Western Reporters Back from Lhasa
3月14日、ラサにはThe EconomistのJames Miles記者が滞在していて、西側メディアへリポートを続けていたが、19日にはチベットを離れてしまった。それ以来ややラサの状況がわかりにくくなっていたのだが、中国政府に選ばれた数人の報道陣がラサを訪れ、久々に状況を知ることができた。
日本からは共同通信が参加したので、日本の新聞、テレビは共同電しか報じないのではないかと思う。少しはバランスを取るために(中国政府に選ばれたメディア、って時点で無理があるけど)、各メディアのリポートをまとめたBBCの記事(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7316205.stm)を訳してみた。
USA Today北京支局長
CALLUM MACLEOD
(BBCラジオのインタビューに答えて)
一行がジョカンを出発しようとした時、意外なことが起きた。
30人ほどの若い僧侶が一行を取り囲み、「彼らはあなたたちを陥れようとしている。彼らは嘘つきだ、信じてはいけない」と叫び始めた。それで数人の報道陣は、ジョカンがまさに象徴的な場所だと知った。
戒厳令とは言わないまでも、相当な厳戒態勢が敷かれている。
チベット人が多く住む旧市街には、警棒と盾を持った武装警官が大勢いた。
一行から離れ、騒動を主導したとされる僧侶たちの寺院を訪れようとしたが、無理だった。僧侶たちはまだ拘束されていると思われる。
AP通信 北京支局長
CHARLES HAZLER
(BBCラジオのインタビューに答えて)
町は本当に分断されているようだった。近年建設された中国風のラサの一部は、まったくいつも通りに見える。
が、昔からのチベット人地区を歩くと、放火された建物の跡が目についた。確かに町は破壊されている。
水曜日の夜には旧市街の外出禁止令もやや緩くなり、チベット人も少しは町に出るようになった。
が、さすがに22時には通りには人気がなくなり、特にラサの旧市街ではヘルメットと盾を持った12人チームの警官のパトロールに出くわすことが多かった。
中国日報
WU JIAO
(中国日報インターネット版より)
ゴンガ空港から65キロのバスの旅。ラサは平穏だった。ラサ川(キチュ河?)は高速道路に沿って静かに流れており、野ガモが水浴していた。
一方で、世界の尾根に踏み入った私は、2週間ほど前に19人が亡くなった痕跡を生々しく感じないわけにはいかなかった。
焼け落ちた商店や建物は、悪夢を悼む静寂に包まれていた。
が、ラサの人々は通常の生活を取り戻している。ビジネスは活発だし、郊外では農夫が忙しく働いている。
フィナンシャルタイムズ
GEOFF DYER
(同誌Webサイトより)
暴動はチベット人居住区として知られる町の東側で起きた。近年、移民してきた漢人がたくさんの商店を開いているところだ。
中国国内のテレビは、そういった商店への放火で亡くなった漢人のことを繰り返し報道している。
襲われずに残った建物は、白い布がつけられている。これは建物がチベット人のもので、襲われないようにする目印だ。
ある通信社記者
(BBC Webサイトへの寄稿)
ジョカンにいたとき、若い僧侶たちの一団、だいたい30人が出てきた。
3月14日に起きたことは、ダライ・ラマとは無関係で、自分たちは自由を求めているのだと彼らは15-20分にわたって言っていた。
私は特に尾行もつかず、比較的自由に歩き回れた。
印象に残ったのは、破壊された商店街だった。そして水曜日には、その商店街に多数の武装警官が配置されており、神経を尖らさねばならなかった。
AP通信 CHARLES HAZLER記者の詳しいレポートは、APのWebサイトで読める。
時間があればこれも訳したいのだけれど。
http://ap.google.com/article/ALeqM5h5Z6bJwtN_roGSIUQiQnfbf2NkhgD8VLBR1G0
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