Damming Tibet's Yarlung Tsangpo
今年5月24日、チベットの環境問題を訴え続けているTesi Environmental Awareness Movementは、いまだ世界最奥の秘境であり、一方密かな開発計画が上がっては消えているヤルンツァンポの水力利用計画についてリポートを発表した。過去の水力利用構想の中には、意外にも日本人の名前も見える。
The Tibetan Plateauは、チベット域内のヤルンツァンポ〜ブラマプトラ上流域の水力発電プロジェクトを地図にまとめた。これが近年の国際的議論への新たな情報提供となることと、中国の水資源利用に関する誤解を解く一助になることを期待したい。
ヤルンツァンポ〜ブラマプトラ上流域には10ヵ所のダムが完成しており、3ヵ所が工事中、7ヵ所が検討中であり、他に8ヵ所の計画がある。インダスとサトラジ、カルナリの各川でもそれぞれ1ヵ所ずつ水力発電が行われている。アルンには5ヵ所の大型ダムが計画されており、スバンシリにも別の大型ダム計画がある。
大小の水力発電プロジェクトが進められている一方で、大規模送電網に関係ない小さな地域的な水力発電プロジェクトもたくさんある。多くのチベット人たちは電気なしで暮らしてきたし、ほとんどは今後も電気が届かないだろう。チベット高原では先に中小規模のダムを造り、その電力を使って大規模なプロジェクトを進めるというのがひとつのパターンになっている。チベット人に電力を供給するのが目的ではなく、より大きな発電所を作ってインフラ開発を行い、中国沿岸部の飽くなき電力需要に応えることが最大の目的なのだ。
地図には地名や河川、山、湖沼の名前はチベット語で記載したが、水利プロジェクトの名称はほとんどが中国語になっている。中国語の名称が用いられるのは、もちろん作る側の名称のほうがわかりやすいからであり、研究者にとっても混乱が防げるからだ。
ヤルンツァンポ〜ブラマプトラ
ツァンポ〜ブラマプトラ川はチベット/中国とインド、バングラデシュを流れる国際河川である。最近までヤルンツァンポにはダムがなかった。中国は建設中のザンム(蔵木)プロジェクトを含め、中流域に5ヵ所のダムを建設する計画を発表し、インドの反発を招いた。ヤルンツァンポに歴史、宗教、経済的つながりを深く持っており、古くから流域に暮らしているチベット人たちの声は無視されたままだ。
ヤルンツァンポ川はチベット文明の歴史、特有の伝説と戒律、ひいてはチベット人のアイデンティティに緊密な関係がある。エジプトにはナイル川があるように、ヤルンツァンポはチベット文明のゆりかごと捉えることもできるだろう。ヤルン平野はヤルン朝として知られる初期のチベット国王の出身地だった。聖なるカイラス山の懐を源流とし、ヤルンツァンポ平野は巡礼地や修行僧たちの思索のための洞窟、霊的な修行の地である「ベユル」(秘密の谷間)などに彩られている。チベットを想像上の魔女に喩えた「魔女仰臥図」にも川は描かれている。
ツァンポ峡谷・聖なるペマコの地
ツァンポ峡谷としても知られるヤルンツァンポ大屈曲部は「地球上の最後の秘境」として、また地球上に例を見ない巨大水利の可能性を持った場所として世界中の注目を集めている。19世紀まで地理学者はヤルンツァンポの峡谷の向こうがブラマプトラにつながっているのか、イラワジなのか、それとも別の川に注いでいるのか確信を持てなかった。ルンペのすぐ下流でヤルンツァンポは7756メートルのナムチャバルワと7294メートルのギャラ・ペリという2つの高峰のあいだ、およそ4900メートルの標高差がある大地の裂け目に入り込んでいる。その大屈曲部を通る際の2500メートル近い落差は、水利にとって理想的と考えられている。世界最強のダムと送水路の建設(詳しくは後述)が行われるのではないかという疑惑を、下流の国々が持つ由縁である。
また、ヤルンツァンポ大屈曲部は世界でもまれに見るほど多様な植物種が生息することでも知られている。行くのもままならない秘境で、植物学者がどうやって調査し、数え上げたのか想像を絶するが、ともあれある公式サイトによれば3700種が確認されており、この一帯が「植物たちの故郷」であると言われている。大屈曲部の生物多様性は、ヒマラヤ一帯の生態系が世界でもっとも豊かで、しかも危機に瀕していることを物語っている。
チベット人にとってはチベット仏教の勃興と切り離せないインド出身のヨが行者、パドマサンババ、またの名をグル・リンポチェが隠った最も聖なるベユル、「ペマコ」がある場所である。代々空想的なチベット仏教の高僧は、秘宝を見つけ出し、何重にもなったベユル、「ペマコ」の霊的な扉を開けて旅をしたという。またチベット人たちは女神、ドルジェ・パクモ(ヴァジラヴァーラーヒー)が一帯から現れたと信じている。
魔女の背中にチベットの地図が描かれたように、地元の登山グループはペマコ地方をドルジェ・パクモの姿と重ね合わせた。「頭はカンリ・カンポ(白い雪山)、胸はナムチャバルワとギャラ・ペリに。下半身はヤンサンか、アルナチャル・プラデシュの上シャン地方にあると言われる内ペマコに横たわっている。シャンとヤンサンはキラ・ヨンゾンの聖なる三角形を成すが、それがドルジェ・パクモ神の陰門である」。これらの伝説と巡礼の教えは、数百万の仏教徒達にとって宗教的、文化的な意味を持っている。
ヤルンツァンポ〜ブラマプトラ大屈曲部での水利計画
地図は大屈曲部での水利可能性について、モトゥオ(墨脱:チベット語ではメト)とダドゥカ(大度卡)の2つの構想があることを示している。モトゥオプロジェクトではルンペからメトまでのトンネルが掘られる。ダドゥカの方は、ペからインド国境近くのディドンまでだ。ともに中国はメト(墨脱)近くに3万8000メガワットの水力発電所を造ろうとしている。これらの構想は経済的、工学的観点からは実現可能なものの、中国政府がトンネル終端部に大規模なダムを造る場合の貯水量による環境と耐震性の問題が残る。現在これらの構想はアセスメントと調査によって慎重に検討されている段階である。むしろこの工事のために電力を供給するための近隣のダムと高圧送電網が先に完成しないと着工できないものと見られる。既にオンラインでは読めなくなっているが、2003年7月に新華社が出したこの地域の研究レポートによれば、これらのプロジェクトに関する当局の、あるいは研究機関やその他のWebサイトが存在するという。下記は国家電網公司が作成したモトゥオプロジェクトと高圧送電網が描かれた地図だ。
これらの水力計画で掘られるトンネルはどれも、ニャクチュで進む錦屏(ジンピン)第二計画で建設中のトンネルと同規模の15〜25キロと見られる。これらのトンネルは、屈曲部の下流に建設される発電機を回すための送水路として利用される可能性が高い。この地点が、大峡谷にできる大規模ダム(モトゥオ)になるだろう。もうひとつのプロジェクト、「ダドゥカ」と地図に記載されている構想は大型ダムなしに2400メートルの標高差を活用するのだが、場所がインドとの国境に近く、また中印紛争のようなことが起きれば問題になろう。トンネルのルートは推測できるし、中国の技術者たちがこの構想で最大限の利益を求めようとしているという可能性が高い。
いずれにしても大屈曲部に巨大ダムを建設する最大のリスクは地殻変動にある。ヒマラヤとチベット高原はテクトニクスプレートの衝突によって形成された。それゆえ、チベットでは地震はまれではない。モトゥオ貯水湖が建設されると見られるメト県では、9万人の犠牲者を出した2008年の四川大地震以前に「中規模の」地震が起きている。最近の玉樹での地震でタンゴダムに亀裂が走ったことが、大屈曲部の下流のインドやバングラディシュに住む人々から不安視される原因になっている。中国の地質学者、范暁氏は、断層近くに巨大な人造湖を造り圧力をかけることが地震の引き金になると警告している。
ツァンポ〜ブラマプトラからの分水
大屈曲部に建設した巨大ダムから数百キロに及ぶ長大な運河を経て、黄河やヤンツェ(長江)、ゴビ砂漠へ分水する構想が提案されたこともある。ひとつは李伶著『チベットの水が中国を救う(西蔵之水救中国)』(2005年12月出版)に書かれている人民解放軍の司令官だった郭凱氏の構想であり、もうひとつは日本の三菱総研の創設者、故・中島正樹氏が1977年に地球環境基金に提案した5000億ドルに及ぶ構想だった。これらの構想は政府の関心を惹かなかったのか地図に落とされておらず、実現可能か、経済的に問題なかったかも定かではない。
中島正樹氏と郭凱氏の二大空論の他にも、ツァンポ〜ブラマプトラからの分水についてはいくつもの構想があった。その中で唯一「公式に」実現へ向けて検討されたのは、標高3500メートルのツェタンからニャン盆地にトンネルを掘り、そこから黄河へ水を導くというものである。この成否は標高差と大屈曲部にできる発電所の電力にかかっていたと見られる。この構想はその後撤回された。公式でなければ、それこそ街路のように縦横無尽にチベット各地の河川をつなぐ計画が山のようにある。
大屈曲部一帯の地形に関する詳細な研究や、Google Earthで把握できる地勢からは、構想のようには分水路の建設ができないことがわかる。例えば高さ850メートルのモトゥオ貯水湖を造れば、大屈曲部の2000メートルにも及ぶ高低差を利用できると言われているが、これを実現するには入り組んだ山岳地帯に数百キロに及ぶ水路を建設しなければならない。
過激な議論として「核の平和的利用」によってトンネルを掘削し、モトゥオのダムとイウォン川・パルン川の水力を合わせるという案も出ている。仮に実現できるとは言え、その建設費はおそらく現実的なものではないだろうし、水力開発というのは経済開発であり、単に水をあっちからこっちに移せばよいというものではない。
もうひとつ忘れてはならないのは、チベット高原における気候条件、つまり中国北部で水需要が高まる冬から初春にかけてはチベットの河川はだいたい凍結しているということである。ヤルンツァンポ中流部
いくつかのプロジェクトが進行中。510メガワットのザンム(蔵木)プロジェクトは既に建設が始まっており、レンダ(幤達)、チョンダ(仲達)、ランチェン(朗県)の3プロジェクトでは用地整備が進められていて、数年内に着工されるだろう。Jiachaもまもなく始まりそう。Jiexuが最後になりそうだ。というのは、下流の6つのダムの上流に位置するこのダムは、調整的な役割を果たすからだ。
イウォン川・パルン川
ヤルンツァンポの支流であるこれらの河川でも計画が進められている。これらの支流での計画はモトゥオ水力計画に不可欠なものと推測される。計画の位置はHydrochinaのサイトで確認できる。プロジェクト名は小さく、微かにしか書かれていないが、近くの町のチベット語名を持って来ているのが、だいたいの位置になる。
ヤルンツァンポとブラマプトラがひとつながりの川だと確認できたのは、19世紀後半に英国領インド測量局のエージェント(バンディット)がチベットに潜入し、調査した成果。キンタップというバンディットが僧侶に扮して当時のツァンポ峡谷最奥部しようと奮闘したが、同僚に売られて奴隷になってしまい、脚抜けに時間がかかった、などなど、このヤルンツァンポの探検史はとてつもなく面白い。
いまでこそGoogle Earthで誰でも川筋をたどれるが、ツァンポ峡谷に執着して今年の開高健賞を受賞した角幡唯介さんによれば、峡谷は深いオーバーハングのゴルジュと「幻の」滝の連続。水上を下ることはほとんど無理だという。1993年には日中合同隊に参加した早大カヌークラブの武井義隆さんが支流のポー川で行方不明になっている。
明日は東京・広尾のJICA地球ひろばで、ヤルンツァンポをはじめとするチベットの水資源問題を取り上げた映画 "Meltdown in Tibet" の上映と、アジアの水資源問題に関する講演がある。
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