2008/07/18
The Fear in Lhasa
by
Days
—
posted at
2008-07-18 21:08
last modified
2008-12-09 10:34
北京在住とされるチベット人ライター、ツェリン・ウーセルが「北京で感じるラサの恐怖」と題して、ジャムヤン・ノルブのBlogに寄稿している。3月14日の騒乱にラサで遭遇し、迫害を恐れて逃げてきた "DZ" と呼ばれるチベット人のストーリーだ。
きょうは時間の都合で一部だけ。来週時間があれば、続きを日本語訳します。
チベット語の分かる人間は、他にはカフェの中にはいないようだったが、私はDZにラサで起きたことを聞くのをためらった。DZは上流階級の生まれのようだった。「あなたは私たちよりチベット人らしく見える。チベットの服を着ると、チーツォク・ニーンパ(古めかしい社会)のチベット人のようになるだろう」と言っていたからだ。笑い声の中に、JMは彼が色のついた薄い光明の中で、確実に群衆の中に溶け込むことができると言った。
それで、DZは突然「銃を構えた兵士がラサ中にいる夢を見るんだ。北京を歩いていて、武警や公安を見ると、怒りと恐怖を感じるんだ。理由はわからないけれど」と話し始めた。DZが窓から外を見て、語調を落としてそれを話したので、ようやく彼がその気になったのだと知った。
「3月14日、ダムからギャンツェへ外国人ツアー客を連れて行ったときだった。途中で電話がかかってきて、ラサで事件が起きていて、ラモチェあたりのチベット人が気勢を上げていると聞いた。最初はラサに戻って来ないほうがよいという指示だったのでギャンツェで待っていたが、急いで戻ってこいという電話が今度はかかってきた。ラサに着くとすぐ、ツアー客をホテルに送り届けた。
午後だった。東側にあった店舗や車は壊されたり燃やされたりしていた。路上で大勢がチベット人の動向を見守っている郵電局の近くに私も走って行った。チベットは本当に独立しようとしている。そう言ってもよかったぐらいだ。2、3時間のうちは。
まもなく装甲車が数台やってきて、ズンズンズンという音とともに催涙弾を撃ち始めた。群衆は散って行った。やられた奴は店に入っていって、目を洗っていた。自分も喉が痛くなって、涙が止まらなくなった‥‥」
「群衆が撃たれたのは見た?」
「いや、なかったが、友達が死人を見たと言っていた。ラサ中等学校の近くで、チベット人だったらしい」
DZは頭を撃たれる真似をして、話を続けた。
「すぐ自分のところに戻った。疲れていたし、怖かったんだ。だから横になるとすぐ寝てしまった。だけど翌日には例のツアー客のところに行かなきゃならなかった。家を出るとすぐ、ぶっ倒れるかと思った。警棒や銃を手に持った兵士が目の前にうじゃうじゃいた。戻ろうかと思ったが、兵士が『こっちへ来い!』と叫ぶのが聞こえた。行かざるを得なかった。バンザイしたみたいに両手を上げさせられて、2人の兵士がボディーチェックを始めた。本当に怖かった。ジャケットのポケットにお守りが入っていた」 DZはお守りを取り出して、ちらっと見せてくれた。テンスン(お守り)にスンドゥ(聖なる紐)がついているのに私は気づいた。スンドゥはダライ・ラマによってとりわけ加持される神聖なもので、無病息災の象徴だ。チベット人にとっては本当に大切なものだ。
「そのときはクンドゥン(ダライ・ラマの称号のひとつ)のバッジも持っていた。それが兵士に見つかったら一巻の終わりだと思った。静かにクンドゥンに祈った。クンドゥンは本当に自分を護ってくれた。兵士は何度もポケットを探ったと思うのだけれど、見つからずに済んで、彼は「ひっぱたけ!」と舌打ちした」
DZは彼のセンスで自分の幸運を表現した。それはダライ・ラマへの彼の感謝の気持ちでもあった。彼は祈り、祈られたほうは答えた。
「兵士たちはチベット人の首をチェックしていたと聞いたんだけど、クンドゥンのバッジがかかったスンドゥを首から下げていたら、きっと彼らはそれをちぎり切って、地面に投げつけたでしょう。そうでしょう?」私はそう尋ねた。
「そうだね。地面に投げつけてから、チベット人にそれを踏むようにさせるだろうね。踏みつけるのを拒否したら、きっと逮捕されて連行されるだろう。手首に数珠をした若者たちは、兵士にそれを見つかって、連れて行かれたよ」
DZは左腕の数珠を見やった。
「両手を腕に上げてバンザイさせられたのは男性だけ?」
DZは私の目を覗き込むと、ゆっくり言った。「いや、男だけじゃない。男か女か、老人か、自分みたいな若者かに関わらず、チベット人だったら誰でもバンザイさせられて、ボディチェックされただろう。そんな侮辱を受けたことはなかったね。銃で武装した兵士たちに、チベット人みんなが手を上げさせられて、降伏したようにさせられているんだ。老人、女の子たちも例外じゃない。前に観た映画を思い出したよ。「日本鬼」が中国を侵略したり、国民党が共産主義者をいじめたりするのと同じ光景が目の前にあるわけだ」
DZの目は、屈辱に燃えているように見えた。
「自分はもうラサにはいられないと思った。逃げなければ、いつか捕まえる。捕まったツアーガイドのことを知っていた。それも5人以上も。ホテルにいた中国中央放送の記者たちと知り合いで、ラサを出るときに一緒に行こうと、彼らは誘ってくれた。兵士たちに警備されたチェックポイントがいくつもあって、この容貌でそれを越えるのは難しそうだったが、彼らは自分のことを映像チームのスタッフのひとりだと言ってくれた。そうやって彼らと一緒に鉄道駅に行った。駅では、短い髪の若者が捕まっているのを見た。たぶん僧侶だと思う。
ツォツォ川を渡る橋の上で列車は少し停まった。窓の外にはたくさんの兵士と軍用トラックが見えた。中央放送の記者たちは、それを格好のネタと思ったのだろう。ビデオを回し始めた。結果、兵士たちにビデオカメラの中のすべてを消去させられただけでなく、始末書を書かされることになった。もし同じようにチベット人が撮影していたら、すぐに逮捕、連行だろう。
西寧に着いたとき、ホテルはチベット人の宿泊を断った。中国中央放送の記者たちに感謝を告げ、他の2人の老女と一緒に私は別の宿を探した。
北京での最初の数日間、通りを歩いていて通行人にどこから来たのか聞かれるたびに、チベットから、と正直に答えていた。みんなすぐにうろたえていた。まるで自分がテロリストと見られているようだった。一度は武警の職務質問を受けて、詳しく調べれた。それ以来、特に用事のない限り、外出することがなくなったが、非常に退屈だった。
だからテレビを見る。テレビをつけると、番組ではチベット人が殴ったり、破壊したり、盗ったり、燃やしたりしていると言う。ラサとその他のチベットの地域がいかに兵士の支配下にあるかということを伝える番組を見ることはなかった。何人のチベット人が殺されたか、逮捕されたか、番組では決して触れられなかった。公式発表は嘘ばかりで、展開した部隊は民衆に決して発砲しなかっただの、部隊は街路を清掃しに来たのだの。確かに彼らは町を清掃しに来て、彼らの目にはゴミと映るチベット人を『掃除』して行ったんだ。」
DZは微笑んだ。私はその微笑みの中に、怒りと絶望とを見てとった。
続きは私よりも先に長田さんが訳されているので、「チベット式」をご覧ください。
- Category(s)
- チベットに自由を
- The URL to Trackback this entry is:
- http://www.mobileplace.org/dias/blog/the-fear-in-lhasa/tbping