Quetta
ラワルピンディから33時間かけて、15時すぎに列車はクエッタに着いた。町に出て気がついた。きょうは金曜日だ。何もかも休みのせいで、クエッタは何の変哲もない高地砂漠の町だ。薬屋、パン屋はなぜか開いている。ひと回りするうちに鉄砲の絵を描いた看板が目についた。
むこうから通りをデモの一団がやってきた。2,30人かそんなに規模は大きくないものの、前後を警官が固めている。何を叫んでいるのか知らないが、おそらくシンド州の暴動に関係があるのだろうと思った。シャッターを切る。とたんに制服のひとりに睨まれた。
土曜日のタフタン行きはクエッタを9時半に出る。翌朝5時半に停まった駅で、水の補給はここが最後だと言われ、ポリタンクをいっぱいにしてくる。いよいよ熱砂の世界だ。熱いが列車の窓を閉める。風の叫び、砂にかすむ大地。列車は客車と貨車を連ねて、その中をばく進してゆく。
ノーク・クンディで停車時間の間に、町に出てすいかを買う。よくこんなところに人が住むものだ。ムスリムじゃなかったら、とっくに逃げ出しているだろう。ここでは羊さえも日陰を求めてじっとしている。
いつのまにか列車はタフタンの町を過ぎて、国境近くの終点に着いていた。線路はこの先、イラン領へ続いているが、列車は走っていない。ザックを背負い、バラックを抜けると、ボーダーがあった。出国・入国ともあっけなかった。イラン側の外貨申告所では、役人が税関を通らなくていいと言ったので、そのままベンツ製のバスに乗り込む。結局、荷物検査はなし。隠し外貨もアルコールも見つかるわけがない。拍子抜けした。
バスはしばらく国境の柵に沿って走った。鉄条網の向こう側、何もない砂漠の一隅にキャンプ村ができている。アフガニ、アフガニ。イラン人がそう教えてくれる。そういえばクエッタの郊外にもそれらしき、かなりまとまったキャンプがあった。あちらがわでは依然戦闘が続いているのだ。この様子じゃアフガニスタンへの入国はまず不可能だろうと考える。
タフタンを出るとき、税関係員によるチェックが1回。それからザヘダンまでコミテによるのが4回。いずれもパスポートをチェック。結構おざなりなもので、1度などは席に座ったままパスポートを掲げるだけで済んだ。日が暮れて、ザヘダンの町に着いた。結構大きな都市だ。---
クエッタで会ったトガワさんを訪ねた十勝の短い旅から戻り、1990年6月の日記を引っ張りだしてみた。結構ドキドキの旅だったのだ、と、いまさら思う。
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