ともケ
ガひとつなく済んでよかった。「もしあそこで死んでいたら、自転車の旅に連れ出
した父をずっと恨んで、呪って出てやる」。
モトがそう話すこの夏の自転車旅は、2年前の夏の旅の終点だった三重県志摩磯部
から、昨年の出発地、尾鷲までの約95キロ。慥柄浦はその中間の旧南島町、いま
の南伊勢町にある。これで東京から和歌山県の日ノ岬まで約1200キロがほぼつな
がった。

−−先週末の旅から戻って早々、『地平線通信』vol.369に書いた文章。

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Kashima Nada

by Days posted at 2010-10-11 22:10 last modified 2010-11-23 00:08
2010-10-11下津海岸

Cogwayチームが東京アースライドに参加すると聞いて、赤いTシャツで協賛。
でもお台場じゃなくて、大洗から鹿島まで鹿島灘沿いをひとりで走ってきた。

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Riding Sea of Okhotsk

by Days posted at 2010-11-08 23:50 last modified 2010-11-23 16:43

宗谷岬から網走まで約300キロ。寄り道しながら5日間で走ってきた。シーズンオフでどこもかしこも旅行者の姿が見えない。
最終日のきのうは、冬期休業に入り、水道が停められ、トイレも冬囲いにされてしまったキムアネップ岬のキャンプ場から、女満別空港まで約90キロ。南下するに従って、木々が色鮮やかになっていく。北海道の紅葉は短い。

道道76号 網走公園線 美岬

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Soya Misaki

by Days posted at 2010-11-25 22:30 last modified 2010-11-26 02:58
2010-11-03声問

2010-11-03宗谷海峡

2010-11-03富磯

2010-11-03宗谷岬牧場

2010-11-03宗谷岬

2010-11-03知来別漁港

稚内行きのプロペラ機はバスゲート。バス1台分、数えられるぐらいしか乗客がいなかった。定刻より早く離陸。稚内にも5分早く着くという。地上は雨だが、雲上は晴れだった。利尻富士が見えず残念。稚内は雨上がりの曇り空。雨が降っていないだけいいが、風が強い。
市内行きのバスを断って、空港ビルの外で自転車を組み立てる。フロントのシャフトが曲がっているのを発見、どうやったら曲がるんだ、こんなもの。組んでみたら多少ブレーキが当たるものの調整の範囲。よかった。
組み立て、荷物積載に1時間。ついでなので空港レストランで腹ごしらえしていく。ほたてラーメンがおすすめだったが、おおなごの蒲焼き丼、750円。東京からのジェット機の出迎え客がちらほら。商用の人も多い。

走り始めると、いきなり風だ。海沿いの国道に出るまでが海からの北風に逆らって走ることになるので、ちっとも進まない。ようやく国道に出る。今度は左側から突風を受けながら走る。風の合間をついてスピードを上げようとがんばるが、それでも17キロがせいぜい。
途中、海に出られる通路があったので、自転車を停めて砂浜まで行ってみたら、あまりの強風に波の花が立っていた。
国道は意外とクルマが多くて油断できない。増幌川を過ぎると、宗谷岬に向かって道路は北向きになるので、北風にもろに逆らうことになる。こうなると、10キロがせいぜい。路肩もよくないので、歩道を走る。途中セイコーマートが1軒。おそらく日本最北のコンビニではないだろうか。宗谷岬がまったく近づかないうちに宗谷集落。宗谷小学校と中学校。
もともと2時間を見込んでいたから、そのとおりなのだけど、かなり風がつらくなってきた頃に、道道889号、宗谷丘陵への分岐。最初はゆるゆると登っていくが、丘陵にさえぎられて風の影響を受けない分こっちのほうが断然楽だ。氷河地形だという絶景の中を進む。これで晴れだったら最高だ。
坂は次第にきつくなってくるが、位置エネルギーを蓄えている分、風よりはましだ。そんなことを考えていたら、目の前の藪から鹿が飛び出してきた。最初は私に気づいていなかったが、近づくとさすがにわかったようで、後ずさりしながら熊笹の中を逃げていった。2頭いた。
展望台に到着。ウインドファームの丘や、宗谷牧場が一望に見渡せる。草原のテンテンは肉牛だ。走っていくと、その牛たちが一斉に近寄ってきた。好奇心が強い。大地を削るような強風の中にたたずんでいる牛を見ていると、ヤクのように見えてきた。
雨がぱらついてくる。丘を2つ越え、畜舎の前を過ぎると宗谷岬のトーチカが見えてくる。その先に灯台が。サハリンが見えるような見えないような。悪天候なのが悔しい。

営業終了した風車小屋、観光客相手の寿司屋、和洋両方の「平和の鐘」、大寒航空機撃墜事件の追悼碑、海軍見張り台。見るものはいろいろあるが、観光客はほとんどいない。
海辺の「日本最北端の地」碑。いわゆる崎ではないので、ここで地がつきる感じはしない。小雨もぱらついているし、早々に退散。天気が悪すぎる。
かと言ってこんな観光地に宿泊する気分ではなく、大岬へ向けて走る。おあつらえ向きの追い風で、スピードがどんどん出る。この風にのってきょう中に鬼志別まで走らない手はない。今回の旅では稚内市街に立ち寄らず、往年の稚泊航路のドームを見ることができなかったので、大岬の「てっぺんドーム」というのが気になるが、それを振り払う。
ほぼ海岸沿いの一本道。オホーツク海の波は、宗谷海峡に比べれば本土並みに穏やかだ。追い越し車線つきのオープンカットの峠がひとつ。約1キロの上り。
その後に山間にわけいって熊の出そうな峠。上り坂はそれほどでもないが、ここでとうとうざんざ降りの雨にやられた。フロントバッグだけ、レインカバーで覆う。

東浦から海沿いの道を走るうちに日が暮れた。ここまでは村営バスが来ているらしい。知来別で大岬から20キロぶりに飲料の自販機を発見。ミルク入りの缶コーヒーを飲む。そこから浜鬼志別までは完全に暗闇。灯台がまばゆい。
このあたりはソ連のスパイ船ラズエズノイ号が検挙されたり、戦前には1004人を乗せたインディギルカ号が沈没したりと、何かと物騒なロシア船との縁が深い沿岸である。ノモンハン事件が起きたのと同じ年、1939年のインディギルカ号沈没事故では、700人以上が死亡したという。村人総出で救出と漂着した遺体の収容作業が行われたが、当時のソ連は不可解にも遺骨の返還を断ったという。一説には極東開発のため政治犯とその家族が船で送り込まれた囚人船であったと言われ、犠牲者の無念を思うとやりきれなくなる。

再びセイコーマートが出現したのが、浜鬼志別。雨はやんだものの地面は水たまりだらけだし、もう暗いので、テント泊という選択肢はなかった。ツーリングマップルを引っ張り出してみると、この先にさるふつ温泉がある。温泉へ行けば近くに宿ぐらいありそうだと踏んで、残り2キロを急いだ。

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Re:Soya Misaki

Posted by にだて at 2010-11-25 22:30

このへん、オートバイで走っても長く感じます。
先っちょである以外に本気で何も無い所ですよね。はたして日がくれてから宿を見つけられたのか、続きが気になります。:)

Hamatonbetsu

by Days posted at 2010-12-27 02:10 last modified 2011-01-26 23:18
2010-11-04芦野

2010-11-04飛行場前

2010-11-04クッチャロ湖

2010-11-04浅茅野

2010-11-04斜内駅跡

2010-11-04ハンブルグ

2010-11-04幌別橋

目覚ましが鳴っても、布団から出たくなくて、隣の部屋の人が動き出す物音をしばらく聞いている。宿代をけちったために、隣室との壁がものすごく薄い部屋なのだ。もう日の出のはずなのに暗いということは、天気が良くないということ。それでも東京から持参のバケットを切り、インスタントコーヒーを入れて、パッキング。予定通り7時には「ホテルさるふつ」をチェックアウトして出発。
海も空もあいにく曇り。走り出してすぐポツポツ降りだした。2キロ先の「ライダーハウスやませ」で雨宿り。シーズンオフのハウスには人影がなかった。
15分ほどで再び走り始め、猿骨川を渡って、牧場の先を右折して海岸から離れる。ちょうど天北線バスとすれちがう。GPSが測位していないのに気づき、電池を換える。道道1089号線はJR天北線の線路跡。まっすぐな道だが、意外とアップダウンがある。

猿払駅跡の公園で道道は直角に曲がるが、そこから始まる北オホーツク自転車道を走る。雨上がり、薄日も差してきて、空気は素晴らしい。熊が怖いので、鈴を鳴らしながら走る。熊の代わりに鹿に出会う。鈴を押さえて、こっそり近寄ったがやはり気づかれてしまった。
浅茅野からは国道に並行するが、少し離れているせいかクルマの音は聞こえない。突然木製のホームが出現。駅名標はなくなっているが、たぶん飛行場前駅の跡だろう。戦時中にはこんな鬱蒼とした林を切り開いて飛行場を作ったのか。切り拓いた土地に滑走路ができ、それがまた林に戻ってしまうまでの年月を想像する。天北線の廃線から20年以上経ち、木製のホームも熊笹に覆われて朽ちつつある。
天気がよければエサヌカ線を見に行ってみたかったが、そんな気分を打ち砕く曇り空。安別を過ぎ、小沼畔に出ると雨が降り始めた。景色は最高で、遠くクッチャロ湖大沼の上には「天使のはしご」ができているほどなのだが。
山軽駅跡の小さな待合室にはキツネがいた。こんな人家のないところによく駅を作ったものだ。前後で線路を横切っていた車道はいずれも砂利道だった。
浜頓別までもう少しというところで雨が強くなり、クッチャロ湖の橋のあたりが最悪。早く雨宿りをと急いだら、自転車道が終わって、駅敷地を活用した広場に出たところで雨がやんだ。振り返れば、「熊出没注意 8月10日 この先600メートル付近 通行禁止」の掲示。さすがに秋のこの時期では時効だろうけど、それでも気になる。

かつては浜頓別駅に、いまは広場に面しているスーパーなかむらで早めの昼食を買い込んだ。バスターミナルで買って来たばかりの「ロシアパン」とどらやきを食べて、おなかいっぱい。休憩中にまた雨が降ってきた。結構激しく降っていて出るに出られない。
しかたないので2階の図書館へ。BSE騒動で廃業に追い込まれた畜産家の告発、『狂牛病の黙示録 北海道猿払村におけるBSE被害農家の苦闘の記録』を読む。いかに最果ての村の行政が無策で、非人道的な役人気質だったか、暗澹とした気分になる。はたして今はどうなのか。

雨が上がって出発。しかし枝幸とは逆方向、白鳥の湖、クッチャロ湖に寄り道。バスターミナルの掲示では現在140羽とのことだったが、その期待通り、湖畔にはたくさんいた。以前にも旅の途中でこんな白鳥の湖に立ち寄った記憶があるけれど、あれはどこだったっけ。
再び浜頓別バスターミナルへ戻って、かつての駅前通りを東へ。川を渡って、頓別まで来たところでまたポツポツ。水産会社の軒先に避難。あられまで降ってきた。
さっき図書館で読んだ郷土史によれば、頓別の語源はアイヌ語の「トー・ウン・ペッ」、湖から流れる川なのだそうだ。その河口にあるのが頓別の集落なのだが、本来は川の名前なので、その名が海辺の集落につけられるのも、川の名前が「頓別川」だというのも(「マウント富士山」みたいだ)、語源からすればどっちも間違っていることになる。頓別には枝幸村から分村した頓別村の役場があったが、大正7(1918)年に鉄道が開通して村の中心地が鉄道に近い浜頓別に移った経緯がある。昭和26(1951)年には町名まで浜頓別になってしまい、頓別は取り残されてしまった感が強い。

雨がやんだところで、風力発電の風車が並ぶ国道を南下。とにかくひたすら走る走る。遠くに神威岬は見えているが、なかなか近づいてこない。
海辺にはゴミ捨て禁止の看板。だが文言が面白い。「この海岸は国有海浜地ですからどなたでも自由に使用(釣り・キャンプ等)できます。帰るときは空き缶、ゴミなどは自分で持ち帰るようにし、きれいな海岸になるよう協力をお願いします」と。自由に釣り、キャンプができると、明言する看板に心の中で思わず拍手。
神威岬手前の斜内で休憩。バス停で山際の紅葉を撮っていたら、路地の奥に斜内駅の駅舎が残っているのを偶然発見した。そういえばこの道と並行して、かつて浜頓別から分岐した国鉄興浜北線の線路が枝幸まで続いていた。
国道はトンネルで神威岬をバイパスするが、岬へ通じる2車線路は観光道路としてまだ現役。山側にははっきりとした線路跡に電線が続いている。岬の灯台を回り込み、南側に出ると日が当たって暖かくなった。国道と再び合流する地点には、立派な角の鹿がいて驚いた。2頭。親子だろうか。
バイパスを通るクルマのために神威岬を遠望するために造られた公園をスルー。目梨泊で自販機を見つけて、甘い缶コーヒーを飲む。
問牧の国道から外れたところに北緯45度広場があった。目の前の問牧小学校もいい感じだ。バス停前の酒屋では店番のお姉さんがTシャツ姿で子供の相手をしていた。家の中はきっと暖かいのだろう。
ウスタイベ千畳岩へ行ってみるが、芝生のキャンプ場は閉鎖中で水場が使えない。それにまだ時間が早いので、道の駅のあるマリーンランド岡島まで前進することにした。
すぐに枝幸市街に入る。浜頓別よりも賑やかな町で、役場まで行ってみるが、バスターミナルの場所がわからない。うろうろしているうちに「枝幸行」と表示の出たバスとすれちがい、ついていってようやくバスターミナルがわかった。かつて駅前旅館だったとおぼしき立派なたたずまいの食堂があったが営業していなかった。
ターミナルでわかったのは、きょうのキャンプ地、マリーンランド岡島のレストランは夏季しか営業していないということ。まだ15時過ぎだが、夕食にありつけない可能性があるので、ターミナル隣のショッピングセンター西條にある「ペリカン」で先に腹ごしらえ。頼んだのは、鉄鍋にナポリタンスパゲティ、その上にチーズハンバーグが乗っているという「ハンブルグ」。なぜこれがハンバーグじゃなくてハンブルグなのか?

16時過ぎには暗くなってしまうので、急ぐ。町外れのセイコーマートで飲物を買って、枝幸を出発した直後、山入端に日が落ちるのが見えた。
岡島まであと6キロ。あまり暗くならないうちに設営したい。国道238号を急ぐ。幌別橋を渡ると、岡島の集落。道の駅まで行くと、レストランがやっていないどころか、道の駅そのものが1週間の臨時休業中だった。トイレと自販機があるだけましか。夕食を食べておいてよかった。船の形をした道の駅の建物の裏にテントを張らせてもらってすぐに雨が降ってきた。

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